創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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地球中心説(Geocentrism)


以下はRational WikiのGeocentrism(地球中心説)の訳:


地球中心説(Geocentrism)


For most of our history we had grave misconceptions about exactly where Earth stood within the cosmos. Due to scientific limitations and more than a touch of narcissism, we believed everything in the universe literally revolved around us. It was a theory called geocentrism, which was originally egocentrism, but they spelled it wrong.

The Daily Show with Jon Stewart


地球中心説は、太陽や惑星やすべての恒星が地球の周りを周回しているという信念である。この説は、古代から、(特に望遠鏡発明後に得られた)地球が太陽の周りを周回している新たな証拠が、多くの「自然哲学者」(初期の科学者たち)を確信させた17〜18世紀までは宇宙の標準モデルだった。

宗教組織は納得するまでに、より長い時間を要し、笑って本当だと思われなくなっても、一部の宗教は地球中心説を推し続けた。そして、信じられないかもしれないが、今でも、少数の変人たちは信じ続けている。この信念が続いているのは、旧約聖書のせいでもある。少なくとも4節「地球は動かない」と主張できる節があり、太陽が地球の周りを巡ると書いている節が1つある。これと、太陽や恒星やその他の惑星や地球が(もちろん形而上学的に)自分自身のまわりを周回しているという、自己中心説と混同しないこと。

歴史


地球中心説は、古代・中世・ルネサンスと西洋の歴史を通じて、標準モデルだった。知られている最初期の数理モデルはクニドスのエウドクソスによるものだった。(彼の著作は失われたが、彼の太陽系モデルはアリストテレスによって記述された。)[1]


サモスのアリスタルコスは、紀元前3世紀に太陽中心説を示唆して、地球中心説に最初に疑問を投げかけた人物だったが、後継者はほとんどおらず、エウドクソスのラインの数学モデルあるいは哲学モデルを提唱したのか、宇宙の中心に「中心火」を置くピタゴラスのモデルのラインに沿ったものだったのかは定かではない。アリスタルコスの現著作は失われており[2]、アルキメデスがまったく目立たない参照をしていたことによって存在が知られているだけである(サモスのアリスタルコスは幾つかの仮説を記述した本を書いており、その中で、前提から結果が導かれている。[3])。プトレマイオスの太陽系の数学理論は、すべての天体が、エカントと呼ばれる何もない点と地球の中点を中心とする円である、従円と呼ばれる円を巡るものだった。この体系は厳密には地球中心とは言えないかもしれないが、この奇妙の位置取りは、実際には真円ではない軌道によっておきる天空上の動きに違いを説明するために使われた。さらに、いくつかの惑星は、軌道上の特定ポイントで逆行しているように見えた。プトレマイオスは、周転円と呼ばれる、従円に沿って移動する副次的な円によって、この逆行を説明した。プトレマイオスは、円内の数多くの円を置くことで、任意の形状を作り出すという、それとは知らずに、現代の技術であるフーリエ解析の初歩レベルを行っていた。[4][5]

プトレマイオスとコペルニクスの間に、紀元4世紀にマルティアヌス・カペッラが、水星と金星は太陽からあまり遠くを動いていないと書き、地球太陽中心説(Geoheliocentrism)と呼ばれる第3のモデルを示唆したが、悪名を得ることはなかった(中世から近代初期の天文学者に走られており、コペルニクスとケプラーはカペッラに言及している。この体系は、誤まって、エウドクソスと同時代のポントスのヘラクレイデスによるものとされることがある。)。

