忘却からの帰還〜Intelligent Design - Jason Rosenhouseの進化には、熱力学問題があるか
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*Jason Rosenhouseの「進化には、熱力学問題があるか?」

James Madison Universityの数学科のJason Rosenhouse準教授の連載コラム: CSICOP: Evolution and Creationから、「Does Evolution Have a Thermodynamics Problem? (進化には、熱力学問題があるか?)」を紹介する。

「進化は熱力学第2法則に反する」というのが今も変わらない創造論のデフォな主張である[ie. ChristianAnswers.Net ]。もちろん、FAQな誤りだ:
  1. CF001 熱力学第2法則は進化を禁じる
  2. CF001_1 放置された系は必然的に無秩序になる
  3. CF001_2 熱力学第2法則および無秩序への傾向はユニバーサルである
  4. CF001_3 秩序を作るには指示が必要である
  5. CF001_4 熱力学第2法則は複雑さを組織することについての法則であって、エントロピーについての法則ではない

というより、熱力学とは何の関係もない話だ。


Jason Rosenhouse: "Does Evolution Have a Thermodynamics Problem?"
進化には、熱力学問題があるか?

政治的保守系雑誌"The American Spectator"の最近の号で、数学者Granville Sewellは従来の進化論が熱力学第2法則に反するという論を復活させた。その後、同じ論をオンライン講義で利用できるようにすると、インテリジェントデザイン支持者William Dembskiは彼のブログで熱心に支持した[ UncommonDescent: Thermodynamics and Intelligent Design ]。

これは非常に重要だ。熱力学の論は創造論者が使った中でも最悪のものだ。その論は、もちろん間違っている。一般的に科学と特に物理とについて極端な無邪気さに背く形で間違っている以上だ。従って、科学者の間では熱力学の論は、創造論者の商売道具である種類の死ぬ程退屈な無知の象徴となった。

それはまさにインテリジェントデザイン支持者が避けたがっている愚かなレベルだ。彼らは結局、聖書を叫ぶ過激派ではなく、真剣な科学者であると思われていた。今や我々は、インテリジェントデザイン運動家たちが主張できる、わずかの知的魅力の大半を供給し、このおバカな論を支持するWilliam Dembskiを手にしている。そうすることで、彼は真剣なインテリジェントデザインがかつて楽しませてくれた権威を完全に犠牲にしてしまった。

基本的な創造論者の論はこれだ:第2法則は自発的な自然の過程は、系のエントロピーを増大させるだけだと述べている。エントロピーはおおよそ無秩序さもしくは複雑さの測定基準である。従って、第2法則は、自然の過程は時間とともに物をより無秩序に、そしてより複雑さを失う方向にすることを意味している。しかし、進化論は自然の過程が生物を時間とともに複雑にしたと主張している。これは矛盾である。誰も第2法則を捨てられないので、進化論は間違っている。

熱力学の基本原理を学ぶ前に私はこの論に遭遇した。そのときでさえ、私には疑わしさが浮かんだ。ひとつには熱力学第2法則は、ダーウィンが業績をあげる前に定式化されていたことを知っていたからだ。創造論者の論が正しいと認めるには、幾世代かの科学者たちが、進化論と熱力学の間の基本的な矛盾を見落としたとしなければならない。それはありそうになことだ。

さらに、第2法則が創造論者の論においてレトリックな役割だけを演じているようだった。結局、時間とともに生物の複雑さが増加するのに何らかの特別な説明が必要だと論じるのに、熱力学の原則による装飾は必要なかった。メンテナンスなには、いかなるものも壊れて粉々になっていくというのは、日常生活の純然たる事実だ。

