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積極的キリスト教(独: Positives Christentum, 英: Positive Christianity)は、ナチスのイデオロギーとキリスト教の要素を混合して、ドイツ人の人種的純粋さを維持すべきだという信念を促進するナチスドイツ内の運動である。Adolf Hitlerはこの用語を使って、1920年のナチ党プラットフォームのpoint 24[a]で、「Die Partei als solche vertritt den Standpunkt eines positiven Christentums, ohne sich konfessionell an ein bestimmtes Bekenntnis zu binden. (党自体は、特定の宗派に拘束されることなく、積極的キリスト教の視点を表している)」と述べた[2]。ナチス運動は、ドイツの確立された教会に対して敵対的だった。積極的キリスト教という新しいナチスの考えは、ナチス運動が反キリスト教ではないことを暗示することで、ドイツのキリスト教徒の多数派の恐れを和らげた[3]。とはいえ、1937年、ナチス教会問題大臣Hans Kerrlは、「積極的キリスト教」は「使徒の信条に依存」しておらず、「神の子としてのキリストへの信仰」にも依存していないと説明した。キリスト教はむしろ、ナチ党によって代表された:「フューラーは新しい啓示の先駆者である」と彼は述べた[4]。ナチスの反ユダヤ主義と整合させるために、積極的キリスト教の擁護者たちはまた、キリストと聖書のセム族の起源を否定しようとした。そのような要素に基づいて、積極的キリスト教はニカイア信条から離れ、その結果、カトリック、東方正教会、プロテスタントのいずれでれ、歴史的に三位一体のキリスト教教会すべてによって背教者と見なされた。

Hitlerは1922年4月12日の演説で、自らがキリスト教徒であると述べた[5]。さらに、「Mein Kampf(我が闘争)」でもHitlerは自分がキリスト教徒であると書いている。しかしながら、Hitlerの「積極的キリスト教」という用の受け入れと宗教政策への関与は、ご都合主義とドイツのキリスト教教会の政治的重要性を実際的に認識していることによって推進されているものだと、Ian KershawやLaurence Reesなどの歴史家たちは特徴づけている[3]。それにもかかわらず、ナチ化された「積極的キリスト教」を国営German Evangelical Church(ドイツ福音教会)に課すレジームの努力は本質的に失敗し、「新宗教」にyるドイツに対する大きな危険を見た、反体制のConfessing Church(告白協会)の形成をもたらした[6]。カトリック教会はまた、1937年の教皇回勅Mit brennender Sorge(ミットブレネンダーソルゲ)で信条の「血と土」のイデオロギーを非難した。

ナチス公式思想家 Alfred Rosenbergは、「否定的キリスト教 (Negative Christianity)」と彼が呼ぶローマカトリックとプロテスタント教会の両方と整合しない「積極的キリスト教」の発展に重要な役割を果した[7]。Richard Steigmann-GallはこのとことでRosenbergが本当に反キリスト教となったのか論じた[8]。Rosenbergは積極的キリスト教を過渡的信仰と考え、親ナチ団体「ドイツキリスト教徒(独:Deutsche Christen, 英: German Christians)」 を介したプロとスタント支配という政権の努力が失敗した中で、Rosenbergは仲間の過激派Robert LeyやBaldur von Schirachとともに、ユダヤキリスト教の神概念を完全に否定した「ドイツ信仰運動(独: Deutsche Glaubensbewegung, 英: German Faith Movement)」を支持した[9]。戦争中、Rosenbergは、「外国のキリスト教の追放」と、聖書のMein Kampf(我が闘争)への置き換え、キリスト教の十字架のナチ化教会の卍への置き換えを行う、ドイツの宗教の将来に関する計画を起草した[10]。

神学的側面及び教義的側面

積極的キリスト教の支持者たちは、伝統的キリスト教はキリストの人生の能動的な側面よりも受動的な側面を強調し、その奇跡的な誕生、苦しみ、十字架での犠牲、そして空想上の贖いを強調したと主張した。彼らは、この教義を、キリストの時代の制度化されたユダヤ教に反対した活発な説教者、オルガナイザー、そして戦士としてのキリストに対する「積極的な」強調に置き換えようとした。ナチス政権のさまざまな時点で、従来のキリスト教をその「積極的な」代替案に置き換える試みがなされた。

