ドミニオニズムはキリスト教徒の広く受け入れられているとは考えられない。その主たる教義は当初から、キリスト教右翼に反対されてきた。
モーゼの律法の戒律はキリスト教神学者によって、伝統的に3つの分類されてきた。すなわち、道徳律(十戒など)と民事法(古代イスラエルの憲法)と儀式法(豚肉食の禁止など)である。
伝統的に、儀式法と民事法はイエスの再臨によって無効化されると考えられてきた。エルサレム会議で、使徒行伝15章にあるように、特定の道徳律のみが異邦のキリスト教徒に適用されると定められた。タルソのパウロは、キリスト教徒はモーゼの律法に従わなければならないという律法主義に徹底して反対してきた。彼は律法はユダヤ人をイエスに導くものであり、その目的が達成されれば、もはや効力を失うと言っていた。後に、この立場は、「儀式法は全く実践不可能であり、民事法は実践する必要がない」という立場とともに、強く打ち出されることになる。聖トマス・アキナスは言っていた;
For if a sovereign were to order these judicial precepts to be observed in his kingdom, he would not sin: unless perchance they were observed, or ordered to be observed, as though they derived their binding force through being institutions of the Old Law: for it would be a deadly sin to intend to observe them thus.[17]
大半のドミニオニストたちは、自分がプロテスタント改革者の信者でないとしても、ジョン・カルヴァンの信者のふりをしている。しかし、カルヴァンはトマス・アキナスよりも強い見方をしていた:
There are some who deny that any commonwealth is rightly framed which neglects the law of Moses, and is ruled by the common law of nations. How perilous and seditious these views are, let others see: for me it is enough to demonstrate that they are stupid and false.[18]
モーゼの律法を無視し、国家のコモン・ローによって統治されていうという、正しく形作られた国家を否定する者たちがいる。それが、いかに危険で扇動的な見方であるかを示すのは、他人にまかせよう。私はこれが愚かで誤っていることを示すだけで十分である。
しかし、ときおり見られるように、ドミニオニストたちは、モーゼの民事法を再制定することを支持する論をほとんど持っておらず、「それは聖書に書かれている」と言う。