思えば翔と俺は妙な縁があったのかもしれない。

俺が翔と初めて会ったのはコンビニの前だった。俺は学校帰りに雑誌を買いに立ち寄った。
店内に入ろうとした時、ちょうど不良仲間と一緒に店を出て行こうとしていた翔とすれ違ったのだ。
翔は美少年だった。高校生にしては幼い顔立ち、肩まで伸びた艶のある黒髪。一見すれば
女性に見えなくもない。だからか、一瞬顔を見ただけにも関わらず翔のことが妙に頭の中
に残っていた。

そしてその出会いから二週間後、俺は翔と思わぬ形で再会することになる。

俺は生まれてすぐに父親を事故で亡くしていた。そのため俺は母親の手でこの17年間育
てられてきた。いわゆる女手一つというやつである。母は教師だったがどうやって教師に
なれたのか不思議なくらい性格が破綻していたので幼い頃からいろいろと苦労した俺は自
分で言うのも何だが、そこそこしっかりした男に育ってきた。
それに母親の収入は二人で暮らしていくぶんには充分だったし、一人っ子の俺は同じ年齢
の子供と対して変わらない生活を送っていた。携帯に金を使い、ゲームに金を使い、友達
と遊ぶのに金を使ってきた。
だから母親が再婚すると言っても文句はなかったし、(文句を言ったらどんな目にあうか
恐いから)相手の男に俺より一歳年下の連れ子がいて俺が兄貴になると言われても文句は
ない……はずだった。



『それでその相手の……良夫さんだっけの連れ子ってのは男?女?』
出来れば妹がいいと思っていた。年頃のしかも義理の妹が出来る、男にとってはかなり美
味しい話である。まあ、だからといって何がどうなるものでもないが。
『男の子よ。名前は上村翔くん。貴志より一つ年下の高校2年生。何度か見たけどすごい
美少年だったわよ。美味しそうだったわ。貴志とは天と地ほどの差があるわね』
仮にも自分の息子に向かってその言い方はないだろう、と思ったが口にしたところでしか
たがないので黙っていた。母はこういう人だから今更いちいち腹を立てても仕方がない。

この時は「男か…残念なようなほっとしたような」ぐらいにしか考えていなかったが、
良夫さんと連れ添った彼、翔に出会った時、その「ほっとしたような」という考えは直ぐ
さま改められた。
俺が『こんにちわ。初めまして』と極々平凡な挨拶をしたにも関わらず翔から帰ってきた
のは

『ウザい。話かけんじゃねえよ』

正直言ってショックだった。俺は自分で人当たりのいいほうだと思っていないが、まさか
初対面の人間にいきなり「うざい」と言われるとは夢にも思ってなかった。
このことがあって俺はずいぶん悩んだ。何か翔の気分を害するようなことをしただろうか
と本気で考えた。一緒に暮らし始めて翔がこういう人間だということが分かるまで。



良夫さんの話によると5年前、良夫さんの前の奥さん、翔の実の母親が病死するまでは平凡な少年だったらしい。
だけど中学に上がり、母親が亡くなってからは徐々に言葉遣いも乱暴になっていき、何時
からか余り良くない連中とも付き合い初め、問題行動を頻繁に起こすようになりその都度
何度も中学の教師に呼び出されたみたいだ。
簡単に言ってみれば子供がグレるのによくあるパターンという奴だ。

そんなわけで一緒に暮らし始めてからも当然うまくいくはずがない。学校には毎朝遅刻す
る、家族全員で食べるのが決まりの夕食の時間には帰ってこない、親の言うことはきかな
いし、言葉遣いは汚い。
母さんは性格が破綻しているし、良夫さんは蝶(誤字ではない)がつくほど温厚というか
のんびりした人なのでまったく気にしてない。そのため至極まっとうな俺が苦労するハメ
になった。
朝起きない翔を起こしにいくたびに殴られる。
夕食時に帰ってこない翔を注意するたびに蹴られる。
朝帰りした翔に理由を聞いては無視される。その後何を話しかけてもまるで無視。
学校で問題を起こした翔の代わりに教師に平謝りする。親は何もしてくれない。どこまで
放任主義なんだこの野郎。

問題はそんな生活が始まって半年ほどたったある日のこと。




ピピピ、ピピピ、ピピピピピ、ピピルピルピルピピルピル。

携帯のアラームで目が覚める。時刻は朝の7時。登校時間まであと1時間ほどあるが、な
かなか目を覚まさない奴を起こすために毎朝この時間に起きるのが日課になっていた。
自分の部屋のある二階から下の洗面所まで下りて顔を洗い、寝癖のついた髪を整える。
寝間着を脱ぎ制服に着替えて準備完了。意を決して2回の翔の部屋のドアをノックする。
“トントン。トントン。トントン”
3回ノックしても以前返事はない。いつものことだ。
“ドンドン!ドンドン!ドンドン!ドンドン!ドンドン!ドンドン!”
こんどはドアをある程度力を入れてノックする。これも反応なし。予想の範囲内だ。
“ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!ダン!!”
ドアをブチ破らない程度に蹴る。…だが反応は無し。
『おかしいな?いつもならこれで起きるはずなんだが…』
これで起きないとなると最早最終手段しかない。俺は自分の部屋に戻りタンスの中から翔
の部屋の鍵を取り出す。どうしても翔が起きないときのために親の了承を得て(翔の許可
をとっていないが)合い鍵を使うことが許されていた。
『おーい。翔。どうしても起きないのなら鍵開けるぞ。最後通告だからなー』
だが以前返事はなし。しかたがない、こいつはもうやるしかねーぜプロシュートの兄貴。




“ガチャ”
ドアを開けて部屋の中に入る。
『相変わらずすごく散らかってるな…』
部屋の中には雑誌やら飲みかけのペットボトルやら煙草の吸い殻が散乱していた。そのゴ
ミの山の向こうに翔のベットがある。
顔は見えないが布団が膨らんでいるので、やはりまだ寝ているようだ。
「起きろよ翔。朝だぞ」
へんじがない。まだねているようだ。
後が恐いが起こすには布団をはぎ取るしかなさそうだな。
俺は深呼吸して覚悟を決めてから布団に手をかける。あとでどんな仕打ちにあうかなんて
今考えてもしかたがない。
『起きろー!!』
布団を思い切りめくり上げる。これで翔も起きるしかないだろ、う?

