インテリジェントデザイン概説>方法論的自然主義をめぐって, STSとしてのインテリジェントデザイン
方法論的自然主義(Methodological Naturalism)とは「仮説の説明および検証は自然原因および自然現象によってのみ行われる」という「方法論」であり、科学の原則となっている。ここで「自然」とは「自然法則の逸脱たる超自然ではない」という意味である。
この方帆論的自然主義をめぐって、2005年の「インテリジェントデザインを公立学校の理科の授業で教えることは政教分離原則違反であると判決された」Kitzmiller v. Dover裁判で、STS学者Steve Fullerはインテリジェントデザイン側の専門家証言者として、「方法論的自然主義は科学の原則ではない」と発言した。
この「既知の物理法則の外側だが、自然法則によって記述可能」な「超自然」は当然のことながら、「科学の対象」になる。しかし、インテリジェントデザインは「超自然の存在による、自然法則への介入行為」であり、「自然法則によって記述可能」なものではない。その点について....
それは、つまりところ「自然法則でも偶然でも説明できないものはデザインである」という非常に明瞭な形の「God of the Gaps詭弁」であり、何も証明しない。Prof. Steve Fullerはそのような詭弁を許容する形に科学の概念を変えることを主張している。
しかし、これから少し後の証言で、"God of the Gaps詭弁"が何も検証したことにならないことを認めることになる。
それはさておき、今日「分解できない=進化で説明できない」ことが「明日も分解できない=明日も進化で節目できないことを意味しない」ことにProf. Steve Fullerは同意している。すなわち、今日「還元不可能」であることは、デザインの証明にはならないことに同意している。
すなわち、Prof. Steve Fullerは科学のグランドルールの変更として持ち込んだ「デザイン検出器」が何も証明しないことを認めている。
ただ、そのまま認めてしまうと話が終ってしまうので、Prof Steve Fullerは「進化論で説明できない」以外の論拠があるという方向に話を変える。
以上が「科学の原則たる方法論的自然主義」をめぐって、Dover裁判でインテリジェントデザイン側にたったSTS学者Steve Fullerの証言である。
方法論的自然主義(Methodological Naturalism)とは「仮説の説明および検証は自然原因および自然現象によってのみ行われる」という「方法論」であり、科学の原則となっている。ここで「自然」とは「自然法則の逸脱たる超自然ではない」という意味である。
この方帆論的自然主義をめぐって、2005年の「インテリジェントデザインを公立学校の理科の授業で教えることは政教分離原則違反であると判決された」Kitzmiller v. Dover裁判で、STS学者Steve Fullerはインテリジェントデザイン側の専門家証言者として、「方法論的自然主義は科学の原則ではない」と発言した。
[ Kitzmiller v. Dover Area School District -- Trial transcript: Day 15 (October 24), PM Session, Part 1: Stephen Fuller cross-examination ]ここで、Prof. Steve Fullerは「超自然」を「自然法則の逸脱たる超自然」ではなく、「既知の物理法則の外側という意味では超自然だが、自然法則によって記述可能なもの」として語っている。
[Q: 原告(Kitzmiller)側弁護士 Witold Walczak, A: 被告側(Dover学区)専門家証人 Prof Stephen(Steve) Fuller]
Q. If you could turn to Page 175 of your deposition. I'm going to read your answer there starting on Line 23. You say, I'm not doubting that methodological naturalism has worked for science and that it's largely responsible for lots of science that we've got, maybe even most of that we've got. Did I read that correctly?
あなたの宣誓供述書の175ページにもどって、23行目の答えを読みます。「私は方法論的自然主義が科学に対して有効に機能していること、そして我々が今や手にしている科学の成果の多くが、おそらく大半が方法論的自然主義よって、もたらされたことを疑っていない」これで正しいですか?
A. Yes. I said maybe.
はい。たぶん私はそう言いました。
Q. So intelligent design aspires to change this ground rule of science, this methodological naturalism?
では、インテリジェントデザインは、この科学のグランドルールたる、この方法論的自然主義を変えることを切に望んでいますね?
A. Methodological naturalism is not a ground rule of science.
方法論的自然主義は科学のグランドルールではありません。
Q. A commitment to natural causation is a ground rule of science?
自然原因へのコミットメントが科学のグランドルールではないと?
A. Well, actually, the ground rule of science is testability. Okay? I mean, so -- and that is metaphysically neutral.
科学のグランドルールは検証可能性です。そうでしょう。そして、それは形而上学的に中立です。
Q. And how do you test the supernatural?
では、超自然をどうやって検証するのですか?
A. Well, that's an age-old question, but there have been paranormal experiments. And even when one was thinking about gravity as a potentially occult force, right, that was the big challenge of the experimental imagination, to figure out how can we measure something that seems to be kind of, you know, invisible, you know, kind of impalpable.
So this is, in fact -- this is, in fact, one of the prompts to develop very subtle kinds of experiments and get at things in indirect ways. So the idea that something is supernatural doesn't preclude it from any kind of experimental testing. It just makes it kind of tricky, and it often takes a long time to do it.
