創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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2000年代のSTSの気候変動否定論 Steve Fuller


Sven Ove Hansson (2020) は、1990年代の社会学者たちによる気候変動否定論への関与を調べて:
  • 気候変動否定論に使えるロジックを提示した社会学者たちがいた。
  • 実際に気候変動否定論な論文を掲載した社会学者たちがいた。
  • 気候変動否定論の動きに影響を与えた事例もある。
  • しかし、気候変動否定論の動きにどれくらいの影響を与えたかは確定できなかった。
という結論に到達した。

この調査で、Hansson (2020) はひとつだけ21世紀の例を提示した。それは、STSの重鎮Steve Fullerの気候変動否定な論文や書籍である。
高い評価を受けているSTS学者であるSteve Fullerは、近年、認識論的相対主義を気候変動に適用した数少ない社会科学者の1人である。彼は「ユーザーが新しい証拠を導入することによって初期パラメーターを操作できるようにし、新しい現実世界を構成するさまざまな予想される結果をもたらす」モデルの「最も悪名高い現代のアイコン」と説明する全球気候モデルに特に批判的である (Fuller 2015a, pp.278–279)。彼は、いわゆるClimategateに繰り返し言及している。それは、彼の見解では「科学的コンセンサスが通常かつ文字通り『製造』されるマイクロプロセス」、つまり「世界中の科学者が効果的に共謀して、気候変動についてのデータを解釈の曖昧さを覆い隠し、それによっていわゆる『気候変動の懐疑論者』による可能な流用を先制して阻止する形で、提示するために共謀した」ことを明らかにしたものである (Fuller 2018, p.22. Cf. Fuller 2017b, pp.49–50)。彼にとって、「エピソード全体で、科学者が自分たちの発見について、利害関係のない解釈を提示すると信頼してよいか、疑問が残った」 (Fuller 2015b, p.54)。気候科学に関する彼の議論は、科学者が以前は間違っていたので、彼らは再び間違う可能性があるという単純なレトリックに帰着することがある。

In my lifetime, scientific predictions surrounding global climate change has [sic] veered from a freezing to a warming version of the apocalypse, based on a combination of improved data, models and, not least, a geopolitical paradigm shift that has come to downplay the likelihood of a total nuclear war. Why, then, should I not expect a significant, if not comparable, alteration of collective scientific judgement in the rest of my lifetime? (Fuller 2015b, pp.58-59)

私の生涯で、地球規模の気候変動を取り巻く科学的予測は、改善されたデータ、モデル、そして特に全面核戦争の可能性を過少評価するような地政学的パラダイムシフトの組み合わせに基づいて、寒冷化から黙示録的な温暖化へと変化した。それでは、比較できないとしても、私の残りの生涯ので、集団的科学的判断の重要な変化が起きても不思議ではないだろう。


対照的に、彼は気候科学の批判者たちを肯定的な言葉で説明し、「モデルに入力されたデータポイントのわずかなシフトが、前例のない資源再配分を正当化するように構築され、そのようなデータポイントのシフトは過去の新証拠に対応して行われ、特にその頻度を考えなら」として、彼は批判者たちの活動を、そのようなモデルに対する「懐疑的な反発」と呼んだ (Fuller 2010, pp.117–118)。彼は、批判者たちが気候科学の事実と実践に異議を唱えるのではなく、事実が「一緒に集められた知識のすべての分野に最良の説明を提供することを目的とした、より大きな世界観に統合される」方法についてのみ議論していると主張する (Fuller 2010, pp.105–106, cf. p.102)。Fullerの執筆物のひとつでは、気候科学の支持者は「断固として悲観的なトマス・マルサス」に比せられ、批判者たちは、最終的に人口増加の議論に勝利した「限りなく楽観的なコンドルセ侯爵」に比せられた。地球温暖化に関する現在の議論は、この議論の「第2ラウンド」として説明され、Fullerはコンドルセ(すなわち批判者たち)が、この「第2ラウンド」に勝利する事を「慎重に楽観視」している(Fuller 2009, p.144)。

Fuller, S. (2009). In search of sociological foundations for the project of humanity. History of the Human Sciences, 22(2), 138–145.
Fuller, S. (2010). Postmodernism’s epistemological legacies: Objects without purpose, movement without direction and freedom without necessity. Revue Internationale de Philosophie, 251, 101–120.
Fuller, S. (2013). Manufactured scientific consensus: A reply to Ceccarelli. Rhetoric & Public Affairs, 16(4), 753–760.
Fuller, S. (2015a). Knowledge: The philosophical quest in history. London: Routledge.
Fuller, S. (2015b). Customised science as a reflection of ‘protoscience’. Epistemology & Philosophy of Science, 46(4), 52–69.
Fuller, S. (2017b). Veritism as fake philosophy: Reply to Baker and Oreskes. Social Epistemology Review and Reply Collective, 6(10), 47–51.
Fuller, S. (2018). What can philosophy teach us about the post-truth condition. In M. A. Peters et al. (Eds.), Post-Truth, Fake News (pp. 13–26). Singapore: Springer.