自然史の過程で起きたと進化論者が主張する複雑さの増加が、説明を必要とすることは誰もが同意する。そして生物学者はひとつの説明を持っている。ランダムな遺伝子変異に対して幾世代もの自然選択が働くことで、生物の平均的な複雑さを増加させることが可能であると。これはもちろん理論的ではない。自然選択が野外と実験室で、生物の秩序と複雑さのレベルを増加させる能力があることは示されている。同じ原理が人工生命に対して働き、そして工学の問題で進化アルゴリズムを使うときにも働く。私が参照した実験は確かに秩序を少し増やしただけのものでしかないが、それは熱力学の原則が既知の進化のメカニズムが生物学的複雑さを増やすのを禁じないと確認するのに十分である。

Sewell 自身がこれを不用意にも認めている。彼は生物の複雑さの増加について自然選択が適切な説明ではない理由を説明する段になって、熱力学は退出する。代わりに、彼はインテリジェントデザイン運動家たちが大好きな還元不可能な複雑さの論を繰り返す。たとえば、水中のタヌキモの昆虫を捕まえる機構についての論で、こう書く:

The development of any major new feature presents similar problems, and according to Lehigh University biochemist Michael Behe, who describes several spectacular examples in detail in Darwin's Black Box (Free Press, 1996), the world of microbiology is especially loaded with such examples of "irreducible complexity."

いかなる主要な新しい機能の発展にも同様の問題があり、Leihigh Universityの生物学者Michael Beheが、幾つかの素晴らしい例を"Darwin's Black Box"(Free press 1996)で書いているが、特に細菌学の分野ではそのような"還元不可能な複雑さ"が見られる。

It seems that until the trigger hair, the door, and the pressurized chamber were all in place, and the ability to digest insects, and to reset the trap to be able to catch more than one insect, had been developed, none of the individual components of this carnivorous trap would have been of any use. What is the selective advantage of an incomplete pressurized chamber?

トリガとなるヒゲと、ドアと低圧状態の袋がそろって、昆虫を消化する能力と、さらに昆虫を捕まえられるように罠をリセットする機能が発達しないと、この食虫植物の罠の個々の部品は何の役にも立たなかった。不完全に低圧な袋の選択上の利点は何だろうか?

Darwin’s Black BoxはMichael Beheが現代的な形で還元不可能な複雑さを導入した本であることを思い返そう。

時間とともに生物学的複雑さが増加することの説明として、自然選択が原理的不足であると読者を説き伏せようと、Sewellはかなりの長さの文章を書いている。この点について彼の論は生物学上まったく間違っている。そして、この議論でさらに重要なことは、熱力学と何の関係もないことだ。

もっと簡単にしてみよう。熱力学的に不可能なことは起きない。しかし、自然選択は起きていて、生物の複雑さの増加についての説明原理として、疑いようもなく有効だ。従って、進化論は誤った理論だという熱力学の原則は存在しない。

しかし、これをもう少し進めてみよう。熱力学を勉強するのに使った本によって、第2法則の記述には幾つか違ったものがあることに気付くだろう。秩序と無秩序についての記述として第2法則を考えるのが便利な、物理的条件があり、そのような場合、幾つかの教科書はそのコンテキストで、熱力学第2法則を表現する。熱を仕事に転換するエンジンの効率についての記述として熱力学第2法則が示されているかもしれない。一般向けの扱いでは、第2法則は熱が熱い物体から冷たい物体へと流れると単純に書いている場合もある。

また、第2法則が適用される系の性質も重要だ。ある教科書では系は孤立系で、物質もエネルギーも境界越えないという条件を要求する。そのような制限があれば、説明は簡単になり、その状況の物理の基本的要請を反映しなくてよくなる。また、これとは対照的に、もっとも一般的な条件を許し、物質もエネルギーも境界を超えて流れも良い。

しかし、私としては、第2法則は純粋に数式と見るのが一番いい。系のエントロピーの変化は、特定の数量(dQ/Tの積分)よりも大きくなければならないと言っている。これが意味することのテクニカルな詳細にかかわる必要はない。これが進化が第2法則に抵触するかどうかを定めるための最も関連する定式化だ。

