窓から強烈に差し込む朝日の光と酷い頭痛に苛まされ、目を覚ます。
頭を抑えながら痛みを抑えていると、もしやまたあの森に飛ばされた時の様な事が起こったのではないかと思い、
周りを見渡すも古臭い壁紙、原稿用紙が挟まれたタイプライター、オカルト物や俺が好きなジャンルの本が敷き詰められた本棚、
何の事はない、何時もの俺の部屋だ。
俺はベッドから起き上がり、上着を羽織りつつ昨日の事を思い返していた。
今思い返して見ても、昨日の出来事は散々だったとしか言いようがない。
アルモニアからの依頼を受けたかと思うと、次の瞬間には森の中を走り抜くバスに乗っていて、
そうかと思うと古びた古城に連れてかれてカルラとイツミに出会い、其処で行き成り世界を救えだの主を助けて欲しいだの
今日日笑い話にも成らない稀代の天才錬金術師を殺して欲しいと言われ、
それを達成しようと奔走していたら今度は仲間が分裂、バラバラになる所だった。
何とかそれはギリギリ阻止出来たが、もうあんな真似は二度とごめんだ。
俺は上着を羽織り、着替えを済ませてから机のタイプライターの上に置いてある封が開けられていないタバコの箱に目が留まった。
煙草なんて久し振りだな、そう思い箱に手を伸ばし、封を切りタバコを一本口元まで持っていく。
思えば、今回の冒険・・・・・・いや奇怪な事件か?どちらでも同じ意味か、それは正しく人間のエゴのぶつかり合いといっても差し支えなかった。
その中でもルスランとパシフィスタ、それにリュラは凄まじかった。彼処まで愛憎入り参り、そして際限無く堕ちていった関係も中々無いだろう。
ルスランはパシフィスタを守る為に俺達を殺そうとし、パシフィスタは生きようとして世界を滅ぼそうとし、リュラはそんなパシフィスたが愛おしく、
そして俺達・・・いや俺か?俺はそんなパシフィスタを殺そうとした。
あの時の情景を思い返しても、良くもまぁ生き残れたなというのが正直な感想だ。一瞬即発、膨らみきった風船の様な関係だった。
果たしてあいつらは幸せになれるのか、それとも地獄よりも深い下へと堕ちていくのか。
どちらにせよ、俺から見て3人はただ一向真っ直ぐだった。最早世界には彼等しか正常な人間がいないかの様に。
それが間違っているかどうかは、俺には判断が出来なかった。
そんな彼等と同じ位、真っ直ぐだった男が一人居た。カイトだ。
正直なところあいつには随分と助けられた、あいつがいなければ、今頃はこうしてくつろぐ事も出来なかっただろう。
あいつも何だかんだ甘かったが、それも若さの特権か。
しかし、気にかかるのは俺が帰って来た時にアプリコットが何故か歳をとっているかの様に老けており、ジェニファーが居なくなっていた事だ。
皆に聞いたが、やるべき事をやったのだという答えが返ってきた為にそれ以上は何も言わなかった。
ヴァレリーは、果たしてヴェスパーへの思いを断ち切る事が出来たのか。
恐らくは無理だろう、だがあいつはあれでいて中々強い男だ。ヴェスパーが支えずとも一人で歩ける程には。
俺は椅子に深く座り込み、マッチ箱からマッチ棒を一本取り出し火を点け、口元に咥えていたタバコに火を付ける。
気がかりなのは、最後
アザトースとウボ=サスラという規格外の化け物と遭遇した時、俺は確実な死を感じた。
逃れられない死、今まで出会った化け物とは一線を越える程の超常的な力。
最早俺は正気を保てずに、ただただ生を願い続けた後に意識が飛んでしまったが・・・・・目を覚ますと、全てが既に終わっていた。
何が起こったのかさっぱり理解が出来ず、困惑する俺に向かってアプリコットやカイト達は
『俺がアザトースとウボ=サスラを追い返した』
『眠っていた俺は無意識が外に飛び出し、その俺は今世紀最大のエンターテイナーだった』
『最後の最後にイツミにキスをした』
などと俄かには信じ難い話を随分とまぁ流暢にベラベラ喋ってくれた。
どれもこれも恐ろしいまでの活躍っぷりだが、イツミに関しては・・・・正直喜んで良いのかどうか分からなかった。
確かに出会った当初から信用の置ける奴だとは思い、そしてそれは道中で確信へと変わった。
周りが極端に精神的に不安定な奴等で囲まれていた俺にとっては、彼女の存在は一種の清涼剤へと変わっていき、
彼女の考え方、敵はどんな理由があろうとも殺す。その考え方は俺と似たようなものだったのも大きい。