古代ギリシア人たちは、もし地球が太陽の周りを周回するなら、恒星は季節により位置を変えて見える(視差)はずだと考えたが、彼らはその現象を観測できなかった。そうでないなら、恒星は、肉眼で視差が観測できないくらいに不合理に遠くにあることになり、既知の最遠の惑星である土星と「恒星」の間に、ばかげた何もない空間があることになる。肉眼という観測手段では角度1分程度の視差しか観測できず、それは「恒星」が土星との距離の700倍以上は離れていることを意味した。[7:201] 古代ギリシア人たちはその可能性を愚かなものとして否定したが、今日の我々は、恒星がそれよりもはるかに遠いことを知っている。近代初期の天文学者ティコ・ブラーエは、この可能性を否定した。太陽中心説では、恒星の「円盤」と明るさ(特にプロキオンを例にとって)は、視差が観測可能なほど近い(当時はまだ見つかっていなかったが、たとえばプロキオンの視差は角度0.286秒であり、ギリシア人が観測可能な視差の0.5%である。より良い観測手段のあったティコにとっても、その精度には及んでいなかった)か、太陽よりかなり大きくなければならず、大半あるいは全ての恒星が太陽よりも巨大であるというのは馬鹿げているとして否定した[8]。このティコの反論は、恒星間の距離が巨大であることとともに、恒星の「円盤」がエアリーディスクと呼ばれる光の回折によって生じる光学的イリュージョンであることによって解決される。このエアリーディスクはガリレオ・ガリレイによって示唆されていたが、その仮説の証拠と物理メカニズムは、ティコとガリレオの200年後のエアリーが見出すまで、存在しなかった。

中世後期の学者、特にニコラウス・クザーヌスニコル・オレーム[9]は、地球が動く可能性を指摘したが、本当に太陽中心説を蘇らせたのは、1514年の「コメンタリオルス」でアリスタルクスについて記述したコペルニクスだった。コペルニクスの太陽中心説はプトレマイオスの体系からエカントを除去したが、周転円(月の例では、周転円に周転円を追加した[11])には頼っていた。次の世紀にガリレオがコペルニクス理論の物理的解釈を推進し、これを異端とする教会の敵意を買った。この論争により、コペルニクスの本は1616〜1758年の間は、インデックス(カトリック教会から禁書とされた本のリストで、この当時はローマ教皇庁教理省に従って「修正」すれば、読むことができた[12]。)に載っていた。
太陽中心説の勝利

最終的に太陽中心説が勝利に至った理由は、複雑な混合物だった(1758年のカトリック教会の降伏に象徴されるが、実働の天文学者たちは一世紀以上早く、乗り換えていた)。1551年に天文学者エラスムス・ラインホルトは、コペルニクスモデルで計算されたプロイセン表を出版したが、プトレマイオス天文学に基づくアルフォンソ天文表の改善には至らなかった(プロイセン表は、アルフォンソ天文表と同じデータに基づいており、そのデータは何世紀にもわたる印刷前のコピーエラーの蓄積によって破損していた)[13][14]。1588年に、ティコ・ブラーエとニコラウス・ライマース・ウルシスはともに、カペッラの地球太陽中心説のアイデアを復活させ、月と太陽と構成以外の天体にまで拡張した新モデルを出版した(ウルシスとティコのモデルの本当の違いは、ウルシスが地球が自転しているとしたが、ティコは地球は動かないとした。ティコは剽窃でウルサスを訴えた)。1595年、ヨハネス・ケプラーは「宇宙の神秘」を出版し、コペルニクスモデルを擁護し、宇宙の幾何学的基盤として、惑星軌道が6つのプラトニックソリッド内に制限される太陽中心の宇宙を仮定した。5年後の1600年に、ウィリアム・ギルバートは自著De Mageneteで、プトレマイオス宇宙だが地球が自転している、新しい地球中心説を提唱した[15]。これも他の学者たちに検討され否定された。もし地球が自転していれば、高いところから物体を落とせば、コリオリ偏差が生じるからである(これも実際には起きるが、18世紀末まで、これを直接観測できなかった)。太陽を宇宙の運動力の主たる源泉[16]であるという、神秘的信念を持っていたケプラーは、「地球の磁場(ギルバートが"magnetic virtue"と呼ぶ)が天体の回転を誘導することを仮説する[15]」De Magneteに依拠した。この過程で、ケプラーは最終的に、太陽中心説を究極的に証明する必要なステップをとった。ケプラーは周転円と円軌道を排し、惑星軌道として楕円を提唱した。自著Astronomia nova(惑星運動の第1法則と第2法則を収録した)を1606年に完成させ、1609年に出版し、中途半端に受け入れられた。その延長上で、ケプラーは「Ad vitellionem paralipomena quibus astronomiae pars optica traditur」を出版し、光の伝播の逆二乗則を初めて提唱した[17]。これは後に、Ismaël Bullialdus[18]とアイザック・ニュートンは重力に転用した(前者は熟慮して否定した。後者は大きな物理体系に組み入れた)。

