スーパーロボット大戦シリーズのエロパロまとめwiki - いつのまにか少女は
舗装されていない小道の両脇にある生垣には、色とりどりの紫陽花が咲き乱れていた。
露や土の匂いと混じり合った花の香りが、仄かに鼻をくすぐる。
そして道の向こうに目をやれば、隔てるものが何もない太平洋の大海原。
周囲にあるのは山林のみ。白波と鳥の声以外に音を立てる物のない、本当にのどかな風景だった。
眼下には砂浜も広がっている。泳ぐにはまだ少し早い季節だが、遮る物もなく吹き抜ける浜風は心地よい。
人が当たり前のように宇宙で生活し、潜水艇すら空を飛べるこの時代に、まだこんな美しい世界が残っている。
キョウスケはそのことに内心驚き、そして同時に感動も覚えていた。
そしてそれは、今その隣にいる人間にとってもまた同じであった。
「うわあ……」
花の小径から一転して開けたパノラマに、思わず感嘆の声をあげるクスハ。
ここに来るまでで既に期待で溢れていたその表情が、一層輝きを増していくのが見て取れた。
小走りに道を抜けると、鞄を抱えたままくるくると、心底楽しそうに海風をその身に受ける。
「キョウスケさーんっ、早く行きましょうよーっ!」
まだ紫陽花に囲まれて歩いているキョウスケを急かすその姿は、まるで遠足ではしゃぐ子供のようだった。
視線を前へ向けると、海岸沿いの道の向こうに目的の旅館が見えた。
風情ある木造の建物で、いかにも、知る人ぞ知る隠れ家といった感じだった。
辺りには他に誰もいない。ただ、旅行カバンを抱えた私服姿のキョウスケとクスハが、二人きりで歩いているだけである。

極東伊豆基地のカイ少佐からロシアのATXチームに、こちらに来て教導隊の訓練を見てもらいたいという申し入れがあったのは、一ヶ月ほど前の話であった。
新生教導隊もようやく軌道に乗り、次のステップに進む時が来たのだろう。キョウスケ達としても、決められた訓練と辺境警備ばかりの日々に少し退屈していた頃で、この申し出は実にありがたいものだった。
しかしいくら極地の閑職とはいえ、こちらにもこちらの仕事がある以上、全員揃って留守にするわけにもいかない。
そこで今回の出張には、キョウスケと、助手としてクスハが同行することになった。
里帰りというわけにはいかないが、せめて久しぶりに故国の空気を吸ってくるのもいいだろうという、エクセレンとブリットの厚意であった。
そういった経緯でロシアを離れ、久しぶりに日本の土を踏んだのが二週間ほど前。
それから間に休みを数日挟みつつ、全ての訓練が終了したのが、つい昨日のことである。
その夜、カイの自室に呼び出されたキョウスケが、酒を酌み交わしながら訓練の成果等について色々話し合っていたところ、不意に話を切り出された。

「温泉、ですか」
「ここの半島の先で、知り合いが旅館を経営していてな。話は俺の方から通しておくから、どうだ」
「はあ」
「ん?不満か?」
「そういうわけではありませんが、一緒に行く相手がおりません」
「相手ならいるだろう」
「エクセレンなら向こうで留守番ですが」
「クスハだよ」
「……は?」
あまりに突拍子もないカイの言葉に、キョウスケは思わず素頓狂な声で聞き返していた。
「風呂好きのクスハのことだ。飛び上がって喜ぶぞ」
「少佐…?」
「なに、心配するな。ブリットとエクセレンには、俺の方からちゃんと伝えておく」
「…………」
「チーム全員を敵に回してまでクスハに手を出すほど、向こう見ずでもあるまい」
「ですが……」
「こういう労いは、いつもエクセレンの役目だろう?たまにはお前の方から上司らしいことをしてやっても、罰は当たらんぞ」
そんな、カイらしいと言えばらしい、カイらしからぬと言えばらしからぬ強引さで、二泊三日の温泉旅行はあっという間に決められてしまった。

カモメが沖で群れを成し、海面近くを低く飛んでいるのが目に入った。近くに魚群がいるのだろう。
旅館の向こうには磯が見える。釣りの趣味はないが、道具が揃うなら、暇つぶしにそこで竿を傾けてみるのも悪くない。
ゆっくり歩いて水平線を眺めながら、キョウスケはそんなことを考えていた。
最初はあまり気乗りしない旅行だったが、目的地が近づくにつれ、気分が少しずつ高揚してきていた。
温泉に興味はないが、周囲に人家すらない、この雄大な自然は最高だ。
何より、
「ほらーっ、早く来ないとおいていきますよーっ!」
本当に飛び上がらんばかりに喜んでいるクスハを見ていると、こちらまで嬉しい気分になってくる。
宿を手配したのはカイであって、キョウスケは特に何もしていないのだが、それでも、ここまで連れてきてよかったなと、何となく誇らしい気分であった。

