「次の便で、パイロットが一人合流してくる。お前と同じワンオフの試作機乗りだ」
「へえ。どんな人なんです?」
 時代がかった紙製の台帳をぺらぺらめくって、タッチパネルにいくつかの数値を打ち込んでから、アストナージ・メドッソは振り返って言った。
「“赤い死の乙女”って、聞いたことないか? 歳はお前と同じくらいだが、レジスタンスの生え抜きで、北米じゃ相当名の知れてるトップエースだ。乗ってる機体もお前とちょっと因縁があるんだぜ、Z&R社のヴァルキュリアって。お前のA.Dと帝国軍の正式採用を争ってたマシンだ」
 そういうわけだから、お前ちょっと出迎えに行ってくれないか。最後についでのように、アストナージは任務を伝えた。メカニックの整備以外のことに関しては、この人は本当に大雑把だ。苦笑しながら、正確な任務内容を聞くためにブリッジに向かった。
 それが、セレイン・メネスとの最初の出会いだった。


「次の便で、アウドムラに合流してもらう。先方から出迎えが来るはずだ。君と同じ、ワンオフの試作機乗りだそうだ」
「了解です」
 ヘンケン・ベッケナーはしばらく黙っていた後、苦笑いのような表情をつくって頭をかいた。
出迎えにくるのはどんな人物か、と訊かれるのを期待していたらしい。脇の書類を取り上げ、ばつが悪そうに話し出した。
「面白い経歴の持ち主でな。君と同い年くらいの若者で、ちょっと前まで民間人だったらしい。
偶然からパイロットになったんだが、使っているのがアサルトドラグーンのトライアルモデルだそうだぞ」
 こちらとしては、友軍であることさえ確かなら、出迎えがどんな人物だろうと構わない。ただ偶然パイロットになった素人同然の若者などを迎えによこすところを見ると、自分の加入はあまり歓迎されていないのか、それともよほど人材が払底しているのか。それも結局はどちらでもいいが、と漠然と考えながら、敬礼をして艦長室を辞した。
 それが、アークライト・ブルーとの最初の出会いだった。

「アウドムラから迎えに来ました、アークライト・ブルーです」
「ラーディッシュ隊のセレイン・メネスだ。今日から世話になる」

 自分と同じ年頃だと聞いてはいたが、正直なところ、会ってみて驚いた。ととのった顔立ちに、ほそい手足。多少のお洒落をして街を歩けば(お洒落をして歩けるような街がまだ地上のどこかにあればの話だが)すれ違う男達の何割かが振り向くであろう、普通の綺麗な女の子だ。ただ、すきとおった鋼鉄でできたような鋭く固い眼差しが、そのほかのパーツの柔らかさをすべて打ち消し、“死の乙女”の渾名を納得させるだけの冷たい迫力をその身にまとわせていた。
(近寄りにくい人だな)
 というのが、アークの抱いた最初の印象だった。ただ、だから近寄らないでおこう、とは、なぜだか思わなかった。

 歓迎されていないのか、パイロット不足なのか。そのどちらでもないことは、近づいてくる機体の動きを見てわかった。おつかい程度の役にしか立たないような、ひよこのパイロットではない。ちょっと前まで民間人だったなどと、あらかじめ聞いていなければ思わなかっただろう。
(いいセンスを持っている…)
 ハッチが開き、出てきた姿を見て、もう一度納得した。確かに彼は民間人だ。戦場の匂いのしない、「傷のない」顔をしている。そんな顔が危険区域のど真ん中で、機動兵器のコクピットから出てくることに、いくらかの違和感と、皮肉な可笑しみを覚えた。
 それは実際に笑みとなって表情に表れることはなかったが、それでも人を見て微笑みたくなったのは、セレインにとっては随分と久しぶりのことだった。

 最初の出会いはこのようにしてごく穏当に、少しもドラマティックでなく完了した。

「――アークライト!」
 りんと張った声に、名を呼ばれる。他の皆のように「アーク」とは決して略さない、かといって必ずしもよそよそしいわけでもない、独特の堅い呼び方にもだいぶ慣れた。
「少しいいか? スヴァンヒルドの右肘の油圧を調整したいので、手伝ってもらいたいのだが」
「ああ……、いいよ」
 漫然といじっていたソルデファーの予備アクチュエータの部品をコンテナへ放り込んで立ち上がる。セレインの愛機スヴァンヒルドは、アルビオンの格納庫ではアークのソルデファーの隣が定位置になっていた。理由は簡単で、二機ともワンオフの、メーカー製機動兵器だからだ。
 イレギュラーとか特機とか呼ばれる、正真正銘のスーパーロボット達――マジンガーZ、ジャイアントロボ、ザンボット3等は、工業製品というよりは工芸品に近い。コストや互換性を度外視したパーツで構成されており、専用のノウハウと専門のスタッフによってメンテナンスがなされる。一方でモビルスーツやオーラバトラーは規格品である。一定種類の部品を用意しておけば、大概の機種の大半の故障には対応できる。
 ソルデファーとスヴァンヒルドは、そのどちらにも当てはまらない。れっきとした工業製品でありながら、他に同種の機体がなく、スーパーロボットほどの特殊性は持たないながらも、同様の扱いをせざるを得ない。整備の立場から見れば、まことに中途半端な機体なのである。
 他に同様の状況にあるのはレイズナーくらいだが、これはパイロットのエイジと搭載コンピュータのレイがほぼ全面的にメンテナンスを受け持っている。ただでさえ整備の手が足りない現状、そういうわけで何となく、アークとセレインも自分の機体の面倒は自分で見なければならないような雰囲気になっているのであった。
「肘、もうちょっと伸ばしてみて。関節の内側を上にして止めて」
 いつも隣でいっしょに整備をしていたせいで、自分のだけでなく、お互いの機体のこともいくらかはわかるようになった。手助けが欲しいときはまず隣に声をかけるのが、習慣になりつつある。
「こんなものか。17番バルブが開けられるか?」
「やってる。よ……と」
 装甲の奥まった位置にある、油まみれの固いバルブをひねろうと苦心していると、コクピット
から降りてきたセレインが隣に並んだ。
「替わろうか」
「俺の方が手が長いよ」
 いつもの赤いタートルネックの戦闘服を脱いで、タンクトップ一枚になっている。それを恥じらうほど可愛らしい性格ではないし、わざわざ鼻の下を伸ばすほどこっちも暇ではない。
東シナ海を航行中の蒸し暑い格納庫で、アイドリング中の機動兵器にとりついていれば、服装などは気にしていられない。それでも、すぐ目の下に汗ばんだうなじの肌が突き出されたりすれば、
(あ……女の子の匂いだ)
などと思ってしまうのは、アークが彼女ほど戦闘員になりきっていないからである。
 エミリアはいつも清潔な石鹸の香りをさせていた。楽ではない暮らしの中でも、そういうことに気を遣う娘だった。セレインからはそんな香りはしない。そもそも石鹸で髪や体を洗うなどというのは、ここでは贅沢の部類に属する。体臭と汗の匂いがあるばかりだが、それでもその中に、男のそれとは決定的に違う何かが含まれている。
「……どうした?」
 その違いとは何だろう、と思考が脇へ逸れそうになった時にセレインが振り向き、同時に鎖骨に刻まれた銃創がくっきりと見えて、二重の意味でアークは黙り込んでしまった。