『んん…う…うん……』
『へ?』
どうやら人間ってのはあまりにショックな出来事があると思考がフリーズしてしまうらしい。俺は口をぽっかりあけて絶句していた。
翔が寝ていると思っていた布団の中に入っていたとのは……見知らぬ女の子だった。
長いまつげで小さな鼻のかわいらしい顔つき。肩までの黒髪。男とは比べものにならないほど白く綺麗な手足。毛一本生えていない。客観的に見てもすごくかわいらしい女の子だ。
タンクトップの下からはおへそがのぞき、巨乳とは言わないまでもけっこう大きな胸がゆ
るやかにカーブを描いている。それにブラジャーをつけていないらしく胸の先端が…その




しばらく女の子をぼうっと見つめていたが徐々に思考が元にもどってきた。何故こんな所
に見知らぬ女の子がいるのか?それよりもいったい翔はどこにいったのか?考えられる可
能性は3つ。

,海譴聾充造任呂覆ぁどうやら俺はまだ夢を見ているようだ。
△海量爾郎鯑、翔が俺たちの知らぬ間に連れ込んだ女の子だ。
かわせない。現実は非情である。

頬をつねってみた。痛い。よって、残念ながら,硫椎柔はなくなった。
昨日翔は珍しく早く帰ってきた。夕食は一緒に食べなかったが…。その時には誰も連れて
なかったし、それ以後外出はしていない。よって△發覆なった。
ここにはそもそもヴァニラ・アイスはいない。よってもなくなった。
『って何のこと?』
どうやらまだかなり混乱しているようだ。落ち着け。落ち着け俺!
と、一人であたふたしていると隣から声が…
『何してんだ?お前?』
『はひ!?』
思わず間抜けな声がでる。見ると女の子が目を覚ましてこっとをじっと見てた。
『あの…あのこれはですね。そのなんか宇宙の意志とか…そんなのが…そのスピルバー
グ!!オヤシロ様!オヤシロ様が藤田まことにぃ〜!助けて純情系!』
あまりに混乱してわけのわからない言葉を連発する俺。女の子が『こいつ頭大丈夫か?』
というような顔でこちらを睨んでる。
『朝からなにキモいことやってんだよ。勉強しか取り柄がないくせに頭がおかしくなった
らもうどうしようもねえな。つうかさっさと俺の部屋から出てけよ。ウゼえんだよ』
む?失礼な。勉強しか取り柄がないわけじゃないぞ。つうか勉強もそんなに出来る方じゃ
ないが。ん?俺の部屋…?それに今のしゃべり方…
『もしかして君、上村翔…ですか?』
『はぁ?…お前ほんとに頭大丈夫?それ以外誰がいるんだよ?』
………そんな、まさか。
『お前?ホントに翔?』
『次ぎその質問したら殺すからな』
どうやら間違いなさそうだ。俄に信じがたいことだが翔はその、ありえない、ありえない
がそうとしか考えようがない。
つまり、女?…女の子になっているわけでありますか?

『とりあえず鏡見てこい。それからじっくり話し合おう』
怪訝な顔して翔は部屋を出て行く。俺は『ふう…』と一息ついて座り込んだ。そして考え
る。こんなことになった理由を
『……っ!?うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ????!!!!!!!』
下の階から聞こえてくる。妙に甲高くなった元義理の弟の悲鳴を聞きながら。




『それで…こんなことになった心当たりとか…あるわけないよな』
『…分かってるんだったら訊くなよ。殺すぞ?』
とりあえず翔が落ち着いてから二人で向かい合って事情を確かめていた。両親が新婚旅行
中で留守なのが不幸中の幸いかもしれない。
ちなみに良夫さんも母さんも教師なのだが有給とかコネとか全て使って2週間のヨーロッ
パ旅行に出かけている。豪勢なことだ。
つうか2週間も学生の子供を二人も放って置いて旅行に出かける親がこの世にいるとは思
わなかった。相変わらずうちの親、とくに母さんは破綻しているな性格とか性格とか性格
とか…
『まあ、とりあえず今日は学校休むか。俺、連絡しとくわ。翔って二年何組だったっけ?』
受話器を手にとって翔に訪ねる。翔は俺と出会った直後は学校もよくサボリがちだったが、
俺の必死の思いが通じて(だと俺は思っている)最近はあまりサボらなくなった。
『…4組』
しぶしぶ答える翔…いや、口調と性格こそ翔だが外見的にはどう見ても知らない美少女に
しか見えない。



電話も終わり。再び翔と対面する格好になる。翔はさっきから終始無言だ。まあ、当然だ
ろう。突然、女になったんだ。いろいろと考えることもあるんだろう。
それに比べ俺の方はさっきからドキドキしっぱなしだ。かなしいかな俺は今だに女子と付
き合ったこともなければ、友達になったこともなかったので、いくら翔と分かっていると
はいえ目の前の美少女は少々目の毒つうか眩しい。
それにタンクトップにハーフパンツという無防備な格好なので余計だろう。ついつい胸に
目がいってしまう。
『………』
翔は何か考えるように黙っている。俺がチラチラ胸を見ていることには気が付いてないよ
うだ。まあ、気が付いてたら俺は今頃物言わぬ肉塊になっているだろうからな。
とはいえこの沈黙はすこしキツい。何か言わなくては…そうだ。
『なあ』『おい』
……口を開いたら翔とハモってしまった。
『なんだよ?なんかあんのかよ?』
翔がややムっとした口調で訊いてきた。
『お前こそ、何か言いたいことがあるのか?』
『…っ!ウザい口の利き方すんじゃねえよ。お前から言えよ』
おっとまずいまずい。ここで翔を不機嫌にしたら話ずらくなるな。なるべく慎重に。
『なあ、翔。下着とかどうするんだ?』
“ドス!!”
椅子ごと世界が反転する。向かいの翔に思いっきり殴られたんだと気づく前に床に頭をぶ
つけていた。
『……つつつつ!』
頭と腰を撫でながら立ち上がる。どうも今の質問はまずかったらしい…当然か。
『てめえ…本当に今、ここで殺してやろうか?』
憤怒の形相で翔がこちらを睨みつけている。頬が赤い気がするが気のせいか…
『いや、変な意味じゃなくて…そのタンクトップだけだとその胸が…』
『え?…わ!?』
俺に言われて気が付いたのはすぐさま翔は胸を手で隠す。さすがに恥ずかしかったらしく
顔が真っ赤だ。あとなんか拳に力が入ってプルプル震えているのは気のせ…
“メメタァ!!”
…いじゃなかったようだ。
本日2度目の転倒。



『とりあえず上の下着だけでも何とかしなきゃな…』
拳がおもいっきり鼻にめり込んだおかげ様でドクドクと流れる鼻血をティッシュで抑えな
がら翔に切り出した。
『なんかお前の言うことに賛成しなきゃならないのは嫌だけど、まあ、そうだな…
(何もつけてねえとすげえ揺れるし、なんかしんどいからな)』
とりあえず翔もノーブラではマズいと思ったらしく、う〜んと唸りつつも俺の意見に賛成
したようだ。差し当たっては…

ドアの前には「貴志絶対入室禁止。この注意書きを見て、部屋の中に入ったときおまえは
死ぬ」というたぶん作者にもあの予言が何だったのかわからない文字が書いてある。
今や母さんと良夫さんの愛の巣になっている母さんの部屋。過去、まだ母さんが良夫さん
と結婚するまえに一度入ったことがあったがあの時のことはもう二度と思い出したくい。この世の地獄とはまさにああいうことを言うんだろう。
『おい、何してんだ?とっとと入るぞ』
翔は俺が葛藤しているのおかまいなしに合い鍵でドアを開けようとする。いくら母さんが
旅行中とはいえ普通に監視カメラとかありそうで恐い。実際あの人ならやりかねない。
“ギィ”
ドアが開く。もう腹を決めるしかないか。