積極的キリスト教は、その積極的キリスト教において主流キリスト教とは異なっていた。
  • ユダヤ人が書いた聖書の部分(旧約聖書全体を含む)の拒否
  • キリストはアーリア人であり、非ユダヤ人であるという主張
  • 国民統一の政治的目的を推進、告白の違いの克服、カトリックの排除、プロテスタントの単一統一の積極的キリスト教教会への統合[11]
  • 信者へのアーリア人の故郷の創設を支援するよう奨励

新約聖書も変更されました。ダビデの子孫を示したイエスの系図を削除することにより、ユダヤ人の名前と場所が削除され、ユダヤ人が悪い見方をしていない限り、旧約聖書からの引用が削除され、成就した旧約聖書の予言への言及が削除され、イエスはナチ化された言語を使用してユダヤ人と戦う軍事的で英雄的な人物とされた[12]。
概念の起源

積極的キリスト教はナチスドイツの人種的イデオロギーと明確に関連しているが、その神学的基盤はナチスドイツよりもずっと前から存在していた。積極的キリスト教に似た最も初期のキリスト教の形態は、2世紀のマルシオナイト派であり、旧約聖書を非正規と宣言し、それをユダヤ教と関連付けた。しかし、これは、人間集団としてのユダヤ人に対する人種に基づく憎悪ではなく、グノーシス主義の神学を支持し、ユダヤ人宗教を拒絶することから生じていた[13]。

Steigmann-Gallは、積極的キリスト教の起源を、史的イエスと神学の神聖イエスとの区別に重点を置く、19世紀の高等批評(higher criticism)にまでさかのぼった[14]。いくつかの学派によると、キリスト教正統派の救世主像は、歴史的なガリラヤの説教者とは非常に異なっていた。多くのそのような学者は古代ユダヤ教の文脈でイエスを配置しようとしたが、一部の著作家たちは人種差別主義と反ユダヤ主義のイデオロギーに対応する史的イエスを再構築した。Emile Burnouf, Houston Stewart Chamberlain, Paul de Lagardeなどの反ユダヤ主義者の著作では、イエスはユダヤ人及びユダヤ教と闘ったアーリア人の英雄として再定義された。高等批評の起源と一致して、そのような著作家たちはしばしば福音の物語の奇跡的な側面を拒否または最小化し、十字架への磔を、その事前に設定された集大成ではなく、イエスの人生への悲劇的なコーダへ矮小化した。BurnoufとChamberlainはともに、ガラリや人はユダヤ人とは人種的に異なると主張した。Lagardeはドイツのキリスト教は性格上「国民的」にならなければならないと主張した[要出典]。

さまざまな歴史家たちは、「積極的キリスト教」の起源が、よりナチス指導者の政治的洞察力とご都合主義にあったと考えている。Hitlerに後押しされたHimmler, Rosenberg, Bormann, Goebbelsのようなナチス指導者たちはキリスト教に敵対し、最終的にドイツを非キリスト教化することを計画していた[10]。しかし、ドイツは千年以上にわたってキリスト教国であり、Hitlerはドイツの教会の政治的重要性の実際的な現実を認識し、教会に対するいかなる動きも段階的に行われなければならないと決定した。したがって、Paul Berbenの言葉によれば、積極的キリスト教は「状況に応じて、必要な解釈を重ねることができる用語」として提唱されるようになり、信教の自由のために、「国家を危険にさらしたり、 「ゲルマン人種」の見解と衝突したり」しない自由を提供するものとされた[15]。

