小説家さんの情報をまとめるwikiです。



 こちら九藤 朋先生による、作家さんのPNをタイトルにしたSSです。

『亜房』


 そよ吹く風に靡く葦でも容易に折れることはない。それは思考することを極めた葦、人類の叡智であるであるからだ。青く緑で細く柔くしなやかで、本当は何より強い鋼のような。その清い華やぎを、私はこよなく愛するだろう。君はパンドラの箱に残ったもの。怯まずに飛翔せよ。

『有原ハリアー』


 繕い物をしていた手をふと止めて、針山に針を刺す。鋭利な銀色は失くさないように注意しなければ。だって針は傷つけるから。人の心をちくりと刺すから。柔らかい、クッションに納めなくてはならない。なぜか、安堵する。丁寧に緑茶を淹れよう。

 葡萄酒色の空が広がる。このあたりはたまにこんな色合いの空になるのだ。人をほろ酔いの心地にする。瞬きの間の幸せをくれる。穏やかな風が髪を乱す。遠くからあの人が歩いてくる。軽やかな足取りは、さては何か良いことがあったに違いない。

『堅洲』


 この三角州には色々なものが流れてくる。中には鈍く光る硝子片であったり瓶であったり。川の精霊はそれらを持ち帰り、住処に飾りそっと愛でる。時には水鳥たちと戯れ、このささやかな宝をお裾分けしたりする。そして共に蒼穹を飛翔する。一緒に飛べば、寂しくもない。

『加純』


 産まれ落ちたからには、人は無垢で清らかなままではいられない。しかし純粋な心を大切に育み慈しむことはできる。それは水晶のような煌めきで、硝子片のような稚さで、飴玉のような甘露で、人々を憩わせる。強く地を踏みしめ面を上げ、敢然とあれ。純なる者よ。

 滑らかな天鵞絨の手触りが感じられる夜だった。星が幾粒も霰のように輝き、凍てつく時間を彩る。少年は白い息を吐きながら宙に手を伸べる。柔らかな草原色の灯が点り、あたりは束の間春になった。春は遠くない。冬が来たのだから。少年はそのことを確信して、林檎に似た唇で笑んだ。

黒崎伊音?


 氷の上に、桜の花弁が儚く散る。氷は余りに透明で底を覗くと黒い。微かにちりちりと音がする。氷の歌。なぜこの桜は狂い咲いたのか、所以を知る者はいない。只美しさに感嘆する。人皆こうべを垂れて氷に跪いた。桜よ。願わくば幸いを運べよ。氷を融かし笑えよ。

『黒瀬 カナン』


 この海は黒いけれど、星を閉じ込めてまるで宇宙のように美しいのだよと、村の古老が言った。波打ち際に立つ少年は、南風を受けながらその黒い波を恐る恐る覗く。本当に、ちらちらとした輝きの欠片が混じっていて、少年の胸は躍る。着ていた衣服を脱ぎ捨て、海原へと駆け出して行った。

『くろぷり』


 黒は優しい色。私を包み込む。私がこれまでに負うてきた大小の傷を、優しく隠してくれる。黒は悪者にされがちだけど、実は多種多様な色を内包していると思う。とても懐が深いのだ。だから私は今日も黒を纏う。恋人が言ってくれるの。黒い服を着た君はとても綺麗だねって。

『ごんのすけ』


 白銀の綺麗な狐が野を駆ける。尻尾までふさふさとして見応えある獣。何者にも囚われず、自由に風を受ける。奔放の申し子。神はこの狐の類まれなる美しさを愛でて、それを象る星座を創った。紫紺の空に輝く白銀の星々は、狐の如くに自由、奔放さを感じさせる清澄なものであった。

『空乃 千尋』


 余りに晴れ渡った空は、どこか悲しい。良いことである筈なのに、自分はこの空にそぐわない気がする。青くて青くて今にも吸い込まれそうだった。手を柔らかく掴まれなければ、そのまま飛翔していたかもしれない。なんてことを考えているのも、君にはお見通しだね。

『紫乃』


 紫の、にほへる妹を憎くあらば、と歌ったのは誰であったか。いにしえより紫は高貴な色として尊ばれてきた。選ばれた者しか身に着けることの許されないその選民思考、歪んだ栄誉。それでも紫はただ色として美麗であり、人の心を惹きつける。罪作りな美しさなのだ。

 若竹が凛然としてさやさや鳴る。悪戯な風の立てる葉擦れの音は耳に清い。いつかどこかでこんな光景を見た気がする。なぜ、透明な雫が双眸から流れるのか。美しさにも人は泣けるのだと知った。絶望していても感動する心は脈打つのだと知った。

『成瀬雪』


 冬。かじかむ手に息を吹きかけ空を仰ぐ。ああ、やっぱり。雪の花びらが舞い降りてくる。手を伸べると明瞭な結晶が凛とある。それは瞬く間に消えゆく潔さで。このように人もあれたならば、世界はもっと美しいだろうか。その問いは詮無く無意味である。渇望し足掻きもがくのが人だ。

『ノザキ波』


 緑と白と萌黄の波がざざざと鳴り歌う。広い広い草原は、それ自体が神様の用意した一つの芸術品のようだ。暖かな風が優しくすべらかな手で草を撫でてゆく。一匹の牧羊犬が、その草の波に入り、まるで緑の浴槽に浸かり満足しているようである。草原は歌い続ける。今日も明日も明後日も。

『桃原カナイ』


 桃源郷は人々の永遠の憧れ。皆、その楽土を求めてはあてのない旅に出る。南島ではニライカナイとも呼ばれる。現を憂い楽土に焦がれても、結局は今の居場所への愛着、執着を捨てきれない人は多い。幸せは、遠くにありて思うもの。そして心に思い描き、また今日も目覚めて生を謳うのだ。

 永久のようにひととせを生きましょうと母は言った。昔から困難をさらりと言う人だった。風に飛翔する鳥のように、自由に生きられたらどんなに良いか。自分は奇術師ではなく1を8にする術も知らない。けれど。永久のようにひととせを。生きてみたいと心が望む。

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