創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

インテリジェントデザイン概説>インテリジェントデザインの神学

顔の見えるインテリジェントデザインの神


インテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonは言う。「隠し立てすることなく行動し、すべての証拠の上に、指紋を残す神について話をしている」と:
I therefore put the following simple proposition on the table for discussion: God is our true Creator. I am not speaking of a God who is known only to faith and is invisible to reason, or who acted undetectably behind some naturalistic evolutionary process that was to all appearances mindless and purposeless. That kind of talk is about the human imagination, not the reality of God. I speak of a God who acted openly and left his fingerprints all over the evidence.

したがって、私は次の単純な命題を議論のために提示する。「神は我々の真の創造主である。」私は「信仰によってのみ知られる神」や「理性に見えない神」や「心も目的もないように見える自然主義的進化過程の背後に検出不可能に行動する神」について話しているのではない。そのような話は、人間の想像であって、神のリアリティの話ではない。私は、「隠し立てすることなく行動し、すべての証拠の上に、指紋を残す神」について話をしている。

[ Phillip E. Johnson: "Defeating Darwinism by Opening Minds", 1997, p.23 ]

Phillip Johnsonの言う「心も目的もないように見える自然主義的進化過程の背後に検出不可能に行動する神」とは、「科学的に検出できない有神論的進化論の神」を指す。

聖書によれば、神は隠れており...
まことにあなたは御自分を隠される神/イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」と。 (イザヤ書/ 45章 15節)

その隠れた神に近づくには...
羊飼いや占星術の学者のように、ベツレヘムの飼い葉桶の前にひざまずき、か弱い幼子の姿に隠れた神を拝むことによって、わたしたちはこの世で神に近づくことができます。(カテキズム 563)


そして、「隠れている」ことに意義を見出す人々も...
クザーヌス[Nicolalus Cusanu, 1400c~1406]にとって、神とはいわば人間の手をすり抜け、あらゆる名辞のかなたに存在するものである。したがって「隠れた神(Deus absconditus)」は神の存在に関する不可知論的表現であるか、もしくは「神の実在に関する形而上学的無知」を示す表現となる。
...
十字架のヨハネ[Joannes a Cruce, 1542~1591]にとっては、神はいわば「その本質に由来する欲求によって隠れている」のである。しかも俗的なものやおのれ自身からも離れてしまった「魂」に対してさえも「隠れている」のである。いわば「神を隠している」のは「神の超越性」である。
...
パスカル[Blaise Pascal, 1623~62]によれば、「神が隠れている」理由は以下のようになる。第一に、人間の「本性」は背信により、腐敗し、神に相応しくない者になっているが、イエス・キリストによって救済されることを教えるためである。... 第二に、信仰において人間の「自由意志」を尊重するためである。... 第三に、「神が隠れる」のはキリスト教だけが「真の宗教」であることを教唆し、人間が「自由意志」によって「キリスト教」を選ぶためである。

[ 道躰滋穂子:"「隠れた神」と人間の認識" ]

Phillip Johnsonの「指紋を残す神」は、この「隠れた神」とは同じものなのか、それとも別物か。




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