最終更新:ID:2Y/WIN+B3A 2024年11月15日(金) 22:38:56履歴
(てんきゅう ちまた/Tenkyu Chimata)
備考
- 天弓千亦
- 天弓
- 虹は天に弓なりにかかり、虹は異界との境界とされる。
- 中世史学者の勝俣鎮夫は、「虹は神の世界と俗界、あの世とこの世、など異世界とのかけ橋とされた。市場は、神の世界と人間の世界、聖なる世界と俗界の境に設定されるもので、天の橋である虹を渡り神が天から降臨し、その神を迎え喜ばせる行事が、市を立て交易を行うことだった。」とする。*2
- 東方虹龍洞の「虹」。
- 千亦(ちまた)
- 巷(ちまた)、八衢(やちまた)
- 道が多く分岐し、交差している場所。交通の要衝。
往来が多い場所であることから、「賑やかな通り」「多くの人が集まる場所」「世間」等を意味する言葉としても使われる。
多くの方向から人や物資が集まるため、古来からこのような場所に市場がよく開かれた。
例として、現在にも地名として残っている四日市(三重県)や八日市(滋賀県)、廿日市(広島県)などは街道が交差していたり海運や水運と街道が重なっていた場所で、これら当時の交通の要衝に市場が開かれた。 - 用例:「巷(ちまた)で人気の〜」「巷で噂の〜」
- 語源
巷(ちまた)=道(ち)+股(また) 道が分かれている場所
八衢(やちまた)=八は「多くの〜」を意味し、衢は「巷」とほぼ同じ意味で「岐」という字も使われる。 多くの道が分かれている場所。
- 道が多く分岐し、交差している場所。交通の要衝。
- 千亦は「千の道の亦(股)」という意味で、八衢のさらに上位を意味しているか。
- 道俣神(ちまたのかみ)
- 道俣神は『古事記』における表記で、『日本書紀』では開囓神(あきぐいのかみ)と表記されている。
また、記紀には登場しない神だが八衢比売神(やちまたひめのかみ)と八衢比古神(やちまたひこのかみ)が道俣神のことだとする伝承・説(『古事記伝』(著:本居宣長)など)がある。 - 『古事記』ではイザナキが黄泉から帰ってきたとき、投げ捨てた褌(はかま)から成った神とする。
『日本書紀』ではイザナキが黄泉から逃げる途中に、投げ捨てた褌(はかま)から成った神とする。
ちなみに、褌は現在では「ふんどし」と読み下着のふんどしを意味するが、古語では「はかま」(袴と同じ)と読む。
ここにおける褌は袴(はかま)と同義で、ズボン型の「男性の着る下半身衣」を意味する。
「はかま」は二股に分かれる形状をしていることから、形状からの連想で褌から道俣神が生まれたと考えられる。 - 『日本書紀』においては、前述の猿田彦(サルタヒコ)と同一の神とされている。
猿田彦は国津神の一柱。天狗の原形ともされる神で鼻が長いとされる。
天孫降臨においてニニギノミコトを地上に導いた後、アメノウズメ(アマテラスがこもった天岩戸の前で踊った神)と結婚した。
猿田彦が道祖神として祀られる場合、妻のアメノウズメと一緒に祀られるケースが多い。 - 岐の神(くなどのかみ)、道祖神、塞の神(さいのかみ)とも呼ばれる。(関連:摩多羅隠岐奈)
具体的には、「道案内の神」「交通安全の神」「旅人の安全を守る神」「(様々な人生の選択で)迷う人を導く神」「異界との境界を守る神」として祀られる。
- 道俣神は『古事記』における表記で、『日本書紀』では開囓神(あきぐいのかみ)と表記されている。
- 巷(ちまた)、八衢(やちまた)
備考
- 虹の解体
- リチャード・ドーキンスの著書。非科学的な自然現象に対する解釈や、論拠のない幻想主義によってないがしろにされる事を糾弾し、科学の持つ奥深さや美しさを紐解く書籍。
- 詩人であるジョン・キーツの主張がタイトルの由来であり、彼いわく、「ニュートンによって虹の原理が科学によって解明され、スペクトルに解体されることによって、元来より虹が持していた神秘性や詩情といったものが破壊されてしまったとする。
- 万葉集に収載されている和歌
紫(むらさき)は 灰指すものそ 海石榴市の 八十の衢に 逢へる児や誰- 海石榴市(つばいち)は現在の奈良県桜井市にあった日本最古とされる古代の市場の名称。
- 歌の中で「八十の衢(やそのちまた)」とあるように、海石榴市は多くの道が交差する場所に立った市場。
- 海石榴市(つばいち)は現在の奈良県桜井市にあった日本最古とされる古代の市場の名称。
- 無主物の神
- 無主物(むしゅぶつ)
- 誰のものでもない、所有権が存在しない物。
- 無主物(むしゅぶつ)
天弓千亦
「未開人め……いつまで暴力で物を支配できると思い込んでいるのだ?