ガリレオの望遠鏡観測(1610年の星界の報告で、報告が始まった)は、金星の満ち欠け、月の山、木星の衛星、太陽黒点など天空が伝統的概念とは異なっていることを報告した。もはや天空は地球とは全く異なる世界とは見なせなくなった。特に金星の満ち欠けは、古代プトレマイオス体系と直近のギルバートの体系を決定的にノックアウトした。それらでは、観測された金星の満ち欠けを太陽に近いという位置に基づいて説明する方法がなかった。これを太陽中心説の証拠と解釈する者もいたが、カペッラやティコやウルシスの地球太陽中心説でも満ち欠けの説明はついた。視差と見かけの大きさの問題に解決策がなく、多くの天文学者たちは地球太陽中心説(主としてティコの体系)に移行した。大半の天文学者にとって、ティコの体系は標準モデルになったが、ウラニボリ天文台でのティコの観測データに基づいて計算された、1627年のケプラーのルドルフ表の出版により、情勢は変化していった。

アルフォンソ天文表やプロイセン表で使われた損傷したデータを使用していないので、ルドルフ表とケプラーの太陽中心説はより精度が高く(数学的にはるかに単純になったおかげで)、相当簡単に使えるようになった。1616年にカトリック諸国では、天文学者が太陽中心説が物理的現実だと主張することを禁じられたが、手段としてケプラーの体系を用いることは妨げられず、1660年ころまでにはケプラーの体系は、地球太陽中心説を圧倒していた。ニュートンの1687年のプリンキピアは太陽系の力学にしっかりした数学的及び物理的基礎を与えた。ニュートンが基礎を置いたケプラーの惑星運動の法則は、ニュートンの万有引力から導出できた(未解決だった面積速度が一定であるというケプラーの第2法則を含む)。これにより、月下と月上の球面を区別するアリストテレスの主張は最終的に打倒された。物理は宇宙のどこでも同じになった。

この時点で、太陽中心説は、容易に使えて単純だったことで最初は手段として、そしてプリンキピア後は、太陽中心説は手段として有効なだけでなく、太陽系の正しい物理的描像として受けいれられた。足りないものは、地球が移動していることを直接示す証拠たる視差だった。視差が観測されていあいことは、太陽中心説に対する最も古く、最も実質的な異論であった。1729年、経験的証拠の欠落はまったく予期しない方法で解決された。ジェームズ・ブラッドリーは、りゅう座ガンマ星に光行差を発見し、知空の運動の物理的証拠を提示し、軌道速度を計測した[19][7]。ブラッドリーの論文は数年後にイタリア語に翻訳されたが、直接的証拠にもかかわらず、カトリックの天文学者たちは、1616年のコペルニクスモデルを物理的に正しいとすることを禁止令に制約されていた。ブラッドリーの出版の30年後の1758年に、協会は降伏し、コペルニクスモデルをインデックスから削除した(この削除でガリレオへの謝罪はなく、謝罪は234年後の1992年までなされなかった)。長く待望されていた視差は1838年にフリードリッヒ・ベッセルにより発見され、白鳥座61番星の視差は角度0.3136±0.0136秒と報告された。太陽中心説を事実として正当化する物理的証拠の発見前は、地球中心天文学は疑似科学というより未科学だったことは銘記すべきである。しかし、光行差とコリオリ偏差と視差の発見で、地球中心説(と自転しない地球)は、物理学変人と擬似天文学の淀みにあり、現在もその状態が続いている。

