インテリジェントデザイン概説>方法論的自然主義をめぐって>
哲学者Soberの哲学の論文に、あわてて反論しようとするから、虚空を斬ってしまうDaveScotによる1本目。
2006年4月16日付けのエントリ「Deconstructing Sober」で、DaveScotは、Soberが提示した最小インテリジェントデザイン理論が超自然インテリジェントデザイナーの存在を結論する8ステップの論理パターンそのものに斬りこんでいる。斬りこむべき対象は、「E) 命題Pは、超自然的存在の存在について、今、含意を持つのは、以下の条件を満たす補助仮定Aが存在するときのみ」という規準(E)なのだが。
DaveScotは、それを横においていしまっている。で、1.は最小インテリジェントデザイン理論の主張で、2.と4.と6.と7.が追加仮定で、3.と5.と8.は論理的帰結。なので、2.と4.と6.と7.についてのDaveScotの反論を見てみよう。
よくわからない反論である。"Some of"つまりは1個でも還元不可能な心が存在すればいいというのがSober命題2なのだ。原因(Cause)を知っているかどうかは関係がない。というか、"還元不可能な複雑さ"が原因(Cause)に依存して判断されるべきものだという主張は、インテリジェントデザイン理論のなかには存在しない。反論あわてすぎなDaveScotである。
これもよくわからない反論だ。何が言いたいのかわからない。「還元不可能な複雑さを持つシステムを、還元不可能な複雑さを持たないものがデザインする」と、普通に「突然変異による自然淘汰」という"Unguided, Undirected, Blind"過程でも還元不可能な複雑さを創れることになりそうだが。
全命題粉砕とかしなくてもよいのに、自爆しそうなことをする、あわてすぎなDaveScotである。
これはこれでいんだが、あまり方法論的自然主義の及ぶ範囲を拡大してしまうと、宇宙バージョンであるファインチューニング論とバッティングしてしまうと思うが....。というか、Dr.Michael Beheがビッグバンも超自然ではないかと言って、インテリジェントデザイン理論が超自然に言及することが科学でないということにはならないと主張していたのだが[Behe 2006]。
これはこれでもいいのだが...
補助命題AとしてSoberが挙げたのは、インテリジェントデザイン理論家がいいたげなことなので、それをいちいち反論するのは、反論方法が間違っている。
そもそもが、1990年代前半のインテリジェントデザイン理論は、明確に方法論的自然主義を拒絶し、超自然へ言及していたのだ。いまさら、インテリジェントデザイン理論は神の議論だと言われて否定しても意味がない。
==>方法論的自然主義の拒絶に転換した?インテリジェントデザイン
2006年4月17日付けのDaveScotのエントリ「Sober and Irreducible Complexityでも、「心は還元不可能な複雑さを持つ」にこだわる。これをなんとか始末しようとして:
「心は還元不可能な複雑さを持つ」が証明不可能かつ反証不可能だから、科学ではないという反論を追加した。Plantinga先生が聞いたら怒り出しそうなことを言い出すDaveScotである。
2006年4月17日付けのDr. William Dembskiのエントリ「Sober's "Progenic Fallacy"で、同僚の言葉としてSoberの間違いとして4点を挙げる。
それに対して、Sober規準(E)が正しいなら、やっぱり超自然への言及になるというのがSober論文の主張。とはいえこれはどうでもいい点。
Soberの主張は「最小インテリジェントデザイン理論は宗教」だというもの。議論の正しさについては何も述べていない。述べていないところに反論している。
それ以上の説明がないので、これは保留。
方法論的自然主義すなわち機械論は、超自然を取り扱えない。従って、取り扱い対象外なものを扱うなら科学ではない。それを科学と呼ぶなら、科学の再定義が必要。だから、インテリジェントデザインは科学ではないのだが、これを完全に認める主張をしてしまっている。
「超自然を説明から排除していれば中立ではない」すなわち、方法論的自然主義を拒絶。
それはそれで主張したいところだろうし、Soberに対して攻撃したい点でもあるだろう。しかし、Sober論文の「最小インテリジェントデザイン理論は宗教である」という主張への反論ではない。というか同意してしまっているような....