[ Sven Ove Hansson: "Social constructionism and climate science denial", European Journal for Philosophy of Science volume 10, Article number: 37 (2020) ]

時期としては、インテリジェントデザイン運動がKitzmiller v. Dover裁判で敗北した2005年から4年後の2009年から、Steve Fullerの気候変動否定論文が登場している。


Steve Fullerの気候変動否定な言説の例

Hansson (2020) が例示した記述を少し長めに見てみる。

まずは数値シミュレーション研究を否定するような印象を与える記述から。
Leading the postmodern revival of counterfactual reasoning has been the proliferation of computer models in scientific research. Interestingly, journalists were among the first to herald the increasing use of such models as marking the end of the strict modernist divide between the scientific and artistic mindsets, as actual reality comes to be reabsorbed as just one of the many versions of virtual reality contained within a computer model, the programming of which requires considerable creative design (Horgan 1996). In terms of the theology of middle knowledge, such models might be construed as flawed factories for manufacturing the divine mind, as they enable the user to manipulate the initial parameters by introducing new evidence, resulting in different anticipated outcomes that constitute a new actual world. The simulation of global climate change over the centuries is the most notorious contemporary icon of this sensibility, as the degree of urgency with which we must act now to avert future catastrophe is dependent on a seemingly volatile database of past weather conditions.

ポストモダンの反事実的推論の復活をリードしているのは、科学研究におけるコンピューターモデルの急増である。興味深いことに、ジャーナリストは、科学と芸術の考え方の間の厳密なモダニスト的分離の終わりを示すなど、モデルの使用の増加を最初に告げた。そこでは、実際の現実は「相当の創造的デザインを必要とするプログラミングによるコンピュータモデル」に含まれる仮想現実の多くのバージョンの1つとして再吸収されるようになった。中間知識の神学の観点から、そのようなモデルは、ユーザが新証拠を導入することで、初期パラメーターを操作することを可能にし、新しい現実世界を構成する異なる予測結果をもたらすので、神の精神を模造するための欠陥のある工場として解釈できるだろう。将来の大惨事を回避するために今行動しなければならない緊急度は、過去の気象条件の一見不安定なデータベースに依存しているが故に、その影響を受けやすい、何世紀にもわたる地球規模の気候変動のシミュレーションは、最も悪名高い現代のアイコンである。

Much of the sceptical backlash to global warming can be explained as intuitive resistance to the idea that a slight shift in data points entered into a model could justify unprecedented resource reallocations, especially given the frequency with which such data points have shifted in response to new evidence in the past. To be sure, this complaint reveals a modernist sensibility that demands that tough decisions be made on hard facts because of the potentially irreversible outcomes. In contrast, postmodernism represents a shift in what Baudrillard (1981) called the "political economy of signs", whereby a new sort of progress may be measured by a new standard of efficiency, as represented by the "simulacrum" generated by a laboratory- or computer- or media-based simulation (Baudrillard 1994). After all, the shift from the laboratory to the computer as the site of scientific experimentation has been motivated at least as much by mundane considerations about the skyrocketing cost of scientific equipment as any methodologically driven arguments about improved powers of prediction and control (Horgan 1996).

地球温暖化に対する懐疑的な反発の多くは「モデルに入力されたデータポイントのわずかなシフトが、特に新しいデータポイントに応じてシフトした頻度を考えると、前例のない資源再配分を正当化できるという考え」に対する直感的な抵抗として説明できる。確かに、この批判は、潜在的に不可逆的な結果のために、難しい現実について厳しい決定を下すことを要求するモダニストの影響の受けやすさを明らかにしている。対照的に、ポストモダニズムは、Baudrillard (1981)が言うところの「兆候の政治経済学」の変化を表しており、その種の発展は、実験やコンピュータやメディアベースのシミュレーションによって生成された「シミュラクラ」によって提示される、新たな計測指標によって評価されるだろう (Baudrillard1994)。結局のところ、科学実験の場としての実験室からコンピューターへの移行は、少なくとも、予測と制御の能力の向上に関する方法論的に推進された議論と同じくらい、科学機器の高騰するコストについてのありふれた考察によって動機付けられてきた (Horgan 1996)。