中はごく普通の部屋だった。三角木馬もなければ鋼鉄の処女もない。あと自動追跡型のス
タンドもいない。「コッチヲ見ロ」って声も聞こえない。
綺麗に片づいているし危険そうなものは何もない。
『そりゃそうか。良夫さんも使ってるんだしな…』
『何ボケっとしてんだ。おら!さっさと探せ』
ここには女物の下着、ブラジャーを探しに来た。当然俺はそんなもの持ってないし、翔も
持っているハズはない。と、なると家で唯一の女性、母さんしかないと思った俺たちはこ
こに来たわけだ。不本意ながら…



『うお!?なんだこんなトコから5万も出てきたぞ。貰っちまえ』
タンスの2段目を探していた翔は服の間に隠されたへそくりを見つけたようだ。
『おい、やめろって!母さん達が帰ってきたらバレるだろう』
『うっせーな。ダセえお前とは違うっつーの。おばさん、俺には甘いからな』
確かに母さんは翔には甘い。一応あの人にも義理の息子に対する遠慮みたいなものがあるんだろう…今はまだ。でもじゃあ金を盗られた母さんの怒りがどこにいくかというと。
『頼む。止めてください。俺が冗談抜きで殺されます』
涙を流しながら翔に懇願する。金がなくなったことを知ったら母さんは俺をネチネチとい
たぶってから殺すだろう。想像するだけでも全身の毛という毛が逆立つ。
『…ったく。しゃあねえな』
しぶしぶと金を元に戻す翔。どうやら俺の必死さが伝わったようだ。翔も間接的ながら母
さんの恐ろしさは知ってるからな。あの人は翔と違って殺ると口にしたら本当に殺る人だ。
そんなことをやっているうちに下着を発見した。あまり色気のないベージュのブラジャー
がいくつか入っている。まあ、40過ぎたおばさんがピンクとか純白だったらすごく不気
味だが。
『サイズとか分かるか?』
俺の見立てでは翔の胸は確実に80はあると思うが…
『んなもん分かるわけねえだろボケ!』
『まあ、とりあえず合わせてみろよ』
『おう、じゃあトイレ行ってくるわ』
そう言ってブラジャーを持って部屋を出て行こうとする翔。
『なんだ?自分の部屋で着替えないのか?』
わざわざトイレで着替えなくてもいいと思うが。
『俺の部屋の合い鍵をてめえが持ってるからな。覗かれるかもしれねえだろうが』
覗くって誰が?もしかして俺が?
『なんで俺が覗かなくちゃならないんだよ。だいたいいくら女の子っていっても元は翔だろ』
“ガス!”
『…痛て!?』
左足におもいっきりローキックをくらわされた。ジンジンする。
『死ね!ボケ!』
そう言い放って乱暴にドアを閉めて出て行く翔。なんだ?俺またなんかマズいこと言った
のか?



『遅いな…』
もう5、6分はたっただろう。トイレに着替えに行ったきり翔は帰ってこない。
いくらブラジャーをつけたことがないといっても時間がかかり過ぎだろう。少し気になっ
た俺はトイレの前まで見に行くことにした。
…後にしてみればあと3分ほどまっていれば痛い目を見ずにすんだのに。

トイレの前まで来た。中からは人の気配がする。どうやら翔はまだ中に入ってるみたいだ。
いやに手間取ってるなと思ってドアの向こうから声をかけようとしたら中から微かだが妙
な声が聞こえることに気づいた。
(…なんだ?)
そう思って耳を傾けている。
『…ぅぁ……ゃ…』
微かだが聞こえる。なんかため息のような声が。直感的にこれ以上ここにいたらヤバイと
思ったがついつい耳を傾けてしまう。
『……んはぁ…ん…ぁふ……駄目だ……く…声が…ふぅん…』
微妙にため息のなかに甘い声がまざる。
これは、その、もしかして…
『ゃぁ…早く…ん、戻らないと…ふん…怪しまれる…あ、くん…』
予想は確信に変わっていく。つまり翔は、トイレの中で、してるわけだ。
初めての経験。まさか女の子がオナニーしてるのを聞くなんて生涯にそうそうあったもん
じゃない。あったもんじゃないが俺がここにいるのは非常にまずいのでは…
そうは思っても男の性、ドアに耳をはりつけて翔である女の子の声聞いてしまう。幸いに
も翔は行為に夢中で、ドアの向こうに人がいるとは気が付いてないみたいだ。



『…ゃ…はぁ…ふぅん…でも…気持ち、いい…ふぁ』
気が付けば俺の息子も背筋を伸ばして起立してしまっている。元が翔であると分かっては
いるが、今まで聞いたことのないかわいくて甘ったるい声を聞いて興奮してしまったよう
だ。これが若さか…
『…あふっっ、も、もう…ぁ…だめだ…ぁ…やぁ…』
翔の声も徐々にせっぱつまったような感じになっていくる。絶頂が近いのかもしれない。
『ぁ…あ…ふぁぁ…や…もう…ひんっ、だめぇ…んあ…』
翔の声も大きくなってきた。つうか俺もそろそろ逃げないとまずい、まずいのだが…
『ああっ…あああっ…も、もう…ふあああっ…に…ちゃ…あ、あ、あ、…お…ぃちゃん…
ふあああああっ!!…いちゃん!!
……くっ!…はぁ…はぁはぁはぁ…』
どうやら翔は絶頂を迎えたようだ。つうか俺の息子も限界かもしれない。よもや声だけで
射精してしまうところだった。女日照りってのは恐いな。あと『いっちゃん』って誰だ?
翔の彼女か…?
なんてどうでもいいことを考えるとトイレの鍵が内側から“カチャ”と開けられる音がし
た。
(げっ!!やばい逃げるの忘れてた!!!)
ドアノブがキキキと回される音がする。ゆっくりゆっくりまるでスローモーションのよう
にドアが開けられる。だが意識だけははっきりしている。

突然だが客観的に物事を見てみよう。
まず俺が翔だとすると一番最初に見に入ってくるのは俺の顔なわけだ。
で、次ぎに俺の全体が見えるわけだ。つまり異様に盛り上がった股間とか。
さて俺が翔だとどうゆう反応をするかな?
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
まずはビックリして思わず叫ぶ、うん予想通りだ。
さてこの後は………
“ドス!ガス!バキバキ!ガン!ガン!ドスドス”
まずは股間に蹴りを一撃。俺悶絶。勃っているところを蹴るなんてまさに究極の反則技。
その後すかさず腹に一発。いいパンチだ。女になってパンチ力がけっこう落ちたみたいだ
がそれでもいい一撃だ。
そのまま俺が倒れる前に顎にアッパー。脳が揺すられて意識を失いそうになるが、続いて
まるでマシンガンのような左ジャブの連打。そしてトドメのギャラクティカ・マグナム。
完璧だ。今日からお前が本物のキング・オブ・ハート………




