その日の放課後、僕、リョウト・ヒカワはヴィレッタ先生に呼出を受けた。
こんな事は予想もしていなかった。

ヴィレッタ・バディム先生は女子の保険体育を担当している。
本来男子である僕らが先生に教わる事はないけど。
たまたまその日は僕らの担当の体育教師が病欠で、ヴィレッタ先生が代理にやって来た。
そして行われたのが体力測定。
先生は大学でスポーツ生理学の博士号を取っていて、研究は今でも続けているらしく、測定データが欲しいらしい。
ところが測定が終わった後で。
「そこの君、名前は」
先生がいきなり僕を名指しで聞いてきた。
「は、はい、リョウト・ヒカワです」
「リョウト・ヒカワ、今日の放課後に予定は?」
「え、べ、別に」
「それでは放課後、体育教官室に来て欲しい」
それだけを伝えて先生は引き上げた。
後に残された僕は、当然のように友達に囲まれた。 
「おいおいリョウト、こりゃどういうことだよ、もしかして、二人きりのいけない授業か?」
親友のタスクがからかい半分、羨ましさ半分といった顔で僕に聞いてきたけど、そんなこと僕にだってわかるはずはなかった。

体育教官室には誰もいなかった。
ヴィレッタ先生の机の上にはメモがあった。

リョウト・ヒカワ君へ
温水プールに来られたし

それを読んだ時もプールに向かう間も、僕はずっと何故呼び出されたのかを考えていたから、プールで待つということが何を意味するか気づいていなかった。
季節は春、本来なら水泳部が使っているはずの温水プールは現在深度や水流の調整中で使用不可になっている。
その調整をしているのが他ならぬヴィレッタ先生。
だから僕はプールから離れられないのでそこに自分を呼んだのだろうと思っていた。
だから、立入禁止の立て札のあるプールのある棟の入り口へ堂々と入って行った。
そしてプールサイドまで入ったところで、僕は先生を見た。
声をかけようとして、かけられなかった。
競泳用水着に身を包んだ先生の後ろ姿に。

普段はスーツ姿、体を動かす時はトレーニング・ウェアを着ているヴィレッタ先生のことを、僕はずっとスリムな女性なのだとばかり思っていた。
しかしそれは大きな間違いだった。
今、競泳用の水着を着ている先生は確かにウェストは細く引き締まっていた。
でも、お尻から太股にかけてはボリュームたっぷりだった。
そして足首はまた細い。
不自然なダイエットで痩せた不健康な身体じゃなくて、適度な運動と適切な栄養接種で作られた完璧なプロポーション。
回りからは晩稲だなんだと言われがちな僕も、さすがにこれは目のやり場に困り、声もかけそびれていた。
「来ていたの」
僕が意を決して言葉をかける前に、先生が僕の気配に気づいた。
振り向いた顔に水に濡れた髪が一房垂れて、ただでさえ神秘的な風貌にゾクっとするような妖しい雰囲気を醸し出していた。
そして先生は僕の方へと脚をすすめる。
スラリと伸びた脚を綺麗に揃えて。
そして水着越しにもわかる大き過ぎず小さくはない胸の膨らみが、歩みにあわせて上下に揺れる。
僕は目を逸らそうとした。
でも出来なかった。
先生のみずみずしい肢体に、完全に視線を固定されてしまった。




初めて見た時から、何かが心の奥に引っかかっていた。
あの少年、リョウト・ヒカワ。
成績優秀で性格は温厚だが明朗、顔立ちも可愛らしい。
年上の女にモテるタイプだろう。
だがこの年まで仕事一筋に生きてきた私を狂わせる程の「魔力」があるとは思えない。
気がついた時にはわたしは兄と同じことをしていた。
かつては敬愛していた、そして今では軽蔑している双子の兄。
イングラムと同じことを。
「何故あんなことをしたの?」
女生徒を監禁するという不祥事で警察に逮捕され、特に暴行などはしていなかったということで書類送検だけで釈放された彼に私が発することが出来た唯一の言葉。
「彼女と共にいたかった」
それが答え、以後私は兄とは話もしていない。
それなのに。
彼、リョウトを初めて見た時から、私の中である感情がふつふつと沸き上がっていた。
「彼と一緒にいたい」という思いが。

理性ではこんなことを間違っていると思いながら、わたしは自分を抑えることができない。
しかし兄と同じことをして社会的信用を失うのは困る。
なら彼を私の虜にしてしまえばいい。
客観的に自分の容姿体型が思春期の少年に与える影響はわかっている。
今まで一度も使ったことのない「武器」を使う時が来たと。
リョウトと二人きりになれる場所を学内にいくつか確保して時を待った。
折り良く彼のクラスの代理授業をやって、呼び出すための格好の名目を見つけた。

そして今、わたしは様々な手を打って誰も来ないようにしてある温水プールで彼を待っている。
私の「武器」をごく自然に使うことのできる場所で。
今ならイングラムの気持ちがわかる。
きっと彼も、あのクスハ・ミズハという少女にこんな胸を焦がす思いをして、そして我慢の限界を迎えてしまった。
今夜は久々に兄に電話でもしてみよう。
私達はやっぱり元々は一つだった双子なのだと改めて確信できたから。
「先生」
彼が、リョウトが来た....いよいよね。



