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同じ重さの物体でも、大きさによって重さが違うと認識する理由


我々は世界をあるがままに観察し、意識的に判断した思っているが、実際には、我々の脳と感覚システムには、我々の認識と決断の両方に少し影響するバイアスが組み込まれている。その一例として、「同じ重さの物体でも、大きさによって重さが違うと認識する」ことについての研究をUCBの進化論ページが紹介している。
[ Bad at estimating? Blame evolution (2011/02) on Evolution/Berkeley ]

重さを間違えること -- それは進化のせい

次にキッチンに入ったときに、こんな実験をしてみよう。バターを一箱(4スティック入)を片手に、クラッカーを一箱(4袋入り)を片手に持つ。どっちが重いだろうか? バターと答えたとしたら、キミはひとりではない。大半の人々は一箱のバターの方が重いと答える。たとえ、どちらも1ポンド(0.45kg)と書いてあるラベルを見ていても。これは大きさと重さのイリュージョンであり、信じられないくらいに広く見られる。とても小さな子供や、異なる文化の人々が、予め重量が両方とも1ポンドだと知っていても、等しい質量の2つの物体のうち、小さい方を重い感じたと答える。これは何故だろうか? 最近の研究で、現代のパーティトリック(野球やフットボールなどのスポーツの傾向なども同様)が、ホモサピエンスの進化的起源および、投げやすい石やヤリを選ぶ機会にまで遡れることがわかった。

進化はどこに?

我々人間が判断する時、自分自身の思考100%で判断したように感じることが多い。すなわち、世界をあるがままに観察し、意識的に判断したと。しかし、実際には、我々の脳と感覚システムには、我々の認識と決断の両方に少し影響するバイアスが組み込まれている。多くの例を心理学者たちは示してきた。我々は自分の現時点の考えを支持しない観察結果よりも、支持する観察結果に関心を持つ。ある物体が右方向に動いていたら、実際より右にあると認識する。我々は音が小さくなっていくときより、大きくなっていくときの方が、変化が大きいと考える。我々は、たとえ同じ距離であっても、方向転換の多い移動経路の方が、直線経路よりも長いと感じる。これらは、我々が世界を見る方法を形作るバイアスのほんの数例にすぎない。

経験によって修得したのではなく、ハードワイヤード(もともと持っている)バイアスには進化論的説明がある。他の特性の進化の副産物だったりすることもある。たとえば、移動経路の認識のバイアスは、脳が効率的に時間経過を推定するよう進化したことの副産物である。また、そのバイアスそのものが適応だったりすこともある。たとえば、音が大きくなってくる音源は、自分に近づいてくるものだと感じる。おそらく、大きくなる音の変化を過大評価する我々のバイアスは、潜在的な危険を感じるための早期警戒システムのような機能を果たしていて、自然選択されたものである。このような認識バイアスを持つ者たちは、そうでない者たちよりも、敵の攻撃から逃れて、生き延びて、子孫を残す可能性が高い(ただし、このバイアスが実際に適応なのかどう判断するには、さらなる研究が必要である)。

科学者たちは大きさと重さのイリュージョンの普遍性を長きにわたって記録し、それを説明する仮説を構成してきた。たとえば、脳が質量を推定するときの重要でない副作用であるとか、大きな物体の重さを過小評価することに隠された価値があるとか。そして今、新たな研究により、この重さの推定を誤ることが、重要だが見過ごされてきた人間の進化の一面である、物を投げるスキルに根ざした適応である可能性が示された。ボールを拾って、投げるというのは子供の遊びである。しかし、実際には、他の霊長類が持っていない、筋肉と骨格構造や、複雑なスキルと知識を必要とする。たとえば、チンパンジーの腕は悪く、狙いは下手である。現代生活では投げるスキルはそれほど役に立つものではないが(メジャーリーグのピッチャーなどでない限り)、50万年前の人類の祖先にとっては計りしれないほど貴重なスキルだった。石やヤリを投げることで、古代の人類は獲物から離れた所から攻撃でき、奇襲効果を得られた。投げる能力が高いことは、それが低い者たちよりも、食糧を獲得する能力が高いという意味で、選択的に非常に有利になった。

では、大きさと重さのイリュージョンは投げるスキルにどう役立っているのだろうか? 遠くまで投げる物体を選ぶとき、大きさと重さがカギになる。大きくて軽いものを遠くに投げるのは、同じ質量で小さなものよりも、むつかしい。(同じ重さのビーチボールとボールベアリングを投げることを考えてみよう。ボールベアリングの方を、はるかに遠くまで投げることができる。)物体が大きいとき、遠くまで投げるには、それが重いほどいい。しかし、物体が重いほど、遠くまで投げるには力が必要だ。この2つの問題をバランスさせて、投げる物体を選択することは単純なことではない。

University of WyomingとIndiana Universityの科学者たちは、大きさと重さのイリュージョンが、投げる物体の選択に役立っているか調べることにした。彼らは、様々な大きさと重さの物体を用意して、被験者たちに投げやすさを判断してもらった。そして同時に、どの物体がどの物体と同じ重さか判断してもらった。先月(2011/01)、彼らは結果を報告した。被験者たちは同じくらい投げやすいと判断した物体は、同じくらいの重さだと判断していた。これは、我々の物体の質量の比較の認識が、投げやすさの代用になっていることを示している。言い換えるなら、この研究が正しければ、一箱のバターと一箱のクラッカーを手に持って、バターが重いと認識した時、実際には、一箱のバターの方が投げやすいと認識している。それらは同じ重さだが、脳が無意識にバターの方が投げやすい物体だという事実に変換している。

もちろん、我々は、目の前を通過する野生動物にスープ缶やバターの箱を投げつけることはないだろう。人間のライフスタイルは、我々の基本的な構造と生理が進化した時から、大きく違っている。しかし、我々の身体と脳は、我々の深い進化史を背負っている。なので、次に60ヤードのタッチダウンに感銘を受けたり、湖をスキップする石をつかんだりしたとき、振る舞い、感じ、考え、投げることの意味するものを形成した幾十万年の進化を思い起こそう。
意識の上では「重さ」だと思っているものが、実際には「投げやすさ」だった可能性が示唆されている。それは、我々は世界をあるがままに観察しているのではなく、生存に有利な判断をしやすいように加工された形で見ている一例である。





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