歴史家Derek Hastingsは、ミュンヘンの国家主義的な不平カトリック集団おける、ナチ党プログラムにおける「積極的キリスト教」の明示的な支持の、カトリック起源について書いている。この集団は、ウルトラモンタニズムと政治的カトリシズムの両方であったため、疑わしい信条を形作るのに役立った[16]。Mein Kampf(我が闘争)で、Hitlerは、教会が国政に介入しなければ、キリスト教の宗派(カトリックとプロテスタント)の両方がドイツ国民にとって有効な基盤であると読者に安心させた。プライベートでは、Hitlerは友人に対してはキリスト教を軽蔑をしたが、ドイツで権力を行使するために選挙運動を行ったとき、宗教に賛成する声明を公にした[15]。「これらの声明の最も説得力のある説明」とLaurence Reesは書いている:
is that Hitler, as a politician, simply recognised the practical reality of the world he inhabited ... Had Hitler distanced himself or his movement too much from Christianity it is all but impossible to see how he could ever have been successful in a free election. Thus his relationship in public to Christianity – indeed his relationship to religion in general – was opportunistic. There is no evidence that Hitler himself, in his personal life, ever expressed any individual belief in the basic tenets of the Christian church.[3]

Hitlerは、政治家として、彼が住んでいた世界の実際的な現実を単に認識していたということである ... Hitlerが自分自身または自分の運動をキリスト教から遠ざけていたら、自由選挙で成功する方法を見出すことは不可能だった。したがって、公の場でのキリスト教との関係、実際にはHitlerの宗教との関係は、ご都合主義だった。Hitler自身が、自分の個人的な生活の中で、キリスト教教会の基本的な信条に対する個人的な信念を表明したという証拠はない[3]。

ナチスイデオロギーの中で

積極的キリスト教は、ナチス運動によって大いに支持され、雑誌Der StürmerとVölkischer Beobachterでその理想が宣伝され、いずれもがイエスの「北欧的」性格を強調した。しかし、党は、積極的キリスト教が第三の告白であることを意図しておらず、確立された教会の伝統的な神学と矛盾することを意図していないことを強調するように注意した。早くも1920年に、ナチスは25ポイントのプログラムで、「党自体は、いかなる宗派にも拘束されることなく、積極的キリスト教の立場を擁護している。積極的キリスト教は、我々の内外のユダヤ人の唯物主義的精神と戦う」と宣言した[1]。それにもかかわらず、多くのナチスが確立された教会に公然と挑戦した。

Völkischer Beobachterの編集長Alfred Rosenbergは、「二十世紀の神話」を書き、カトリック教会とプロテスタント教会がキリスト教を歪め、イエスの生活の「英雄的」および「ゲルマン的」側面を無視したと主張した。Rosenbergにとって、積極的キリスト教は、新しい完全な人種差別主義の信仰を構築する道を開くであろう過渡的なイデオロギーだった[17]。十字架の代わりに、そのシンボルは太陽十字の形をした太陽の球であり、原則として北方人種の上昇、神の啓示の拒絶、そしてドイツの神の宣伝だった[18]。Rosenbergにとって、アーリア人=北方人種は神であり、神は血の中にあり、その文化は天の王国だった。対照的に、ユダヤ人の人種は悪であり、神のアーリア人=北方人種に対する悪魔的な対抗者種だった[19]。Adolf Hitlerこの作品を承認し[18]、積極的キリスト教の望ましさを強調したが、保守的キリスト教の有権者と社会的エリートの支持を維持したいと考え、Rosenbergのより過激な考えから距離を置いた。

強制的同一化の側面として、政権は、親ナチ団体「ドイツキリスト教徒(独:Deutsche Christen, 英: German Christians)」 がコントロールしていた単一の国立教会の下に別々の28の州教会を統合することによって、ドイツのプロテスタント教会(福音教会)をナチ化することを計画した。しかし、プロテスタント教会の征服は、Hitlerが想定していたよりも困難であることが証明された[20]。1933年、「ドイツキリスト教徒」はナチの人種および指導ドクトリンを帝国教会に適用しようとしたが、帝国教会はドイツの17000人の牧師のうち、3000人しか所属していなかった。7月、教会の指導者たちは、国会が承認した憲章を帝国教会に提出した。教会連盟は、資格のあるFriedrich von Bodelschwingh牧師を新しい帝国司教に提案しましたが、Hitlerは、ナチ党員で元従軍牧師であった友人のudwig Müllerに帝国司教を務めることを承認した。ナチスはBodelschwinghの支持者を恐怖に陥れ、さまざまな教会組織を解散させ、Müllerを帝国司教に選出させた[21]。聖パウロとキリストのセム起源と聖書に対するミュラーの異端的な見解は、プロテスタント教会の一部をすぐに疎外した。Martin Niemöller牧師は、聖書を再確認するPfarrernotbund(牧師緊急連盟)で対応した。運動は告白教会に成長し、そこから一部の聖職者がナチス政権に反対した[20]。