聖書が我々に告げること

聖書の仮定

聖書のいくつかの節は、解釈の仕方によっては、地球中心説を暗示している。従来の標準的な出現順だと以下のようになる。
  • ヨシュア記10章 12-13節: 主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアはイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。「日よとどまれギブオンの上に/月よとどまれアヤロンの谷に。」 日はとどまり/月は動きをやめた/民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。
  • 歴代誌上16章30節: 全地よ、御前におののけ。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。
  • 詩編19編6節: 太陽は、花婿が天蓋から出るように/勇士が喜び勇んで道を走るように
  • 詩編93編1節: 主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
  • 詩編96編10節: 国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。
  • 詩編104編5節: 主は地をその基の上に据えられた。地は、世々限りなく、揺らぐことがない。
  • コヘレトの言葉1章5節: 日は昇り、日は沈み/あえぎ戻り、また昇る。

数千年間、近代科学の始まりまでは、誰もこれらをメタファーだとは言っていないので、これらが明らかにメタファーだったという説明は困難である。誰もが静止した地球のまわりを太陽が動くと信じ、それが聖書が言っていることだと考えていた。
聖書が言っていないこと

聖書は惑星にほとんど関心を持っていない(厄介なもの、占いや、同様に眉をひそめた占星術の追求と非常に密接に関連している)。 聖書がティコの太陽系モデルを支持しているとは誰も示唆していない。しかし、聖書が惑星の運動について何らかのモデルを支持しているというのも正しくない。特に、プトレマイオスのモデルを支持しているわけではない。実際、ガリレオが指摘したように、ヨシュア記を精査すれば、太陽の動きがプトレマイオスのモデルとは合っていないことがわかる[20]。天空の動きについてのいかなるモデルも聖書の枠外になる。

現代の地球中心説


減でいでも、字義通りの聖書解釈者の一部や、科学的無知な変人たちが、地球中心の世界観を宣伝しているが、その詳細説明は人により違ている。

地球中心モデルは地球が全く動いていないと主張する。それは、宇宙全体が毎日、地球の周りを周回してることを意味する。(これは恒星や銀河が地球の周りを24時間で周回することうぃ意味するが、現代天文学はそれらが何光年も彼方にあることを示しており、したがって、光速以上で周回することになる。)「すべての運動は相対的だ」という相対論的見方をとれば、「地球が動いているのか、止まっているのか、だれも区別できない」と主張できる。これは聖書の記述に意味がないということで、聖書が間違っているという主張から聖書を守れる。しかし、それでは何も状況を改善していない。

前段落は地球中心モデルの宇宙が、太陽中心モデルと同じ大きさだと仮定している。

21世紀の地球中心説信者は、プトレマイオスの体系から距離をとっている。「地球中心性(geocentricity)」と呼んで、違いを明確にしようとしている者もいる。彼らの多くはティコの体系を採用している。太陽は地球を周回するが、惑星は太陽を周回する。聖書は惑星の動き(と恒星の動き)について何も言っていないので、地球が止まっていて、太陽が地球の周りを周回していれば、他のいかなる天体の動きについての描写も聖書と合致する。Catholic Apologetics Internationalの設立者であるRobert Sungenisは、現代の影響力ある地球中心論者の例である。

教義を理由として地球中心モデルを主張する頑固な原理主義者の少数の他に、無知で受動的に地球中心説を保持する、教育を受けていない人々もかなりいる。彼らは、見た目がそうだからという理由で(あるいは何も考えずに)、太陽は毎日、地球を周回しているはずだと信じている者もいる(1999年の時点でアメリカ人の18%)。(恒星が何をしているかについて言えば、恒星が何をして言えるか誰が気づいて関心を持つだろうか? 光で汚染された都市の夜に、星を最後に見たのはいつか?) 16〜19%の人々が実際に太陽が地球を周回していると信じている。[22]