「いらっしゃいませ。ナンブ様とミズハ様でございますね?」
やがてクスハに遅れて旅館に辿り着くと、玄関で女将が二人を出迎えた。
「キタムラ様から伺っております。それでは、お部屋に御案内致しますので」
靴を脱いで宿に上がる。日本人同士なので、こういう時いちいち注意しないで済むのはありがたかった。
まだ行楽シーズンには早いためか、他の宿泊客はいないようだった。
それぞれ隣同士の部屋に通される。部屋の隅に荷物を置いて、キョウスケは西向きの窓を開けた。
伊豆の海が一望できる、絶好の眺めだった。夕方になれば、水平線に沈む夕日が見られることだろう。
「キョウスケさーんっ」
部屋の外から、キョウスケを呼ぶクスハの声。
「先にお風呂入ってきますねーっ」
それだけ言うと返事も聞かず、小走りに廊下を駆け抜けていった。
普段あれほど大人しいクスハが、温泉と聞いて完全に目の色を変えている様子に、思わず内心で苦笑いしてしまう。
さて、自分はこれから何をするか。
クスハと違ってこの時間から風呂に入る気はないし、仮に入浴したいと思ったところで、ここは混浴である。
古くから経営してる温泉旅館には混浴の所も少なくないというが、この宿はまさにそれであった。
つまり、先にクスハが入ってしまっている以上、ひと風呂浴びたいなら上がるのを待つしかないのだ。
とりあえず、日が暮れるまで辺りを散策でもするか。さっき見た磯で、何か貝や魚でも――
(む……?)
そんな事を考えていると、不意に体が重くなった。
全身が無性に怠くなり、体温と心拍数が目に見えて高まっている。
どうやら、目的地に着いたことで緊張が切れ、ここまでの疲労が一度に現れたようだ。
それならば、
(寝るか……)
キョウスケは黙ってその身を畳の上に横たえた。
初夏のうららかな日差しと潮風、そして古ぼけた畳の匂いが、本当に心地よかった。
座布団を枕にし、目を閉じて呼吸と意識を鎮める。それから安らかな寝息を立て始めるまで、ものの一分とかからなかった。

――それから少しした頃。
「あら、掛け札が落ちてるわ。さっきのお客さんかしら。入る時、随分はしゃいでいたしねえ。戻しておかないと」
そう言って女将は、脱衣所の前に落ちていた札を扉に掛け直した。
この時その耳に、露天風呂にわずかに響いていた鼻歌が聞こえていたかどうかは、不明である。
キョウスケが再び目を覚ましたとき、空は茜色に染まり始めていた。
視線を動かして時計に目をやる。どうやら四時間ほど眠っていたらしい。
仰向けになって深呼吸をし、大きく体を伸ばす。
久しぶりのうたた寝だったからか、意外なほどすっきりした寝覚めだった。
海は夕凪の時間に入っているようで、風は全く吹いていなかった。
その状態で西日に当たり続けていたため、キョウスケの体は、シャツが肌にぴったり張り付くほど汗ばんでいる。
(丁度いい。行くか)
今から風呂で汗を流せば、出る頃には丁度夕飯の時間である。
むくりと体を起こして立ち上がる。そして手拭と着替えの浴衣を手に取ると、部屋を後にして風呂へと向った。
ここの温泉は混浴であるが、脱衣所は男女別々になっている。
それぞれの扉の前には札が掛けられており、表には「空」、裏には「入浴中」と書かれていた。
現在女子の方の札は「空」になっている。さすがのクスハも、この時間にはもう上がったらしい。
男子の札を手にとって「入浴中」に引っくり返すと、キョウスケは脱衣所へと入っていった。

