前書き
チベット密教の世界は、とても謎めいている。なにしろ、社会主義政権下の今でも、輪廻転生を繰り返す活仏があちこちにいるからだ。また、鳥に遺体を処理させる鳥葬も、いまだに行われている。
この奇妙な世界に住むチベット人たちに、ずっと信仰され続けてきたのがチベット密教である。それはまさに神秘の宗教で、かつてこの地を訪れた外国人たちは、信じられないような光景を目撃した。
たとえば、厳寒のさなか、自分の体温だけで雪を溶かすラマ(ここではチベット密教僧と定義する)、空を飛ぶラマ、人の見ている前で姿を消すラマ……、こうした不思議なラマたちが、チベットを訪れた欧米人によって記録されている。
この謎の修行法にスポットを当ててみたのが本書である。行をどのように実践し、行が進むといかなる体験を得るのか……、この問題のみにテーマを絞って書いてある。チベット密教の歴史や思想、あるいは宗教観といった問題については、ほとんど触れていない。それらについては、いくらでも良書が出ているからだ。
はっきりいって、日本語で書かれたチベット密教の行法書(ほんのわずかしかない)は、どれもあまりわかりやすくない。というのも、チベット人向けに書かれたものを、精神風土の違う日本人にそのまま示しているからだ。これはちょうど、イスラム教がよくわからない我々に、イスラムの思想をそのままの形で理解せよと要求しているに近い。
純然たる宗教書なら、確かにそれで構わないだろう。その宗教の正しい姿を我々に伝えてくれるからだ。だが、行のテクニックは別物だ。わけのわからないものをそのまま書いては、いつまでたっても理解できないし、何十年やってもものにはならない。それを解釈するだけで、一生がつぶれてしまうだろう。もっと内容を斬新にして現代人向けに書く――こういう精神がそろそろ必要だと思う。
かくいう私は、中国仙道について、この発想のもとに十数冊に及ぶ行に関する入門書を書いてきた。日本人向けに非常にやさしく書いた(と自負している)せいか、どれも好評で、今では本場中国や台湾でも翻訳されている。考えてみれば、日本人の私が……と赤面の至りだが、彼の地の人々も、古色蒼然とした伝統的仙道書にはウンザリしていたのだろう。
今のところ、日本で出版されているチベット密教の行法書も、この古色蒼然のたぐいだ。あいかわらずニンマ派とかガーギュ派(カーギュ派)、あるいはギル派(ゲルク派)とかにこだわっていて、内容は神秘的でとしてもわかりにくい。
どうしてそうなるかというと、チベット語の原本あるいは欧米で活躍しているラマたちの英語本を、噛み砕きもせずにそのまま訳すからだ。一度、内容を理解してから、新たに編み直すということを、まずしていない。
もちろん、僧侶になりたい人や専門的にチベット密教を目指す人にとって、本の内容が元のものに忠実なのは決して悪いことではない。だが、われわれ門外漢には、あまりありがたくない。なぜなら、いつまでたってもチベット密教の行を理解することができないからだ。
はっきりいうと、日本でチベット密教の普及がいまいちなのは、現代人向けに書かれた行の入門書がないからである。まず、それらをもっともっと充実させる必要がある。本書を書いたのは、そうした理由からだ。
本書は、もとより完全なものではない。浅学ゆえの間違いがあるかもしれない。しかし、類書がない以上、かなり良く出来たもののひとつに数えられると自負している。試しに本書を読まれてから、日本語で書かれたほかの行法書と比較されてみるといい。他書は、思想的にはおそらくはるかに高度なことをいっているのに、それと裏腹に行のほうはゴチャゴチャしてわかりにくい……ということに気づかれるはずだ。欧米経由にせよ、原書の翻訳にせよ、チベット人向けに編まれたものをそのまま持ってきて、現代日本人に理解させようというのは、かなり無茶なことなのである。
簡単に本書の特徴を述べよう。まず、内容が現代人向けに整理してあるということ。次いで、あまり宗教臭さがないということ。さらに、超能力やオカルト方面にあまり傾きすぎていないこと。体験談のなかにはそれを髣髴とさせる話も出てくるが、行そのものは極めて合理的で、オカルティックな要素はまったく入っていない。
また、これはもっとも大事なことだが、本でやる以上、極力、独習できるようにトレーニング法を紹介してみた。密教の行を「独習できるように」するのは、実はかなり難しい要求なのだが、昨今の日本では絶対に必要なことなので、できる限り「独習できるように」書いたつもりである。
とにかく本書では、行に関して今までのチベット密教書にはない、新しいアプローチをしてみた。そのため、宗教的なありがたさがやや薄れているかもしれない。しかし、行の本は、純然たる信仰の書ではないのだから、それもひとつの試みとしていいのではないか。行の解釈、トレーニング方法が非常に合理的であること、むしろそちらのほうが、現代人にとっては必要とされることなのである。
私としては、本書を、チベット密教の知識がない人を対象に書いたつもりである。とはいっても、まったく素人の方を対象にしているわけではない。ほかの修行法でいいから、多少ともこの方面に関して知識のある方、たとえば、仙道、ヨーガ、あるいは日本の密教について知識を持っている方々に、一番読んでもらいたい。おそらく、その方面の素養が多少ある方なら、本書を読んでいくだけで、チベット密教がマスターできるはずだ。
もちろん、まったく素人の方が読んでも十分に役に立つ。マスターするのはともかくとして、チベット密教の行がどのようなものかが一発で理解できる。行についての啓蒙書としては、本書は今のところ最良のものなのである(すぐに専門の方々も類書を書くだろうが)。
すでにチベット密教を手がけている方にとっては、もうひとつの参考書になるはずだ。あなたが使っている本格的な専門書(行の本)の脇に本書を置いて、わからないことが出るたびに読み比べていくといい。たちどころに不明点が解消できる。というのも、この本は、私自身が原書などを解釈するために、少しずつ書きまとめていったものだからだ。
本書は、かように色々な読み方が出来るのである。ぜひ、色々な方が愛読されんことを願っている。