それは古くからある問ですが、超常実験があります。たとえ、重力がオカルトな力である可能性があったとしても、眼に見えない、そして触っても感じることができない何かを測定する方法を見出すための、実験的イマジネーションの大きな挑戦になります。
したがって、事実、これは、事実、とても巧妙で、間接的に何かをつかむための実験を開発するための刺激の一つです。したがって、何かが超自然であることは、実験的検証を除外するものではありません。ただ、方法がトリッキーになり、実現には多くの場合、時間がかかります。
この「既知の物理法則の外側だが、自然法則によって記述可能」な「超自然」は当然のことながら、「科学の対象」になる。しかし、インテリジェントデザインは「超自然の存在による、自然法則への介入行為」であり、「自然法則によって記述可能」なものではない。その点について....
[ Kitzmiller v. Dover Area School District -- Trial transcript: Day 15 (October 24), PM Session, Part 1: Stephen Fuller cross-examination ]いささか、持って回った論争になっているが、超自然の検証方法として、Prof. Steve Fullerが提示したのは、インテリジェントデザインの基本道具のひとつである「Dembskiの説明フィルタ」である。
[Q: 原告(Kitzmiller)側弁護士 Witold Walczak, A: 被告側(Dover学区)専門家証人 Prof Stephen(Steve) Fuller]
Q. Well, how would you design a test to test for the intelligent designer, the affirmative test?
インテリジェントデザイナーを検証するためのテスト、肯定的テストをどう設計しますか?
A. Well, I take it that -- and this refers to what I meant of the sense in which I meant changing the ground rules of science. I think this business of design -- a design detector, you know, the kind of -- the sort of filter argument that Dembski gives, because at the moment the design detector is used primarily as kind of a device for detecting fraud and things like that in artifacts, whereas, in fact, what I was thinking about when I said the remark about changing the ground rules of science was to actually say this kind of design detector thing could be expanded as a tool in science more generally. And that's the kind of thing that I had in mind. I didn't mean changing the ground rules of science in the sense of replacing our normal modes of testability with entirely new modes of testability.
これは、科学のグランドルールを変えることを意味するものに触れることなります。これはデザインの仕事だと思います。ご存じのデザイン検出器、Dembskiが提示した、ある種のフィルター論です。現時点では、デザイン検出器は、詐欺検出器や人工物検出器の一種として使われるもので、実際、私が科学のグランドルールを変えると言うときに私が考えていることは、この種のデザイン検出器をより一般的な科学の道具に拡張することです。これが私の考えているものです。私の言う科学のグランドルールの変更は、我々の通常モードの検証性を、まったくべつの検証性に置き換えることではありません。
Q. Well, but if you allowed intelligent design into science, you would lead to a different conception of science. Is that --
しかし、インテリジェントデザインを科学に持ち込むとすると、別なる科学の概念を導くことになりませんか?
A. I think what is true is that the sciences would be reconfigured so that the notion of design would be taken as kind of a literal unifying concept, where design in the sense of organisms and in the sense of artifacts and in the sense of computers or whatever would be treated as design all in the same sense, which is not how they tend to be treated now. Biology is sort of studied as one subject and the study of artifacts and technology is something else.
私が正しいとか投げているのは、「現在どのように取り扱われていようとも、有機体の意味での、あるいは人工物の意味で、あるいはコンピュータの意味でのデザイン、あるいは同じ意味でデザインとして扱えるものとして、文字通り統一的概念の一種としてデザインを取り上げられるように科学を再構築する」ことです。そして、生物学はひとつの分野として研究されるものであり、人工物とテクノロジーの研究は何か別物です。
Q. But it would change the conception of science?
しかし、それは科学の概念を変えることになりませんか?
A. Well, it would change the way -- yes, it would probably blur the distinction, for example, between life and nonlife more substantially. There would be a lot of implications, I think. But it wouldn't change testability. It wouldn't change the fundamental kind of methodological principles of science which are indifferent to the naturalism, supernatural distinction.
方法を変えることにはなるでしょう。それは、たとえば生物と無生物の区別をより本質的に、ぼんやりしたものにするでしょう。多くの意味合いがあると思います。しかし、検証性を変えるわけではありません。自然主義と超自然の識別とは無関係に、科学の方法論的原則を変えるものではありません。
それは、つまりところ「自然法則でも偶然でも説明できないものはデザインである」という非常に明瞭な形の「God of the Gaps詭弁」であり、何も証明しない。Prof. Steve Fullerはそのような詭弁を許容する形に科学の概念を変えることを主張している。
しかし、これから少し後の証言で、"God of the Gaps詭弁"が何も検証したことにならないことを認めることになる。
[ Kitzmiller v. Dover Area School District -- Trial transcript: Day 15 (October 24), PM Session, Part 1: Stephen Fuller cross-examination ]「還元不可能な複雑さ」とは「もし、部品を一個でも取り除くとシステムの機能が失われるなら、そのシステムは還元不可能に複雑である。生物器官にある還元不可能な複雑さは、それがデザインされたことを示す」というものである。提唱者Prof. Michael Beheが例として挙げた器官は、挙げた時点で既に分解されていたり、その後に分解されたりして、「還元不可能」ではなかったことが示されてしまっている。
Q. So in order for the irreducible complexity to be logically valid, one would have to assume that Behe has eliminated all rival hypotheses, not just one?