『いや、本当にごめん!本当にごめんだけどお前にもほんの少しは非があるんだぞ』
俺はあれから無言で睨み続けてくる翔に見苦しい弁解をしていた。確かに俺が悪いのだが
お前のことが少し心配になって見に行ったてことも汲んで欲しい。
なんせ俺は自業自得とはいえお前の無敵コンボをくらって半死半生の目にあったという
か、今も半死半生なんだがその辺のことも考えて欲しいな。
ちなみにブラジャーはサイズがまったく合わなかったようだ。冷静になって考えてみたら
40歳のおばさんのが17歳のピチピチ(死語)の美少女に合うわけがない、と思う。
『ウザい。話しかけんなエロ豚』
やっと口を開いたかと思ったらそうきましたか。
『ちょっと待て!ウザいとかキモいとかはいいが、豚ってのはやめろ。自分で言うのもな
んだが俺は全然太ってないぞ。むしろスマートさんだ』
生まれてこの方豚とは言われたことがない。昔ちょっと太っていた時期があったがそれで
もぎりぎり標準だ。肥満ではない。
『そういう意味じゃねえよ!
…ったく人の目の前で汚ねえモンお勃ってやがって…マジキモいんだよ。最悪。死ね』
言いたい放題だな。まあ、間違い、間違いではないが、あまりの言いぐさにさすがの俺も
少し腹が立った。
『ちょっと待て。百歩譲って俺がキモいのは認めよう。だが俺のはあくまで生理現象だが
お前はどうなんだ?
その、いろいろと立て込み中に、トイレでするのはどうなんだ?』
いくら元男とはいえ女性に言うにはあまり非道い言い方だったかもしれないが、腹が立っ
ているのであまり気にしてない。
『…っ!うっせえ死ね!ボケ!カス!』
『答えになってないぞ』
『ぐっ!』
なんか女の子イジメめているような気になってきたが元が翔なんだから気にすることはな
い。
『だいたいよく考えたら俺は普通だ。あっと、可愛い女の子が、その、Hなことしてたら
反応するのは男として普通だ』
……開き直ってしまった。しかもけっこう最低な理論だ。
俺はまた翔から拳が飛んでくると思って身構えたが、意外にも何もしてこなかった。
『あれ?』
顔を上げて翔を見る。なんかボケっとしていた。心なしか顔が赤いような…
『翔…どうした?』
『は?え?何だよ!』
『いや、なんかボーっとしてたみたいだから…』
いったいどうしたんだ?
『ぼ、ぼぼ、ボーっとなんかしてねえよ!!目腐ってんのか?
…はあ、いいよ。許してはやらないけど、そろそろ勘弁してやんよ。よく考えたらそれど
ころじゃないしな』
なんか知らないが機嫌が少し治ってるみたいだ。まあ、なにはともあれよかったのか?



とりあえず機嫌が良くなった(?)みたいなので本題に入ろう。
母さんの下着が合わないのなら他のを調達するしかない。とは言っても前も言ったが俺に
は下着を貸してくれるような女友達はいない。親戚ならいるが此処から電車で4時間ぐら
いかかる所に住んでいるし、最近音信不通なので頼るのは無理だろう。
となると頼みは翔になるが。
『なあ翔。お前確か彼女いるだろ?その娘に貸して貰えばいいんじゃないか』
出来るだけ自然に切り出してみた。確か翔には付き合ってる娘がいたはずだ。一度遠くか
ら一緒に下校しているのをみたことがある。
『もう別れたっつうの』
そっけなく答える翔。
そうか。ちょっと痛いことを聞いてしまった。悪いことをしたな。でも…
『それでもお前女友達とかけっこうたくさんいるんだろう?誰かに貸して貰えば』
『1人しかいねーよ。だいたい恥ずかしくてんなこと頼めるかって!
なんて言やあいいいんだ。“突然女になりました”ってか。無理があるだろうが』
そういえばそうだな。しかし翔って女友達1人しかいないのか…以外だな美少年だからい
っぱい寄ってくる娘がいると思うんだが…
『つうかお前はいないのかよ?誰か貸してくれそうな友達とかよ?』
『悪い。今はいない』
今はのところを強調して言ってみた。さすがに生まれてこの方まともに女の子と付き合っ
たことがないなんて知れたらすごく恥ずかしいからな。
『使えねー奴だな。ホント。マジ使えねー』
『悪かったな』
何はともあれ振り出しに戻ったか。このままでも俺は嬉しい…いや、あまり見つめている
と命が危ないのでやはり下着は必要だ。
しかしどうすれば…
『しゃーねえ』
翔が思いついたように椅子から立ち上がった。何か心当たりがあるんだろうか?
『買いに行くか』
買いに、行く?
『そうか。その手があったか』



そうだ、思えば別に誰かに貸して貰うとかそんな回りくどいマネしなくても普通に買って
くればよかったのだ。今の翔は女なんだからなんら問題はない。
『そうかってお前今までそんなことにも気が付いてなかったのか?超ド級のボケか?』
馬鹿にするなよ。それぐらい気づいてなかった!
『いや、まあ言葉のアヤだ。しかしそうか、買いに行くのか…それじゃあいってらしゃい』
そう言うと翔が怪訝な顔をする。また俺なんかミスった?
『いってらっしゃいって、お前も行くんだろうが』
『へ?なんで?』
“ゴン”
『あた!?』
また殴られた。え?なんで俺が行くの?
『なんでもクソも俺1人で女物の下着売り場にいかせるつもりかよ?お前そんなに俺に恥
じかかせたいのか?』
『いや、恥もクソも翔は今は女の子なんだから別にいいだろ…』
『う、うっせえ!恥ずかしいモンは恥ずかしいんだよボケ!いいからとっとと準備しろオ
ラ!』
なんかすごい理不尽だ。別に俺が行かなくても…
『だったら友達誘えばいいだろ?今日は平日だけどお前の友達なら普通に何人かはサボっ
てそうだからな』
『馬鹿かお前?友達に女になったなんて言えるかよ。だいたい下着売り場についてきてく
れなんて無理だろ?恥ずかしいだろうが』
俺なら恥ずかしくないのか?と言おうと思ったがまた不毛な争いになりそうなんで黙って
おいた。これ以上ややこしくするのは得策ではない。
まあ、そんなわけで結局翔の買い物に付き合うハメになった。



家から徒歩で30分ほどのところにデパートがある。名前はケルト。そこそこ大きなデパ
ートでけっこうな数のテナントが入っている。当然ランジェリーショップもあるわけで。

ちなみに今、翔はTシャツのうえにジャケット、下は擦り切れの入ったジーンズといった
格好だ。以前の翔なら格好いいといえる姿だが今の翔にはサイズも大きめでいまいちアン
バランズだ。翔は男の時もあまり背が高い方じゃなかったが、それでも身長160僂呂
った。だが今の翔はどう見ても150僂舛腓辰箸旅發気靴ない。
やっぱり女の子はもっとかわいい格好をしたほうがいいと思う。ま、こんなこと言ったら
翔に殺されるだろうけど…
ちなみに胸の突起を隠すために家にあった包帯を胸に巻いている。俗に言うさらしってや
つだな。
俺もさすがに平日に制服でそんなところをうろつけないので一応着替えて家を出た。
『そういえばお金は大丈夫なのか?女物の下着ってけっこう高いって聞いたけど…』
デパートの前まで来て、ふとお金のことが気になったので翔に聞いてみた。二人ともバイ
トとかしてないし、小遣いもそんなに貰っていない。果たしてそんなものを買うお金があ
るのだろうか…?
『心配ねえ。家の金持ってきたからな』
なに!?
『ちょ!お前、家の金って!?』
『うっせーな。いちいち大声だすなよ。こんなもん後で謝っとけばいいんだよ。
だいたい事故でこうなったのになんで俺が金を出さなきゃなんねえんだよ』
確かに筋は通っているが、家のお金を持ち出すのはちょっと…いや、でも母さんも話した
らわかってくれる、はず…たぶん。
『そういうことならしかたないか…』
母さんもきっとわかってくれるはず…




