真如ペディア - 大日如来像(運慶)

大日如来像(運慶):(だいにちにょらい うんけい)

 

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大日如来像  (公式的解説)

開祖伊藤真乗の思想 悉有仏性


大日如来は一般に密教の中心となる仏で、真乗は大涅槃像の光背部分に大日如来像を配した。その手は、仏の慈悲を表す法界定印を結んでいる。真乗は、対として、仏の智慧を表す智拳印を結んだ、金剛界の大日如来像も光背に配している。 

伊藤眞乘の大日如来

真如苑仏像

大日如来と真如苑の関係

本尊(三輪身)さまは大日如来さまの化身

真如苑は、大般涅槃経を經典とし、釋迦牟尼如来を本尊とする密教教団です。人間そのもののお釈迦様ではなく、如来のお釈迦様(つまり、大日如来、阿弥陀如来などの世界の仏さま)を本尊としています。つまり、三輪身さま(釋迦牟尼如来さま、十一面観音さま、不動明王さま)を大日如来さまの化身・一体の仏様と考えています。

三輪身

三輪身
三輪身(さんりんじん)とは、密教における如来・菩薩・明王を、その性質に従って三種類の仏身観に分類したものである。
自性輪身(じしょうりんしん)、正法輪身(しょうぼうりんしん)、教令輪身(きょうりょうりんしん)の三身観をいう。
輪とは、全体(輪 Cakra)を形成するための要素という意味で、また煩悩を摧破する輪宝のことである。
金剛界曼荼羅の自性は、中央・大日如来、東方・阿閦如来、南方・宝生如来、西方・阿弥陀如来、
北方・不空成就如来によって分担されているが、これらの五如来は、それぞれが真理の当体(自性)に他ならないので、
自性輪身(仏・如来)という。この真理は、衆生を教化救済するために菩薩が化現し正法を説く。これを正法輪身(菩薩)という。
さらにその済度を徹底するために強剛難化の衆生を忿怒(ふんぬ)相をもって折伏する役割が教令輪身(明王)である。




 

大日如来 運慶 (一般的解説) 辞典・ウィキペディア

大日如来

大日如来(だいにちにょらい)、梵名 マハー・ヴァイローチャナ (महावैरोचन [mahaavairocana])は、密教において宇宙そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。その光明が遍く照らすところから遍照、または大日という。[要出典]
三昧耶形は、金剛界曼荼羅では宝塔、胎蔵曼荼羅では五輪塔。種子(種字)は金剛界曼荼羅ではバン(vaM)、胎蔵曼荼羅ではアーク(aaH)またはア(a)。
概要

大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主であり、大日経の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主である。また金剛頂経の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心。空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
後期密教を大幅に取り入れたチベット仏教でも、大日如来は金剛界五仏(五智如来)の中心として尊崇される。チベット仏教では、宝飾品を身に纏わずに通常の如来の姿で表現されたり、あるいは多面仏として描かれることもある。
像形は、宝冠をはじめ瓔珞などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表されるのである。 印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結ぶ。
真言

金剛界:オンバザラダドバン 胎蔵界:オンアビラウンケン 三昧耶会:オンバザラトビシュバキリバジリニウン
作例

岐阜・横蔵寺像、鎌倉時代。
京都・東寺講堂像、現存像は室町時代の再興。
奈良・円成寺像、平安時代末期、運慶作。国宝。
奈良・唐招提寺像、平安時代前期。
和歌山・金剛峯寺像、平安時代前期、元西塔本尊。

