「さぁさ、どうぞどうぞ。」とお客を店内に案内する。
今回のお客はスコットランドヤードの美人捜査官
アースラ・ヘイスティングズ女史である。
ヤード内でカメラのフラッシュを背負って登場した時が懐かしい。
動物に例えるとドーベルマン。精悍な感じが未だにある。
とはいえ、件の捜査で割りと人間ぽい面も見れたりして
人としてお付き合いすると之又律儀な方だったりする。
以前にお薦めした通り、枕と厚めの本を一冊持ってきてる。

”お昼寝”に入る前に風呂に入ることを薦めた。
当惑しつつも私の言に従うアースラ女史。
数刻後用意した寝間着に着替えて彼女は戻ってくる。
頭をしっかり拭いておくことを忠告し、私は飛行船のエンジンを始動させる。
それより30分後、私達はロンドン上空3000mの高さに居た。
まるで灰色の海を浮かぶ船の如く、飛行船”くろがね”は浮かんでいる。

「はい、お客様。焙茶でございます。」と淹れたての焙茶を差し出す。
目的がお昼寝の為、珈琲や濃い緑茶を出すと睡眠に支障が出る。
差し出された焙茶に目もくれず、窓の外を眺めるアースラ女史。
此処は小さな個室になっており、中心にベッドが置かれ、その周囲に
蒸気機関の機械が出す機械臭を消すよう数多くの花が置かれている。
天井の半分もガラス張りで日光を遮らない形となっている。

前回突撃作戦でくろがねを使用した際にはこの居住区は取り外され、
蒸気鎧用のハンガーに切り替えられていた。通常の営業用としては
こうした昼寝用個室を工房で切り替えたりしている。

アースラ女史はこういう目的で飛行船を利用したことがない様子で
物珍しげに窓際に立ち、周囲の光景を見下ろしている。
玩具を与えられた子供のような眼光を湛えつつ暫く無言で風景を楽しんでいた。

くろがねの軌道を固定させる。気流の乱れが起きない間はこうして中空を漂っている。
アースラ女史は只今就寝中だ。先程まで持ってきていた本に目を通していたが
気がついたら寝入っていた。普段余程疲れているのだろう。私は操縦桿を固定すると
居住区まで行き、オーブンでスコーンを焼き始める。

アースラ女史が目覚めた所で、焼きあがったスコーンと淹れたての紅茶を持って参上。
少々呆然としている彼女にお茶を薦めた。

お茶の時間と会話の時間。お互いの近況を話し合ったりする。
ジャック事件の際に用いられた民間の捜査協力体制は以後見送りとなる。
結局ジャック事件を解決したのはヤードであり、
その筆頭指揮を執ったアースラ女史は近々昇格も控えている模様。
英国発の女性役員を目指すよう応援する。
事件解決功績者として面に立つことなく姿を消した我々に申し訳が立たないと呟く彼女を
これで良かったのだと改めて諭す。事実、マスコミのヤードへの攻撃は遂には絶え
人々のヤードに対する信頼を取り戻した。これから先は彼女達の活躍の場であり
私達民間は善意の支援でそれを助けるものとする。

・・・生真面目な人と話すと、交わされる言葉がどうにも形式張っていけない。
大胆にも私は話題を変え、アースラ女史の恋話でも伺おうと振ってみるも見事に撃沈。
ロンドンの男共の目の無さを責めると同時に同じ境遇の人らとサミットする事を決意する。

日が落ちる頃にくろがねは工房まで辿り着く。
荷物をまとめ、にっこりと微笑むアースラ女史に、また来店頂くことを約束願いその日は別れた。

それではまた『空で逢いましょう』

寝室で丸くなって寝息を立てている見目麗しき女性。歳は私と大差ない、
ベッドの脇に置かれたテーブルに普段かけている眼鏡を置き、
寝入った顔は、同じ血が通っているのかと思う程の美貌。
私の従姉であり王立機関技術研究所統括研究員である
「創ちゃん」・・こと鉄　創（くろがね　つくり）その人である。

研究一辺倒、研究の為に人生を捧げているような人。
お陰様で私同様妙齢にして未だに浮いた話なし。
私と違ってこの人は研究以外に興味が無い。

・・・聞きたいことが前からある。が聞けずにいる。
「創ちゃんは研究と私、どちらが好き？。」
この場合、数刻考えた後に「研究。」と返してくると思われる。
この数刻が私達の距離感なのかなと思えるのだ。
要は、私を選ぶ創ちゃんは想像できない。
父上と叔父上が王立機関技術研究所務めで
その伝手で創ちゃんも入ったと思われがちだが断じて違う。
この人は、往年の父上や叔父上の腕をも凌駕する。
26歳で王立機関技術研究所の統括研究員になるとはそういう事なのだ。

