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広島監獄三次分監

広島県にあった監獄。中国5県を収容対象とし、100〜160人の女子受刑者が収容されていた。

沿革

明治12年、三次警察署に監倉を併置して監獄第三支所としたのが始まり。
明治22年、三次町に移設して名を広島監獄三次分監に改めた。敷地面積は1万平方メートル
大正5年、女子収容監獄に指定された。

その後

昭和19年4月1日に女子受刑者の収容が廃止され、受刑者は和歌山刑務所へ移送された。
昭和20年5月30日、和歌山刑務所の過剰拘禁と鉄道輸送の困難に因り、女子受刑者収容が復活。
終戦後の混乱期には、過剰拘禁が行われていた。
昭和27年6月2日、女子受刑者収容廃止。未決収容施設に。不必要な建物は閉鎖解体された。
昭和38年8月30日、新庁舎へ移転。
昭和42年4月1日、広島刑務所三次拘置支所に改称。
昭和48年4月、跡地に三次市文化会館が建設された。
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