地球中心説をデバンクする


現代の地球中心論者は、(光が伝播する仮想媒体である)エーテルの力学特性を測定しようとした19世紀の実験の結果を引用し、そのヌル結果(これおを地球の運動がヌルだと誤解する)を得ている。それらの実験に亜hマイケルソン・モーレーの実験や、水を満たした望遠鏡を使ったジョージ・エアリーの実験がある。彼らが測定しようとした媒体は存在しなかったので、結果は失敗だった。希望を持って、特殊相対性理論がこれらの結果を太陽中心モデルで完全に説明できる。現代の太陽中心説否定論者は(ドブジャンスキーの言葉を借りれば)「太陽中心説のもと以外では天文学は意味をなさない」と描写できる。地球中心論者は孤立した特定の伝だけに疑問を投げかける。

しかし、もし地球中心論者の望むゲームに参加しようというのであれば、地球中心説に反する論の多くに対する答えを彼らが持っていることを知っておく必要がある。その答えが十分であろうがなかろうが、これらの方針を追求する際に、地球中心説のホームフィールドで勝負していることに注意する悲痛用がある。(もし、それらになれているなら、RationalWikiのガイダンスは不要だろう。)
地球中心説に反する論に対する彼らの回答

地球中心論者たちは、彼らの耐場に反するよくある論について、よくある回答を用意している:
  • 彼らは正しく、宇宙空間から撮影した映像の地球の動きは、地球の絶対的運動ではなく、カメラの相対的運動で説明がつく。//They will argue that phenomena that reveal the motion of the Earth, such as the Foucault pendulumWikipedia's W.svg and the Coriolis effect,Wikipedia's W.svg are accounted for by appealing to something like Mach's principle,Wikipedia's W.svg by which any consequence of rotation of the Earth is the same as would occur with the movement of the "fixed stars" around a fixed Earth.
  • 彼らは地球の運動を明らかにしている、フーコーの振り子や[コリオリ効果>https://en.wikipedia.org/wiki/Coriolis_effect]]は、「地球の回転によってもたらされる帰結は、恒星が静止した地球の周りの運動して同様に生じる」とするマッハ原理みたいなもののせいにすれば説明がつくと論じる。
  • 金星や水星の満ち欠けや火星(や遠くの惑星)の見かけの逆行は、典型的には(惑星が太陽の周りを周回する)ティコのモデルを採用することで、現代の地球中心説では問題とならない。
  • 太陽系のどんな幾何学形状も、したがってその運動の運動論的記述も、太陽を中心とする運動方程式も、(簡単ではないが)同様に地球を原点とする座標系、たとえば適合するラグランジュ座標系を選択することで、で記述できる。(これはニュートン古典力学の範囲内でできる。)これにはまったく証拠の知られていない、批判者がアドホックだと呼ぶ、途方もない力を想定する必要がある。地球中心論者にとっては、想定するだけの価値がある。(それは地球中心論者にとっては、この時点で数学についていける者はほとんどおらず、ついていける人々も地球中心説を真剣に考える気がなくなるという長所がある。)
  • (軌道半径が4光時である)海王星あたりの遠い物体は、地球を24時間で周回するには光速を超えて動く必要がある。これに対して、地球中心論者は特別な条件では物体はどんな速度でも動ける、一般相対論を頼る。
  • 我々は巨大地震が地球の自転に与える影響を読み解いてきた。これは地球が実際に自転していることを証明している。地球中心論者は、しかし、それは計算された推定にすぎず、それに関する小さな変化を測定する技術はないと指摘する。地震との相関が計測できても、地震を予測するほどには地震の原因は十分には解明されておらず、天体の周回の変化が地震の原因あるいは、両方の共通原因の存在を除外できない。
毎日の地球の自転

地球中心主義に対する重要な反論の1つは、地球の自転が完全には滑らかではないことである。わずかな偏差がある(チャンドラー・ウォブルがある)。地球の自転はわずかならが加速及び減速し、自転軸は少し変化する。[24]