 ラーズグリーズの足元に、さっきからレラが立ちつくして見上げているのを、見かねてセレインは声をかけた。
「それは私の新しい機体だ。何か気になる事でもあるのか?」
「そういうわけじゃないけど。……すごい機体だね。力を感じる」
 見た目のことではあるまい。ジャイアント・ロボからデスサイズヘルまで、強面の機体には事欠かないマーチウィンドである。マシン自体のポテンシャルのようなものを、感覚的に見て取るセンスがレラにはある。メカニックの真似事を始めたのも、ある意味必然だったのかもしれない。
 レラはまた羨ましそうにラーズグリーズを見上げている。帝国と戦うための力を欲して止まなかった少女である。考えていることは容易にわかった。複雑な思いでしばらく見ていると、突然ぴょん、とこちらへ振り返った。
「あ、そうだ、こないだのシミュレーションの結果、どうだった?」
「模擬戦闘のか? かなりマシにはなってきたが、まだまだだな。実戦で後ろは任せられん」
「そっか……くやしいなぁ。アタシ、操縦のセンスないのかな」
 彼女は心底悔しそうだ。いくらか可哀想にも思うが、こういうことは容赦なく言ってやらなくては、いずれ本人の命が代償になる。それに、セレインとしてはこの娘にあまり戦場に出てほしくないと思っている。
「誰もそうすぐに一人前にはなれん。筋はいい方だと思うぞ、お前は」
「だけどさ、ろくに訓練もしないで乗りこなす奴だっているじゃないか」
「アークが特別なだけだ。世の中の民間人全部があんな連中なら訓練学校はいらんし、帝国に負けることもなかった」
「……」
「どうした?」
 自分を見るレラの目に、さっきまでの悔しさがない。かわりに何か驚いたような、訝しむような、急にくすぐられたような、そんな顔をしている。
「……あたし、別にアークのことを言ったつもりはないんだけど」
「えっ…?」
 確かに、成り行きでマシンに乗り込み、そのまま正規の訓練もせず立派に乗りこなしてエースを張っているパイロットというのが、どういうわけかマーチウィンドにはやたらと多い。
ショウ・ザマもカミーユ・ビダンも兜甲児も、あのアムロ・レイさえ元をただせば民間人だったのだ。にもかかわらず、ごく自然に彼のことを思い浮かべてしまったのはなぜか。
自分で自分の思考に当惑しつつも、セレインは何とか合理的な解答を導き出そうとした。
「あ、アークとは機体のハンガーも隣だし、よく一緒になるからな。パイロットになったいきさつも直接聞いたし、連想しやすかったんだろう」
「ふうん。……ところでさ、いつから『アーク』って呼ぶようになったの?」
「えっ!?」
 今度こそ、セレインはうろたえた。
 あだ名とか愛称とか、馴れ馴れしい呼び名を使うのは好かないはずだった。隊の誰もが彼のことをアークと縮めて呼んでいても、セレインだけは律儀にフルネームを使い続けていたのだ。いま彼がここにいれば、やはり「アークライト」と呼ぶだろう。それがどうして「アーク」などと。気づかぬうちにそう呼んでいたのだろうか。今が初めてなのか、そうでないとすれば一体、いつから? アーク本人は知っているのだろうか?
 黙り込んでしまったセレインを、レラは最初ニヤニヤしながら見ていたが、やがてセレインが本気で困惑しているのだとわかると、いささか所在なげに頭を掻いた。
「あー……ごめん、からかって悪かったよ。あんまり気にしないで。そういうことだってあるよ」
「……ああ」
 レラは一つ溜息をつくと、格納庫の反対側で補充物資の整理をしているメカマンを手伝いに走っていった。眉根を寄せたままのセレインが、あとに残された。



