ガルデス共和国時代の政治家にして歴史研究家、史書『
アレシア戦国記』の代表執筆者、
グラディエスト大学初代総長。
カルスケート在住の貿易商の長女として生まれ、カルスケート大学法学部・評議会委員秘書を経て評議会委員に当選。
評議会内では
バックス議長の会派に属していたが、後に無所属に転向、1252年より情報活動委員会副委員長に就任し、共和国の実質的なスパイマスターとなった。
1253年から発生した
ラグライナ帝国との戦いでは、主に大陸各国の情報収集と共和国の後方支援活動に関与する。
1257年、情報活動委員会委員長に就任、議長失脚後一時失踪していた
レディスの救出劇など、共和国の重大な事件に一再ならず関わっていたと言われているが、その任務の秘匿性から彼女の資料は意図的に破棄されているものが多く、ほとんど記録がない。
1261年に政界から引退した後は歴史研究にその力を注ぎ始め、『コストア王国滅亡に関する諸分析』(1262)をはじめとする歴史学の論文を多数発表した。
1268年からは、
アレシア連邦政府の招聘を受けてグラディエスト学園教授に就任(後に大学へ改組され、初代総長に就任)、1200年代の大陸に関する史書を編纂し、史書「
アレシア戦国記」を上梓させた。
この書では、滅亡した国の法律や人口動態をはじめとする統計資料なども多数収録されており「連邦政府の公金を投じたのに、読んで退屈するだけの紙の山だ」と批判する声も上がる一方で、「ここに収録されたことで散逸を免れた資料は数知れない」との賞賛の声もある。