店内案内でランジェリーショップの位置を確認する。
『え〜と…下着売り場は3階か…』
ここのデパートにはよく来るし、だいたいの店の位置は把握しているつもりだが、さすが
に女性の下着売り場なんかに行ったことはない。まあ、彼女もいないのに男がそんなとこ
ろに行っていたら変態だが…
と、そこまで考えて急に不安になる。本当に、俺が、下着売り場に行くのか?
いくら女の子(翔)と一緒だといっても、いや逆に一緒だからこそすごく恥ずかしい。
『なあ翔、ホントに俺も行かなくちゃだめか…?店の外で待ってるってのはだめかな?』
隣でやや高い位置にある店内案内を見上げて見ている翔に聞いてみた。
『なんだ?ビビってんのかよ?そういうとこがキモいんだよ!』
ビビってるだって。Exactly(そのとおりでございます)。
『ああビビってる。だってこんなとこ入ったことないからな。すげえ恥ずかしい。だいた
いここは男にとっては鬼門だぞ!』
女性経験ゼロの俺にとってはなおさらだ。そうとうの覚悟が必要だ。
「『覚悟』とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!」と偉いギャングの
人も言っていたが残念ながらランジェリーッショップへの道を切り開くつもりはない。
『んだよ。自分の都合ばっかり押しつけんじゃねーよ!下着を買う俺の方が何倍も恥ずか
しいっつーの。
お前には突然女になった奴の気持ちってもんがわかんねーのかよ!買いたくもない下着も
買わなきゃなんねーしよ!』
自分の都合を押しつけてるのは俺だけじゃないと思うが…
まあ、でも確かに俺よりも翔の方が大変なのは事実。もう少し気持ちを考えてやるべきだ
った。もし俺が突然女になって下着買わなくちゃならないとなったらもっとパニクるだろ
う。その点、翔は偉い。もしかしたら恐い気持ちを抑えているだけなのかもしれないが、
いや、だったらなおさら偉い。俺の事も気を遣ってくれているのかもしれない。
そう思うと自分が少し恥ずかしくなってきた。
『ごめん。そうだよな一番大変なのは俺じゃなくて翔だもんな。ごめんな、俺自分勝手だ
った』
そう言って頭を下げる俺。
『…ふ、ふん!分かりゃあいいんだよ。
じゃあさっさと行くぞ!』
横を向いてそっけなさそうに答える翔。許して貰えたかな?



『うわ…っ!?』
思わず感嘆の声が出る。目の前に広がるのは色とりどりのランジェエリー。まるで花畑だ。
ここはもしや秘密の花園かもしれない。まあ、実際男にとっては似たようなものだとは思
うが…
なにせ普段なら絶対に入ることが出来ない進入禁止エリアだ。ヘタに足を踏み入れるとす
ぐさま御用になる。だからある意味、今の俺はラッキーボーイなのかもしれない。
ブラボー、おお、ブラボー!!
『何、下着見て立ち止まってんだよ?きめえな』
自分の世界に浸っていたら横からの翔の声で現実に引き戻された。そうだった。とりあえ
ずは翔の買い物をしないとな。
『そういえば翔、サイズ分からないんだよな?店員さんに聞いてみたらどうだ?』
幸いにも平日だからか下着売り場には客は俺たちだけのようだが、それでも片っ端から下
着をかき集めて試着するのはマズい。店員さんに聞いてまずサイズを測ってもらうのが1
番だろう。
『…嫌だ。んなハズいこと聞けるかよ』
少し頬を赤らめて答える翔。う!?可愛い…
…って、なに俺は自分の弟、つうか翔を可愛いとか思ってるんだ!?これならキモいとか言われてもしかたがないぞ。
『…い、いや、でもちゃんとサイズとか測らないと下着買うにも買えないだろ?
すごく恥ずかしいとは思うけどちゃんと店員さんにしてもらったほうがいい』
『じゃあ、お前が聞けよ』
へ…?なんと言われましたか?
『お、俺が!?』
『おう、お前が店員に聞くんなら素直にしたがってやんよ』
さて、ここで問題発生。俺が店員に聞くのか…男の俺が…
別に恥ずかしいことを聞く訳じゃないけど、いや、でも…だが、ここで聞かないと進まな
いし、う〜ん…
『分かった。じゃあ今から聞いてくるから。待ってろよ』
そう言って先行する。とは言ってもなんて聞けばいいんだ…?
「この娘のサイズ測ってくれませんか?」…駄目だ。
「この娘の寸法お願いできますか」…よし、これでいくか。
あとは出来るだけ年配の人の方が……と、思って辺りを見回すも不幸なことにけっこう若
い女性の店員さんしかいない。
『おい、聞くなら早くしろよ』
後ろから翔に急かされる。く!恥ずかしいなぁ、もう。いや、偉い人も言っていたじゃな
いか「あなたは…『覚悟して来てる人』…ですよね。下着を買う女性について行こうって
ことは逆に下着を買わされるかもしれないという危険を常に『覚悟してきてる人』ってわ
けですよね…」と!
よし、覚悟を決めた。俺は意を決して一番近くにいた20代後半ぐらいの店員さんに聞い
てみようとした。



あ、あの?』
『どうしました?何かお探しですか?』
後ろの翔を確認しているのか、男の俺に対しても普通に話しかけてくれる店員さん。その
笑顔が今の俺には眩しい…ッ
『いや、え、え〜と、弟…じゃなくて妹の寸法お願いできますか?こいつ初めてなんで…』
後ろの翔を指さして言う。ふ〜。なんとか言えたぜジョルノの兄貴。
『ちょ!お前、妹って!』
なんか翔が言ってるが今の俺は達成感に満たされているせいかあまり気にならなかった。
『わかりました。では、こちらにどうぞ』
なんか言いながらも店員さんに試着室に連れて行かれる翔。まあ、頑張れ。

店員さんに進められた下着をいくつか買って無事買い物を済ませた俺たち。ちなみに翔は
なんだかんだ言いながらも下のショーツも買っていた。やっぱり男物の下着では落ち着か
ないのかもしれない。
あと翔の胸が何カップなのかは聞いていない。俺はまだ生きていたいんでな…