反論の途中で、自分の言いたいことを言い出すので、変になってしまうのがDembskiの問題。というより、インテリジェントデザインの本音と建前の乖離の問題。
哲学者Soberの哲学の論文に、あわてて反論しようとするから、虚空を斬ってしまうDaveScotによる1本目。
2006年4月16日付けのエントリ「Deconstructing Sober」で、DaveScotは、Soberが提示した最小インテリジェントデザイン理論が超自然インテリジェントデザイナーの存在を結論する8ステップの論理パターンそのものに斬りこんでいる。斬りこむべき対象は、「E) 命題Pは、超自然的存在の存在について、今、含意を持つのは、以下の条件を満たす補助仮定Aが存在するときのみ」という規準(E)なのだが。
DaveScotは、それを横においていしまっている。で、1.は最小インテリジェントデザイン理論の主張で、2.と4.と6.と7.が追加仮定で、3.と5.と8.は論理的帰結。なので、2.と4.と6.と7.についてのDaveScotの反論を見てみよう。
2. Some of the minds found in nature are irreducibly complex. (自然界に見つかる心のうちいくつかは還元不可能な複雑さを持つ)
We only have one mind to examine in nature and we don't know what causes it to exist. Therefore we cannot say that it is irreducibly complex. Given 2 is a false premise and is Sober's first flaw.
我々は自然界に検証可能な心をひとつしか持っていないので、それが存在することの原因が何であるか知らない。従って、それが還元不可能な複雑さを持つとは言えない。命題2は誤りであり、これがSoberの第1の誤り。
よくわからない反論である。"Some of"つまりは1個でも還元不可能な心が存在すればいいというのがSober命題2なのだ。原因(Cause)を知っているかどうかは関係がない。というか、"還元不可能な複雑さ"が原因(Cause)に依存して判断されるべきものだという主張は、インテリジェントデザイン理論のなかには存在しない。反論あわてすぎなDaveScotである。
4. Any mind in nature that designs and builds an irreducibly complex system is itself irreducibly complex. (還元不可能な複雑さ持つシステムをデザインし構築する、自然界にある心は、それ自体が還元不可能な複雑さ持つ)
We have no idea how many minds exist in nature much less whether they are all necessarily irreducibly complex. Another false premise given by Sober and his third flaw.
自然界にいくつの心が存在しているかわからず、ましてや、それらすべてが還元不可能な複雑さを必ず持つかわからない。これがもうひとつの命題の誤りであり、Soberの第3の誤り。
これもよくわからない反論だ。何が言いたいのかわからない。「還元不可能な複雑さを持つシステムを、還元不可能な複雑さを持たないものがデザインする」と、普通に「突然変異による自然淘汰」という"Unguided, Undirected, Blind"過程でも還元不可能な複雑さを創れることになりそうだが。
全命題粉砕とかしなくてもよいのに、自爆しそうなことをする、あわてすぎなDaveScotである。
6. The universe is finitely old.(宇宙の年齢は有限である)
No one knows if the universe is finitely old as physics has no means of describing what came before a singularity known as the big bang nor does physics have a means of describing what if anything existed outside the singularity. This is why we speak of an “observable” universe. The observable universe appears to have a finite age but there is no way of knowing what, if anything, is beyond the bounds of the observable. Sober lacks a basic understanding of the limits of physics in describing the universe. This is flaw number five.
ビッグバンとして知られる特異性の前に何があったか物理学は記述する術がないので宇宙の年齢が有限かどうかわからない。また特異性の外側に何が存在するかを記述する術も持たない。従って、観測可能な宇宙についてのみ議論する。観測可能な宇宙は有限の年齢と見えるが、観測可能な範囲の外側がどうだかはわからない。 Soberは物理学による宇宙記述の限界について基礎がわかっていない。
これはこれでいんだが、あまり方法論的自然主義の及ぶ範囲を拡大してしまうと、宇宙バージョンであるファインチューニング論とバッティングしてしまうと思うが....。というか、Dr.Michael Beheがビッグバンも超自然ではないかと言って、インテリジェントデザイン理論が超自然に言及することが科学でないということにはならないと主張していたのだが[Behe 2006]。
7. Causes precede their effects.(原因は結果に先行する)
This is also something physics does not unambiguously demonstrate. It is not demonstrated by any means that the observable universe is deterministic. There is a wide belief among quantum physicists that quantum uncertainty is real and not just an artifact of incomplete knowledge. If quantum uncertainty is real and quantum events influence macroscopic events then effects can exist without cause. This is Sober’s sixth flaw.
これは物理学は明白に実証しない。観測可能な宇宙が決定論的であることはいかなる手段でも実証されない。知識の欠如ではなく、量子物理学者には定量的な不確定性が本当であるという広い確信がある。定量的不確定性が本当で、定量の出来事が巨視的な出来事に次に影響を及ぼす場合、結果は原因なしで存在することができる。これはSoberの誤り。
これはこれでもいいのだが...