外界から系が孤立しているという仮定を加えれば、前述の積分はゼロになり、第2法則により系のエントロピーの変化は正になる。言い換えるなら、この状況ではエントロピーは増加する。昔の創造論者たちはこの仮定を無視することが多く、単に第2法則が秩序を増加させる自然の力を排除すると単純に論じた。これに対して、科学者たちは、地球が太陽から大量のエネルギーを受け取っているので、地球は孤立系ではないと応じてきた。これは重要な観測であり、まったく実際に、第2法則のプリミティブな論を論破している。

第2法則は、エネルギーが系の境界を越えるときにも適用され、この場合は、系のエントロピーの変化は前述の数学関数と等しいか大きい。この状況では、エントロピーは減少できるが、第2法則は減少する大きさを定める。Sewellはこれを理解していて、これを許容できる非常に非テクニカルな記述をする。しかし、第2法則を数学的に定式化すると、Sewellが単に、自然選択による進化のような過程は第2法則を逸脱すると主張しえないことが明白になる。所与の過程が第2法則に阻まれるかどうかを示すために、通らなければならない明白な検証方法がある。

進化が第2法則を逸脱するといういかなる主張も、計算によって裏付けられなければならない。Sewellは第2法則が進化の問題てんだと信じているのだろうか? それはいいだろう。では、前述の積分を評価して、エントロピーの変化が必要な量より小さいと示してもらおうではないか。それを欠いているなら、もはや熱力学に基礎を置く論ではない。それはただの"argument from personal incredulity"[...は信じられないから間違いだという論]からの古い論でしかない。そこでSewellは、生物学的複雑さが自然に進化することができたとは信じられないという自らの疑惑を表現しているにすぎない。第2法則のすべての定式化は局所的な秩序と複雑さの増加を許容しているので、それらの増加の観測が熱力学の原則からの逸脱ではない。

Sewellがこの計算をしない理由は彼ができなからだ。誰もできない。エントロピーの計算はいつも可逆過程のコンテキストで実行される。誰も生物の構成物質から生物を組み立てる逆過程をいかに記述するかという気絶するような考えは持っていない。だからまじめ科学者は、インテリジェントデザイン支持者たちが好むような単純な形で、第2法則を生物のプロセスに適用しようとしない。

しかし、Sewellにはさらにもうひとつのトリックがある。彼は第2法則を確率について構成しようとする。SewellのAmerican Spectatorの記事で:
Natural forces, such as corrosion, erosion, fire and explosions, do not create order, they destroy it. The second law is all about probability, it uses probability at the microscopic level to predict macroscopic change: the reason carbon distributes itself more and more uniformly in an insulated solid is, that is what the laws of probability predict when diffusion alone is operative.

腐食や浸蝕や炎や爆発のような自然の力は秩序を創らず、破壊する。第2法則は確率についてのものであり、ミクロレベルでの確率を使ってマクロな変化を予測する。炭素が孤立した系で一様に分布しようと理由は、拡散だけが働いているときに確率の法則が予測することだ。

Sewell が何を言っているのかわかるために、熱力学第2法則はもとより、すべての熱力学の法則の初期の定式化では、物質が小さな粒子からできているという事実に言及することなく為されていることを考えてみよう。そして、科学者たちは、個々の分子の大きなアンサンブルとして物質を見ることにより、基本的な熱力学の法則たちに新たな光をあてることになると気づいた。これにより、結果として、統計力学の発展につながった。"力学"というのは、粒子の運動を説明するからであり、"統計"というのは、個々の粒子の軌道ではなく、大量の粒子の平均的挙動を取り扱うからである。Sewellの第2法則が確率についてだという定が意味のをなすのは、このコンテキストのみである。