(あ……)
クスハは、首を上げて空を見て初めて、日が沈み始めていることに気が付いた。
ここに来た頃はまだ日も高かったのに、湯船に浸かってぼーっとしている内に、随分と時間が経ってしまっていたらしい。
風呂に入るとあっという間に時間が過ぎるのはいつものことだが、今日は特にそれが早いように感じられた。
「ふふふ……」
肩に湯をかけながら、うっとりした表情で微笑むクスハ。
自然と笑みがこぼれるのは、これで今日何度目だろうか。と言うより、昨夜からずっと笑いっぱなしのような気がする。
誰もいない鄙びた温泉旅館の、岩の露天風呂。クスハにとってはまさに極楽である。
まさか、エクセレンとのデートすらほとんどしないキョウスケが、こんな所に連れてきてくれるとは夢にも思わなかった。
(そろそろ、上がろうかな)
時計がないので具体的にどのくらいここにいたかはわからないが、普段の長風呂よりもずっと長い時間入っていたことはわかる。
いい加減にしておかないと、キョウスケが入れなくて困っているかもしれない。
それに、まだ時間はたっぷりあるのだ。夜でも明日でも、後で好きなだけ入ればいい。
浴槽の淵に置いておいた手拭を取って、クスハは湯船から立ち上がった。
その時。
男子の脱衣所に繋がる扉が、ガラガラと音を立てて開かれた。
浴場には誰もいない、誰も来ないと思っていたため、二人とも自分の体を全く隠していなかった。
その状態で、正面から鉢合わせである。嫌でも互いの裸体が視界に入ってしまう。
(札は確かに「空」になっていたはずだが……)
クスハの裸を前にしてキョウスケは冷静にそんな事を考えていたが、クスハの方は、
「…え?え?え?」
思考が完全に混乱をきたしていた。
男が目の前にいるというのに、体の何処を隠そうともしていない。
目のやり場に困った。
その体を凝視するわけにはいかないし、かと言って、大きく視線を逸らすのもわざとらしい。
こういう時は、変に意識せず、普段通り振舞うに限る。
(手拭を持っているところを見ると、これから上がるつもりだったか)
キョウスケは一呼吸おいてから、何事もなかったかのように歩を進めた。
呆然としているクスハの横を抜けて、転がっている洗面器を手に取る。
そして浴槽の湯を汲んで自分の背中を流すと、その音でようやく我に返ったクスハは、握った手拭で胸と股を隠しながら、驚いたようにキョウスケの方を振り向いた。
「あ、あの、そのっ……」
狼狽して言葉の続かないクスハを意に介さず、キョウスケは湯を浴び続ける。
クスハの全身が紅潮しているのは、ずっと湯に浸かっていたためか、それとも。
「し、失礼しましたっ!」
そう言って深々と頭を下げると、クスハはキョウスケに背を向け、慌ててその場を後にしようとした。
しかしその瞬間、
「きゃっ!?」
濡れた床に足を取られ、どすんと音を立てて派手に尻餅をついてしまった。
思わずキョウスケも目を向けてしまう。
「あいたたたた……」
打った尻を撫でさするクスハ。
やがて視線に気付き、首を回して背中越しに後ろに目をやると、期せずしてキョウスケと目が合ってしまった。
「あうぅ……」
顔を背けて俯く。恥ずかしくてたまらないといった様子であった。
そのまま何も言わずに立ち上がり、一目散に風呂場を立ち去ろうとしたのだが、
「そっちは……」
男子の脱衣所の扉を開けると、キョウスケが止めようとするのも聞かず、その中に入っていってしまった。
閉じられた戸を眺めながらキョウスケは、呆れたようにひとつ溜め息をついた。
それから頭と体を洗い終わり、湯船に浸かろうとして椅子から立ち上がった、その時だった。
男子脱衣所の戸が、静かに動く気配がした。
わずかに開いた扉の隙間からは、クスハが目だけ出してこちらの様子を窺っている。
ようやく、自分が入る場所を間違えたことに気付いたらしい。
振り向いて視線を向けると、びっくりしたように首を引っ込める。そしてしばらくしてからまた、こちらを覗き始めた。
「後ろを向いているから、早く隣に移れ」
そう言いながらキョウスケは、ゆっくりと浴槽に入った。肩まで湯に浸かり、脱衣所に背を向ける。
だがクスハは、黙ったまま動こうとしない。
「……そんなに不安なら、タオルでも巻いておけばいいだろう」
その言葉で意を決したのか、一旦奥に戻っていく。そしてしばらくした後、
「……見ないで、くださいね………?」
胸から下にバスタオルを巻き、クスハはおどおどした表情で再び浴場に足を踏み入れた。
キョウスケは、背を向けたまま何も言わなかった。
戸がゆっくり静かに閉じられる。
だがその時、タオルの端が閉じられた扉に挟まってしまった。
そしてそれに気付かず、急ぎ足で隣に移ろうとしてしまったため――
「わああぁっ!!」
突如背後から聞こえてきた悲鳴に、キョウスケは思わず背後を振り返った。
視線の先には、扉にタオルを引き剥がされ、再びあられもない裸体を晒してしまったクスハの姿があった。
その場にうずくまり、再び動けなくなってしまうクスハ。
「……………」
「……うぅ………」
再び二人の目が合う。相変わらず表情を動かさないキョウスケに対し、クスハの顔は完全に泣きそうになっていた。
他に宿泊客がいないなら、こっちに来させないで廊下の方に回らせた方がよかったかもしれない。
ふとそんな考えがキョウスケの頭をよぎったが、時既に遅し。
こうなってしまっては、もうどうにもフォローのしようがない。
キョウスケは、無言で前へと向き直った。
今夜の夕食の風景は、随分と気まずいものになりそうだった。

