大正時代についてまとめるwiki

建築家意匠家?教育者
明治5年小田県深津郡福山町(現・広島県福山市)生まれ、昭和13年没。
20世紀初頭に欧州留学、アール・ヌーヴォーやウィーン分離派などの当時の潮流を日本に紹介。主に関西地方で建築教育や公共事業、都市計画に関わり、「関西建築界の父」ともされる。

大正4年、工学博士学位授与さる。43才。沖縄旅行す。
大正5年、法隆寺壁画保存方法調査委員嘱託。44才
大正6年、片岡安らと関西建築協会(現・日本建築協会)設立。以後、同会の理事・副会長などを務めた。45才
大正7年、名古屋高等工業学校長に転任。46才
大正8年、京都帝国大学工学部建築学科創設委員。47才。この年より昭和11年まで、建築材料・模型・図面・教材等2600点超の収集の多くを主導す(京都帝国大学工学部建築学教室旧蔵建築教育資料)。
大正9年、京都帝国大学工学部建築学科教授に転任。48才
大正14年、京都帝国大学時計台設計。51才
大正末期に米のスパニッシュリバイバルを日本の住宅に馴染む建築様式としていち早く紹介した*1

どなたでも編集できます