「で、実際のところ、あの二人をどう見るよ」
「アークライトとセレインのことか? どうと言われても」
 ネェル・アーガマの食堂の隅で、もとスペシャルズの一級特尉二人が密談をしている。
話題は何かといえば、何のことはない。それぞれ自分をこの部隊に引き込む原因となった
若者二人にまつわる井戸端会議である。
「お互いに、だいぶ意識しあっているように見えるな。あの年頃ならおかしいことでもないだろう」
「ほほう、さすがに妻帯者は言うことに余裕がある」
「誰が妻帯者だ。私とアリンディーネはまだ入籍していない」
 照れているような惚気ているような突っ込みを返した後で、エルリッヒ・シュターゼンはふと気付いて問い返した。
「そういえば、貴官はあのセレインという子に惚れているとたびたび公言していなかったか。
今の状態は心中穏やかでないだろう」
「貴官はよそうや、もうお互いそんな身分じゃない」リッシュ・グリスウェルは無精ひげの浮いたあごをさすって、食道の反対側の隅を見やった。そこでは問題の二人が、何やら微妙な距離をおいて食事をとっている。
「そりゃあ惚れちゃいるがね。せっかく初々しいアベックができかかってるのを、横からかっさらうほど野暮じゃないさ」
「まるでかっさらうのは簡単にできるような口振りだな? 肘鉄を喰わされ続けているのは聞いてるぞ」
 さっきの仕返しをした後で、エルリッヒは笑みを収めた。相手の言わんとするところが、おぼろげに察せられてきたのだ。
「初々しいアベックか。そうなれればいいのだがな」
「難しいだろうぜ、あのままじゃ」リッシュが頷く。「小僧はともかく、セレインの方が不器用すぎる。幸せになるのが下手なんだよ。御馳走が目の前にあるのに、食べてもいいんだと思えなくて、そのまま飢え死にするような奴だ」
「彼だって器用な方ではないさ」エルリッヒは冷めて酸っぱくなったコーヒーを、一息に飲み干した。「以前に、ガールフレンドを我々の攻撃で亡くしたそうだ」
「それはそれは」
 含みのある沈黙が、しばし流れた。食堂の向こうの二人は食事を終え、何か会話を交わしながら席を立とうとしている。セレインがちらりとこちらを見たので、リッシュは手を振った。冷然と無視される。
「それで、だ」それでどうやら元気を取り戻したらしい。人の悪そうな笑みを浮かべて、エルリッヒの方に向き直る。
「あんた、あの二人をくっつける手伝いをしてやる気はないか」
「私に、キューピッドの役をやれというのか?」
「あんただけじゃないさ」リッシュはなおもニヤニヤ笑いながら、懐から紙片を取り出した。何人かの名前が列記されている。レラ、という整備員の少女の名前が一番上に見てとれた。
「こういうことを面白がってやる暇な連中が、ここには多くてね。愉快なところだよ、ここは」
 考えてみれば、アリンディーネと再会できたのも、彼のおかげのようなものだ。ここはひとつ、その恩返しをたくらんでも罰は当たるまい。“ブロックブレイカー”の二つ名を持つ男は空の紙コップを握りつぶし、不敵な笑みを浮かべた。
「いいだろう。作戦を立てようじゃないか」



「一体どうして、私がこんなことを……」
「ブツブツ言うのよせって。人目に付くからさ」
 ドイツ、フランクフルト・アム・マイン。
 旧世紀時代からヨーロッパエリアにおける経済・金融の要衝として名高かったこの街は、帝国の支配下に置かれた今もその活気と風格とを失っていない。街の中心を走るカイザー大通りを今、アークとセレインはしずしずと並んで歩いていた。

