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kurikara_ken 2010年12月18日(土) 17:08:40履歴
真如苑 > お知らせ > 管理記録
さらに、信者の多くが密教面や涅槃経から教えを深めようとしてますが、修驗道からのアプローチも大いに参考になるのではないかと思えます。
そして、「タウン(人里)修験道」を基調とする解説サイトを起こしました。
古代から連綿と続く山岳信仰を中心に、平安時代の初期、大和(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)を中心に修行した「役小角(えんのおづぬ)」(神変<じんぺん>大菩薩・六三四?七〇一)の個人的信仰や修行・行動を有力な基盤として、時代の流れの中で社会的な思想や信仰形態を背景に自然発生的に組み立てられて来た\"祈りの世界\"それが修験道である。
「野に伏し、山に伏し、我、神仏とともに在り」と修行する役小角の世界を、醍醐寺開山の聖宝(しょうぼう)・理源大師(八三二?九〇九)は、「霊異相承(れいいそうじょう)」という、大きな祈りをもって密教の修行・修法を中心に修行形態を整えた。役行者が入峰(にゅうぶ)して以来、峰入の跡が絶えていた大峯山(おおみねさん)を再興し、大峯山を「一乗菩提正当(いちじょうぼだいしょうとう)の山」ととらえ、一乗真実の山で、二乗・三乗の方便の山でないと理解し、修験道の真実を「実修実証」の四文字で解き明している。
そして、聖宝・理源大師の血脈(けちみゃく)を伝承する修験道は大峯山を「一乗菩提正当の山」ととらえることから当山派、または当山方といい、醍醐寺三宝院門跡が伝統血脈を継承し、その中核をなすものは「恵印法流」すなわち「最勝恵印三昧耶法(さいしょうえいんさんまやほう)」である。寛平七年(八九五)聖宝・理源大師が金峯山(大峯山)中で金剛蔵王菩薩に化身した役小角に導かれ龍樹(りゅうじゅ)菩薩から伝授されたのに始まるとされる。(醍醐寺公式ページより)
自分に感動があった言葉なのですが、しかし、「都市型修験道=新興宗教」であったり「低俗な修験道」として使用されるケースを見て、嘆きの用語ともなってしまいました。
そういうこともありますが、本来の修験道や真乗の願いを思えば、都市シティというよりは、修験道での「里行」と捉われを捨てた人々の和合の意味合いが出てくる「人里」の語がふさわしく感じ、自分的には「タウン修験道」としてきました。
今回、このサイトの制作にあたって、オリジナルの文章を探したのですが行き当たることができませんでした。 しかし、昔に「都会型?都市型修験道」の言葉を発してくださった方に大変感謝しています。
*
そうした基調での説明のあり方は、もちろん苑内にはありません。説明解説サイトと銘打っていますが、このサイト自体は教団となんら関係はなく、信者個人が管理するサイトです。
基調やスタンスをこだわって説明するのは、このサイトが公式のものではなく、信者個人が非公式の説明・解説を行っているからです。
宗教学者・僧侶や評論家・マスコミ関係者の説明でもありません。ちょっと年季の入った信者が、自分の知り合いや導き子に向かって、「真如苑っていうのはこういう風に考えると全体が分かり易いよ。」って、あれこれ話している。 そうしたサイトだと思ってくださいませ。
専門的また詳細な情報や説明を求められても、全く不十分な内容となっていることは否めないことと承知しています。「詳しい情報」の発信ではなく、「真乗の願いと真如苑の姿」を平たく分かり易く解説してみようという個人的な望みであり、上手く説明できるのか、その能力があるかは、あまり深くは悩んではいないのです。
そうした発信スタイルでもあり、ブログ風な表現でもありますので「WEB的解説」のタイトルともしています。
宗教学者・僧侶や評論家・マスコミ関係者の説明でもありません。ちょっと年季の入った信者が、自分の知り合いや導き子に向かって、「真如苑っていうのはこういう風に考えると全体が分かり易いよ。」って、あれこれ話している。 そうしたサイトだと思ってくださいませ。