太陽中心説なら容易に説明できる。地球は動き、物理条件が変われば、地球の動きも変化する。

地球中心論者は、「地球は静止していて、すべての恒星と銀河が同期してウォブルする(ように我々には見える)ことを考えなければならない。これらの恒星や銀河は数百万光年離れているが、ウォブルはすべて同じパターンで起きなければならない。しかし、地球からの距離に従って、異なる時間に起きて、異なる物体からのこれらの光が同時刻に地球に到達して同期しているように見える必要がある(たとえば、10光年かなたの恒星は実際には10年前にウォブルが起きていて、それが5光年かなたの5年まで起きたウォブルと同期している)。

そのよう宇宙モデルは信頼性が限られる。
地球の自転と関係のない望遠鏡

宇宙探査機ケプラーとガイアは太陽を周回する軌道にあり、なので地球の自転とは関係がないが、地球と同じ太陽周回軌道上にいる。それらは恒星を観測し、太陽系外惑星の存在や視差についての情報を得られるように作られている。それらは地球の自転に依存しない情報源であり、したがって、それらが太陽中心モデルの結果と一致すれば、太陽中心モデルの確認になる。
宇宙の中心にある地球の位置

ジャン・ビュリダンは地球の動きを検討したが、これを否定する判断をした。しかし、彼は地球の中心が宇宙の中心である(字義通りの地球中心説)ことに反する論を提唱した。彼は地球が対称ではなく、陸地が(自分のいる)片側の半球に偏り、もう一方に海が偏っていることに着目した。そして、陸地が海へと浸蝕されると、地球の重力の中心が移動することになる。地球の重力の中心が宇宙の中心であるなら、地球の移動によって、その変化を補償しなければならない。[19:165][25]
コペルニクス原理の否定

地球中心説ドキュメンタリー"The Principle"は、太陽中心説からの後の発展結果を取り上げる。それはいかなる形でも地球は宇宙のその他の場所と違わないといことである。これは証拠となるものというより、指針である。その例は以下の通り:
  • 月下の世界の普通の物質である土と水と空気と火、月より上の世界の天のエーテルという、アリストテレス的区別は否定された。これは最終的には、たとえニュートンから疑いがあったとしても、疑いようもなく、惑星間探査機によって確立された。宇宙飛行士が月面を歩いたことを否定したい人は、火星や太陽系探査のすべてを否定するだろうか?地球の物質で作られた惑星間探査機は、天界に入ると、天界の物質のように振る舞うのだろうか?隕石(や光子や宇宙線)は地球に落ちると、地上の物質のように振る舞うのだろうか?
  • 地球と火星を違えているものは何か?火星は動くのに、地球が動かないのはなぜか?

External links

Notes

  1. Actually, the problem of faster-than-light travel occurs at the position of the planet Neptune, which has a mean distance of about 4 light-hours, as can be measured by the radio delay of space probes, and thus a path length, circumference = 4×2π > 24 light-hours to traverse in a day.
  2. Well, of course, the geocentrists can claim, contrary to all the evidence, that stars are really only little mysterious points of light only a few light years away. (Remember, "nothing in astronomy makes sense except in the light of heliocentrism".) The argument still works, we're saying that stars are making this strangely coordinated dance, instantly changing so that their light will appear on Earth in synchrony. Even if the separation is a matter of as little as days, it is still demanding thousands of ad hoc changes which just happen to look like it is really the Earth which is changing its motions.
  3. Flat Earthery is a semi-related form of pseudoastronomy, but note that most people who call themselves geocentrists aren't flat earthers, since the Ptolemaic and Tychonic systems they tend to espouse are built on a round earth foundation. Flat earthers can be said to technically be geocentrists, but since they tend to believe Earth is a flat disk with a hemispherical glass dome (the "firmament"), that the planets are just "lights" in this firmament and not physical places, and that space doesn't exist at all, they're a different sort of geocentrist from the ones described here.