運慶


運慶(うんけい、生年不詳 - 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。
経歴
  • 出生
運慶は、奈良市・興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子である。長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。
興福寺再興事業への参加 [編集]
運慶の現存最古作は、安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺の大日如来像である。寿永2年(1183年)には、以前から計画していた法華経の書写を完成した。この法華経は現在「運慶願経」と呼ばれている(京都・真正極楽寺蔵および個人像、国宝)。経の奥書には、後に仏師として活躍することの知られる者を含む、名に「慶」字を用いる結縁者名が記されており、一門をあげての写経だったことがわかる。
治承4年(1180年)に平家の兵火により、奈良の東大寺・興福寺が焼亡する。興福寺の再興造像は、円派、院派と呼ばれる京都仏師と、康慶・運慶らの属する奈良仏師とが分担した。当時の中央造仏界での勢力にしたがい、円派・院派のほうが金堂・講堂のような主要堂塔の造像を担当することとなり、奈良仏師では康慶が南円堂の本尊を担当し、本家筋にあたる成朝は食堂の本尊を担当することとなった。
  • 鎌倉幕府への接近
成朝は、なぜか食堂本尊の造像に専念せず、文治元年(1185年)に源頼朝の勝長寿院本尊を造るため鎌倉に下向した。一方、運慶は文治2年(1186年)正月に興福寺西金堂本尊釈迦如来像を完成したあと、成朝の動向に連続するかのように、鎌倉幕府関係の仕事を開始する。その年5月3日には、北条時政発願の静岡県伊豆の国市・願成就院の阿弥陀如来像、不動明王及び二童子像、毘沙門天像を造り始めている。またその3年後、文治5年(1189年)には、和田義盛発願の神奈川県横須賀市・浄楽寺の阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像を造っている。
東大寺での仕事
建久7年(1196年)には康慶、快慶、定覚らとともに東大寺大仏の両脇侍像(観世音菩薩、虚空蔵菩薩)と四天王像の造立という大仕事に携わるが、これらの像はその後大仏殿とともに焼失して現存しない。現存する大作としては建仁3年(1203年)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像を挙げねばならない。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いてわずか2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられている。この功績により、同年の東大寺総供養の際、仏師として極位である法印を受けた。
承元2年(1208年)から建暦2年(1212年)にかけては、一門の仏師を率いて、興福寺北円堂の本尊弥勒仏坐像と、無著・世親像を造っている。殊に無著・世親像は肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作に数えられている。
最晩年の運慶の仕事は、源実朝・北条政子・北条義時など、鎌倉幕府要人の関係に限られている。その中で、建保4年(1216)には、実朝の養育係であった大弐局が発願した、神奈川・称名寺光明院大威徳明王像を造った。
作風

平安後期に都でもてはやされた定朝様(じょうちょうよう)の仏像は、浅く平行して流れる衣文、円満で穏やかな表情、浅い肉付けに特色があり、平安貴族の好みを反映したものであった。対して運慶の作風は、仏像の男性的な表情、変化に富んだ衣文、量感に富む力強い体躯などに特色がある。

運慶の作と称されている仏像は日本各地にきわめて多い(特に仁王像に多い)が、銘記、像内納入品、信頼できる史料等から運慶の真作と確認されている作品は少ない。以下は国宝・重要文化財指定名称に運慶の関与が明記され、運慶ないし運慶工房の真作として学界にほぼ異論のないものである。

奈良・円成寺 大日如来坐像(国宝) - 安元2年(1176年)10月。台座内部に運慶自著と思われる墨書銘があり、これに拠り運慶は本像を11ヶ月かけて制作し、仏像本体の代金として上品8丈の絹43疋を賜ったことがわかる。当時この仏像のような等身大の像の制作期間は凡そ3ヶ月程度とされ、それよりも遥かに長い日数をかけて造仏していることから、運慶が他の仏師の助力を得ず独力で制作したと考えられる。仏像を作った仏師自らが名を記した最初の例としても貴重である。この銘文は大正10年(1921年)に発見され、近代的な運慶研究の端緒となった。
運慶作と推定される作品
作風、納入品、伝来などから運慶ないし運慶工房作であることが強く推定される作品として次のものがある。

東京・宗教法人真如苑蔵 大日如来坐像(重要文化財) - もと個人蔵で、2008年3月にクリスティーズ社のオークションに出品され、真如苑が三越に依頼して1,280万ドル(約12億5千万円)で入手した。現在は東京国立博物館に寄託されている。『鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第』に見える、樺崎寺安置の厨子に建久4年(1193年)銘のあった大日如来像に当たるもので、その作風やX線写真によって知られる像内納入品の状況から運慶作品と推定する説がある。
運慶作とする説(X線写真)
 

 Youtube 動画

まとめ


NHK「流転の運慶仏」








参考リンク

報道 運慶工房作「大日如来像」、クリスティーズ落札は真如苑

http://www.asahi.com/culture/update/0325/TKY200803...
 鎌倉時代の仏師・運慶の工房の作品とみられる「大日如来像」を、ニューヨークのオークションで、三越に依頼して1437万7千ドル(約14億円、手数料込み)で落札したのは、東京都立川市に総本部を置く宗教法人・真如苑(しんにょえん)だったことが25日、わかった。真如苑は、02年に旧日産自動車村山工場の跡地の約7割を739億円で買収したことでも知られる。
 落札した「大日如来像」は、約10年後に村山工場跡地の施設が完成したらそこにまつり参観してもらえるようにする、それまで、5年間は、東京国立博物館などに預けて調査してもらいたいという。国外流出が懸念されたこの仏像だが、日本にとどまることになった。
 真如苑は在家の仏教教団で、信者数は約84万人とされる。




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