レヴァイア王国の姫。父である
カルドス王は側室を多くもちながら、レナスティーナ以外に子宝に恵まれなかったことから、彼女は側室が浮気してできた子ではないかという陰口が叩かれていた。
性格が、父の優柔不断とは大きく異なり、即断即決で明朗な事がこの噂を更に真実味をもたらすこととなっている。
レヴァイア王国は、1247年
ローグライスの戦いで
ラグライナ帝国の前に大敗し、降伏に等しい条件で和睦を結ぶが、まだ幼かったレナスティーナは、帝国に屈した父を毛嫌いしていた。
1253年、
ラグライナ帝国と戦っていた
ガルデス共和国が、
レヴァイア王国に帝国の後方を突く策を持ちかけられると、レナスティーナは父を差し置いてこの策に乗り、自ら兵を率いて反帝国の軍勢を北上させ、
レヴァイアの乱と呼ばれる戦いを引き起こす。
しかしこの乱において、兵力で勝りながら猪突の攻撃を繰り返して、
セルレディカ自らが率いた帝国軍を突破することができず、さらに
エルの内通工作により部隊が次々と反乱。帝都を目指した筈の彼女の軍勢は僅か一日で敗れ去り、彼女は捕虜となった。
その後、
セルレディカの招集を受け、弁明の為帝都に訪れた父
カルドスと再会するが、
セルレディカが親子の話し合いのためと用意した賓客室の中で事件は起きた。
父は娘に対する怒りと、帝国に対する恐れから完全に正気を失い、レナスティーナを絞殺しようとした為、咄嗟に近くの花瓶で父を殴打、殺害してしまう。
不幸な事故であったが、
エルはこの事故を最大限に利用して、
レヴァイア国内で後継問題を起こし、疲弊させたところを完全併合し、
レヴァイア王国はその歴史に幕を閉じた。
その後レナスティーナは、
ラグライナ帝国の帝都で、一応の礼を尽くされた軟禁生活を送り、1281年に没した。