キョウスケは風呂場での出来事をさほど気にしていなかったが、さすがにクスハの方はそうもいかないようだった。
一緒に夕食を摂っている間も全く目を合わそうとせず、終始俯いたまま実に居心地が悪そうだった。
何もそこまで落ち込まなくともとは思ったが、如何せん、見た側と見られた側との意識の差は埋めがたい。
ましてクスハは、元々気の強い性格ではない。
どうやら、色々考えてはネガティブな結論に至り、そして余計に気分が落ち込んでゆくという悪循環に陥ってしまっているようだった。
結局気の利いた慰めの文句も浮かばず、殆ど言葉も交わさないまま夜は更けていった。
まあ、放っておけばそのうち立ち直るだろう。そんな楽観的なことを考えながら迎えた、次の朝。
朝食を摂って入浴した後、クスハは一人で旅館を出ていった。
昨日ここに来る途中、旅館街の外れで、地元の人間が使う共同浴場の前を通りかかった。
そこに行ってから土産物屋に立ち寄って、夕方頃戻ってくる予定だという。
相変わらずぎこちない接し方のクスハに、ついでに土産の温泉饅頭でも買ってくるよう頼んで、キョウスケは一人宿に残った。
本当に久しぶりの、何もすることがない、何もしなくていい一日である。
誰にも憚ることなく、のんびりと休日を満喫したかった。

昼食を食べてひと眠りした後、露天風呂で汗を流し、周辺の散策に出た。
昨日と同じく空は快晴。夜になれば、月と星が綺麗に見えることだろう。
燦々と降り注ぐ日の光に、海沿いの田舎独特の、土と草と潮の混じりあった匂いが立ち込める。
海。山。磯。森。見渡す限りの自然である。
旅館以外には何一つとして人工物の見当たらないその風景には、何とも言えない清々しさと同時に、何処となく懐かしさを感じさせるものがあった。
やがて宛てもなく歩き回っている内に、空の色が赤みを帯びてきた。
砂浜に腰を下ろす。丁度、太陽が水平線の向こうに落ちようとしていているところだった。
ハガネやヒリュウ改に乗って洋上を飛んでいた時に、何度か目にしたことのある景色ではある。
しかし、こんな風にくつろいだ状態で眺めるのは初めてのことだった。
寄せては返す波の音が、意識を視線の先に引き込んでゆく。
夜の訪れを告げる朱一面の空と、その光に照らされながら風に揺れるちぎれ雲。
この上なく雄大で、何よりも美しい光景だった。

だがキョウスケに去来したのは、感動や感激の類ではなく、どうしようもない虚無感と深い悲しみであった。
まるで、暮れてゆく太陽に心をえぐられるかのように、激しく胸が疼いていた。
真っ赤な雲。
真っ赤な夕日。
真っ赤な空。

