真如苑 (関連用語・比較説明、行事予定等)


祈誓:[名]神仏にいのって誓いを立てること。

祈誓大護摩供(きせいおおごまく) 永劫の聖地親苑荘厳 

 2010年 12月 28日

祈誓大護摩供とは  (公式的解説)

12月28日午前10時半より、修築された聖地親苑・真澄寺ご宝前で「永劫の聖地親苑荘厳 祈誓大護摩供」が行われました。

75年前に開祖・真如教主様が運慶作と口伝される大日大聖不動明王を勧請された記念すべき日に、真澄寺に奉安された二体の不動明王の尊前で護摩が焚かれ、再びみ仏の智慧の聖火が上がりました。

法要では、苑主・真如継主様の導師によって大護摩が修められた後、真如双親様のご親教を拝聴。み教えが発祥した聖地親苑にかけるみ心を深めさせていただきました。

続いて真如継主様は「衆生の苦を滅し、浄菩提心を増長」するお護摩の炎にこめられた意味に触れられ、「ここに皆様の心中に親苑・不動国の光が灯りました」「不退の信で三つの歩み、感謝の菩薩行に努める処、真如一如の幸せ、み仏・み親の無量功徳に浴せるのです」とお話し下さいました。

その後、「燈火セレモニー」が行われ、護摩の炎から採火された燈火が青年たちの手によって次々に手渡されていき、ご霊廟の真如双親様・両童子様の尊前に献じられました。

真澄寺で修築後初の大護摩

〈2010.12.28〉
 12月28日(火)午前10時半より、総本部(東京都立川市柴崎町)の燈檠山真澄寺(とうけいざんしんちょうじ)で、同寺修築後初の護摩法要「祈誓大護摩供」が苑主・伊藤真聰の導師によって執り行われました。総本部には約1600名の代表教徒が参座し、その模様は応現院をはじめ全国93ヶ所の本部支部寺院に衛星中継されました。

 昭和43年に現在の総本部の地に落慶した現・真澄寺(旧・真澄寺は昭和13年落慶 ※)は、2007年秋より行われていた耐震修築工事の為、約3年の間、法要などは行われずに閉鎖れていました。その間、本尊である開祖・伊藤真乗謹刻の「涅槃法身不動明王」と、真澄寺奥の院に安置されていた伝運慶作の「大日大聖不動明王」は、総本部の他のお堂に遷座されておりました。このほど、2010年の秋に修築工事が完了し、再び2体の不動明王像を真澄寺ご宝前に安置。新しく改築なった真澄寺で、12月20日には「不動明王奉安法要」が行われ、そしてこの28日には「祈誓大護摩供」が行われました。当日は、並んで安置された「涅槃法身(ねはんほっしん)不動明王」と「大日大聖不動明王」の尊前の護摩壇で護摩が修されました。参座の教徒も読経で唱和。今年一年の荘厳事業の成就を祈念すると同時に、開祖が立教以来、不動の心で利他の祈りと実践を貫いてきたように、利他行の実践を日常の中に表していく誓いも重ねていきました。

 読経の後には、護摩壇から採火された燈火が次代を担う青年たちに手渡されていく「燈火セレモニー」が行われました。参座の教徒が見守る中、燈火は多くの青年たちの手によって次々に手渡され、み仏の尊前に献じられました。

※開祖夫妻が、現在の総本部の地に最初に建立したお堂が「燈檠山真澄寺」であり、昭和43年の総本部拡充工事の際に、新しい真澄寺に建て替えられました。昭和13年落慶の旧・真澄寺は、現在、当初の姿のまま他の場所に移築されております。


聖地荘厳(永劫の聖地・親苑の荘厳)

真澄寺
発祥精舍
真澄寺境内
護法善神
第二精舍
接心道場
復建真澄寺

不動明王

大日大聖不動明王
二大不動明王
八大童子


親苑

真澄寺
教主様のご手記に、――昭和13年10月5〜6日にかけて、それぞれみんな、お手伝いして下さる方、みんな、身体沐浴偈を唱え、夜の12時を機して読経に入ります。私が導師となって撥遣の法を行い、もとの立木として立川不動尊の新道場にお移し申し上げ…そして、昭和13年10月6日、午前2時30分に本尊を奉安し奉った。
又、この日、10月6日午前3時、10月6日、午前3時より立川不動尊としての第一回の護摩を厳修し、宇宙の大曼荼羅からお不動様のご性根のご降臨を賜ったのであります。
(この時の教主様の苑歌に)○永遠かけて不動のこころ拝受してわれ人々と道つらぬかむ 天晴
真如苑総本部

不動明王奉安法要

 2010年 12月 20日:不動明王奉安法要

祈誓大護摩供とは  (WEB的解説) 

真如苑護摩

真如苑の仏像

親苑

不動明王奉安法要

祈誓大護摩供とは  (一般的解説) 辞典・ウィキペディア

大護摩

不動三尊・不動八大童子


不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。ただし、実際には八大童子のうちの二名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表わされることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表わされるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。
八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)である。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。東京都世田谷区の世田谷山観音寺には、鎌倉時代の仏師・康円(運慶の孫)作の不動明王及び八大童子像があるが、これは奈良県天理市にあった廃寺・内山永久寺から移されたものである。
なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。

参考リンク

聖地荘厳(永劫の聖地・親苑の荘厳)

真如苑の法要
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