そんなこんなでデパートから家までの帰路をトボトボと歩いていた。
『その…今日は…悪かったな』
ふいに翔が口を開いた。と、同時に驚いた。普段何の用事もなしに翔から俺に話しかけて
くるなんてめったにあるもんじゃない。
しかも翔の口から「悪かった」なんて言葉が出るなんて…
『何が?』
分かってはいるが一応なんのことか聞いてみる。
『下着買いについて行かしたり、店員にあんなこと聞かせたりしてよ』
『ああ、そのことなら気にしなくてもいい(逆らったら恐いし)
しかし珍しいなお前の口から「悪かった」なんて言葉が出るとは』
恐いモノ見たさに少しきわどいことを言ってみた。
『ば、勘違いすんじゃねーぞ!別にお前に感謝してるわけじゃねえからな!一応ワビだけ
はいれとかねえと俺のポリシーに反するからな。
ちょっと人が下手に出てりゃあ調子にのりやがって、だからキモいんだよお前は!』
“ドス”
『ごふ!?』
そう言われて腹をどつかれた。予想通りというかなんというか…
『ごめんなさいすいませんもう言いません』
これ以上殴られないように一応謝っておく。
『分かりゃあいいんだよカス!』
ちょっと言ってみただけでこれか…つくづく俺はなめられているみたいだ。情けない…
『…ぁ………がと』
ん?翔が何か言ったみたいだったが聞こえなかった。たぶん聞こえては駄目なくらい非道
いことを言われたんだろう…トホホ。




『ふう、今日はマジで疲れたな』
ベッドの中で今日のことを振り返る。
デパートから帰ってきたあと、俺たちは別々ながら昼食を済ませて家でダラダラしていた。
さすがの翔も今日はこれ以上出かけるつもりはなかったらしく珍しく部屋に引きこもって
いた。まあ、当然と言えば当然なのだが…
俺はといえば一応休んだ分の授業の内容を自力で勉強して(テスト近いからな)、
明日の授業の予習をし学校に備えていた。
ちなみに明日の学校の件は夕食後にさんざん話あった結果、なんとか翔は学校に行ってく
れることになった。そこには涙なしでは語れない俺の自己犠牲の精神があったことを忘れ
ないで欲しい。危うく死んだ父さんに会いに行くところだった。
『翔は出席日数がけっこうやばいからな…』
一応学校には翔のことを連絡しておいた。さすがに最初はまったく相手にしてくれなかっ
たが俺の必死の説得が効いたのか6回目の電話でなんとか信じて貰えた。
やはり普段の行いがいいからだろう。ありがとう俺。
制服とかの件については明日までに話し合ってくれるそうだ。とりあえずは一安心か…
と、眠くなってきた…今日はいつもに増してよく眠れそ、う…だ…



『…ん…う…うん…』
なんか妙に寝苦しい…つうか下半身のあたりが変に熱い…
『…う…ん…んん!?』
気になって目を開けるとなぜか翔が布団をめくって俺の上にのしかかり、俺の、その、股
間を手で撫でていた。
『な、ななな、なにやってんだ翔!?』
思わず体を起こそうとする、起こそうとするのだが何故か動かない。
『なにって、見りゃ分かんだろうが。それともそんなことも理解できねえほどアホなのか
お前は?』
何時も通りの口調で俺を馬鹿にする翔。だがやっていることは何時も通りではない。
『だってお前…なんで、その、こんな…やめてくれ』
俺の言葉に耳をかさず白く小さな手で俺の股間を撫で続ける翔。それに反応して俺の息子
も次第に元気になっていく。
『うわ。大きくなってきた…きめえ。
つうか朝の時も思ったけどお前けっこう大きいのな』
そうだろう、そうだろう。俺は自分の息子の立派さには少々自身がある、ってそういうこ
とじゃなくて!
『キモいと思うのなら止めてくれ!なんでこんなことするんだ翔』
翔の手から与えられる快感を我慢しながら怒鳴る。気持ちいいがこんなことをするのはマ
ズい。
『うっせーな!怒鳴んじゃねえよボケ!俺がやりたいからやってんだよ。てめえは口だし
すんじゃねえよ』
そう言って今度は俺のズボンを脱がしトランクスの中に直接手をつっこんで俺の息子を直
に握る翔。手から翔の体温が伝わる。それに反応して俺の息子は勝の手の中で“ビクン”
と跳ねた。
『……く!?』
『げ、もう我慢汁が出てやがらあ。汚ねえ』
そう言いながらも俺の息子の亀頭を指でいじり、もう片方の手で全体を擦る。
何の前触れもなしにいきなりするから俺は思わず射精しそうになった。
『…っう!』
手を思いっきり握りしめなんとか堪える。だが連続的に与えられる刺激にそう何度も耐え
られるとは思わない。俺はたまらなくなってもう一度怒鳴った。
『もうやめろ翔!いくらなんでもこれはおかしいぞ!!』
それを聞いて翔は手の動きを止める。よかった。止めてくれたか。
『分かった。じゃあ手でするのは止めてやんよ。その代わり…』


『な!!?』
翔は俺のトランクスをずりおろした。
『…はむ』
熱を帯びて赤く染まった翔の顔が俺の息子に近づく。なんとか止めようとするが体がまと
もに動かない。そのままあろうことか翔は俺の息子を自分の口に銜えた。
『手でふんのがだめなら…口でひてやふよ…』
『ぐっ!』
翔が喋ると鼻息が直に俺の息子にかかる。それだけでさらに興奮してしまう。その様子を
満足げに確認してから翔は口を動かした。
『ふふ。…んん、ちゅ…ちゅぱ…んぶ…んちゅ…』
そのまま瞬はフェラチオを始める。初めてとは思えない舌使いだ。とは言っても俺も女の
子にこんなことをしてもらうのは初めてなわけだが…
カリの部分を舌で舐め回し、唇をきゅっとしめて前後にゆっくりとピストン運動をしてい
る。強烈な快楽に俺は我を忘れて浸っていた。
『…んむ…ちゅ、ちゅ…ずちゅ…んん…ふ…ちゅば…ちゅ…』
翔の唾液が口の中で俺のカウパー腺液とミックスして息子がぬるぬるしているのが分か
る。女の子が一生懸命俺の息子を口に銜え、舐めている姿はあまりに官能的だ。
『…ん、んちゅ…ふぁっ…ずぶ…ちゅ、ちゅば…ぷは…』
心地のいい唇の感触が芯から背中まで突き抜ける。思わず俺はビクッと身を震わせてしま
った。非常に気持ちいい。今まで味わったどんな刺激よりも…
『んぁっ…ん、ん…ふぁ…んちゅ…ちゅぱ…んぶ…ず、ずず…』
うらすじを舌が往復し尿道まで吸われる。俺はたまらなくなり腰をもじもじと動かしてし
まう。
『うぐっ!…っ!』
そんな俺の様子を見た翔は意地悪そうに笑って
『…んん…ふぁ…ぷは……へへ、気持ちいいんだろ?』
なんて上目遣いで訊いてきた。ものすごい破壊力だ。それだけで果てそうになるくらい。



そして身を震わす俺を嬉しそうに見てから再びイチモツを口に含みさっきよりも早いスピ
ードでピストン運動を始める。
『…ちゅ、んちゅ…じゅぼ…じゅ…じゅじゅ…じゅぼぼ…じゅぼじゅぼ』
先ほどまでよりさらに激しい刺激が連続して与えられる。射精感がせり上がってくるのが
分かる。
『…ん、ちゅぼ…じゅ、じゅぼじゅぼ…ちゅ…んぁ…ちゅぼちゅぼ…じゅじゅ』
徐々に翔の動きが速くなる。口の動きに合わせ翔の顔が前後に揺れているのが見える。
それに比例して俺もどんどん高まっていく。もはや暴発してしまう寸前だ。
『くちゅ…ちゅ、ちゅ…んく…んちゅ…ちゅっぼちゅっぼちゅっぼちゅっぼちゅぼ』
…ぐ!?も、もう限界だ…!!
『んぶ!?んん……んくっ…ん…ごくんごくん…』
勢いよくザーメンが翔の口の中に放たれる。
俺が射精しても翔は口を離さずそのまま放たれた精液を一度口の中に溜めてから、唾液と
共に“コクンコクン”と飲み干した。
『ぷはぁ…にがぁい…』
その様子を見てゾクゾクと背中が震えた。
「もっと快楽を味わいたい」
火照った頭を支配する本能が体に行き渡る。俺は精液を飲み干して俺を上目遣いで見上げ
ている翔を見る。
『んふふ…』
翔は今まで見せたことのない妖艶な笑みで返す。
俺はいつのまにか動く体を使いこんどは逆に翔を押し倒した。

ピピピピピピピ!