結果から言うと、信用の置ける良い女だとは思っていたが・・・・まさかこうなるとはね、
ああも奴等の前で見栄を切った以上、今更それを取り消すのも男気溢れる行動とはとても言えない。
一生独身で人生を最後まで全うすると思ってたが。思わず笑ってしまい、タバコを吹き出しそうになる。まさかこんな事になるとはな。
何にせよ、その無意識下の俺には少し妙な気分だが礼を言わなければなるまい。
それにしても、そんなにも素晴らしい活躍をしてくれたのなら、インスマスでもカストロネグロでも、それから勿論今回の最初から出て欲しかったよ。
最もそんなのはごめんだが、自我次元論でアザトースが俺の無意識下の心と繋がっているのだの何だの、溜まったもんではない。
根元付近まで吸い続けたタバコの火を、灰皿にタバコを押し付けて消す。
そして、コーヒーでも飲もうかと思い、椅子から立ち上がり家に備え付けてあるキッチンへと向かうと
「・・・・・・あっ・・・・」
既に先客が居た様だ。
「・・・・・何だ、もう起きていたのか。」
俺は小さくこじんまりとしたキッチンで、コーヒーポットに入れたお湯をコンロで沸かしている女性にそう言った。
「・・・はい・・・・・元々使用人でしたので・・・骨身にしみたと言うか・・・・」
その女性の髪はショートカットであり、髪色は白く雪のように透き通った銀髪、彼女の眼の色は狼の毛皮の様な見事な灰色であり、其処には俺が映っていた。
「・・・あの、お茶ならお入れしますが、どうされますか・・・・?」
彼女はオズオズと俺に問い掛けてきた、声からも分かるがどうやら緊張しているらしい。無理もないか、こういうのは初めて何だろう。
俺は頭を掻き、彼女に向かって恥ずかしながら俺が思う飛びっきりの笑顔で言った。
「それじゃあ、アメリカンコーヒーのブラックが飲みたいな。頼めるかイツミ?」
彼女は俺の問いに、こくんと頷き慎ましやかな笑顔でこういった。
「・・・えぇ、勿論ですよ・・・・アラン」
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数年後、俺は公園のベンチで気長に座って居た。
朝日が眩しい、たまの日曜日位は家でゆっくりと寝転がっていたい。
だがそんな事を言うと、彼女に
「ダメよ、だっていっつもいっつもいーっつも『仕事だから』って自分の部屋に籠りっきりじゃない!!」
と非常に痛い所を突かれてしまった。やれやれ、何時からそんなに口が流暢になったのか。
俺がそんな事を思っていると眼前にボールが飛んで来た、俺はそれを難なく受け止め、投げ付けて来た小さな犯人に向かって答える。
「おいおい、こんな調子だと俺を病院送りにする事何て一生無理だぞ?」
その犯人は、太陽の光に輝き続けている銀髪を持ち、背丈は俺の腰元にも及ばない少女だった
「あぁん、もう一回!!もう一回!!」
彼女はまるで猫の様に飛び跳ね、せがむ。
彼女の足元には彼女よりも更に小さい、黒髪の子供が不思議そうに彼女を見つめていた。
良く見ると口をモゴモゴして何か食べている、見続けていると苦虫を噛んだ様な表情をして吐き出したがどうやらダンゴ虫を食べてしまっていたようだ。
俺は思わず吹き出してしまった、そんな俺を見て麦わら帽子を被ったイツミが苦笑しながらその黒髪の子供を抱き抱え、優しく話しかける。
「・・・ダメよ、シャーリー。そんなのを食べてしまうと、お腹を壊してしまうわ」
シャーリーはまるで理解出来ていないかの様にコテン、と首をかしげて舌っ足らずな口を動かした。
「・・・・・マンマー・・・」
もっと彼女のその興味深い生態を観察し続けていたかったが、俺はベンチからボールを持って立ち上がり、銀髪の子供に向かってこう言った。
「よ〜し、じゃあ俺と1対1の決闘だ!ターニャ!!負けた方がアイスを奢るんだぞ!」
ターニャは満面の笑みを浮かべ、元気が塊となったかのような声を公園に響かせた。
「望む所よ、パパ!!」
俺はアラン・メイソン
幸せな人生をやっと手に掴む事が出来た作家だ。
HAPPY END/My Name Is
何処ともしれない場所に、寂れた劇場があった
その劇場の、赤幕がゆっくりと上がる。
強烈なスポットライトの光が灯され、壇上を眩く照らす。
其処には何がそんなに嬉しいのか口角が吊り上げんばかりに笑顔で居る男が居た。
