これらの研究の発見を説明するために、Lernerは「公正世界についての広まった信念が存在する」と理論化した。公正世界(just world)とは、「行動と条件が予測可能で、適切な帰結を持っている」世界である。これらの行動と条件は典型的には個人の行動あるいは態度である。特定の帰結に寄与する特別な条件は、社会的規律とイデオロギーによって社会的に決定される。Lernerは公正世界信念を機能するものとして提示した:
- 人は予測可能な方法で世界に影響を与えることができるという考えを保持する。
- 公正世界信念は行動の結果に関する世界との「契約」の一種として機能する。
これにより、人々は将来の計画を立てて、効果的に目的を志向した行動をとれるようになる。Lernerは彼の発見と理論的成果を1980年のモノグラフ"The Belief in a Just World: A Fundamental Delusion"にまとめた。[5]
Lernerは「人々が自らを幸福であり続けさせるために、公正世界を信じることは極めて重要である」と仮説した。しかし、人々は世界が公正ではないことを示す証拠に日々直面している: 特に理由がないのに人々は苦しんでいる。Lernerは「人々は公正世界信念への脅威を排除する戦略をとる」と説明した。これらの戦略は合理的なものも、非合理的なものもありうる。合理的戦略には不公正な現実を認めて、不公正の防止したり、不公正に対する賠償を与えようとしたり、自らの限界を認めるといったものがある。非合理的な戦略には、起きた出来事の否定や取消や再解釈などがある。[要出典]
出来事と公正世界信念をフィットさせることができる再解釈のモードはいくつかある。アウトカムや原因や被害者の人格などを再解釈できる。無実の人々の苦しみという不正義を観察するケースでは、出来事の認識を再構成する主たる方法は「苦しんでいる被害者を苦痛に値するものと再解釈すること」である。[1] 特に、観察者は「苦痛が被害者の行動や特性によるものだ」と被害者を叩くことがある。[6] 公正世界信念についての多くの心理学研究は、異なるコンテキストでの「被害者叩きというネガティブな社会現象及び、被害者の評価を落とすこと」にフォーカスしてきた。[2]
このような思考の追加的効果は、「自分たちが評価をとすような行為あるいはネガティブなアウトカムを起こすようなことをしていないと考えているので、個人的に脆弱なことを経験をしていないのだ」と思えることである。[2] これは社会心理学者たちが観察している、自己奉仕バイアス(self-serving bias)と関連している。[8]
多くの研究者たちは公正世界信念を原因帰属の一例として解釈している。被害者叩きでは、被害の原因は、まわりの状況ではなく個人に帰属させられる。したがって、公正世界信念の帰結は、原因帰属の特定パターンに関連しているか、それによって説明されるかもしれない。[9]