「稀少物資の買いつけに、アークと二人で行って貰いたい」
 という命令には、別に逆らう理由もない。ただ、
「治安のいい街だから、それなりの格好をして、振る舞いにも気を付けるように」
 というのは、どう考えても自分に向いているとは思えない。他に適任者がいくらでもいるはずだ、と抗弁したが、普段物分かりのよいブライト艦長が今回に限って取り合ってくれない。やけに楽しげなちずるやファ達によってたかって身だしなみを整えられ、エレカで放り出され、街に潜入しおおせた今になっても、まだ納得しきれていなかった。スカートなどはいたのは何年ぶりか覚えてもいないが、こんなに歩きづらいものだったろうか。
 隣を歩くアークも、小綺麗なシャツとジャケットに身を包んでいる。居心地は悪そうだが、セレインよりはまだ様になっている。最近まで民間人だったせいだろう。
「とにかく、さっさと買い物を済ませて、早く帰ろう、アークライト」
「買い物を済ませるのは賛成だけど、さっさと帰るのは無理だな。真吾さんが言ってたろ」
 この街への潜入ルートは昔ドイツで工作員をしていた北条真吾に確保してもらったのだが、そのルートは朝と夕方の二回しか利用できないのだ。セレインとて忘れていたわけではない。
「わかってる! 気持ちの問題だ、気持ちの」
 どうにも落ち着かない。慣れない潜入任務などをこなしているためか。ヒラヒラした服を着ているからか。我が物顔に通りを歩いている、おそらくは帝国に身売りをした官僚や金持ちやその身内どもの呑気な顔つきのせいか。彼らのうちの何人かが、すれ違いざまにその脂ぎった白粉くさい顔を振り向けて、
(まあ、初々しいカップルだこと)
とでも言いたげな、善意に満ちた微笑みを投げかけてくるせいか。
「……」
 目当ての人物を見つけ、必要な交渉を済ませて、いくつかの品物を受け取ってもまだ日は高かったが、セレインはすでにヘトヘトに疲れていた。
「……早く帰りたい…」
「まだあと四時間くらいある。腹、減らないか?」
 正直、食欲などなかったが、消耗してはいる。アークに導かれるままに、雑多な料理店の並ぶ通りへ入って行こうとしたとき、人混みの向こうに、見知ったデザインの制帽が見えた。
 一瞬遅れて、アークも気付いたらしい。体がこわばるのが気配でわかる。
「グラドスの憲兵だ」
「見えている。そのまま歩け。顔をそむけたりすればかえって怪しまれる」
 鋭角的な制帽を目深にかぶり、トレードマークである肩口のボアを仰々しく翻らせた憲兵は周囲を見回し、誰かを捜している風である。だが、それが自分達だとは限らない。できるだけ自然にその憲兵から遠ざかろうと、人の波を縫って道筋を探す。さっきまでの疲労感などどこかへ消えていた。やはり、自分はこういう状況で生きている人間なのだと苦笑まじりに実感する。はぐれないように腕を組み、黙って指揮権を委ねてついてくる、隣のこの男とは違って。
 背の高い男達の一団とすれ違ったとき、会話の断片が耳に飛び込んできた。
「…指名手配…この街に……」
「……“死の乙女”が………」
 全身の血の温度が変わるのがわかるような気がした。アークの腕をつかみ、身をかがめて人混みを突き刺すように走り出す。驚いた顔のアークへみじかく言葉を投げる。
「私たちの潜入がばれている。逃げるぞ」
 人の流れを乱し、それが憲兵の目にとまる前に、どうやら裏通りへ入り込むことができた。街の地図を頭に描き、脱出路を模索する。成算のありそうなルートが見つかるより先に、通りの反対側にまたも見慣れた制帽が見えた。
 今度はアークの反応の方が早かった。ぐいとばかり手が引っ張られると、さらに狭い路地へ入り込んでいく。にぎった手は汗ばんでいる。
「どうしてばれたんだろう」
「私の顔を知っている者がいたのかもしれない。あるいは私たちの潜入ルートから漏れたか、だな」おそらく前者だろう。真吾自らが太鼓判を押していた極秘ルートはそう簡単に露見しないはずだ。
(だとすれば……私のせいでアークを巻き込んでしまったか)
 その考えが、やけにするどく胸を刺した。
 憲兵達はセレインに気付いた様子こそないが、それなりの数が配置されているらしく、あちらこちらに現れては二人の行く手を塞ぐ。そのたびに進路変更を余儀なくされ、気付けばずいぶんと薄暗い裏町を走っていた。街の外までもう少しだが、こんな場所では人混みに紛れることもできず、上品な服装がかえって目立つ。
「埒が開かない。いったん入ろう、アーク」
 裏町のざわめきの中に、特徴的な軍靴の響きを聞き分けたセレインはアークの手をつかまえ、手近にあった連れ込み宿らしき汚い建物に走り込んだ。目を白黒させているアークを引っ張ったまま、受付に数枚の紙幣を放り込み、階段を駆け上がる。大きなベッドが一つ据えてあるだけの素っ気ない部屋に入って鍵を閉め、セレインはようやく息を吐いた。
「こういう所、よく使うのかい」アークが居心地悪げに部屋を見回した。
「男女の二人連れなら、多少態度や風体が不審でも通れるからな。もっとも、密告を副業にしている所もあるから安心はできないが――」言いながらセレインはベッドに腰掛けて、そこでようやくアークの質問のもう一つの意味に気付いた。頬を赤らめて、「言っておくが、任務でだぞ。プライベートでという意味じゃない」
「わ、わかってるよ」
 アークがあわてて頷くのと同時に、うしろの壁に開いた小窓がカタンと鳴って、グラスが二つ出されていた。甘い香りのする、ピンク色の飲み物が入っている。
「……こういう所のサービスなのか? 飲んだ方がいいのかな」
「そうだな。飲まないと怪しまれるかもしれない」
 飲んだように思わせるだけなら洗面所にでも流せばよかったはずだ。それ以前に、勝手の知れぬ場所で出されたものを調べもせずに飲むなどというのは、セレインとしては信じられないほど迂闊な行為だった。のどが渇いていたのと、追われる緊張がやや緩んだのと、そして自覚こそしていなかったが、アークと二人でこんな場所にいるという今の状況が、まったく別の種類の緊張を強いていたせいだったかもしれない。
 ぐっと一息に飲み干して、思いきりむせた。アルコールが入っている。それも、かなり強い。まずい、と思ったがもう遅い。レジスタンスの仲間には酒好きもいたが、セレインは判断力が鈍るからと決して口にしなかった。逆に言えば呑み慣れていないし、強くもない。
 隣にいるアークはやはり飲み干して平然としている。彼は私より酒に強いのだろうか。



