1. 考古学は、よくても聖書の一般的背景と、ある程度近い時代の細部を支持している。あらゆる聖書の主張を支持しているわけではない。特に考古学は創造やノアの洪水や聖地の征服を支持していない。
もし、歴史的正しさの少数の例がそれほど重要というなら、"イリアド"や"風と共に去りぬ"についても、同様の正しさを主張できるだろう。
2. 考古学は聖書の重要な部分と矛盾している。
- 聖書は歴史的出来事の年代を間違っている。ある時代の出来事と記載されていることが、実際にはずっと後の時代のことである。たとえば、創世記24章10節で言及されているラクダは、紀元前1000年以降になるまで広く使われることはなかった[Finkelstein and Silberman 2001]。
- 巨大な事件であるはずのエジプトからの脱出(出エジプト記)はエジプトの記録には登場しない。50万人以上の人々が40年間にわたって彷徨したという痕跡はシナイ半島には存在しない。別の考古学記録はこれとは矛盾していて、ヘブライ人が土着の民であったことを示している[Finkelstein and Silberman 2001; Lazare 2002]。
- 聖書に記されているダビデの王国とソロモンの王国が同程度に強大だったという証拠はない。これらはまったく存在しなかったかもしれない[Finkelstein and Silberman 2001; Lazare 2002]。
考古学は聖書を支持しているという多くの主張、特に初期の主張は、自分たちの認識に証拠を強引に合わせようとした科学者たちの試みに依存している。