References

  1. C. M. Linton (2004). From Eudoxus to Einstein: A History of Mathematical Astronomy. Loughborough, UK: Cambridge University Press.
  2. Aristarchus of Samos by J. J. O'Connor & E. F. Robertson (1999) School of Mathematics and Statistics, University of St Andrews, Scotland.
  3. The Sand Reckoner by Bradley W. Carroll
  4. Fourier Series by Eric W. Weisstein. Wolfram MathWorld
  5. The Mathematical Power of Epicyclical Astronomy by Hanson, N. R. (1960) Isis, 51, 150.
  6. Eastwood, Bruce Stansfield. "Heraclides and heliocentrism: Texts, diagrams, and interpretations." Journal for the History of Astronomy 23.4 (1992): 233.
  7. Thomas S. Kuhn (1957). The Copernican Revolution: Planetary Astronomy in the Development of Western Thought. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  8. Blair, Ann, "Tycho Brahe's critique of Copernicus and the Copernican system", Journal of the History of Ideas, 51, 1990: 355-377, doi:10.2307/2709620, pages 361-362. Moesgaard, Kristian Peder, "Copernican Influence on Tycho Brahe", The Reception of Copernicus' Heliocentric Theory (Jerzy Dobrzycki, ed.) Dordrecht & Boston: D. Reidel Pub. Co. 1972. ISBN 90-277-0311-6, page 40. Gingerich, Owen, "Copernicus and Tycho", Scientific American 173, 1973: 86 – 101, page 87.
  9. Edward Grant, The Foundations of Modern Science in the Middle Ages, (Cambridge: Cambridge University Press, 1996), pp. 114–16.
  10. Aristarchus of Samos
  11. Giorgio de Santillana, 1955. The Crime of Galileo pp. 23. Chicago, IL: University of Chicago Press.
  12. "In 1616, the Inquisition placed De revolutionibus on its Index until corrected — Decree XIV. In 1620, in Decree XXI, the required corrections were officially announced. This is an extraordinary measure since for very few books did the Index specify the type of changes to be made. The ten emendations were designed to make Copernicus' book appear hypothetical and not the description of a real physical work."
  13. Gingerich, Owen. "The role of Erasmus Reinhold and the Prutenic Tables in the dissemination of Copernican theory." Studia Copernicana 6 (1973): 53-54
  14. Owen Gingerich & B. Welther, "The Accuracy of Ephemerides 1500-1800", Vistas in Astronomy, 28 (1985), 339-342
  15. On the magnet, magnetick bodies also, and on the great magnet the earth; a new Physiology, demonstrated by many arguments & experiments by William Gilbert of Colchester (1900).
  16. Westman, Robert S. "Kepler's early physical-astrological problematic." Journal for the History of Astronomy 32 (2001): 227-236.
  17. Optics: Paralipomena to Witelo & Optical Part of Astronomy. translated by William H. Donahue, Green Lion Press: Santa Fe, NM, 2000.
  18. Ismael Boulliau by O'Connor, John J. and Roberson, Edmund F. (2006). School of Mathematics and Statistics, University of St Andrews, Scotland
  19. John Freely (2012). Before Galileo: The Birth of Modern Science in Medieval Europe. New York: Overlook Duckworth. ISBN 9781590206072.
  20. Letter to Benedetto Castelli, 1613 December 21, in: Maurice A. Finocchiaro (1989). The Galileo Affair: A Documentary History. University of California Press. pp. 49-55. ISBN 978-0-520-066662-5.
  21. New Poll Gauges Americans' General Knowledge Levels: Four-fifths know earth revolves around sun by Steve Crabtree (July 6, 1999) Gallup.
  22. New Poll Gauges Americans' General Knowledge Levelsmodern medievalism: Geocentrism
  23. An Introduction to the Theory of Relativity, W. G. V. Rosser, London, Butterworths, 1964, p. 460
  24. What is the Chandler wobble?
  25. Jean Buridan (1964). "Jean Buridan on the Diurnal Rotation of the Earth". Medieval Philosophy: Selected readings from Augustine to Buridan. New York: Modern Library. pp. 542-547. [ 1 ]





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