 いきなり咳き込んだセレインに駆け寄って、その頬にさあっと紅色がのぼってくるのを見たアークはどぎまぎして目をそらしてしまった。アルコールには案外、弱いのか。首までがっちり防護した普段の戦闘服ではなく、襟元の広く開いた清楚な紺のワンピースだから、ちらりと目を向けると白い首筋までうっすら赤みがさしているのが見える。惑乱する気持ちを落ち着けるために、アークは無理矢理現実に目を戻した。
「それで、これからどうする。ここで夜まで待とうか」
「可能ならばそうしてもいいが」涙の浮いた目尻をぬぐいながら、セレインはそれでも何とか静めたらしい声で答えた。「そう長く潜んでいられるというのは、楽観的な判断だ。通りの様子はどうだろう」
 言われて、窓際から外をうかがってみる。犬が一匹生ゴミを漁っているほか、動くものはなかった。
「……場合によっては」背後で、立ち上がる気配がした。どきりとするが、単にコップを戻しに立っただけらしい。
「お前一人で逃げた方がいいかもしれない。私はここに残る」
 ああ、わかった、と頷きそうになって、アークは寸前で振り返った。セレインはベッドの縁に腰をかけて壁を見つめている。
「どういう意味だ、それ」
「憲兵が追っているのはきっと私だ。“赤い死の乙女”は名が売れているからな。お前はそうじゃない。私と別れれば逃げ切れる」
「それで俺が逃げ切ったとして、君はどうなるんだ」
「上手くいけば私も脱出するし、いかなければ捕まって死ぬ」
 セレインの声はいつもと少しも変わらず硬質だったが、壁をじっと見つめて決してアークの方を見ようとしなかった。何言ってるんだ、と叫びたい気持ちをぐっとこらえて、アークは一つおおきく深呼吸をした。
「……そこまで状況が絶望的だとは思わないな。二人とも脱出できる道がまだあると思う」
「………そうだな」
 意外なことに、セレインはアークの反論を素直に受け入れた。壁を見ていた視線が床に落ちる。
「少し神経質になっているようだ。すまない」
「いや……いいけどさ」戸惑いながらも、アークは窓際を離れてベッドへ腰を下ろす。「もしかして、酔ってる?」
「……アルコールはほとんど口にしたことがない。飲む前に確かめればよかった」
 こっくりとうなずいたセレインの仕草が、なんだか初めて年相応に思えて、アークは思わず微笑んでしまった。
「少し、横になったら?」
「いま横になったら、眠ってしまいそうな気がする」
「眠ればいいだろ。酒も抜けるしさ。俺が見張ってて、危なくなったら起こすから」
「お前ではゲリラ戦の経験がない。見張りには向かない…」
 言葉尻が、たよりなく消える。すでにまぶたは三分の一ほど下りていた。掛け布をめくり上げ、枕の位置をととのえてやると、吸い寄せられるようにセレインの頭はそこへ向かって倒れた。
 こんな場所で女の子を寝かしつけるなんて、ずいぶん大胆なことをしてるんじゃないだろうか、とアークが間の抜けた感慨を抱いた時にはもう、セレインは枕に顔をしずめて、ほそい寝息を立てていた。



 安全の確保された場所でなければ、決して深くは眠れない。レジスタンスとしての長い生活が、そのような体質を作った、はずだった。安全とは程遠いこんな場所で、どうしてこんなにたやすく眠りに落ちてしまうのか、その原因に思い至る前に、夢が訪れた。
 最初は、まだ父や母といっしょに暮らしている頃の夢だった。この頃の生活は遠すぎて、今ではほとんど覚えていない。夢の中の父と一言も会話をしないうちに時は遠ざかり、嗅ぎなれた硝煙と血の匂いがやって来る。
 赤くうねる空を背景に、仲間達がこちらへ手を振っている。皆、死んだ仲間達だ。掃討部隊との銃撃戦で蜂の巣になった者。アジトに爆撃を受けて粉々に吹き飛んだ者。特高に捕まって処刑された者。重傷を負って治療の見込みも薬もなく、セレイン自らの手で頭を撃ち抜いた者。
 仲間ばかりでなく、敵もいた。SPTに乗っていたグラドス兵士。屋敷ごと吹き飛ばした高級官僚。ミサイルランチャー一丁で立ち向かってきた歩兵。
 彼らは一様に無表情だった。セレインにはわかっている。彼らは怒ったり、恨んだりしているわけではない。彼らはただ、告げているのだ。お前もいずれこの地獄に来るべき人間だと。お前の手は血まみれだと。お前にあるのは憎悪と戦いだけで、人並みの娘らしい幸せをつかむことなど、決して許されないのだと。
 お前は決して、―などは――

「――――――――……ッ!!」

 どうやら、泣いていたらしい。目覚めたとき、頬に濡れた感触があった。それと、肩をつかむ力強い手と。
「セレイン! セレイン、大丈夫か」
 アークが、血相を変えてのぞき込んでいた。
「…どうした」
「どうしたって! いきなり呻いて泣き出すから、飲み物に毒でも入ってたかと……大丈夫なのか?」
 頷いてやると、アークは大きく安堵の息をついた。その息が、鼻先にかかる。それほど近くに顔を突き合わせているのだと思い至ったとたん、つかまれた肩がやけに熱くなって、セレインは身をふりほどいてベッドの端へ逃れた。
「少し、悪い夢を見ていた。心配をかけて、すまなかった」
 時計を見ると、まだ小一時間も経っていない。目覚め方が急だったせいか、まだ意識がぼんやりしている。何度も深呼吸をしても、なかなか息が整わない。肩に、まだ手が置かれているような気がした。
 アークの手と、死者の手が。
「――アーク。やはりお前は、一人で脱出した方がいい」
「何?」
 コップに水を汲んで戻ってきたアークが、怪訝な顔をした。背を向けたまま言葉を続ける。
「私といると不幸になる。一緒にいない方がいい」
「セレイン? さっきより酔いが回ってないか」
「見つかったのだって私のせいだ。私に、そんな資格はないんだ。そんな……」
「おい!」
 ぐい、と肩をつかまれて振り向かされた。真剣な、ほとんど怒っているようなアークの顔が目の前にあって、また熱くて冷たいものが胸に刺さる。その眼差しに耐えきれず、セレインは顔を背けた。
「しっかりしてくれよ、俺とは鍛え方が違うんじゃなかったのか。“赤い死の乙女”だろ、君は!」
「私が名乗ったわけじゃない! そんなあだ名は、まわりや、帝国の奴らが勝手に呼ぶだけだ」
「尚更じゃないか。“死の乙女”って、勇者の魂を導く戦いの女神だ。それだけ頼りにされて、敵からは怖がられてるってことだ」
「お笑いぐさだ。大体わたしは、乙女じゃない」
「なっ…」
 アークが絶句した。肩の手がゆるんだ隙に、ベッドの上を後ずさる。知られたくはない、自分でも思い出したくないことだったが、もうどうでもよかった。何もかもぶちまけて、それで彼との間に壁をつくり、遠ざけてしまいたかった。
「私は、レジスタンスに加わる前は難民だった。浮浪者に襲われたことがある。仲間だと思っていたゲリラの連中に乱暴されたことだってある。私が女神なんて、冗談じゃない。男達の勝手な思いこみだ。私はただ人を殺して、ただ――」
「セレイン!」
 言葉が止められた。口が塞がれた。アークの唇が押しつけられてきた。
 長い時間がたって、唇が離れたとき、アークは泣いていた。
「……なんで君は、いつもそうなんだ」しゃくりあげるのをこらえながら、アークは言うのだった。
「なんでいつも、辛い方へ、辛い方へ逃げるんだ。そんなに明るいのが嫌なのか。自分だけに重荷を全部くくりつけて、積みすぎた箱船みたいになって、それで沈んでいくのがいいのか。君は!」
「……!」
 返す言葉がなかった。この人には見抜かれている。自分の心がどういう姿をしていて、本当は何を思っているのか、すべて見抜かれている、という気がした。そうだ、だって彼はアムロ・レイやカミーユ・ビダンと同じ、ニュータイプと呼ばれる人種ではないか。ものごとの本質を見抜く洞察力にすぐれている、それがニュータイプということの本来の意味ではないか。
 そして……この自分だって、ニュータイプと呼ばれているのではないか。彼が本当に自分のためを思い、自分のことを想ってくれていることだって、わからないはずがないではないか……
「……アーク。アークライト・ブルー」
 気がつけば、セレインも涙を流していた。
「わたしは、お前が……お前と……、お前の……」
 それ以上は、言葉にならなかった。二度目のキスは、セレインの方から唇を寄せた。



