六界全史 - エル



基本情報


略歴

旅芸人を続ける一団の一人で、翼在りし者だったことから常に人々の注目を浴びていた。
1251年、ラグライナ帝国に立ち寄った時、その聡明さをセルレディカに買われて一団から離れ、皇帝に仕えることとなる。
彼の、皇帝という地位に就く者だけが知る寂しさを唯一理解する存在となるが、一説によるとセルレディカは彼女の才能ではなく、亡妻ルフィアの面影をもっていたことから傍に置いたとも言われている。
普段は大人しく、波風を立てずに誰とでもつきあえるが、一度戦場に出れば自分を信頼して全てを任せてくれるセルレディカの為に、いかなる犠牲でも払う決心を持つ。
肩書きは軍師だが、知略・謀略というよりも調停・外交の人であった。

多くの者が、彼女のことを「皇帝が、亡き妻の面影をもつ女性を傍においた」としか認識していなかったが、1252年ウルグレイの戦いにおいて軍の指揮を任され、この戦いで月風麻耶の軍勢を打ち破る知略と軍略を見せた。
これにより、それまでの世間の評価は「皇帝が見出した真の軍師であった」と一変したが、この戦いに関しては資料が乏しく謎も多く、すべてを鵜呑みにすることはできない。

1255年9周期23日目フェルグリアの戦いでは、セルレディカの代わりに総指揮官として参戦し、この決戦を勝利で終わらせた。
翌年の第3次モンレッドの戦いにおいては、自ら出陣したセルレディカと共に本陣にいたが、敵軍の突破を防ぐため途中から最前線に身を投じ、中央戦線を勝利に導いた。
その後、クァル・アヴェリの戦いに臨むが、この戦いの直前セルレディカが突然吐血して倒れた為、それを隠したまま、強引な攻撃で要害クァル・アヴェリを陥落させ、その際ガルデス共和国のミズハを内応させることに成功する。
その後、ガルデス共和国の首都を目指して進軍する最中、ノスティーライナの戦いにおいてラヴェリア自らが指揮する部隊による奇襲を受けるが、かろうじてこれを撃退。
その直後に、内応させたミズハラヴェリア事件を起こし、ラヴェリアは落命する。
このとき、利用するだけ利用したミズハを残酷に殺害し(遺体は野犬に食べさせた)、それがエルの命令だったことが知られると、それまで「可憐なる乙女」と呼ばれていた世間の評価は一転し、「堕天使」と呼ばれ怖れられる存在となった。
自らもその酷評に対して反論はいっさいしなかった。

皇帝崩御の際その枕元に呼ばれ、密かに皇帝の後継者に指名されたと言われているが、人払いをされていたためその真偽は定かではない。
セルレディカ崩御の翌日、彼女は一度だけその羽ばたきを帝都上空で見せると、帝国から姿を消した。

人物

  • 彼女がミズハをあえて残酷に殺害したのは、矛先を自分に向けさせることで、皇帝たるセルレディカの威光だけは曇らせない為であった。
  • セルレディカ崩御直前にエルが単独で謁見していたという事実は、後世様々な憶測・学説の元ととなった。

禅譲に関する後世の研究

セルレディカの崩御に際して、彼女が禅譲を打診されたのではないかという逸話が存在し、世に出回る多数の戯曲もその意見を支持している。
しかし、一部にはエル自身がセルレディカ帝崩御後を見越した布石を何ら打っていない点などを理由に、禅譲劇の存在そのものを否定する意見も存在し、本書の執筆に際して重要な参考文献となっている「アレシア戦国記」も、禅譲劇の存在を懐疑的に捉えている。
同書の代表執筆者(=エヴェリーナ・ミュンスターは後の述懐で、「セルレディカから託されたのは皇帝ではなく摂政の位であり、ルディ・フォン・ラグライナが即位するまでの一時的な繋ぎ役だったのではないか」との考えを示していたが、この意見は本人も認める通り憶測の域を出ないものであり、「アレシア戦国記」にも採用されなかった。
摂政役や皇位を打診されていたとしたら、エルがそれを辞退した理由は何なのかを考察する必要がある。
アレシア戦国記」など複数の歴史書が伝えるところによると、セリーナ・フォン・ラグライナセルレディカ帝が崩御する以前から複数の貴族・高級将校と水面下で接触するなど、自らの派閥を形成する動きを見せていたとされ、当然エルもこの動きは察知していたはずである。
もしかしたら彼女は思考を進め、セルレディカ帝崩御直後にセリーナがクーデター(またはそれに近い政治的行動)を起こすことを予見していたかもしれない。
エルの政治的な庇護者はセルレディカ帝のみであり、自らの派閥というものを一切有していなかった(強いて挙げるならば、キリカ・ラングレーなど一部の官僚に限られる)状況下においては、クーデターを起こされることは自らの「政治的な死」のみならず「生物学的な死」ともほぼ同義語となる。
セルレディカ帝の後継者問題に対する姿勢とセリーナとその派閥の動きから、エル・ローレライナは混迷する帝国の将来をある程度予見し、自らの力ではこの将来を変えられないことを悟り、自ら政治の表舞台から身を引いたのではないかと考えることも可能なのである。
その一方で、セリーナとその周辺が怪しい動きを見せなかったとしても、エルはセルレディカ帝の崩御と共に姿を消すつもりだったという指摘が存在する。
エル自身はラグライナ帝国という組織ではなくセルレディカ帝という個人に対して忠誠を誓う存在であり、ルディセリーナがエルの私的な忠誠の対象であったことを示す資料は確認されていないというのがその根拠である。
また、エルの才覚と謀略の数々はセルレディカ帝の存在があればこそ輝いたものであり、セルレディカ帝崩御後のエルはその才覚と内縁の妻という特殊な地位故に、その存在自体が帝国にとって重大な不安定要因となった。
それ故に、帝国から自ら姿を消したのではないかという学説もある。

どちらの説も興味深い意見であるが、有力な反対意見が提示されており、彼女の失踪劇を説明する決定的な説とは言い難い。
(=エドワード・ブランフォード)自身、本当に禅譲(または摂政就任)の打診があったのかどうか、確たる自信を持っているわけではない。
また、彼女がどのような意図を持って帝国から姿を消したのか、過去の歴史家と同じく、その理由を正確に把握できずにいる。
ただ、歴史家の多くはその理由を憶測しつつも、エルがラグライナ帝国から姿を消したことを「責任放棄」などの言葉で非難していない。
「エル・ローレライナはセルレディカ・フォン・ラグライナの影としての役割を完璧に果たし、時宜を得て歴史の表舞台から自ら姿を消した」多くの歴史学者は、エルのことをこのように評価しているのである。
私自身もこの意見に同意したい。
(ラグライナ帝国興亡記、エル・ローレライナ評伝より抜粋)

関連項目