基本的な考えはこうだ。気体で満たされた箱があって、それはそのまま誰も触れずに置かれていると、ある時間が経過すれば、気体分子はおおよそ箱の中に一様に分布すると期待できる。箱の半分に気体が満たされ、もう半分が真空になっていたら、とても驚くだろう。これを我々は確率の言葉で説明できる。分子が箱の半分にだけ集まっているものより、箱全体に均等に分布する状況の方がはるかに多い。従って、他の条件が同じであれば、我々は分子が箱の半分に集まっている状況よりも、均等に分布している状況に遭遇する可能性が、はるかに高い。箱全体に均等に気体が存在する分布は、秩序がないと言うことができて、従って、箱の半分に分子が集まっている状況よりもエントロピーは大きい。これなら第2法則を確率論的に解釈できる。

第2法則は基本的に確率論についてのものだというSewellの主張は、ほとんどの物理学者にとって初耳だろう。統計力学は第2法則のひとつの見方を提供するが、古典的な見方よりも根本的でも、よい見方というわけでもない。ただ違うだけであって、状況によってどちらかが適しているが、他の状況ではなそうではない。H. C. Van Nessは"Understanding Thermodynamics"において次のように書いている:
Statistical mechanics adds to thermodynamics on its theoretical side, as a means for or as an aid to the calculation of properties. The other half of thermodynamics, the applied half, benefits only from a wider availability of the data needed in the solution of engineering problems. Although statistical mechanics is based on the presumed reality of atoms and molecules, it does not provide, any more than does thermodynamics, a detailed description of atomic and molecular behavior and of atomic and molecular interactions. However, it does provide, as thermodynamics does not, the means by which thermodynamic properties may be calculated whenever detailed descriptions of atomic and molecular behavior are provided from other studies, either theoretical or experimental. Thus statistical mechanics adds something very useful to thermodynamics, but it neither explains thermodynamics nor replaces it.

統計力学は熱力学に、特性量を計算する手段として理論的な側面を加える。熱力学のもう一面たる応用面では、工学上の問題を解決するときに必要なデータを広範囲に使えるというメリットのみを持っている。統計力学は原子と分子の推定された現実に基づいているが、原子と分子の挙動およびその相互作用の詳細な説明を提供するわけではない。しかし、熱力学がそうであるように、詳細な原子およぶ分子の挙動が、他の理論的あるいは実験的研究によって与えられるなら、熱力学量を計算できるという意味で、統計力学はも原子と分子の挙動についての詳細な説明をする。従って、統計力学は何らかの使えるものを熱力学に加えるが、熱力学を説明するわけでも、置き換えるわけでもない。

さて、Sewellの論にもどると、我々は、Swellの考えが次のような論理構成とともにまとめあげられていることに気づく:
In these simple examples, I assumed nothing but heat conduction or diffusion was going on, but for more general situations, I offered the tautology that “if an increase in order is extremely improbable when a system is closed, it is still extremely improbable when the system is open, unless something is entering which makes it not extremely improbable.”

これらの単純な例において、熱伝道か拡散だけが働くことだけを仮定した。私は、より一般的な状況で、系が閉じている場合に秩序の増加は、とてもありそうにもなく、系が開いていても、"ありそうにもない"わけではもないにしてくれる何かが入ってこない限り、ありそうにもない、というトートロジーを提唱する。

これはこう答えよう「もちろんイエスだ。それがどうした?」

とりあえず、Sewell特有の用語を受け入れて、我々の系としての地球を取り出した時、この系に入ってくる、生物学的複雑さを増加させるものが確かにあると言える。地球が受け取る太陽エネルギーは化学反応を促進させ、生物が生存し繁殖することを可能にする。生存と繁殖のサイクルは最終的に自然選択、すなわち生物学的複雑さの増加に至りつく。そのエネルギーがなければ、生物は速やかに滅亡し、進化は起きない。
たようになります、そして、進化は起こりません。

Sewell は生命の起源の問題にも退却できない。初期の地球にあった様々なエネルギーが、最初の原始的生物へとつながると考えられている化学反応を促進するだろうという事実に直面するからだ。くりかし言おう。Sewellは自らの確率論についての主張を裏付ける、信仰ではなく実質的な何かを提示しなければならない。