 セレインが、自分の裸身を恥じているらしいことはわかった。その理由も、すぐにわかった。
 窓から斜めに射し入る午後の陽光に白く照らされたセレインの肌には、大小無数の傷跡があった。銃創があり、切り傷があり、ひどい打撲がそのまま残ったらしい、赤黒い痣もあった。
 それらをすべてひっくるめて美しい……と思えるほど、アークは女性に関して達観していない。何しろ彼はまだ童貞で、母親以外の女性の裸を見るのさえ生まれて初めてなのだ。その裸がこのように傷だらけであるというのは、それなりにショッキングなことだった。ただそれでも、目をそらしてはいけないということくらいはわかるから、アークはそれらの傷の、痣の一つ一つにキスをし、丁寧に舌をはわせていった。
「っ……く…は」
 唇がふれるたび、セレインの肢体が反応する。汗の珠のういた白い肌がシーツの上でうねる様は、アークにも掛け値なしに綺麗だと思えた。
「ふっ……ふぅッ………あッ…!」
 何かを耐えているようなセレインの声に、徐々に甘やかな色がまじってくる。それがいっそう舌と唇を加速させる。年齢の割にあまり豊かとは言えない、ささやかな胸のふくらみを手のひらで包むと、
「ひゃあっ……!」
 信じられないほど可愛らしい声が上がって、アークは驚いて嬉しくなってしまった。

「ひゃあっ……!」
 こんな声が自分の口から出てくるなんて信じられなかった。声ばかりでなく、さっきから信じられないことばかりだ。暴行の経験しかないセレインには、セックスとは男の欲望を満たすものであるという実感しかない。男の手や唇に肌の上を這い回られることが、こんなに快いものであることも、それに対して自分の体がこんなに素直に反応してしまうことも、セレインにはまったく未知のことだった。
 苦痛に耐えるのは得意だが、快楽に耐える方法など知らない。ぎごちないアークの愛撫にもセレインの体と心は敏感に反応し、鈴を鳴らすような甲高い喘ぎ声を上げてしまう。
「ふぁ、はふ、あ、あっ…そ、こ………!」
 脇腹をさすっていた手が小さな尻をするりと撫でて、太ももに移動した。ももの内側をくすぐりながら、ゆっくりと上昇してくる。その手がいずれ到達するであろう場所を予想して、ただでさえ早鐘のような心臓の鼓動がいっそう早まる。
「や……っ、アー、…ク……!」
 アークの腕に手をからめようとするが、ふるえてうまく動かない。その手で、アークを押しとどめようとしているのか、誘導しようとしているのか、それすらもわからなくなっていた。
「アーク、アーク……アー、きゅッ…!」
 その場所に触れられたとたん、全身がすくんだ。電撃を受けたように、四肢が自分の意志を脱してふるえる。どくり、と下腹から、何かが流れ出したような気がした。シーツが濡れた感触があって、それが気のせいでないことがわかった。
 気付けば、アークの顔が目の前にあった。心配そうに、自分を見下ろしている。
 大丈夫だから、と微笑もうとして、ちらりと下に目をやると、アークの股間がすでに真っ赤に充血して立ち上がっているのが見えた。かっ、と頬に血が上る。アークがその視線を察して、気恥ずかしげに腰を引っ込めようとするのを、
「あ……」
 思わず、といった感じで、セレインは手を伸ばし、アークの股間のものを捕まえていた。
「うわ!?」
 アークが驚愕の声を上げ、一番大事な場所を掴まれているものだから身動きもならず、不自然に腰を上げた姿勢で固まる。セレインの手の中のものは人間の体とは思えないほど熱く、固く、脈動する血管までが指先に感じられた。
(不思議だ……)
 男のそれを見るのは無論、初めてではない。ただ、醜い欲望を象徴する器官として嫌悪感しか抱いていなかったはずのものに、今少しの抵抗もなく触れていられることが、むしろその感触に心地よささえ感じているのがどうにも不思議だった。
 だが、本当はそれが当たり前なのだ。それは男女が交わるための器官、新しい命を生むために、女が自らの体内へ受け入れるものとして生み出された男の肉なのだから。
 その当たり前の女の地点へ、今自分はやっとたどり着いたのだ。
「セ、レイン……ちょっと、もう…あっ……」
 アークがひどく情けない声を上げて、セレインは自分がずいぶん長いことアークのものを撫で回していたことに気付いた。赤面して手を引っ込める。アークは自分を鎮めるためか何度か深い息を吐くと、
「その……ええと、……いいかな」
「………………ああ」
 力を抜いて背中をベッドにあずけ、両脚をこころもち開く。おかしいくらい真剣な顔で、アークがのしかかってきた。