専門的また詳細な情報や説明を求められても、全く不十分な内容となっていることは否めないことと承知しています。「詳しい情報」の発信ではなく、「真乗の願いと真如苑の姿」を平たく分かり易く解説してみようという個人的な望みであり、上手く説明できるのか、その能力があるかは、あまり深くは悩んではいないのです。
そうした発信スタイルでもあり、ブログ風な表現でもありますので「WEB的解説」のタイトルともしています。
解説にあたっては、単純な用語解説とはしないで、一つの考え方で構成しています。底流というか基調を「真如苑の宗教性格はタウン(人里)修験道である」として、その視点から多くの解説を行っていくというものです。
タウン(人里)修験道(たうんひとざとしゅげんどう)の解説基調
タウン(人里)修験道(たうんひとざとしゅげんどう)の解説基調
「タウン(人里)修験道」は、管理人(倶利伽羅)の造語です。
修驗道には、「山の行」と「里の行」という言い方あります。両方ともに厳しい行としてとらえています。苑の在家信者はその中身を得ようとしているわけで、その修行の場は山ではなく現代の町なのです。
都会とか都市修驗道・シティとしたくないのは、「人と共にある」という大切な意味合いが「町や里」の語に感じられるからです。
また、神佛混合・祖先や神々を思う日本人のこころが基盤になっていることも感じれる語でもあってほしいとも思います。
で、人里・タウンをつけることとしました。
修驗道には、「山の行」と「里の行」という言い方あります。両方ともに厳しい行としてとらえています。苑の在家信者はその中身を得ようとしているわけで、その修行の場は山ではなく現代の町なのです。
都会とか都市修驗道・シティとしたくないのは、「人と共にある」という大切な意味合いが「町や里」の語に感じられるからです。
また、神佛混合・祖先や神々を思う日本人のこころが基盤になっていることも感じれる語でもあってほしいとも思います。
で、人里・タウンをつけることとしました。
ネットでは事典風やプロフィール風の説明がとても多いのですが、信者からみて、うまく説明されているように思えないし、誤解や誤情報のネット連鎖がかなり出ていると思えます。また、個別の情報であって全体的なイメージや考え方を伝えてはいないようにも思います。
さらに、信者の多くが密教面や涅槃経から教えを深めようとしてますが、修驗道からのアプローチも大いに参考になるのではないかと思えます。
そして、「タウン(人里)修験道」を基調とする解説サイトを起こしました。
修験道とは・・・
教主:金胎不二の大日如来・釈迦如来・龍樹菩薩
開祖:役行者・弘法大師・理源大師聖宝・智証大師円珍
主な経典:大日経・金剛頂経・理趣経・祝詞・神祇講式など多数
御本尊(一例):金剛蔵王権現・不動明王・龍樹菩薩・
金剛界・胎蔵界曼荼羅に含まれるすべての諸仏・諸菩薩・諸明王・諸天
日本国中大小神祇(八百万の神様)
道教の神様など多数
日本古来からの山岳信仰と後に日本にもたらされる、密教・神道・道教・陰陽道などと融合しそれぞれに発展していった宗教です。
役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)が修験道の中心である大峰山・葛城山を道場として開いたのを開基としています。
後に真言・天台それぞれの密教と結びつき、真言宗系は醍醐寺を中心とする当山派(開祖:理源大師聖宝(りげんだいし・しょうぼう))、天台宗系は聖護院を中心とする本山派(開祖:智証大師円珍)の大きな二つの流派に吸収されていきます。
また、仏教と神道を一緒に扱う「神仏混合」という形態も修験道独特の面白さで、お経をあげて、祝詞もあげたりします。
密教と同一視されがちなのですが、密教色の強い部分は密教そのままの教えがあったり、まったく密教とは違う理論で教えや修法が成り立っていたり、神道の教えが色濃く出ていたりといろいろな面が見えるのも修験道の特色といえると思います。(「密教と修験道のページ」より)
教主:金胎不二の大日如来・釈迦如来・龍樹菩薩
開祖:役行者・弘法大師・理源大師聖宝・智証大師円珍
主な経典:大日経・金剛頂経・理趣経・祝詞・神祇講式など多数
御本尊(一例):金剛蔵王権現・不動明王・龍樹菩薩・
金剛界・胎蔵界曼荼羅に含まれるすべての諸仏・諸菩薩・諸明王・諸天
日本国中大小神祇(八百万の神様)
道教の神様など多数
日本古来からの山岳信仰と後に日本にもたらされる、密教・神道・道教・陰陽道などと融合しそれぞれに発展していった宗教です。
