これは無知による、あるいは研究調査の不備不足からくる結論ではない。ビッグバン以前のことが科学ではわからないように、わからないと言ってよいのではないか。ID理論に沿って考える限り、そこに超自然が関与した、あるいは自然と超自然が接触した、という言い方が可能であろう。「どのようにして」? それはもしかしたら霊視能力者にはわかることかもしれない。しかしIDが経験的な証拠に基づく科学である以上、それは「わからない」と言うしかない。
さてそこで、始めの「最初の細胞がどのようにして出来たのかは誰にもわからない」という命題に戻る。細胞には――マイケル・デントンに拠ってかつて説明したように――原核細胞と真核細胞の区別があるだけで、原始的な細胞というものはないのである。すなわち、どちらにしても、恐ろしく複雑な構造をもつ(ことが次第にわかってきた)細胞が、最初から完成された形で現れたということである。これは細胞だけではない。(最初から完成品が現れたことをマイケル・ビーヒーが立証した)最初の鞭毛、最初の鳥(の翼)、最初の眼、そして何より最初の人間など、すべてについて言える。
2005/09
この「どうしてできたか誰にもわからない」ものを自然法則を介したインテリジェントデザイナーの予見(フロントローディング)によるものではなく、直接のインテリジェントデザイナーの介入だとするのがインテリジェントデザイン"理論"の立場である。
で、遺伝情報は抽象的なものではなく、何らかの記録媒体の上にしか存在できない。ウイルスなどを除けば、生物はDNAだけで存在するわけでもない。単細胞生物なら、まさに「完成品」としてしか存在できない。インテリジェント・デザイナーは「完成品」を置くしかない。多細胞生物でも、受精卵か成体か何らかの形で「完成品」を置く他に出現させる方法はない。直接「完成品」を置くということは、「創造された」ということ。
古い地球の創造論のポジションを取る場合、創造行為を創造6日間に限定するわけにはいかず、何らかの形の「創造後の宇宙への超自然的介入」がなされることになる。
そして、社会を構成している生物を配置する場合だと、群れ単位で完成品を置くことになる。たとえば、「最初の人間」は成人男女2名では不足で、そこそこ集団として活動すだけの数が、それなりの年齢構成で群れを成していないと、生きていけそうにない。したがって、あたかも、はるか昔から群れを成していたかのように「最初の人間」は出現する他ないだろう。
まさしく、"Appearance of Age"を以って創造された人々ということ。