物の所有権は市場の神にしか操作出来ない
物を所有する限り何人たりとも神の手から逃れられないのよ」
「買う、売る、貰う、手放す
いつから人間は所有権を自由に扱えると勘違いしたのか」
東方虹龍洞パッケージの一文
- もしかして仲間外れされてない?(バレットフィリア達の闇市場)
- 所有権を失わせる程度の能力
- 日本中世史学者の網野善彦氏によると
「人々が市を立てた場所はみな、人間の力を超えた聖なる世界と世俗の人間の世界との境であり、世俗との縁の切れる場所(無縁の場)として、そこではあらゆるものが誰のものでもなくなってしまう」
「ここ(市場)では、「無縁」の状態となったモノを、まさにモノそのものとして交換することが、可能になる。いいかえれば、市の場では、モノにせよ人にせよ、いったん神のものとし、誰のものでもない状態にしたうえで、モノとモノの交換が行われる。」。
(参考:書籍「日本の歴史をよみなおす」(著:網野善彦) 一部引用)
- 日本中世史学者の網野善彦氏によると
物を貰ったとしてもその人からの頂き物、捨てたとしてもその人の捨てた物、という情報が残る。
しかし市場で物を売買すると完全に所有権を失わせることができ、それを司るのが天弓千亦であるという。
(東方虹龍洞 omakeテキストより)
神様
備考
市場の神です。虹というのは異界と交錯する場所です。
異なる物が交わる場所こそ、彼女のテリトリーなのです。
あの賑やかな市場は今どこに 〜 Immemorial Marketeers ZUNコメントより
- 市場の神
- 市神(いちがみ)
- 市場を司る神で、多くが市場と外との境界に祀られている。
- ご神体は石であることが多く、またそのほとんどが自然石。球形や卵型など丸みを帯びた形状をしていることが多い。
- 祀られている形態は、神社、小さな祠、ご神体だけが道端にそのまま祀られている、近くの神社お寺の敷地内に祀られ市場が開かれる時のみ境界に移動させる、などがある。
- 祭神はある程度の傾向はあるものの、各々で多様な神が祀られており特定の神がいるわけではない。
主な祭神としては、神道系では恵比寿(参照:戎瓔花)、大国主神(大黒様)、神大市比売(かむおおいちひめ)、稲荷など。
仏教系では地蔵菩薩(参照:矢田寺成美)、牛頭天王、弁財天など。これら以外の祭神を祀っているケースも多い。
また、神社を持たない形態で祀られている場合に多いが、特定の祭神がいない(単に「市神様」等と呼ばれて祀られている)ケースも多々ある。 - あくまで推察の域を出ないが、祭神が指定されて祀られているケースについても、ニワタリ神(参考:庭渡久侘歌)の例と同じく、初期は単に「市神」として祀られていたものが後世に後付けで祭神が設定された可能性も考えられる。
- かつて定期的に市場が開かれていた場所でも、時代とともに市場自体がなくなることがある。
この場合は市神を信仰し管理する人がいなくなり、近くの他の神社と合祀したり、地域の神社として存続したり、地元の商工会などの組織が商売の神様として存続させている場合などがある。
中には祀られること自体が無くなり忘れ去られてしまったケースもあると推測される。
- 神大市比売(かむおおいちひめ)
- 記紀神話に登場する神で「市場の神」とされるのは主に神大市比売なのだが、市神として祀られているケースは一定数存在するがさほど多くはない。
- 神大市比売は祀られている神社の数自体がかなり少なく、それも他の主祭神が祀られている神社の末社(主祭神とは別の神が境内外で小さな社で祀られている形態)が多い。
主祭神として祀られている数少ない神社としては湯田神社(三重県伊勢市)、静岡浅間神社(静岡市葵区)、市比売神社(京都市下京区)、市姫神社(石川県金沢市)などがある。
- 市神(いちがみ)
備考
- 名前の項であげた「道俣神」(関連する「八衢比売神」「八衢比古神」「猿田彦」も含む)が市神として祀られているケースはほとんど見られない。
- これらの神は基本的に岐の神、道祖神として祀られており、「市場の神」(市神)という要素はない。
- 七色の派手な服装
- ラストステージは月に虹がかかった空を舞台としている
- ジッパー
- ブローノ・ブチャラティ
ジョジョの奇妙な冒険 第5部「黄金の風」の登場人物。彼のスタンド「スティッキィ・フィンガーズ」は殴った物にジッパーを取り付ける能力を持つ。
「東方ステーション第27回 1:52:20 から」 でZUN氏が自ら言及。 - 細かく区画化された土地を英語で「patch of ground」といいう。ジッパー(ツギハギ)は所有者、用途によって区分けされた土地を意味する?