ベッドの上で丸くなって寝ている彼女からはとてもそう思えない。
が、起きてメガネを掛けて机にいざ向かうと、目の前の光景を
払拭するかの如き才女ぶりを遺憾なく発揮する。
私は時折彼女の手伝いで彼女の作り上げた機関の試運転を担当したりする。
その時の彼女は普段接している彼女とは違う気迫に包まれている。

飛行船の操縦桿を操りつつ、時計に目をやるとそろそろ15時だ。
船体の動きを安定させた後にキッチンへと向かう。
オーブンより焼いた餅を取り出し、皿に載せる。それと同時に菓子折りから
和紙に包まれた物を取り出し椀に収めお湯を入れる。
焼けた餅を同じように入れ、箸と緑茶を湯のみに淹れて、お盆に載せた。
寝室までそれを運ぶと、丁度従姉様は身体を起こし伸びをして欠伸をしていた所だった。

「お客様、八つ時でごさいます。」と盆を恭しく差し出す。
「おお、懐中汁粉、入手出来たんだねぇ・・・。叔母様に御礼お願いね？。」
従姉はそれを見て破顔し、箸に手をかけた。
「あいよ。」と私も箸を取る。
母上が国の食べ物を恋するあまり、時折取り寄せている事を知っている私は
母上からせしめたりする。親不孝な娘だ。
ただ、すべての食べ物をと言う訳でもなく、納豆などは遠慮被ったりする。
それでも幾らかの日本の食品が気に入ってるのは人種的なところからくるものだろうか。
餅を入れたお汁粉は、私も従姉も好物だったりする。

仲良く汁粉をつつきながらも、少々真面目な話になる。
ジャック事件の顛末や、この先に関するお話。
実際の所何処までを面に出来るかというとそれは難しい話で、その部分の技術的対応を
創ちゃんに現在監修していただいている。まぁ、そのお陰か、現在問題を起こしてる機関の
交換をタワー・ブリッジの時よりはまともに交換を進めれている。
それの進捗と、現場での協力に関しての話。ただ、これもそろそろ終息に向かっている為
後ひと頑張りであろうとの結論に落ち着く。

気がつけば身内の話題に花が咲いている。
お互いの両親の状況とか・・そういう話から何時身を固めるの？という生々しい質問まで。
お互いの解答は”予定なし”。近日予定の独身女性サミットの開催が待たれる所。

工房に戻り、創ちゃんは手を振って王立機関技術研究所に帰っていく。
近いうちに私のテストパイロットの約束を取り付けたせいか、それはもう嬉しそうに。

それではまた『空で逢いましょう』

飛行船はいつもの高度に到達し、暫く留まるための調整を行う。
船内、操縦席ではいつもとは言い切れぬ緊張感が漂っている。
操縦桿を安定させ、視線をふと後方の寝室に向ける・・・。
目と目が合う。相手はにっこりと微笑む。私は作り笑顔を浮かべ視線を正面に戻す。
先程からこのような感じ。相手も常にこちらを見ている訳ではない。
ふと送る視線がかちあうのだ。まるで互いに探りを入れるが如く。

今回の乗客は枢密院所属の軍人様。
お忍びでとか言う訳ではなく、私の友人だったりする。
先述の挙動がどうにも其れで無い様に伺えるのは、最近友人になった関係上仕方ない。
彼女の名前は、ユナ・ナンシー・オーウェン。本名かどうかも怪しい。
今の所、私は彼女をユナと呼ぶ事にしてる。公の場ではオーウェン中尉ではあるが。