――夕焼けの色は、血の色に似ている。

テンペスト・ホーカー。イングラム・プリスケン。テンザン・ナカジマ。ガルイン・メハベル。
アクセル・アルマー。ヴィンデル・マウザー。ウォーダン・ユミル。アーチボルド・グリムズ。
過去の戦争で自分達の前に立ちはだかり、そして散っていった敵の兵士である。
すぐに思い出せるだけでも、これだけの名前が挙げられる。
名も知らぬ兵卒も加えれば、一体何百人、何千人を打ち倒してきたかわからない。
中には、直接自分の手に掛けた人間も多い。両手両足の指を使っても、とても足りないほどだ。
何度も死にかけた。だが、その度に生き延びてきた。
何故、今まで生き延びることができたのか。それは、自分に人よりも多少優れた技と運があったから、それだけである。
だがそれもいつまで続くかわからない。年齢を重ねれば体力は確実に低下するし、死ぬまでこの強運が衰えないという保証も全くない。
近い将来か遠い未来、まず間違いなく、誰かの手に掛かって戦場で倒れる日が来るだろう。
しかしそれがわかっているからと言って、今更ここから逃げ出すことはできない。
戦場に背を向けて生きるには、自分はもう、多くの命を背負いすぎている。
目の前で、何人もの敵が死んだ。何人もの味方が死んだ。
不意の戦闘に巻き込まれ、何の落ち度もないのに人生を終わらされてしまった一般市民もいる。
そして、士官学校時代のシャトル事故。
そんな過去に目を瞑り、全てを忘れて幸せに笑っていられるほど、自分は強くない。
無理にでも闘志を奮い立たせて戦い続け、過去に目をやる余裕を失くし続けなければ、心が押し潰されてしまう。
それに、もし戦いに明け暮れる生活から抜け出したところで、一体自分に何があると言うのだ。
ゼンガーのように剣術ができるわけではない。エルザムやライのように誇れる家柄でもない。
リンのように会社を束ねることもできない。リョウトのようにエンジニアとしての能力に長けているわけでもない。
PTの操縦技術、訓練と実戦で得た戦術・戦略論、そして鍛え抜いた肉体。自分は、この他には何も持ち合わせていないのだ。
もう、死ぬまで軍人でいるしかないだろう。
それが悪いことだとは思わないし、後悔しているわけでもない。
だが、引き返したいと思っても引き返せないところまで来てしまったことについての感慨は、決して小さいものではなかった。
人並みの幸せが、羨ましくないと言えば嘘になる。
だがそれは最早叶わないものだろうし、たとえ手にすることが出来たところで、その幸せが長続きするとも思えない。
自分の体は、戦いに慣れすぎている。
何の刺激もないありふれた日常に、果たしてどれだけ喜びを感じ続けていられるか――

「……やめだ」
キョウスケは自分に言い聞かせるように、口に出してそう呟いた。
深く息を吸い込み、大きく吐き出す。軽く握っていた手は、暑さのせいもあって汗で湿っていた。
真っ赤だった夕焼け空は、もう墨を流したように暗く染まっている。気付かない間に、随分長い時間が経っていたらしい。
じっとしていて色々考えを巡らせてしまうことは珍しくなかったが、時が過ぎるのも忘れるほど深く考え込んだのは初めてのことだった。
何もする事がなくなり、精神的に余裕ができたために、内側に溜まっていたものが表に出て来てしまったのだろう。
もう一度深呼吸をして、掌を開いてじっと見つめる。
よくよく考えてみれば、随分と濃い人生を送ってきている。
普通の人間が一生かかっても体験できないような出来事を、このたった数年で、怒涛のように味わってきた。
生き延びるために我武者羅に戦い続け、そして、誰よりも強くなった。
だが、急激な進歩や成長は、必ず何処かに歪みをもたらす。それはキョウスケとて例外ではない。
キョウスケの場合は、今までそれがはっきり自覚できる形で現れてこなかっただけなのだ。
鋼の心の持ち主と自惚れていたわけではないが、自分にもこういう弱さがあるとは想像だにしなかった。
思わず自嘲の笑みが漏れる。
『ほらほら、そんな落ち込んだ顔してても、いい事なんて何もないわよん?もっと気楽にいきましょ♪』
ふと脳裏に、エクセレンの声が聞こえたような気がした。
もし横にエクセレンがいたとしたら、きっとそんな言葉で自分を慰めようとしただろう。そんな気がする。
――ああ、そうか。
自分が今までこんな風になることがなかったのは、いつも傍にエクセレンがいたからだ。
いつでも隣にいて、くだらないことで自分を楽しませてくれていた。だから、余計なことを考えずに済んでいたのだ。
時には、あの明るさを鬱陶しく感じることもあった。
しかしこうして離れてみて初めて、それが自分にとって本当に必要なものであったことに、痛いほど気付かされた。
(帰り際に、ちゃんとした土産を買って行くか……)

エクセレンの顔を思い浮かべながらそんな事を考えたその時、ふと背後に気配を感じた。
ゆっくり振り向くと、小声で呼びかけても十分に聞こえるほどの距離に、クスハが立っていた。
手には土産の入った袋を提げていたが、たった今帰って来たという感じではなかった。
どうやら考えに集中していたために、さっきからそこにいたことに気付かなかったらしい。
「あ……」
クスハは戸惑ったように小さく声をあげた。
何か様子がおかしい。まるで何かをこらえているかのような切ない表情で、じっとこちらを見つめている。
お帰り、とキョウスケが声を掛けようとしたその瞬間、
「……先に、帰ってますね」
そう言って顔を逸らし、そそくさとその場を走り去っていった。
一人取り残されたキョウスケは、ただぼんやりと、その後ろ姿を見送っていた。