役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)が修験道の中心である大峰山・葛城山を道場として開いたのを開基としています。
後に真言・天台それぞれの密教と結びつき、真言宗系は醍醐寺を中心とする当山派(開祖:理源大師聖宝(りげんだいし・しょうぼう))、天台宗系は聖護院を中心とする本山派(開祖:智証大師円珍)の大きな二つの流派に吸収されていきます。
また、仏教と神道を一緒に扱う「神仏混合」という形態も修験道独特の面白さで、お経をあげて、祝詞もあげたりします。
密教と同一視されがちなのですが、密教色の強い部分は密教そのままの教えがあったり、まったく密教とは違う理論で教えや修法が成り立っていたり、神道の教えが色濃く出ていたりといろいろな面が見えるのも修験道の特色といえると思います。(「密教と修験道のページ」より)
真乗は、修験道の流れを汲む恵印法流を在家法流、醍醐寺三宝院に伝わる三宝院流を出家法流として位置づけ、やがて、出家を基盤とした在家仏教としてそれらを束ね、涅槃経の精神と密教の精神的な力とを込めた、独自の法流・真如三昧耶流(しんにょさんまやりゅう)を創始します。醍醐寺には、1997年、この法流を顕彰する真如三昧耶堂が建立されました。(真如苑公式ページより)
修験道。私たちは、「山伏(やまぶし)」とも呼んでいる。
古代から連綿と続く山岳信仰を中心に、平安時代の初期、大和(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)を中心に修行した「役小角(えんのおづぬ)」(神変<じんぺん>大菩薩・六三四?七〇一)の個人的信仰や修行・行動を有力な基盤として、時代の流れの中で社会的な思想や信仰形態を背景に自然発生的に組み立てられて来た\"祈りの世界\"それが修験道である。
「野に伏し、山に伏し、我、神仏とともに在り」と修行する役小角の世界を、醍醐寺開山の聖宝(しょうぼう)・理源大師(八三二?九〇九)は、「霊異相承(れいいそうじょう)」という、大きな祈りをもって密教の修行・修法を中心に修行形態を整えた。役行者が入峰(にゅうぶ)して以来、峰入の跡が絶えていた大峯山(おおみねさん)を再興し、大峯山を「一乗菩提正当(いちじょうぼだいしょうとう)の山」ととらえ、一乗真実の山で、二乗・三乗の方便の山でないと理解し、修験道の真実を「実修実証」の四文字で解き明している。
そして、聖宝・理源大師の血脈(けちみゃく)を伝承する修験道は大峯山を「一乗菩提正当の山」ととらえることから当山派、または当山方といい、醍醐寺三宝院門跡が伝統血脈を継承し、その中核をなすものは「恵印法流」すなわち「最勝恵印三昧耶法(さいしょうえいんさんまやほう)」である。寛平七年(八九五)聖宝・理源大師が金峯山(大峯山)中で金剛蔵王菩薩に化身した役小角に導かれ龍樹(りゅうじゅ)菩薩から伝授されたのに始まるとされる。(醍醐寺公式ページより)
「都市型修験道」は、ほぼ10年前にネット上で見かけた言葉です。 「都会型」か「都市型」か明確でもないのですが、「都市型修験道」の言葉を見た瞬間感動しました。 真如苑について分かりにくかったことが一気に見通せたような気持ちになりました。そして、修験道関係からも苑の理解を深めようとしてきました。
自分に感動があった言葉なのですが、しかし、「都市型修験道=新興宗教」であったり「低俗な修験道」として使用されるケースを見て、嘆きの用語ともなってしまいました。
そういうこともありますが、本来の修験道や真乗の願いを思えば、都市シティというよりは、修験道での「里行」と捉われを捨てた人々の和合の意味合いが出てくる「人里」の語がふさわしく感じ、自分的には「タウン修験道」としてきました。
今回、このサイトの制作にあたって、オリジナルの文章を探したのですが行き当たることができませんでした。 しかし、昔に「都会型?都市型修験道」の言葉を発してくださった方に大変感謝しています。
- 質問ページや掲示板を設けないのは?
- 教主を真乗と呼び捨てでいいのか?
- 信者らしくない言葉遣いの訳は?
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