男はパリッとした洒落た高級スーツを着飾っていた。男の髪は闇の様に黒く染まり、眼はまるで深海の様に深く吸い込まれそうな青だった。
男はヴィクトリア朝時代の気取った椅子に座り、周りを興味深そうに見つめている。
男の目の前には良く磨かれたチェス盤と長い間使われていなかったのか、ヒビ割れボロボロのチェス盤が2つ並び乗ったテーブルが置かれていた。
磨かれたチェス盤には、誰も座っていない敵の陣地に白のキングとクイーンが3つ、キングを中心にクイーンが寄り添う形で置かれていた。
男の陣地にはコマは一つも無く、ただただ平坦が広がっているだけだった。
もう一つのヒビ割れたチェス盤には、中央に酷く傷が付いた白のルークが置かれ、その周りには白のコマ、白も黒も軍勢達が全て倒れ伏していた。
男以外は誰も居ない劇場、埃が積もりきった観客席の椅子、みすぼらしい穴があいた床とカーテン、
そして辺りを一通り拝見しつくすと、そのニヤケた口元を開いた。
『自我次元論について君達は知っているだろうか?』
男は盤上のクイーンのクイーンを一つ手にする
『全ての人間は自我次元と呼ばれる異次元へとと繋がっており、そのおかげで人類は魂を手に入れ、心と言う物を持続出来る』
男はそのクイーンを指で遊び、まるで興味が無いかのようにそのコマを見つめていると、不意にそのコマを観客席へと投げ捨てた。
観客席にコマが落ち、劇場にコマが床に当たる音が響き渡る
【心は、単なる脳の科学的反応ではなくて、別次元に由来しているものだということが分かった。】
男が盤上のキングに手を伸ばす。
『そして、心と魂が』
男がキングを自分の陣地の、本来キングが在るべき場所へ置き立てる
【生物の脳には自我次元と呼ばれる異次元に接触できる性質があり、脳と自我次元が接触したときに自我が発生する】
白のキングが置かれた瞬間、純白であったキングは漆黒の闇へと染まり始める
『だが、もしだ。そう、もしも・・・・・・自我が、心が二つある者が居るとしたら』
次の瞬間には闇の様に黒きキングが其処に佇み、周りにはポーン、ナイト、ルーク、ビショップの駒が順に現れ始める。
不思議とクイーンがあるべきキングの横にはコマが無く、マスが空いていた。
【脳は記憶や知性などの「情報」を記録したレコード盤であるが、それ単体では何もできない】
男は盤上に残っている白のクイーンの一つを手に取る。
『その人物のもう一つの心、自我は果たしてアザトースと繋がっているのだろうか?』
男はクイーンを黒の陣地、クイーンが在るべきキングの横へと置く。
白のクイーンは、キングの横に収まる。
【脳が自我次元と接触すると、あたかもレコード盤の上をレコードの針が接触したかのような状態になり、記憶や知性などが再生される】
男は白の陣地、最後に残ったクイーンを一瞥し、男がそれに触れると、徐々にクイーンの造形が歪み始める。
『アザトースとは別の、だが魔王と同等の力を持つ程の存在、その様な物と繋がっていたとしても不思議では無いのではなかろうか』
次の瞬間には、クイーンの存在は無くなり、代わりに小さなビショップが置かれていた。
【一般的な人間の接触している自我次元はアザトースに由来する】
男はボロボロのチェス盤に一つ残されたひび割れたルークを持ち、ボロボロのチェス盤を打ち捨てた。
『メイソンは幾度もの神話生物との遭遇と撃退を繰り返し続け、最後には素敵な女性と出会い、幸せを掴んだ』
そのルークをもう一つのチェス盤の白のビショップの前へと置く。
『彼の冒険は素晴らしい幕引きを迎えた 最早彼が活躍する余地は世界の何処にもない』
男はそれをし終えると椅子に深く沈み、満足気に盤上を見た。
『だが、悲しむべき事では無い』
白の戦力は、小さなビショップに傷ついたルークの二つ。
『メイソンの物語は終わりを告げたが、そのおかげで新たな物語が紡がれる』
対する黒の戦力は、クイーン以外の全戦力。
勝てる筈の無い戦い、終わりが既に見えている無駄な戦い。
『私と、そして彼等の物語が』
男が嫌らし気に笑みを浮かべる。
『私の名は』
『Πανδώρα』
男がその名を口にした途端、盤上に鎮座していたコマ達が揺れ始め、寂れた劇場の光が消える。
『覚えておくと良い』
終わりの見えない闇と静寂が、全てを飲み込んだ。