Ludwig Müllerは、1933年9月に新しい帝国教会(いわゆるドイツ福音教会)の最初の帝国司教に選出された。しかし、ドイツキリスト教の神学的イニシアチブ[b]は、多くの牧師、特に福音派牧師のほぼ40%に指示された、牧師緊急連盟のNiemöllerからの抵抗に直面した[22]。この失敗に続いて、Hitlerヒは教会を直接ナチ化する試みに逆戻りし、「ドイツキリスト教徒」の支援に対する関心を失った[20]。

Jakob Wilhelm Hauerによって設立されたDeutsche Glaubensbewegung(ドイツ信仰運動)は、キリスト教の側面をヴェーダ主義や(マニケアニズムなどの)「アーリア・ペルシャの宗教」などの「アーリア」宗教から派生したアイデアと混合することによって「プロテスタント」精神の本質を表すと主張して、より完全にアーリア化された形式のイデオロギーを採用した。彼らはナチスの役人を教会の所属から切り離そうとし、降誕劇を禁止し、学校での毎日の祈りの終了を求めた[要出典]。

1934年までに、告白教会はドイツの合法的なプロテスタント教会であると宣言した。Hitlerとの親密さにもかかわらず、 Müllerはナチスが支配する単一の教会でプロテスタントを統一することに失敗した。1935年、ナチスは700人の告白牧師を逮捕した。 Müllerは辞任した。プロテスタントの教会を調整する新しい努力を扇動するために、Hitlerは別の友人、Hans Kerrlを教会問題大臣の地位に任命しました。比較的穏健なHans Kerrlは当初、この点である程度の成功を収めたが、ナチスの政策に対する告白教会による抗議が続く中、彼は教会員が「人種、血と土」というナチスの教義を理解しなかったと非難し、積極的キリスト教のナチスの概念を従順な聖職者のグループに次のように説明した[4]
The Party stands on the basis of Positive Christianity, and positive Christianity is National Socialism ... National Socialism is the doing of God's will ... God's will reveals itself in German blood ... Dr Zoellner and [Catholic Bishop of Münster] Count Galen have tried to make clear to me that Christianity consists in faith in Christ as the son of God. That makes me laugh... No, Christianity is not dependent upon the Apostle's Creed ... True Christianity is represented by the party, and the German people are now called by the party and especially the Fuehrer to a real Christianity ... the Fuehrer is the herald of a new revelation".

党は積極的キリスト教に基づいており、積極的キリスト教は国家社会主義である...国家社会主義は神の意志の実行である...神の意志はドイツの血の中で明らかになる... Dr. Zoellner博士と[Münsterのカトリック司教である]Galen伯爵は、キリスト教は神の子としてのキリストへの信仰にあることを私に明らかにしようとした。それは私を笑わせる...いいえ、キリスト教は使徒信条に依存していない... 真のキリスト教は党によって代表され、ドイツの人々は今や党、特に総統から真のキリスト教に呼ばれている...総統は新しい啓示の先駆者である。」

終焉

プロテスタントへの干渉というナチスの政策はその目的を達成しなかった。ドイツのプロテスタントの大多数は、「ドイツキリスト教徒」と告白教会のどちらにも賛成しなかった。両方のグループはまた、重大な内部の不一致と分裂に苦しんでいた。Mary Fulbrookはドイツの歴史の中で次のように書いている[23]:
The Nazis eventually gave up their attempt to co-opt Christianity, and made little pretence at concealing their contempt for Christian beliefs, ethics and morality. Unable to comprehend that some Germans genuinely wanted to combine commitment to Christianity and Nazism, some members of the SS even came to view German Christians as almost more of a threat than the Confessing Church.

