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藤原妹紅のスペルカード。

権力者は祟りを畏れていた。寺を建て善行を重ねたのに、祟りは
雨の様に降りしきる。それも仕様が無い、ウィルスだったのだ。
 ―スペルカードプラクティスのコメント
  • 権力者は祟りを畏れていた
    • 藤原氏は権勢を誇った一方、政敵を陥れることも多かったことから、常に祟りを畏れていた。
      • 藤原不比等の息子4兄弟は、729年に政敵の長屋王を冤罪で自害に追い込んだ。
        735年、天然痘が流行。737年に4人とも死亡した。長屋王の祟りと畏れられた。
        長屋王の罪は撤回はされなかったが、朝廷はのちに長屋王の息子たちに位階を授けており、長屋王の祟りを畏れて鎮めようとしたものと推測されている。
  • ウィルス
    • 天然痘は「天然痘ウイルス」による感染症。
  • 藤原氏
    • 聖武天皇と光明皇后は両者とも藤原不比等に連なる。
      聖武天皇は不比等の孫(母親が不比等の娘)、光明皇后は不比等の娘(聖武天皇の母とは異母姉妹)。
    • 藤原氏の詳細は藤原妹紅の備考を参照。
  • 滅罪寺(めつざいじ、めつざいのてら)
    • 奈良県奈良市にある寺院「法華寺(ほっけじ)」(宗派:光明宗)のこと。
      尼寺で、かつては総国分尼寺(国分尼寺の総本山)であった。
      • この寺院の詳しい名称は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」という。
        現在は正式名称が「法華寺」、別称が「法華滅罪之寺」とされる。
      • 藤原不比等の娘で聖武天皇に嫁いだ光明皇后が、745年に旧皇后宮(元々は藤原不比等の邸宅)を寄進して開かれた。
        宗派名の光明宗(こうみょうしゅう)はこの光明皇后に由来する。
  • 傷(しょう)
    • 心を痛めること。
    • キズ。ケガ。傷付けること。傷付くこと。

備考
  • 藤原氏に関連する祟り
    • 長屋王の件以降、藤原氏を中心に政敵を死亡させる→関係者の死亡や天変地異が多発→祟りを鎮めようと逆に祀り上げる、という流れがたびたび発生している。
      • 8世紀後半には、皇太子であった早良親王(さわらしんのう)が藤原種継暗殺事件に関わったとされて罪を問われて廃嫡、本人は無実を訴え絶食し四国で憤死する。
        その後、皇族を中心に死者が相次ぎ、天変地異も発生したことから、祟りを畏れた朝廷は亡くなった早良親王へのご機嫌取りを乱発した。
        鎮魂の儀式を執り行う→天皇に即位していないにも関わらず「崇道天皇(すどうてんのう)」の称号を贈る→四国にある早良親王の陵(墓)に都から僧や陰陽師を派遣し陳謝する→奈良に遺骸を移し新たに陵を造営→崇道天皇を神として祀る神社を建立。
      • 9世紀には、右大臣であった菅原道真を陥れて大宰府に左遷したところ、道真の死後に政敵達が相次いで死亡、さらには天皇までが死亡するに至り、朝廷はここでも過剰なまでに亡くなった道真へのご機嫌取りを乱発した。
        道真の罪の赦免と一族の復位→道真を右大臣(失脚前の官位)に復位→北野天満宮を建立させ「北野天満宮天神」の勅号を贈り道真を神として祀る→生前の官位より上位の左大臣に昇格、正一位の位階も贈る→朝廷最高職である太政大臣に昇格。
      • 12世紀には保元の乱の敗者である上皇であった崇徳院(すとくいん)と首謀者の藤原頼長は死後しばらくしてから、怨霊として畏れられた。
        上記の例と同じく、まず両者とも罪が取り消され、それまで「讃岐廃帝」などと侮蔑的な名で呼ばれていた崇徳院に現在の呼び名である「崇徳院」の称号を贈り新たに廟を建立、藤原頼長に対しては正一位・太政大臣の位を贈った。

弾幕

  • V字になった青札弾と画面端で反射して遅くなった紫札弾を放つ技。

登場

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