Sewell はオンライン講義において、進化論を"逆回転フィルム"だと描写する。それは、複雑さが増加するのは明らかな第2法則からの逸脱だとSewellは意味する(壊れたコーヒーカップの断片たちが集まって、容器として機能する形になるという逆回転ムービーのように)。もし、Sewellがこの主張を我々にまじめに取上げてほしいなら、彼は自らの理論立てに従う必要がある。進化論は我々に、自然史の過程でまったりありそうにない何かが起きたと信じることを要求しているのか? Sewellには確率計算によってこれを示してもらおうではないか。そして、Sewellの計算がどんな重要性を持つのか説明してもらおうではないか(結局、ありそうにもあないことが、常に起きている)。これができれば、Sewellは実際の議論ができる。そうしたら、我々はこの主題について再訪できる。そのような計算がないなら、Sewellはわめき散らしているだけだ。

Sewellは前のエントロピーの計算以上に、これらの確率計算を実行するのは無理だろう。何故なら、この手の確率計算は事実上、不可能だからだ。数十億年の進化から特定の結果が得られる確率は、実行可能な計算に含められるよりも、はるかに多くの変数に依存している。確率論は生物学で様々に利用されているが、これはその一つにはなりえない。Sewellのでたらめな方法による確率計算について、本物の科学者が取り合わない理由である。

Sewellの論のパターンは今や明白になった。 Sewellが我々に自らの論が厳密で洗練されていると印象付けたいとき、エントロピーや秩序や確率や熱力学の歴史を語る。しかし、これを進化に適用するときは、逆回転フィルムやマイクロチップを自分で構成する原子といった単純な断定へと退却する。Sewellがそうする理由は、実際のところ、熱力学と確率論が彼の論において何の役割も果たしていないからだ。もっと正確に言えば、それらは科学的役割を持っていない。科学の専門用語は普通に使うことは、素人を混乱させる有効な手段なので、彼の論では、熱力学と確率論は強力にレトリックな役割を持っている。

Sewellはエッセイを次のように終える:
The development of life may have only violated one law of science, but that was the one Sir Arthur Eddington called the “supreme” law of Nature, and it has violated that in a most spectacular way. At least that is my opinion, but perhaps I am wrong. Perhaps it only seems extremely improbable, but really isn't, that, under the right conditions, the influx of stellar energy into a planet could cause atoms to rearrange themselves into nuclear power plants and spaceships and computers. But one would think that at least this would be considered an open question, and those who argue that it really is extremely improbable, and thus contrary to the basic principle underlying the second law, would be given a measure of respect, and taken seriously by their colleagues, but we aren't.

生物の発展はひとつの科学法則を逸脱しているかもしれない。ただ、それは Sir Arthur Eddingtonが至高の自然法則と呼んだものであり、もっとも壮大に逸脱している。少なくとも私の意見ではそうであり、おそらく私は間違っている。おそらく、それはとてもありそうにないように見えて、正しい条件のもとでは実際にはそうではない。恒星エネルギーの惑星への流入は、原子炉や宇宙船や計算機に原子を再配置しうる。しかし、少なくともこれを未解決な問題だと考えられていると思うかもかもしれず、ほんとうにほとんどありえないと論じる者は、従って第2法則を基盤とする基本原理に反しており、敬意を表する手段として、彼らの同僚からはまじめに受け取られるかもしれなが、我々はそうではない。

知識があれば、Sewellの論に敬意を表さない。というのはSewellが事実上、何の論も創っていないからだ。Sewellは進化が第2法則を逸脱しているという意見として記述している。これは科学者がもつと思われる種類の意見ではない。我々には進化が起き、それの推進力が自然選択だという十分な証拠がある。生物学者は研究において進化論的な考えが役に立つと見出している。もし、Sewellが、進化が第2法則を逸脱していると信じているなら、それを計算で示す必要がある。そうでないなら、何の根拠もない意見でしかない。

この手の論は、数学や科学の教育を受けた誰にとっても明らかでなければならない。それがわかっていないなら、Sewellが敬意を求めても得られない理由のひとつとなる。


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