 セレインの肌が近づいてくる。いや、自分が近づいているのだ。体中の血液が頭と股間に集まっているような気がした。自分をじっと見上げてくる、上気したセレインの顔をずっと見ていたかったが、我慢して股間に目を落とす。よく見て位置を定めないと、うまく入れられる自信がない。
「そこ、じゃない……もうちょっと上の、そのあたり……」
 セレインが小さくアドバイスをしてくれる。消え入りそうな声なのは恥ずかしいからだろう。
 経験済みといったって、それは暴行された経験だけなのだ。合意の上で彼女を抱く男は自分が初めてなのだとすれば、ある意味処女を奪うよりもそれは重い。ゼロではなく、マイナスの所から積み上げていかなくてはならないからだ。それだけの度量が自分にあるのかと問われれば、無い、と答えるしかなかったが、
(こんな時まで理屈っぽく考えたって、仕方ないだろう……)
 とにかく、精一杯愛するだけだ。腹をくくって、ぐっとばかりに腰を押し進めると、いきなり根本まで呑み込まれた。
「うあ…!?」
「はぅ…………ッ!!」
 汗ばんだ腰と腰がぶつかる。腕の下に組み敷いたセレインが、若鮎のように跳ねた。ぬるつく肉の狭間に呑まれた刺激も忘れてアークは青ざめ、
「ご、ごめん! 痛いか!?」
「……っ」
 セレインは首を振る。白く細い腕が、触手のようにアークの腕へからみついてきた。震える息の下から、恥ずかしげに何度も口ごもった後で、
「大丈夫だ。……その、思ったより、ずっと……き、気持ちよすぎた……だけだ」
 ああ、やはりこの人は不器用すぎる。童貞の男が初めて好きな女の子を抱くという時に、そんなことを言われたらどうなってしまうか、わからないのか。理性が白く沸きかえる最後の一瞬に、アークの脳裏にひらめいた思考はそれだった。
「セレ……ッ!!」
「あ…あ、アークッ!? ふ、うァ、あああ、……はッ!」
 力一杯抱きしめる。セレインの中に収まったものを引き抜いて、また思いきり叩きつけた。背がしなやかにのけぞって、顔が遠ざかるのを掻き寄せて唇をふさぐ。息がつまるまでキスをして唇を放すと、とろけそうに上気した瞳でセレインが見返してきた。
 何度も、何度も突き上げ、その度に上がる甘い悲鳴を聞きながら、傷だらけのセレインの肌の、その全身をまさぐる。自分がニュータイプであることに、今ほど感謝したことはない。女の体のことなど何一つわからなくても、セレインが今何を感じているのか、どうすれば喜んでもらえるのか、肌の下の筋肉のうねり、浅く速い息づかい、涙をうかべた瞳のゆらめきから、すべて感じ取ることができる。
(これは……俺、女の子となら誰でもこうなのかな。それとも、セレインとだけ……?)
 わかるわけがない。だが、今は後者だと信じていたかった。そして、何よりも嬉しいことに、セレインもまたそう信じたがっているのだということも、アークには感じられるのだった。
 セレインの手が、アークの背中に回る。肩を貫通した銃創の痕に唇をつけて吸うと、右手が痙攣してアークの背中に浅い掻き傷を残した。その痛みも心地いい。
 欲情の猛りをニュータイプの勘できわどく導いて、的確に、かつ滅茶苦茶にセレインの中をかき回す。それを受け止めながらも、セレインもどうすればアークが気持ちよくなるか感じ取り、ほとんど本能的に腰をうねらせる。きたえられたセレインの腰の筋肉はよく引き締まり、きゅんきゅんと気の遠くなるような快感をアークのものに伝えてくる。負けじと臍に力をこめると、狭い肉の間をかき分けられる感覚にセレインがまた悶える。
「アーク、ああ……っ、駄目だッ………わ、わからなくなるッ…! こ、これ、もうなにも、わからなく、なッ……!」
 アメジストのような美しい紫色の瞳が、本物の恐怖にふるえている。怖いのだ。命を奪い合い、苦痛を与え合う世界に慣れすぎた彼女には、あたたかい快楽の波に呑まれ、その中で我を忘れてゆくということが、おそらくは本当に怖いのだ。大丈夫だと、力一杯抱きしめる。しがみついてきたセレインの唇から、ほうっ……と安堵の息がかすかに漏れた。
「セレイン……セレ、セレイン……っ!」
「はふッ、ふぁ、ああ、あー、アークっ! アーク、いっ、いい……のか、私は………わらひは、本当にっ、いヒ……のか……ぁあぁッ!?」
「!………ああ、いいんだセレイン、いいんだよ……君は、いい…ッ!」
 ろれつの回らない舌で、涙をぽろぽろこぼしながらセレインが問う。己の肉体が気持ちいいか、などという意味ではない。こんなに気持ちよくて、こんなに嬉しくていいのかと、自分がこんな幸福を味わっていいのかと、そんな悲しすぎる問いに、アークは答える言葉もなくし、ただ自分も泣きながら細い腰を抱きしめ、キスの雨を降らせるより他にできることがない。
 溶け合った感情が渦を巻いて駆け上っていき、レールの天辺から飛び出して粉々にはじけ飛ぶ、その瞬間はほどなくやって来た。
「あぁー、あくっ、あぁあぁーク、っくッ、うぁ、あ、うわ、は、ぅあああぁあぁぁあああアッ!?」
 赤子が乳を求めるような切ない泣き声と共に、まずセレインが限界を迎えた。白い肢体に炎が走るようにさあっと紅潮し、汗の珠が散る。喉からつま先までが一直線に反り返り、全身の筋肉がきゅうっと引き絞られたあと、一気に弛緩した。その強烈な締め付けで、アークも限界を迎える。最後の理性で、セレインの中から引き抜いた。
「熱っ……」
 セレインが思わず呟いたほど熱い粘液が、白い腹にぶちまけられる。自慰とは桁違いの絶頂感が何度も何度も襲いかかってくるのにアークは必死に耐え、最後の一滴を吐き出すと同時にどっとばかりベッドに倒れ込んだ。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
「これが……アークの…か」
 桃色に引き裂かれたような絶頂の余韻の中で、セレインはうっとりと、粘液でヌルヌルになった腹をなでる。指先に付いたものを顔の前にもってくると、天井の照明に照らされてキラキラと光った。なんだか嬉しくて、その指先を口に含んでみた。苦いような、しょっぱいような、おかしな味で、それを見ていたアークがものすごく恥ずかしそうな顔をしたのが、セレインにはひどく幸せだった。
「………セレイン」
 しばらくの間、二人ともそのまま脱力していて、やがてようやく息を整えたアークが顔を起こして言った。
「俺は……君のことが」
 今更、と思うが、一応きちんと言っておかなくては、という几帳面な気持ちがあった。セレインも微笑みを浮かべて、次の言葉を待ってくれている。アークは唾を飲み、息を吐いて、
「……す、」
 けたたましい音と共に窓ガラスがぶち破られ、人影が飛び込んできた。
 見たようなアーミーパターンのバンダナを巻いた小柄な人影は床を一転がりして鮮やかに着地し、ベッドの上のセレインと目を合わせて、ニヤリと笑おうとして、そのまま絶句した。
「二人とも、脱出だよ…………って。…何…やってたの?」



