忘却からの帰還〜Intelligent Design - 渡辺久義先生とAppearance of Age
Who's Who>渡辺久義

渡辺久義先生とAppearance of Age


インテリジェントデザインを古い地球の創造論のポジションに置く

渡辺久義先生は「インテリジェントデザインは創造論ではない」ことを強調すべく、創造論とは「人類の歴史が6千年であるとか、地球の歴史が1万年であるといった、聖書から出てくる算定などをそのまま信ずる立場」と規定し、インテリジェントデザインはそうではないと主張する:
2.IDはクリエーショにズムである。
これはcreationismという言葉のもつ、アメリカ特有のニュアンスを知らなければ理解できない。単に(機械的)進化論に対する(能動的)創造論ということではない。これはたとえば人類の歴史が6千年であるとか、地球の歴史が1万年であるといった、聖書から出てくる算定などをそのまま信ずる立場を指していう。要するに、科学の発達していなかった古い時代の、宗教対科学論争の蒸し返しだと言いたいわけである。ダーウィニストがIDを軽蔑して切り捨てるのにこの語がほとんど必ず使われ、ID派もこの呼称を必死に退けようとするところを見ると、creationism という語がほとんどracism(人種差別主義)のような語感をもつのかとさえ思える。もちろんこれは典型的な「言いがかり」である。

2005/11

インテリジェントデザインは若い地球の創造論及び古い地球の創造論と互換性を取るために、地球の年齢に言及しない。カンブリア爆発の年代を特定しておらず、「5億4200万年前から5億3000万年前に起きた」のか、「6000年前の数時間に起きた」のか関知しない。したがって、そのどちらにであっても適用できる話しかできない。

ところが、渡辺久義先生はあっさりと若い地球の創造論のポジションを切り捨てている。そうなると、創造後の宇宙に"Appearance of Age"を以って、生物が創造される必要が出てくる。

Appearance of Age

これは無知による、あるいは研究調査の不備不足からくる結論ではない。ビッグバン以前のことが科学ではわからないように、わからないと言ってよいのではないか。ID理論に沿って考える限り、そこに超自然が関与した、あるいは自然と超自然が接触した、という言い方が可能であろう。「どのようにして」? それはもしかしたら霊視能力者にはわかることかもしれない。しかしIDが経験的な証拠に基づく科学である以上、それは「わからない」と言うしかない。

さてそこで、始めの「最初の細胞がどのようにして出来たのかは誰にもわからない」という命題に戻る。細胞には――マイケル・デントンに拠ってかつて説明したように――原核細胞と真核細胞の区別があるだけで、原始的な細胞というものはないのである。すなわち、どちらにしても、恐ろしく複雑な構造をもつ(ことが次第にわかってきた)細胞が、最初から完成された形で現れたということである。これは細胞だけではない。(最初から完成品が現れたことをマイケル・ビーヒーが立証した)最初の鞭毛、最初の鳥(の翼)、最初の眼、そして何より最初の人間など、すべてについて言える。

2005/09

この「どうしてできたか誰にもわからない」ものを自然法則を介したインテリジェントデザイナーの予見(フロントローディング)によるものではなく、直接のインテリジェントデザイナーの介入だとするのがインテリジェントデザイン"理論"の立場である。

で、遺伝情報は抽象的なものではなく、何らかの記録媒体の上にしか存在できない。ウイルスなどを除けば、生物はDNAだけで存在するわけでもない。単細胞生物なら、まさに「完成品」としてしか存在できない。インテリジェント・デザイナーは「完成品」を置くしかない。多細胞生物でも、受精卵か成体か何らかの形で「完成品」を置く他に出現させる方法はない。直接「完成品」を置くということは、「創造された」ということ。

古い地球の創造論のポジションを取る場合、創造行為を創造6日間に限定するわけにはいかず、何らかの形の「創造後の宇宙への超自然的介入」がなされることになる。

そして、社会を構成している生物を配置する場合だと、群れ単位で完成品を置くことになる。たとえば、「最初の人間」は成人男女2名では不足で、そこそこ集団として活動すだけの数が、それなりの年齢構成で群れを成していないと、生きていけそうにない。したがって、あたかも、はるか昔から群れを成していたかのように「最初の人間」は出現する他ないだろう。

まさしく、"Appearance of Age"を以って創造された人々ということ。