創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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和田幹男主任司祭の「聖書の天地創造と現代の自然科学」


教皇庁立ウルバノ大学神学博士学位を持つ英知大学元教授でカトリック箕面教会主任司祭である和田幹男氏によれば、「自然科学書として聖書を扱うな」という意見は最近のものではなく、既に1931年に浦川和三郎氏によってなされている。

そもそもその誤りの根源は、聖書を自然科学の書と同じように見るということにあった[浦川和三郎「聖書は人に科学を教える目的で書かれたものではない。科学の証明を聖書に求めるのは、それこそ求める方が野暮である」(1931)]。

しかるに、聖書は自然科学の書でもなければ、聖書記者も自然科学者ではない。このことを知らぬまに忘れてしまった結果、このような誤りを犯すことになった。また、天地創造のことは、造り主である神が啓示された聖書に出ているはずだという単純な発想から様々な符号主義の聖書解釈が出されることもある。しかし、聖書の天地創造は、何憶年に及ぶ地球生成の過程を啓示しようとして神がお書きになったものかどうか、今一度その記述の仕方を見て再吟味する必要がある。

[ 和田幹男: "聖書の天地創造と現代の自然科学" ]

特に若い地球の創造論に対して和田幹男氏は、「大人として聖書を読めるように教育されることはなかったのではないか。」とまで評している:
聖書の記述を文字通り受けとめ、24時間を1日とする日を6日で、神がこの世界をお造りになったと、そのまま信じるキリスト教徒のことである。進化論など自然科学が明かにすることなど頭から拒否し、これを反信仰的と敵視さえする。このようなキリスト教徒は米国をはじめキリスト教国にかなりいる。最近も進化論と同様に聖書の天地創造も公立学校で教えることを立法化しようと要求した人々が、米ルイジアナ州などにいて、米連邦最高裁によって拒否されたとの報道があった。この人々はそのカテゴリーに入る。このようなキリスト教徒は信仰を持っていても、大人として聖書を読めるように教育されることはなかったのではないか。

[ 和田幹男: "聖書の天地創造と現代の自然科学" ]






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