デザイン検出方法を生命システムに適用すると、それらがデザインされたと結論されますが、誰もが同意するわけではありません。従って、無神論者として、デザインに対する最も有名な批判者である、オックスフォード大学のRichard Dawkins教授はインテリジェントデザイナーが存在する可能性を認めません。生命におけるデザインは見かけだけ、ただの幻想だと言っています [58]。Dawkinsにとっての真の"デザイナー"は、ダーウィン進化論の具全と必然たる盲目の時計職人です。彼の結論は、彼が証拠として選んだデータと同じくらいに彼の哲学的な先入観に依拠しています。
明らかに、インテリジェントデザインに対する最も一般的な批判は進化論を支持するために集められた証拠です。 一般に、それは次のような観測結果です:
- 化石は存在している。これは地球の歴史において非常多くの種類の形をした生物が存在し、後に出現したものが初期に現れたものより複雑であることを示している。
- Darwinの自然淘汰は自然の中で観測できる。種族の中で、病気で弱く老いたものから淘汰され、敏捷なものが生き残る。
- ある毒(抗生物質)の中で培養されたバクテリアは、DNA(したがってタンパク質も)を変化させて、毒素に対する耐性を身につけ、生き延びる。
- 多くの動植物が、人間によって品種改良され、DNA構造と彼らの物理的な形態変えられた。従って、生物の形態は不変のもの(Darwinの時代には広く信じられていた)ではなく、(少なくとも知的な存在の指示のもとで)変化する。
- 種を超えた体の形状や特に生物分子の類似性は、共通の祖先がいたことを示唆している。
さらに、自然主義者はこのリストに、インテリジェントデザイン理論が示唆するデザイナーを誰も見ていないという事実を加えるでしょう。従って、デザインの証拠はないと。しかし、ストーンヘンジのデザイナーを誰も見ていませんが、誰も南イングランドにあるこの岩石のリングが知的にデザインされたことを疑いません。さらに、最初の生命の誕生とそれに続く多くの変化における意志なき進化過程が機能するのを観察できるわけでもありません。だから、デザイナーを見られないという反論は弱いのです。しかしながら、この反論をするにあたって、ダーウィン進化論者は、科学的に発見に中心的な論理構築の道具を知っています。理論Aを支持するデータは、理論Aと無矛盾でありかつ、競合する理論Bと矛盾するはずだということを。実際、事実上、ダーウィン進化論を実証するのに使われる観測はすべて、インテリジェントデザイン理論も実証するので、どちらが正しいか証明できません(後述)。この事実が一般あるいは学校生徒に公開されておらず、Darwinが正しく実証されており、従って事実であるという間違った印象を与えられたままになっています。話の半分だけしか伝えないのでは教育は教化にしかなりえません。
Darwinは科学界を種の不変性という誤った考えから、きわめてうまく解放しました。それは、彼が動物は(少しは)変化するということを示したからです。これは新しいアイデアではありませんでした。人々は数世紀にわたって品種改良を続けてきたからです。 Darwinのアイデアが新しい点は、変化に限界がなく、ランダムな変化に自然淘汰がはたらくことで、共通の祖先からすべての生物が生まれたという命題を導けることにあります[59]。これらの仮定は、データからかけ離れた途方もない信念の飛躍です。しかしながら、彼の論理は、宗教優位の息苦しい狭窄から解放されるのを切望していた19世紀の聴衆には無視できないものでした。教会の権威は結局は創造主の存在に依拠しており、その存在は生物界自体によって証明されているものでした[60]。もし、Darwinが正しいのであれば、科学は聖書が間違っていることを示したのだから、その証拠による圧制はやみました。
(教科書からテレビまで、日々私たちの文化を満たしている)自然主義仮説を立証する支柱についてさらに説明する必要がありませんが、自然主義が幾つかの重要な"自然"現象を説明できていないことを指摘しておく必要はあるでしょう。たとえば、宇宙の起源、宇宙の法則と定数の起源、生命の起源そして、還元不可能な複雑さの起源。自然主義的科学者は、自然とこれらを一時的に問題とみなします。というのは、科学の歴史は、いったんはミステリーだとされた現象も最後には"自然に"説明がつくという例に満ちているからです。確かにこれは明らかに真実ですが、リアルタイムに、関連変数を完全に制御できる条件で実験ができる実証科学や実験科学などにおける進展であることを忘れてはいけません。それはまた、型破りなことを考えることを推奨するフレームワーク内で実行されています。方法論的自然主義は起源を考える自由を制約します。