「ゲリラ狩りの初歩的な手口で、フォックス・アンド・ギースってのがあってな」
「ほう」
「市街に不穏分子が潜入している場合、わざわざ追い回さなくても、普通は警察や憲兵のいる場所はむこうから避ける。うまく目立つように兵を配置すると、自分の意志で行動しているように思わせておきながら、こっちの思い通りの場所に誘導することができる」
「ふむふむ」
「一番苦労したのは憲兵の制服を人数分そろえることだ。洋服屋に注文するわけにはいかんから、ありあわせの軍服をシャリー達に仕立ててもらった」
「なるほど」
「嬢ちゃんの突入が早すぎたのは俺達のミスだ。ちゃんと確認してから指示を出すべきだったが、まあお前らがあんなとこまで一足飛びに進んでるとは思わなかったんで」
「言いたいことはそれだけか」
 しずかに拳銃の撃鉄を起こしたセレインを、慌ててアークが羽交い締めにして止めた。
「離せアーク! こいつに一発思い知らせてやらなくては気がすまん!」
「いや待て! ちょっと待て! その一発はまずいから! 死ぬから!」
「急所は外す!」
「そういう問題じゃない!」
 なおも暴れ続けるセレインをどうにか抑えながら、アークは笑いをこらえているエルリッヒを横目で睨む。
「……あんたまでこんなことに参加してるとは思わなかったよ」
「フォックス・アンド・ギースは防諜部時代の私の十八番だ」エルリッヒはもみあげを撫でながらすました顔で、「第一、私ばかりではない。今回の作戦にどれだけの人間が噛んでいるか知ったら、君達はだいぶ驚くんじゃないかな」
「エルリッヒ・シュターゼン! この馬鹿げた計画の首謀者リストをよこせ! 今すぐにだッ!」
「ねえセレイン、初めてってどんなだった?」
 矛先が変わった隙に、リッシュは素早く逃げ出した。一方のセレインは好奇心むき出しのレラに、あまりにも直截な質問をぶつけられて言葉に詰まる。
「なっ……それは…! そ、そんなことを訊くな!」
「いいじゃない、教えてよ。みんな知りたがってるよ」
「みんなとは誰だあー!」
 ふたたび沸騰してしまったセレインを抱えて、アークはため息をついた。それから意を決して、暴れる耳元に口を寄せる。
「セレイン。戦いが終わって、全部済んだらさ、どっか出かけよう、二人で。……その、言えなかったこともあるし、続きってことでさ」
「っ……」
 くたん、と急にセレインは大人しくなった。耳まで赤くなって、だが何も答えない。続きを見たそうにしているレラをエルリッヒがうながして出ていって、ブリーフィングルームには二人だけになる。さらに数秒が過ぎて、アークが不安になりはじめた頃、ようやくセレインが消え入りそうな声で言った。
「……初めてだ」
「え?」
「戦いの終わった、その後に何か目標ができたのは初めてだ」
 振り返ったセレインの顔はまだ真っ赤で、怒っているのかと思うくらいにくらいに真剣な目つきだった。普通の女の子ならきっと、こういう時にははにかんで笑ったりするのだ。そんなことのできないこのセレインという少女がとびきり可愛いと、あらためてアークは思った。
 肩を抱き寄せて、キスをした。セレインがそっと目を閉じて応じる。
 この続きは、戦いが終わったあとにとっておこう。


End

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