ナチスは結局、キリスト教を引き入れる試みをあきらめ、キリスト教の信念、倫理、道徳に対する彼らの軽蔑を隠そうともしなかった。一部のドイツ人がキリスト教とナチズムへのコミットメントを真に組み合わせたいと望んでいたことを理解できず、SSの一部のメンバーは、「ドイツキリスト教徒」を告白教会よりも脅威と見なすようになった。

1945年のナチス政権の崩壊により、積極的キリスト教は運動として曖昧になった。ただし、一部のクリスチャンアイデンティティグループによって引き続き支持されている[24][より良い情報源が必要]。

Notes

[a] Point 24 of the National Socialist Programme reads:
We demand freedom of religion for all religious denominations within the state so long as they do not endanger its existence or oppose the moral senses of the Germanic race. The Party as such advocates the standpoint of a positive Christianity without binding itself confessionally to any one denomination. It combats the Jewish-materialistic spirit within and around us, and is convinced that a lasting recovery of our nation can only succeed from within on the framework: The good of the state before the good of the individual.[1]

[b] These pro-Nazi initiatives included the introduction of the Aryan paragraph, which would exclude converted Jews, and the attempt to dispense with the Old Testament in church services.
Footnotes
  1. Michael & Rosen 2007, p. 321.
  2. "GHDI - Document - Page". ghdi.ghi-dc.org. Retrieved 8 April 2021.
  3. Rees 2012, p. 135.
  4. Shirer 1960, pp. 238–239.
  5. Hitler, Adolf. The Speeches of Adolf Hitler, 1921–1941. p. 6. Retrieved 2 January 2019.
  6. Berben 1975, pp. 139–141.
  7. "Nuremberg Trial Defendants: Alfred Rosenberg". Jewish Virtual Library. Chevy Chase, Maryland: American–Israeli Cooperative Enterprise. Retrieved 2 January 2019.
  8. Hexham 2007.
  9. Aycoberry 1999, p. 191.
  10. Shirer 1960, p. 240.
  11. Steigmann-Gall 2003, pp. 13–51.
  12. Confino, Alon (1 June 2012). "Why Did the Nazis Burn the Hebrew Bible? Nazi Germany, Representations of the Past, and the Holocaust". The Journal of Modern History. 84 (2): 384. doi:10.1086/664662. ISSN 0022-2801.
  13. Ehrman, Bart D. (2005) [2003]. "At Polar Ends of the Spectrum: Early Christian Ebionites and Marcionites". Lost Christianities: The Battles for Scripture and the Faiths We Never Knew. Oxford: Oxford University Press. pp. 95–112. ISBN 978-0-19-518249-1. LCCN 2003053097. S2CID 152458823.
  14. Steigmann-Gall 2003, pp. 8, 33.
  15. Berben 1975, p. 138.
  16. Ericksen 2012, p. 50; Hastings 2010, ch. 1–2.
  17. Steigmann-Gall 2007, p. 301.
  18. Biesinger 2006, pp. 629ff.
  19. Bärsch 2007, pp. 219ff.
  20. Kershaw 2008, pp. 295–297.
  21. Shirer 1960, pp. 234–238.
  22. Overy 2004, pp. 283–284; Stackelberg 2007.
  23. Fulbrook 1991, p. 81.
  24. Downey, Mark (2016). "Positive Christianity – Part 1". Alexandria, Kentucky: Kinsman Redeemer Ministries. Retrieved 2 January 2019.
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  3. Berben, Paul (1975). Dachau: The Official History, 1933–1945. London: Norfolk Press. ISBN 978-0-85211-009-6.
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  16. ——— (2007). "Old Wine in New Bottles? Religion and Race in Nazi Antisemitism". In Spicer, Kevin P. (ed.). Antisemitism, Christian Ambivalence, and the Holocaust. Bloomington, Indiana: Indiana University Press. pp. 285–308. ISBN 978-0-253-11674-1.
  17. Further reading
  18. Snyder, Louis L. (1998). Encyclopedia of the Third Reich. Ware, Hertfordshire, England: Wordsworth Press.
  19. Whisker, James B. (1990). The Philosophy of Alfred Rosenberg: Origins of the National Socialist Myth. Costa Mesa, California: Noontide Press. ISBN 978-0-939482-25-2.





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