[ Steve Fuller: "Knowledge: The Philosophical Quest in History", Routledge, May 8, 2015, pp.278-279 ]
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地球の気候がポジティブフィードバックな系であることは、関知していないようである。実際には、そのため、それをシミュレートすれば、数値シミュレーションであろうが、(現実的には不可能だが)物理実験であろうが、条件次第で大きく変動する。

そのあたりを考慮しないのは、科学の範疇でも、哲学レベルでもなく、社会学の範疇で、数値シミュレーションという手段を問うからだと思われれる。

したがって、科学の範疇で、気候変動否定論の基本的な考え方や批判を[[提示したDr. S Fred Singer (2000)>
Dr.S Fred Singer 温暖化否定論を語る(2000)]]とはニュアンスに違いがある。Dr. S Fred Singerは、その時点の数値モデルの不十分さ(精度・規模・組み入れられる効果)を問う形だが、数値モデルというアプローチを否定するものではない。

一方で、数値シミュレーションを手段として否定する例は哲学者にも見られるが、そこまで踏み込んでいるわけでもない。


科学は変わるだろう

「科学は変遷してきた(から、また変わるだろう」という論法(あるいは印象操作)を行っている例もある。これは、基本的にはガリレオ詭弁(Galileo Gambit)と同じ論法であるが、その派生として「相対主義者のKuhnのパラダイムシフト詭弁」とでも呼ぶべきものである。。

An adequate response to this history requires resisting a knee-jerk philosophical impulse to demonise such science customers as 'relativists' who merely appropriate science to bolster beliefs that they would already hold on other grounds. The likely source of this philosophical reflex is the prejudice that 'expert scientists' are concerned with a wider epistemic horizon than 'lay scientists'. In other words, the experts are concerned not merely (with what suits personal interests but some larger, disinterested conception of truth. Here we need to disaggregate space and time when we speak of 'wide'. Let us grant space to the experts. In other words, experts very likely ^ issue a measured judgement based on a snapshot of a broader range of perspectives than lay people. But this does not deny that the laity are quite practised in assessing their own long-term prospects, in terms of which scientific judgement can appear quite changeable. Consider someone like myself in his early 50s. In my lifetime, scientific predictions surrounding global climate change has veered from a freezing to a warming version of the apocalypse, based on a combination of improved data, models and, not least, a geopolitical paradigm shift that has come to downplay the likelihood of a total nuclear war. Why, then, should I not expect a significant, if not comparable, alteration of collective scientific judgement in the rest of my lifetime?

この歴史への適切な対応には、他の理由で既に保持している信念を強化するために、科学を利用しているだけの、科学の顧客を相対主義者として悪魔化するような反射的哲学的衝動を抑制する必要がある。この哲学的反射の原因として考えられるのは、「専門家の科学者」が「一般人の科学者」よりも広い認識論的地平線に関心を持っているという偏見である。言い換えれば、専門家は単に、個人的利害に合うものだけでなく、より大きく、利害関係のない真実の概念に関心を持っている。ここでは、「幅広い」について話すとき、空間と時間を分解する必要がある。専門家に空間を与えよ。言い換えれば、専門家は、一般人よりも幅広い視点のスナップショットに基づいて慎重に判断を下す可能性が非常に高い。しかし、これが、科学的判断が大きく変わりうるという意味で、素人が自分自身の長期的視点の評価を実践することを否定する者ではない。50代前半の私のような人を考えてみよう。私の生涯で、地球規模の気候変動を取り巻く科学的予測は、改善されたデータ、モデル、そして特に全面核戦争の可能性を過少評価するような地政学的パラダイムシフトの組み合わせに基づいて、寒冷化から黙示録的な温暖化へと変化した。それでは、比較できないとしても、私の残りの生涯ので、集団的科学的判断の重要な変化が起きても不思議ではないだろう。

[ Steve Fuller: "Customised science as a reflection of ‘protoscience’", Epistemology & Philosophy of Science, 46(4), 52–69. 2015 ]

科学は一時的真理だが、将来、いかなるデータ、いかなるモデルを以って、どう変わるかは、現時点ではわからない。自分の都合の良いように変わるだろうと思ってもかまわないが、それは妄想以上のものではない。





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