補助命題AとしてSoberが挙げたのは、インテリジェントデザイン理論家がいいたげなことなので、それをいちいち反論するのは、反論方法が間違っている。
そもそもが、1990年代前半のインテリジェントデザイン理論は、明確に方法論的自然主義を拒絶し、超自然へ言及していたのだ。いまさら、インテリジェントデザイン理論は神の議論だと言われて否定しても意味がない。
==>方法論的自然主義の拒絶に転換した?インテリジェントデザイン
2006年4月17日付けのDaveScotのエントリ「Sober and Irreducible Complexityでも、「心は還元不可能な複雑さを持つ」にこだわる。これをなんとか始末しようとして:
Sober predicts an intelligent agency that created the irreducibly complex structures in nature must itself be irreducibly complex. Can someone tell me how to go about removing bits of the structure of this irreducibly complex intelligence to see if it is indeed irreducibly complex? If no one can then Sober’s hypothesis is untestable, unfalsifiable pseudo-science. It doesn’t pass muster even as philosophy as demonstrated by my previous analysis and it certainly doesn’t qualify as science when its hypothetical conclusion can’t be tested in any conceivable way.
「心は還元不可能な複雑さを持つ」が証明不可能かつ反証不可能だから、科学ではないという反論を追加した。Plantinga先生が聞いたら怒り出しそうなことを言い出すDaveScotである。
2006年4月17日付けのDr. William Dembskiのエントリ「Sober's "Progenic Fallacy"で、同僚の言葉としてSoberの間違いとして4点を挙げる。
First, ID’s denial of it being religious does not rest on the fact that it does not specify the identity of the designer, but rather, the identity of the designer is irrelevant to the detection of design.
インテリジェントデザインが宗教ではないのは、デザイナーの身元を特定しないからではなく、デザインの検出がデザイナーの身元と無関係であること。
それに対して、Sober規準(E)が正しいなら、やっぱり超自然への言及になるというのがSober論文の主張。とはいえこれはどうでもいい点。
Second, suppose someone in fact makes the argument that because nature cannot account for its own design, then only that which is outside of nature can do so. It seems to me that Sober’s rejection or acceptance of the argument should depend on its soundness or strength and not on its “religiosity.” Bringing in an argument’s religiosity as a reason to dismiss it seems to be a reversal of the genetic fallacy. We can call this fallacy, the progenic fallacy, the rejection of an argument because one finds its consequences undesireable (its “progeny,” so to speak), rather than based on its actual strength as an argument.
自然が自然界にあるデザインを説明できないから、自然界の外側にあるものが説明できると論じる。論のSoberによる拒絶もしくは受理は"宗教性"ではなく、その正しさもしくは強さに依存すべきだと思える。論の宗教性を議論を棄却する理由にするのは、起源的誤りのの逆であるようだ。この誤りは、結果論的誤りと呼ぶべきで、これは議論の実際の強さに基づくのではなく、望ましくない結論によって論を棄却するというものだ。
Soberの主張は「最小インテリジェントデザイン理論は宗教」だというもの。議論の正しさについては何も述べていない。述べていないところに反論している。
Third, unless ID necessarily entails God’s existence, the ID advocate can still pull a “Judge Jones” on Sober: ID is not necessarily inconsistent with God’s non-existence.
インテリジェントデザインが神の存在を必然的に要求しない限り、インテリジェントデザイン支持者はSoberに対して、ジョーンズ判決をひっぱれる。インテリジェントデザインは神が存在しないことと必ずしも矛盾するわけではない。
それ以上の説明がないので、これは保留。
Fourth, if the Darwinian theory of evolution is neutral on the question of whether supernatural designers exist, then supernatural designers have no explanatory in accounting for the evolution of life. But that’s NOT a neutral position: it is making the epistemological claim that supernatural designers can never be objects of knowledge that may count against the deliverances of “science.” On the other hand, if such beings could be the objects of knowledge, then Darwinian evolution is presently agnostic, not neutral, on the question. In other words, it is possible that some future account may rule in or rule out supernatural agency.
ダーウィン進化論が超自然的デザイナーの存否について中立なら、超自然的デザイナーは生命の進化の説明に必要ない。それは中立ではない。科学の解放にとて不利となる超自然的デザイナーが知識の対象ではないと、エペステメな主張をしている。一方、そのような存在が知識の対象でありうるなら、ダーウィン進化論はこの問いについて中立ではなく不可知論的である。言い換えるなら、将来的に超自然的エージェンシーを考慮するかも知れず、排除するかもい知れない。
方法論的自然主義すなわち機械論は、超自然を取り扱えない。従って、取り扱い対象外なものを扱うなら科学ではない。それを科学と呼ぶなら、科学の再定義が必要。だから、インテリジェントデザインは科学ではないのだが、これを完全に認める主張をしてしまっている。
「超自然を説明から排除していれば中立ではない」すなわち、方法論的自然主義を拒絶。
それはそれで主張したいところだろうし、Soberに対して攻撃したい点でもあるだろう。しかし、Sober論文の「最小インテリジェントデザイン理論は宗教である」という主張への反論ではない。というか同意してしまっているような....
反論の途中で、自分の言いたいことを言い出すので、変になってしまうのがDembskiの問題。というより、インテリジェントデザインの本音と建前の乖離の問題。
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