『つぁ!!翔!!』
…あれ?
気が付くと朝になっていた。俺は普通に布団を被りさっきまで寝ていたようだ。部屋に誰
かが入った痕跡はない。
と、するとさっきまでのは…
『夢か…』
夢オチとはなんてベタな。そりゃそうか、いくら女になったからっていきなり翔が俺にフ
ェラチオなんてするはずがない。ホっとした反面ほんの少し残念な気もするが…まあ、よ
かった。でも何で俺が翔の淫夢なんか…
これはもしかすると死神13のスタンド攻撃か?……ありえないな。アホか俺。
『さてと、じゃあ翔を起こしにいかないとな』
そう思って立ち上がったが…股間になんか変な感じが……まさか、
『………うわっ』
確認すると、やっぱりと言うべきか夢精してた。夢精するのなんか中坊の時以来だ。
『元男に、しかも弟に犯される夢を見て夢精するなんて…俺、もしかして変態なのか』
と、ボヤいてみてもしょうがない。とりあえず着替えて翔を起こしにいくか…




『ふぅ〜…今日はここまでにしとくか』
机の上にペンを転がし椅子にもたれ掛かる。やっぱり1日休んだだけでもけっこう授業は
進んでるものだ。家で独学で勉強したつもりだったが学校の授業でいくつか分からないと
ころがあった。
俺が勤勉なのはあまり頭がよくないからだ。なんとか学年50以内をキープしてるのは他
人よりもかなり勉強してるからだろう。
翔にはよくキモいガリ勉野郎と言われるが、今の世の中遊んでいて暮らせるほど甘くはな
い。翔の奴は生まれつき頭がいいからある程度は遊んでいても大丈夫だが、俺みたいな凡
人はそんなに余裕はないわけだ。

“何回転んだっていいさ♪擦り剥いた傷をちゃんと見るんだ♪”
気が付くと携帯が鳴っていた。メールみたいだ。稔からか…
「翔ちゃんと付き合わせてくれ」
“→メールを削除します”
まったく見境がないなあいつは。だからちゃんとした彼女が出来ないんだ。俺も彼女が出
来ないって点では同じだが。
『ふぁあ〜』
眠い。アクビしたら涙が出てきた。時計を見ると12時をまわっていた。風呂入って寝よ。
そのままタンスから着替えを取り出しフラフラとした足取りで洗面所に向かう。



…普段なら翔は風呂入るのが早いので俺が後風呂になるのが決まりみたいなものだった。
しかも1度湯がおとしてあるのでいつも俺はシャワーですませていた。
習慣ってのは恐いものだ。不測の事態に対応できない。
俺は洗面所に俺のではない着替えが置いてある時点ですぐに気づくべきだった。
普通に制服を脱ぎ、タオルを持つ。
眠気で頭が朦朧としていたのか、風呂場の中に人の気配があるのも気が付かないまま風呂
場のドアを開けた。
ちなみに何故か家の風呂には鍵がない。鍵がなくても誰か入ってたら誰も入らないのは当
然だからかもしれない。

トイレに鍵があるのはスゲーよく分かる。排泄行為を誰かに見られるなんぞ絶対嫌だから
な…だが風呂場に鍵がないってのはどういうことだああ〜〜〜〜〜〜っ!?
裸見られるのは嫌じゃないのかよ―――ッ!ナメやがって、この家を造った建築会社超イ
ラつくぜぇ〜〜〜〜〜ッ!!裸見られるのも普通嫌だろうが!
どういうことだ!どういうことだよッ!クソ!風呂場に鍵がねえってどういうことだよ!
ナメやがって!クソッ!クソッ!

風呂場には湯気が立ちこめていて初めはよく見えなかった。徐々に霧が晴れるように視界
がクリアになっていく。そこには
『な!!?』
白い肌。ボディーソープの泡がついていて、ほんのりと蒸気している。艶のある髪は濡れてよりいっそう輝いている。イスの上にはまるで桃のような大きなお尻がのっている。
すごく、綺麗だ。
誰が?
『死ねえ――――!!!!!』
次の瞬間、堅いものが額にクリーンヒットする。これは石鹸か…?
『がっ!?』
その瞬間眠気でまともに動いてなかった頭が再起動する。だぁ!!俺はなんてことを!
『てめえ…覚悟は、出来てんだろうな〜〜〜〜?』
バスタオルを巻いた翔が拳をポキポキならしながら仁王立ちでこちらを見ている。
あ、俺死んだ…

――――少々お待ち下さい――――



『…痛ってえ』
殴られたところをさする。青アザになってるな。翔は完璧に「君がッ!泣くまで!殴るの
を止めないッ!」状態だったからな。さしものDIOもビックリだ。
全身をまるでマグナムのような拳で撃ち抜かれ、もはや立っていることもままならない。
幸いなことに骨は折れてないみたいだ、骨は…
翔は俺をボコボコにして気が済んだのか今は部屋に帰って寝てる。あの後痛みにたえ、軽
くシャワーをあびた俺も今は自分のベッドに転がっている。
『よく死ななかったな…ホント』
人間の体はわりと丈夫に出来ているってことを今日再確認した。これなら2階くらいの高
さから落ちても助かるわな、そりゃ。
『でも…翔、綺麗だったな』
一瞬だけ見た翔の体を思い出す。男のように変にゴツゴツしたものではなく、すらっと伸
びた白い背中。腰のあたりもきゅっとくびれていて細い。けどそれに反比例してお尻は大
きかった。
後ろからだったため胸とかは見えなかったがそれでも充分セクシーだった。
『…って、何考えてんだ俺』
自分の弟、いや今は妹か…の裸を思い浮かべるなんぞ…マジで変態だ。
『まいったな。俺変態だったのか…』
ハハ、とカラ笑いしてみる。むなしい。女の子とあまり付き合ったことがないのに…身近
に突然女の子が現れてちょっと変になってるのかもしれない。これでは稔を馬鹿に出来な
いな…
『ああ、もう〜。変なこと考えてないでさっさと寝る』
枕にボフっと顔をうめる。こんな時は寝るに限る。とはいえ全身痛くてなかなか寝られな
いが…




