創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

創造論ネタ

しゃべるロバ


聖書で、人間の言葉をしゃべった動物は、エデンの園のヘビ(創世記)とバラムのロバ(民数記22章)の2匹だけである。

ロバのしゃべるシーンは...
民数記 / 22章 23-31節

主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たろばは、道をそれて畑に踏み込んだ。バラムはろばを打って、道に戻そうとした。主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。道の両側には石垣があった。ろばは主の御使いを見て、石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたので、バラムはまた、ろばを打った。主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。

主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」

バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」

ろばはバラムに言った。「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日までずっとわたしに乗って来られたではありませんか。今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」彼は言った。「いや、なかった。」

主はこのとき、バラムの目を開かれた。彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。彼は身をかがめてひれ伏した。
絵画を見ると、ロバは普通にロバっぽく描かれている。人間のように、しゃべれそうには見えない。

Gustave Jaeger(1808-1871): Bileam und der Engel(1836)


Pieter Pietersz. Lastman (1583-1633): "Balaam and the Ass"


Rembrandt Harmenszoon van Rijn (1606-1669): "The Ass of Balaam Talking before the Angel" by Rembrandt, 1626 (Musee Cognacq-Jay, Paris, France)

しかし、創造論者たちは、当然のことながら史実と位置づけ、ロバがしゃべったのは神による自然界への介入であるとしている。
Balaam’s donkey, as the only other example given of animals speaking in Scripture, was specially enabled by the power of God to speak intelligently to Balaam.

バラムのロバは聖書で唯一しゃべる動物であり、神の力で、バラムにインテリジェントにしゃべれるようにしてもらったものだ。

[ Bodie Hodge:"Satan, the Fall, and a Look at Good and Evil" (2010/02/02) on AnswersInGenesis ]

Whenever it will serve God’s perfect plan, He can use anything to convey His message, even a donkey

神の完全なる計画のためには、神は神のメッセージをロバを使ってでも伝達できる。

[ Ken Ham: "Why Can’t Snakes Talk Today?" (2010/07/15) on AnswersInGenesis ]

This tale of a donkey talking has been the object of great ridicule by skeptics. That it is not an allegory or fable, however, but a real historical event, was confirmed in the New Testament by the apostle Peter (2 Peter 2:15-16).

There is no naturalistic explanation for it, of course, but to insist that the event was impossible is simply to deny the power of God. Such miracles of creation are very rare, however, and there must always be a good reason when God intervenes in the laws which normally govern His creation.

しゃべるロバの話は、懐疑論者の嘲笑の的となってきた。しかし、これは寓話ではなく、真に歴史的事件であり、新約聖書のペテロ(ペトロの手紙二 2章15-16節)によって確認されている。

これについてもちろん、自然主義的説明は存在しない。しかし不可能であることは神の力を否定するものではない。創造の軌跡のようなことは極めてまれなことであるが、神の被造物を支配している法則に神が介入する良き理由が存在するはずである。

[ Henry M. Morris:"An Unlikely Testimony" on ICR ]

しゃべるロバが寓話であれば、聖書には寓話が、寓話だと言う断りなく入っていることになり、福音書の記述が史実である保証はなくなる。保証するには、論理的には"あり"な「超越的神による自然界への介入=奇跡」を主張する他ない....というところか。





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