「わざわざ呼び出したりしてごめんなさいね、少し立ち入ったことを聞きたかったので、他の子のいるところでは聞きにくかったのよ」
「いえ、それは別に」
ファイルを目にしながら、授業の時よりは柔らかい口調で意図を説明する先生。
だけど僕ははっきりしない受け答えしか出来ない。
プールサイドに置かれたテーブルごしに向かい合わせで座る先生に、いや正確には先生の胸元に目を奪われて。
ヴイレッタ先生が身に着けていた水着はピッタリとしてはいるけど実用性を重視した競泳用、のように見えた。
少なくとも全体的なフォルムはそんな感じ。
それなのに、なぜか胸元に不自然なカットが施されて白い胸の谷間が露に…反則だよこんなのっ!
まるで見せるためだけのようなデザインじゃないか!
目と鼻の先にそんなものがあって僕の目線は情けないくらい正直にそっちに向いてしまう。
「春のスポーツテストの結果、それと今日の測定と、あなたを見てみたのだけれど」
けれど先生はどうやら真面目な話をするらしい。
あたりまえだけど、水着姿でプールに呼ばれたことで心のどこかで都合のいい妄想をしてしまった僕は少しだけがっかりとして、大いに自己嫌悪を感じた。
「リョウト君、あなたどうして実力を出さないの?」
そう言いながら、先生はその顔を上げた。
僕は慌てて目線を先生の胸から逸らして顔へ。
先生の奇麗な顔が目と鼻の先にあった。

「あの、それは一体…」
先生の言葉の意図が掴めずに聞き返す。
しばしの空白、その間僕はさぞ間抜けな顔だったかもしれない。
やがて先生が沈黙を破る。
「とぼけているわけじゃなさそうね、それじゃわざとじゃなくて無意識か」
「無意識?」
「あなたは自分で自分の身体能力にブレーキをかけているわ、クラスメートと昼休みに球技で遊んだりしている時に見せる柔軟性や瞬発力が、スポーツテストにまったく反映されていないのだから」
「ぼ、僕、手抜きなんてしてませんよ、真面目に…」
「わかっているわ、だから無意識と言ったでしょう、あなたは何かの心因で公式記録を図るような場合に本気を出すことをセーブしているのよ」
「はぁ」
先生の説明に何とか納得はいったものの、僕の心にはもう一つ別の疑問が生まれていた。
どうしてクラス担任どころか授業の担当ですらない先生が、そんなに僕の学校生活に詳しいのだろうか?
そんな疑問を頭の中に浮かべている間に、先生が立ち上がる。
「ちょっとこっちへきて」
「はい」
云われるままに後について歩く。
鍛えられて良く引き締まってはいるけれど、それでも肉がはちきれんばかりのお尻の肉が水着に収まりきらず、少しはみ出していて、それが一歩一歩足を動かすたびに、ぶるぶると震えるのに、目を奪われながら。
駄目だ、見てはいけないと思っても、先生の身体に視線が吸い寄せられる。

時間にしてほんの三十秒くらいだったけど。
先生の後ろについて歩き揺れるお尻を眺めていた僕は体温が上昇し、顔も上気していた。
「さあリョウト君」
先生に連れられて来たのは、プールサイドに水泳部用の筋力トレ器具が置いてある場所。
もうじきプール改装だというのにどうしてまだこんなところへ置いてあるのだろうという漠然とした疑問を意識の端に置いた。
「どうして実力を出せないのか、心因的なものなのかを調べてあげるわ、軽い運動くらいなら着替えなくても出来るわね?」
「ええ」
何でこんななりゆきになったのかわからないまま、先生に言われるがままに返答。
「そう、それじゃあまず私の真似をしてみて、ストレッチよ」
そう言って先生は柔軟を始めた。
確かに着替えなければ出来ないほどのものじゃない。
だけど…僕は先生のやった通りの動きをするのが次第に困難になって来た。
なぜって、目の前で水着姿の女性の身体が動いているんだから。
ましてや先生はフィットネスの専門家としての知識技術を自分の身体に惜しみなく投入している。
多少筋肉質な点を除けば、完璧といっていいプロポーションが競泳水着に包まれて目の前で動いている。
しかもその水着には何故か場違いなスリットが胸元に入っている。
ふとした拍子に、そのスリットから除く胸元に玉のような汗が走っているのを目にして僕は限界に達した。
制服のスラックスに、はっきりと目に見える隆起が出来てしまった。

「どこを見ているの?」
不意に先生の発した言葉が、何とかして昂奮を抑えようとしていた僕の背中に冷水を入れた。
不意に先生が動きを止めて、僕の視線がどこに向いてるのかを確認したから。
そして俯く先生。
恐れていたことが起きてしまった。
「そういう眼で先生を見ていたのね…」
恐れていた言葉が投げかけられる。
僕の心が絶望に締め付けられる。
何故こんな気持ちになるのか?
奇麗でスタイル抜群のヴィレッタ先生。
だけどどこか近寄り難い雰囲気のあるひと。
遠くから眺めて漠然とした憧れを感じるだけだったのに。
こうして目の前で先生の身体を見せつけられるなんて夢にも思っていなかった。
それで舞い上がってしまって、ついついジロジロと見てしまった。
ああ、先生に軽蔑される…。
そう思った瞬間。
先生がゆっくりと顔を上げる。
ああ、もう駄目だ。
そう思ったのに。
「そんなに見たいの?」
思いもよらない言葉が先生の唇から漏れる。
「えっ?」
意外な、あまりにも意外な言葉だった。

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