正式名称 / 統治体制

バシュルカ水運連合 / 商人達による合議制

エンブレム



特徴

ラドリザンの歴史に登場した国家の1つ。一般には、敵対勢力による蔑称であるバシュルカ湖賊という名前で知られている。
1480年頃バシュルカ湖周辺の水運業者達が在地領主であるアグデル侯爵家を追放し、商業連合を形成。周辺河川を含めた水運業による豊富な財源を背景に大量の傭兵を雇い入れ、国家級の勢力を持つに至った。政治体制は選挙で選ばれた有力者が指導者となるが、実質的には商人達による合議制だった。

水運連合の形成

元々バシュルカ湖周辺はロフォーテン朝べステロス王国の領土でありアグデル侯爵家が統治していた。
当時より豊富な水資源や水運業によってアグデル家の経済を支えており、竜の共食いにおいても戦費の有力な捻出源となったが長期間の戦乱による度重なる課税は、周辺住民及び商人達の不満を蓄積する結果となった。
内戦自体は1460年に睡蓮庭園の和約により終結したが、王国の力が大幅に衰えたことによりアグデル家に対し自治権の拡大を要求するようになり、1480年頃同家を追放、完全な独立勢力となった。その後ベステロス王国軍による討伐を何度も受けるが、その度に大量の傭兵を雇いこれに対抗した。

アザルの出現

その後ゴゥド族の侵攻によりベステロス王国が混乱状態に陥ると、政治的に安定期に入るが今度は南方より侵入してきたアザル山賊団(ミルド)と緊張状態に入る。
アザルの急激な勢力伸長に危機感を募らせた指導者のベルドスは1532年ハランド朝べステロス王国と水面下で軍事同盟を組むと1534年には、アザルの頭領であったルイーザの暗殺に成功するなど一時的に優位に立つが、今度はアザルの反撃によりベルドスが殺害されてしまう。
その後、指導者不在の状態が続き、商人同士の不和を利用され1540年、アザルによる併合により約60年の歴史に幕を閉じた。

歴史

  • 800年頃 バシュルカ湖周辺の開発が進み、水運業等が栄える。
  • 1203年 ロフォーテン朝べステロス王国が成立し、バシュルカ湖周辺がアグデル侯爵家領となる。
  • 1439年 第10代国王シグルド・ロフォーテン・ベステロスが病に倒れる。次期国王の座を巡り、王弟夫人の実家・イェーテボリ公爵家と王太子及び国王夫人の実家・アグデル侯爵家が対立。
  • 1439年 第7周期、ベステロス王宮内でイェーテボリ公爵私兵による王太子暗殺未遂事件が発生。この事件を機に、イェーテボリ公爵家とアグデル侯爵家の全面戦争が開始される(竜の共食い)。
  • 1460年 第1周期、睡蓮庭園の和約が成立し、「竜の共食い」が終結する。
  • 1480年 この頃、アグデル侯爵家を追放し、商人達が水運連合を形成する。
  • 1532年 アザルとの対決のためハランド朝べステロス王国と水面下で軍事同盟を締結する。
  • 1535年 指導者であるベルドスがアザルにより殺害される。
  • 1540年 アザルにより併合される。

主な出身者

  • ベルドス


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