彼女は切り裂きジャック事件の際に、ちらちらと痕跡を見せていた人物だ。
ヤードの協力者として動いていた私達は、当時の捜査に陸軍が介入してきた事から
当然彼女も警戒していたのだが、実際には彼女は別の立場で捜査していたものだった。
単独でそれらを調べあげた手腕は、彼女の有能を物語っている。
捜査に行き詰まり、私が彼女に接触をかけた時に快く応じた柔軟性もその要因だ。
そのくせ飄々とした面もあり、実直クールな行動派アースラ女史、温厚のほほんとした才女創ちゃんと比較すると
得体のしれない、捉え処の無い実力派軍人・・・と分類されるのが彼女だったりする。
過大評価か否かはこの先の付き合いで判るだろうけど、ジャック事件でその片鱗は伺っている。
今現在、こうして友人としての付き合いがあるのも不思議なくらいなのだが・・・。
捉え処の無いと言う意味合いでは、時折彼女は簡単に手折れそうな儚さを見せる時があり、
それが無性に私を苛立たせたりする。件の事件でも一番危険な場所を率先して調査に入る辺りがそう。
人をだしに使ったりする狡猾さというものが感じられず、騎士道的な高潔ささえ感じるというこの不思議感。
「使い潰しのが惜しい・・」といって笑っていた彼女だが、では果たして今まで何人使い潰してきただろう？。
その数を数えるのには片手で事足りる、そんな気がした。

で、肝心の船内の緊張感なのだけれど、私達は時々奇妙な”間”が出来たりする。
会話してたりして、時々どちらかがどちらかに魅入ってたりする・・・そんな事が時折あった。
私からして彼女は、彼女からして私は今までに見知っていたタイプで無いのかも知れない。
かと思えば、こう、隙あれば相手を倒しかねないような気迫を持って立ち望むことも在る。
殺意の応酬程ではないが隙あらば一本を狙う・・・その様な感覚で接することも在る。
自分でも不思議に思うが、それでも私達は友人関係を留めている。
そんな中、風呂から上がって寝間着に着替えてきた彼女に、妙に緊張をする私。
向こうは向こうでぎこちない笑みを送ってくるのでますます私も硬直してくる。
友人のアースラ女史、従姉の創ちゃんとは全く違った立ち位置の存在、それが今更になり重くのしかかる。
かと言って、招待したのは私なので固まり続ける訳にも行かない。
良く解らない逡巡に囚われていた私を開放したのは彼女の静かな寝息だった。直後、猛烈な脱力感が私を襲う。

持ち込んでいた工学書に碌に目も通せぬまま、時計を見れば15時に差し掛かる所だった。
ひと通り計器類をチェックし以上がない事を確認後キッチンに向かう。”お茶”の用意をひと通り揃えると
盆を支えつつ寝室に向かった。焼いたパイの匂いでか、彼女は半目で私を見上げている。どちらともなく交わされる「おはよう。」。
寝所でお茶をする事を彼女が拒んだため、急遽テーブルを用意し外の景色を眺めつつお茶となった。
用意したお茶は近年売りだされたアールグレイなる紅茶と良い桃が手に入ったのでピーチパイを焼いてみた。
上品に、にこやかにそれを口にする彼女を眺めつつ、他愛のない世間話をする。が、気がつくと仕事の話になってたりで
いつの間にか事件の進展の可能性に関して論じてたりと何の為の骨休みだかと2人で苦笑したりする。
彼氏がいるかの話はジャック事件の際に伺ったから特に話さなかったが、それ以降も状況は変わらずらしい。
仕事が忙しいのは良いことと思うが、それに伴い私生活が荒れるのも如何なものかと思う。
アースラ女史、創ちゃんに続いて独身女性サミットの参加要請を行った。苦笑しつつも応じるユナ。

時間が来て工房に到着した後、着替えを済ませて出てきたのは精悍な軍人だった。
実は工房に戻る直前、軍からの通信があり、内容を確認するとユナ宛のものであった。要は新しい仕事らしい。
仕事着は常に持ち歩いている辺りプロ根性は半端ない。私は一言「頑張れ。」と。彼女は一瞬だけ微笑んで、踵を返し雑踏に消えた。
まぁ、また何れ、時間の空いてる時に遊びに来るといいさと、私も工房にその身を翻す。

それではまた『空で逢いましょう』と心の中で呟きつつ。

4番目のお話は、私がチケットを渡した最後の相手のお話。技師のジェーンさんその人である。
3月1日にスコットランドヤードに集められた多くの民間人。その中の一人、鉄に覆われた謎の技師が彼女だ。
其れより3月5日までをロンドンの命運とヤードの威信を賭けて、ロンドン市を共に駆け回った仲だ。
他の3人同様、店内でデイリークロニクルに目を通しながら店にやって来るのを待つ。…が、来ない。