"還元不可能な複雑さ"を論理的に有効なものにするためには、Beheは、ひとつではなく、対抗するすべての仮説を排除したと仮定しなければなりませんね?
A. Of course, of course.
もちろんそうです。
Q. And here, just because science hasn't provided a naturalistic explanation today doesn't mean that there aren't any naturalistic explanations?
それでは、科学は自然主義的説明を今日できないことが、自然主義的説明が存在しないことを意味するわけではないですね?
A. Of course, that's all true. I mean --
もちろん。その通りです。
Q. Right. And it doesn't mean that science isn't going to find some natural explanation tomorrow just because we don't know it today?
はい。そして、科学が今日、自然な説明を見出していないことが、明日も科学が自然な説明を見出せないことを意味するわけではないですね?
A. Of course. Who could disagree.
もちろん。誰も異を唱えないでしょう。
それはさておき、今日「分解できない=進化で説明できない」ことが「明日も分解できない=明日も進化で節目できないことを意味しない」ことにProf. Steve Fullerは同意している。すなわち、今日「還元不可能」であることは、デザインの証明にはならないことに同意している。
すなわち、Prof. Steve Fullerは科学のグランドルールの変更として持ち込んだ「デザイン検出器」が何も証明しないことを認めている。
ただ、そのまま認めてしまうと話が終ってしまうので、Prof Steve Fullerは「進化論で説明できない」以外の論拠があるという方向に話を変える。
[ Kitzmiller v. Dover Area School District -- Trial transcript: Day 15 (October 24), PM Session, Part 1: Stephen Fuller cross-examination ]「進化論で説明できない」かつ「それ以上のもの」が「デザイン」であるという主張で逃げ切ろうとするProf Steve Fullerだが、そもそも逃げたことになっていない。というのは「進化論で説明できない」とAND条件になっているから。
Q. So you agree that the absence of naturalistic explanations is not a proper test to show the supernatural in biology?
それでは、自然主義的説明がないことが、生物学における超自然の存在を検証する適切な検証手段ではないことに同意しますか?
A. No, in fact, there's a sense in which this whole debate is very wrong headed. I mean, in a sense, both should just be allowed to develop their research programs rather than to score premature knock-out punches in simple-minded fashion. And that goes for both sides again.
いいえ、実際、ある意味、この論争全体がまったく間違った方向に進んでいる。私は、ある意味、両者が、シンプル志向で、時期尚早なノックアウトパンチで得点を挙げるよりも、自らの研究を発展させるべきだと考えています。それは両者にあてはまります。
Q. And speaking of both, let's bring Mr. Dembski back into this.
両者について、Mr. Dembskiに話をもどしてください。
A. The other "both." Okay. Not Miller.
両者のもう一方ですね。それはMillerではありません。
Q. So both Michael Behe and Professor Dembski have the same logical problem with their argument. Correct?
それでは。Michael BeheとProf. Dembskiの両者は同じ論理的問題を抱えているということですね?
A. Well, will you tell me what the problem is before I consent to it?
同意する前に、問題が何であるか説明させてください。
Q. Sure. The affirmative argument for design is simply a conclusory proposition that doesn't follow from their criticisms of evolution.
もちろんです。デザインについての肯定的な論とは、進化論批判からの帰結ではない結論的命題です。
A. It is true that design is not entailed by criticisms in evolution, that is true. That's certainly true.
デザインが進化論批判によって導出されるものではないことは正しいです。まったくその通りです。
Q. So the leap to design is a conclusory proposition?
それで、デザインへの飛躍は結論的命題ですね?
A. But, look, there is more to it than that. Right? I mean, it's not just that they -- they're not just presenting negative evidence, they're sort of showing what it is about the cell that appears to be designed, et cetera, et cetera, that provides a kind of prima facie positive story, as well. Okay?
I mean, but it is true that these guys define their position very much in opposition to the evolutionists. And I do -- yes, there's a sense in which it would be better if there was a little space between these two so they could develop their programs independently.
しかし、それ以上のものがあります。否定的証拠の提示だけではありません。デザインだと見える細胞について示されているものなど、肯定的な論を与えるものです。どうですか?
Q. But still, coming back, I mean, the assertion for design is really just a conclusory proposition?
いえ。話を戻して、デザインを支持する論とは、ただの結論的命題ではないのですか?
A. No, there is more to it than the conclusions that are drawn on the basis of negative evidence about evolution.
そうではありません。進化論についての否定的証拠を基礎として描かれた結論以上のものがあります。
以上が「科学の原則たる方法論的自然主義」をめぐって、Dover裁判でインテリジェントデザイン側にたったSTS学者Steve Fullerの証言である。
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