- なお、天弓千亦のモデルとなったと推察される岐の神(辻の神)とは、里や市、あるいは神域と外界とをへだてる境となる場所に外敵や疫病からその区画を守るために設けられた神である。
- ブローノ・ブチャラティ
- 右手を上に、左手を下にして人差し指を刺したポーズ
- 天と地の境界(天と地を結ぶ)を意味するか。(名前の項を参照)
天の八衢に居て 上は高天原を光し 下は葦原中国を光す神 是に有り
(『古事記』より 天孫降臨の場面から引用)
- 上記は、天孫降臨の際にニニギノミコトが高天原(天)から葦原中国(地上)へ下ろうとすると、「天の八衢」で猿田彦が待ち構えていた という場面描写。
この「上は高天原を光し 下は葦原中国を光す」からか。 - インフレーション、デフレーションの暗喩?
- 釈迦の「天上天下唯我独尊」?
- 前述した海石榴市は、欽明天皇の代に百済の節の到来によって日本ではじめて仏教が伝えられた土地とされる。
- 東方虹龍洞 (6面ボス) STAGE6 月虹市場 Lunar Rainbow Market
- バレットフィリア達の闇市場 (End of Market 月虹市場)
天弓千亦
「すべて無(かみ)に返そう!神の見えざる手で!」
- 神の見えざる手
- 18世紀の経済学者アダム・スミスが論じた概念。「各個人が自分の利益だけを追求して経済行動をすれば、『神の見えざる手』により全体の経済は発展する」とする。
これは「政府(など)が介入して管理経済を行うより、自由経済で市場原理に任せたほうが結果的に全体の経済は発展する」との主張で、これを比喩的に『神の見えざる手』と表現している。- 実際には、バブル(投機マネーが過熱することでバブルが生じ、その後暴落して恐慌に陥る)、インフレ、デフレ、為替の急激な変化など、放置しておくと経済に極めて悪影響を及ぼす経済事象も多い。
現在の主要な資本主義国家では、中央銀行制度などで政治の介入をある程度制限したうえで、限定的に市場介入する制度を採用している。
- 実際には、バブル(投機マネーが過熱することでバブルが生じ、その後暴落して恐慌に陥る)、インフレ、デフレ、為替の急激な変化など、放置しておくと経済に極めて悪影響を及ぼす経済事象も多い。
- 原義としての「神の見えざる手」はキリスト教用語。
終末論において「世界最終戦争(ハルマゲドン)時、キリスト教の信者は神の見えざる手により救済され、天国に導かれる」とする。
- 18世紀の経済学者アダム・スミスが論じた概念。「各個人が自分の利益だけを追求して経済行動をすれば、『神の見えざる手』により全体の経済は発展する」とする。
- 落ちぶれた商売の神
- 新型コロナウイルス感染症による現実の市場の衰退・壊滅を暗喩したもの?彼女のテーマであるあの賑やかな市場は今どこに 〜 Immemorial Marketeersの曲名や虹色の世界のZUNのコメントにもそれが示唆されている。
- 市場
- 網野氏は「市場」という場について、「河原や川の中州、海辺の浜、坂の途中などに市が立った(中略)これらの場所は川と陸の境、海と陸の境、そして山と平地の境であり」というように、市場はなんらかの境界上に設けられたとしている。
- 同じく中世史学者の勝俣鎮夫氏によると、古来では虹が出た場所には必ず市を立てるという慣習があり、虹はあの世とこの世の架け橋(境)として、その下で交易を行い神を喜ばせなくてはならなかった、虹を渡ってきた神を迎える行事が市を立て売買を行うことだったと推測している。
- 市
- 蜃気楼のことを「海市」と呼ぶ。蜃楼海市の語源。用例は「三斉略記」、蘇軾「登州海市」など。
- 祟符「ミシャグジさま」 土着の石神。神道的整理・変遷をとげる以前の塞の神。
- 摩多羅隠岐奈 辻の小神と習合した「宿神」。
- 八雲紫 境界の神。
- 矢田寺成美 本地垂迹説による習合。
- 飯綱丸龍 飯綱権現と三狐神信仰の同一視
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全てを神(無)に還そう≒紙に還そう
アビリティカードは、虹龍洞発売当時のころ売買が活発で高騰していたトレカそのもの。「その価値を元の紙同然の無価値にしよう」っていう言葉遊び。または市場取引が無ければ無価値同然の紙幣の比喩とも言える。
2016年に発売された東の麓酒造の「天弓」という日本酒の虹色のラベルデザインは、偶然の一致だろうけどキャラクター商品と言われても信じられるレベル。てんきゅー。
ミシガンロール
一番上と一番下だけ本物(高額)の紙幣、中は偽札(少額な紙幣)で構成された札束のことらしい。
wiktionaryのMichigan_bankrollより出典
ネーミングに石榑千亦は関係あるんかなぁ…。
この人は市や山というより寧ろ海に関する和歌を書いてる人の印象
原曲動画でどなたかがホモデウスに対する虹の解体ってコメントしていたのが印象深い