冷静に考えると、店に招待するのは考えて見れば初めてで、何処かで道に迷っているのかもしれない。
もしくは、時間の指定を間違えたかと思っっていたら店の裏手で気配がする…。もしやと覗きに行くと、彼女が居た。
目を輝かせ、店の裏手で動作している蒸気機関を眺めては手帳に書き留めている。ああ、彼女はそういう人だった。
よくよく考えてみれば、店で使用している蒸気機関も、飛行船くろがねも基本設計、組み立ては王立機関研究所に
入所する前の創ちゃんの手によるものであった。10年来の品々であるが、故障一つない逸品である。
時折、暇を見ては創ちゃんその人が泊まり込みでオーバーホールに来てくれたりするので性能的には申し分なし。
その機関を目ざとく見つけたジェーンさんはそこから離れず、設計図のラフを作成していた。この辺逞しい技術者根性。
気遣ってくれてか、例の装甲は今回は無し。うちみたいな何でも屋みたいな店に気兼ねはいらないのだが…。
納得いくまで行くまでスケッチを待っていると日が暮れそうなので、取り敢えず入店してもらう。ついでに、執拗に入浴を勧めとく。
私の予想では。彼女は絶対寝ない。寝ないでくろがねの内部を見て回るに違いない。地上に戻るまでひたすらスケッチをしてる筈。
休息と癒しが目的の”お昼寝”にてそんなワーカーホリックな真似は許されない。
今回は、その実直仕事莫迦に対する対抗策を講じてきた。講じた際の母上の不機嫌そうな顔が脳裏に浮かぶ。

湯呑に8分目に注がれたそれを、ジェーンさんに差し出す。不思議そうにその中身を覗きこみ、恐る恐る口にするジェーンさん。
まんざらでもない表情を浮かべ、それをちびちび舐めるように飲み始める。
私が今回実家から奪もとい拝借してきた一つは母上が日本より取り寄せた”甘酒”である。
母上は、これと汁粉に目が無く、ついこの間も愚娘に汁粉の一部を持ち去られていた事に業を煮やしていた。日本の甘味に関しては
娘はおろか、優秀なる従姉すらも母上の敵視に入る。（流れる血ゆえか、私も創ちゃんもこれらの品に目が無い）
そして、程なくして届いた甘酒ともう一品も、その半分を娘に持って行かれる羽目に。
次は貴方が直接取り寄せなさいと釘を刺されつつも、私は無事に甘酒を手中に収めた。
その最初の一杯がこれだったりする。

お酒には元々強くないのか赤ら顔で上機嫌のジェーンさんを乗せ、くろがねは上昇を始めた。
数刻後は、すやすや寝息を立てて休むジェーンさんの姿がそこにある。

ジャック事件で民間の捜査協力を行ったのは大英断であり、実際に効果を成したのであるが、
これは結局表ざたにされないままヤードの手柄と言う事で幕を閉じる。
民間の協力体制も今回の特例と言う事で終わりを告げた。
その事を操縦席から時折ジェーンさんを眺めては思い出す。
技術協力はこの先あっても、民間が捜査に加わることはもうない。ヤードの伝統とは一線を引かねばならない。
…とはいえ、面白い経験ではあった。幸いに、人死にが出なかったからとも言えるが。
…いや、人死にが出なかった訳ではない。が、その段階では既に生物学上人間では無くなって居た者達だが…。
人と蒸気機関が融合した何か。財団の研究所でそれに出くわし、それが物になり逝く様を見つめ、ジェーンさんとユナとで神に祈った。
ジェーンさんを見ながら感慨に耽っていると、どうやらそろそろお目覚めのご様子。計器類の異常がない事を確認したのちに私はキッチンに消える。

ベッドの上で伸びをしたジェーンさんに私は盆のものを差し出す。
盆に乗っている物はグリーンティーと羊羹と呼ばれる和菓子だ。
またももの珍しそうに眺めるジェーンさん。グリーンティーは若干渋めだったかやや顔をしかめつつ。
けれども羊羹の甘さには目を丸くしていた。気に入ってくれたなら母上の天敵がここにも一人誕生する。
後の時間は、予想した通りで、くろがね内部のスケッチ大会。当たり障りのない荷物搬入搬出用のマニュピレータ―迄もがスケッチされていた。

そうこうして居る内に地上に戻るくろがね。
彼女にとって骨休みになれただろうか。
見た限り、休む事より知る事の情熱が勝った感じ。
幾多の機関のスケッチを終えると、またと夜の道に消えていく。
うん、事件に関係のない所でまたご一緒したいね。


振り返って手を振るジェーンさんに、片手を挙げ、心の中でこう呟く。

それではまた『空で逢いましょう』