東方元ネタwiki 2nd - 境符「色と空の境界」
八雲紫
のスペルカード。
色(しき)
仏教用語。
以下の二つの異なる意味の用例があり、経典でも場面により使い分けがなされている。
意味の混同には注意が必要。
「五境(ごきょう)」の1つとしての色(しき)。
仏教では、感覚器官である「眼、耳、鼻、舌、身」を五根(ごこん)といい、
それぞれの器官で感覚される要素である「色、声、香、味、触」を五境という。
ここでの「色(しき)」は、眼で見られる「色彩(いろ)」と「形象(かたち)」を指す。
「五蘊(ごうん)」の1つとしての色(しき)。
仏教において、世界の構成要素とされる「色、受、相、行、識」を五蘊と呼ぶ。
このうち「色」は世界を構成する物理的存在(物質)全般を指す。
一方、残りの「受、相、行、識」は心の世界の話で、五根で感じた五境を心の中で処理して認識する過程を細分化したもの。
ここでの「色(しき)」は、「この世界の全ての物質的存在」を指す。
これには前述の五根及び五境の全ても含まれる。
下記の「色即是空」「空即是色」の「色」はこちらの「五蘊の色」の意味となる。
空(くう)
仏教用語。
原始仏教(及び上座部仏教)と大乗仏教では意味が異なる。
原始仏教における「空(くう)」。
「諸行無常」のこと。(参考:
琴符「諸行無常の琴の音」
)
世界を構成する全ての物は、常に生滅し変化し続け、同じ状態に留まることはない。
つまり、この世にあるのは「世界の基本的な構成要素」(五蘊や五根、五境など)のみであり、
「固定的で変化しない絶対的な実体」などというものは存在しないとし、これを「空(くう)」とする。
大乗仏教(主に『般若心経』)における「空(くう)」。
世界を構成する全ての物には、実体がない(存在しない)とする。
つまり、原始仏教では存在を認めていた「世界の基本的な構成要素」(五蘊や五根、五境など)すらも存在しないとし、これを「空(くう)」とする。
無。
色即是空(しきそくぜくう)
仏教経典『般若心経』に登場する言葉。
書き下し文「色即(すなわ)チ是(こ)レ空ナリ」
意味:「物質的存在」(色)とは「実体がない状態」(空)である。
空即是色(くうそくぜしき)
仏教経典『般若心経』に登場する言葉。
書き下し文「空即(すなわ)チ是(こ)レ色ナリ」
意味:「実体がない状態」が「物質的存在」である。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
(しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき)
『般若心経』の一節。
意味:「色」と「空」は別ものではなく同じものである。
「物質的存在」(色)と「実体がない状態」(空)はイコール(=)の関係にある。
備考
般若心経
大乗仏教の経典の一つ。
般若心経は、原始仏教が定義した「世界の構成要素」を徹底的に否定し、すべてが実体のない「錯覚」だとする。以下はその主な例。
「照見五蘊皆空(しょうけんごおんかいくう)」
【意味】(観自在菩薩は)五蘊は全て「空(くう)」であるとあきらかにした→「五蘊」の存在の否定。
「色即是空 空即是色」の直後の「受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)」
【意味】五蘊の残りの要素である「受、想、行、識」も色(しき)と同じく「空(くう)」である→「五蘊」の存在の否定。
「無眼耳鼻舌身意(むげにびぜつしんい)」→「五根」に知覚器官である「意(い)」(何かを思い浮かべる「こころ(心)」のこと)を追加した「六根(ろっこん)」の存在の否定。
「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう」→「五境」に「意」で思い浮かべたもの「法(ほう)」を追加した「六境(ろっきょう)」の存在の否定。
「無苦集滅道(むくしゅうめつどう)」→四法印の一つである「一切皆苦(いっさいかいく)」の否定。
上記の否定により、三法印の一つである「諸行無常」、「業(ごう)」と「因果」、なども否定される。
弾幕
逃げ場のないレーザー
あらゆる全ての物質的存在を意味する「色」の表現?
当たり判定のない予告線状態のレーザーが「空」の表現?
目の錯覚?
レーザーが終わってからの渦弾幕で被写体が見えるくらいのところで、スナップ写真を撮り、中心を見ながら顔を前後させると、弾幕が回転して見える。
静止画が動いて見える→静と動の境界?
コメント
射命丸文
ファインダーを覗いていたら逃げ場のない
攻撃を仕掛けられました。
まぁこのカメラの前では全てが無力ですけど。
登場
東方文花帖
(EX-3)
参考
wikipedia:色 (仏教)
wikipedia:空 (仏教)
wikipedia:般若心経