ANOTHER SIDE

『クソッ、あの野郎…』
普段なら10時までには風呂に入っているのだが、メシ食った後ふて寝していて起きたら
12時前だった。それであろうことかあいつ、貴志と風呂場で鉢合わせになってしまった。
鉢合わせ、というかあいつが人が入っているにも関わらず普通に入ってきやがったわけな
んだが。…ったく変態エロ野郎め。
『まったくぬけてやがる…普通、人が入ってるのぐらい気づくだろうが…』
まあ、別に俺のことを覗きたくて入ってきたわけじゃないだろう。だいたい覗きならもっ
とうまくバレないようにするのが当たり前だからな。だいたいあいつに覗きなんてする度
胸があるとは思えない。あいつ相当ヘタレだからな…
もっとも仮に度胸があってもそんなことはしないだろうが…あいつは、そのお人好しとい
うか優しい奴だからな。
『うっ!何考えてんだ俺…きめえ…』
どうも女になってから変だ。なんか妙にあいつのことが気になる。
確かに男の時もあいつのことは変な奴だと思っていた。お袋が死んでから俺はなんかやる
気となくしていた。どうもそれまでのように相手に合わす、とか気を遣うってことがめん
どくさくなっていった。だからか俺の周りから今まで友達だった奴も少しずつ離れていき
代わりに俗に言う“悪い奴ら”が寄ってくるようになった。そのためか俺も馬鹿なことを
やるようになったし、馬鹿なことと分かっていてもなんかスカッとするから止められなか
った。俺に寄ってくる女とも何人かと付き合ったし、セックスもした。だがそれで気が晴
れるわけでもない。誰ともすぐに別れた。
オヤジは放任主義だからそんな俺にもあまり五月蠅く言わなかったし俺的にもそのほうが
よかった。
だけどオヤジが再婚して兄貴になったあいつは妙に俺に絡んできた。ウザいと思って突き
放してもかまわずいろいろと世話を焼いてきやがる。
あんまりしつこいんで無視ってやってもまだついてくる。そんなあいつを何時からか、俺
はけっこういい奴だと思い始めていた。こいつなら信じられるかなっていうぐらいに…
『でも、だからって…』
だからって別に特別な感情があったわけじゃない、もしあったらホモだ。でも女になって
から、なんか、なんか変なんだ。



初めてトイレでオナった時も、最初は女になった自分の体見てムラっときたんだけど、何
故か途中からあいつの姿が脳裏に浮かんできた。
あろうことか、あいつのことオカズにしたわけだ。
『マジきめえ。何やってんだ俺…わけ、わかんねえよ』
そうは言っていみたものの、そのことを考えると体が少し熱くなるのが自分でも分かった。
…そう言えば、俺あいつに裸見られたんだよな…。あいつ俺のこと見てどう思ったんだろ
う…?その可愛いとか思ったのかな…?
そう考えるとさらに体が熱くなる。俺はたまらなくなって履いてるズボンをずり下ろし、
ショーツに手を触れた。
『…んっ!』
ショーツの上からアソコを触れた瞬間、体が少しビクンとなる。やってみてわかったが女
のオナニーってのはすげえ気持ちいい。男の時は解放感みたいなもんがあるけど、女のは
ゆっくりゆっくりと快楽を味わうような感じだ。
『ふ…んぁ…ん…あ…』
そのままショーツごしにしゅっしゅとアソコを撫でさする。見るとショーツに小さなシミ
がついていた。
『あっ…あぅ…んん…ふ…んあ』
しばらくさすっていると徐々にショーツごしのじれったい刺激では我慢できなくなってい
た。もっと気持ちよくなりたい…
『…ひぅっ!ふぁぁ…んあ…あん』
今度はショーツもずり下ろし直に手を触れる。触れてみてわかったが股間は湿り気を帯び、
濡れていた。
『…あん…ん、んぁ…ふぁ…あうっ…』
濡れたアソコのまわりを指でやさしく撫でる。トロトロと愛液が流れ出るのが分かる。俺
は指を1本だけその濡れた肉の割れ目に潜り込ませる。
“ズチュ…”
『ひ…ふぁぁぁ…つ、は…はいちゃ、った…』
割れ目は指をキュウッときつく締めつけ、少しだけ股間に圧迫感がある。
そのまま指で割れ目の中をゆっくり、ゆっくりとかき混ぜる。
“クチュ…チュ…”
『ああ、あああっ…ひん…あ…あうん、あ…あああっ』
指を出し入れしているうちに頭はぼうっとしてくる。まるで自分のではない誰かの指にア
ソコをかき混ぜられてるような気になる。



『んぁ…だ、だめぇ…んん…』
そうまるであいつが俺の中に指をいれているような錯覚をおこす。
『ふぁ…んん、そんなに、いじっちゃ…だ、だめなのぉ…あぅ』
妄想の中であいつが俺のアソコをいじり、そして胸を揉んでいる。気がつくと俺も上着を
脱ぎ捨てブラの上から胸を揉んでいた。
『ふぁ…い、いっぺんに…ん、するなんて…んんっ』
胸を揉みしだく手に力が入る。それに比例して指のやや速いスピードで出し入れする。
『…ひん…ふぁあ…きもち、いいよぉ…ふぁ…おにい、ちゃん…』
“お兄ちゃん”そう口にすると一気に自分の体がカッっと熱くなるのが分かる。
『…ひゃぅっ!…んぁあ…だ、だめだよぉ…おにいちゃぁん…そんなにしたら…だめぇ…』
“クチュ…チュク…クチュ”
粘着質の高い水音が耳に響く。もう、頭はまともに機能してない。ただ快楽を得るためだ
けに動いている。
気がつくと割れ目の上の方についている突起がひょっこりと顔を出していた。
それを手でやさしく撫でる。
『んぁああっ!ああぅっ!…ん…ク、クリ…いいよぉ…あん…おにいちゃんっ…ふぁあ』
肉芽を触れるといっきに快楽が押し寄せる。体の中から液体が噴出するのが分かる。
だ、だめ…っ。もう、真っ白に…なる。
“ジュ…ジュ…クチュ…チュ…クチュ”
最後の力を振り絞り、思いっきり中を指でかき回す。愛液が大量に流れ出る。
『んあっ!も、もう…い、いっちゃう!…いっちゃうよぉ!ひぅぅっ…
…あ、あああ、お…おに…おにいちゃんんんっ!……んっ!ふああああああっ…!!』
愛液がぴゅっと噴出する。同時に中に入っている指がきゅううっと締め付けた…
『はぁ…はぁ…はぁ…ん…』
どっと脱力して荒い呼吸のままベッドに倒れ込む。しばらく呼吸を整えていると徐々に意
識がまともに戻っていった。
『…はあ、最悪…』
ベトベトになった指を見て呟いた。ホント、何やってんだ…俺…
冷静になった頭が自分に対する怒りで満ちてくる。俺は思わず壁を思いっきり殴った。
“ズゥンンッ!”
思いっきり殴ったせいで壁に少しヒビが入った。同時に手の皮も切れ、血が滲んできた…
『…ってえ!…はっ、当たり前か…クソッ!硬てーよこの壁』
自分の拳に出来た赤い血玉を見つめてボヤく。
『チッ。マジ意味分かんねえよ…』
とりあえず脱ぎ捨てた上着を羽織り、ショーツを履き直す。股にも愛液が流れてぬるぬる
になっていた。
『はぁ、汚ねえ…もっかい風呂、入らねえとな…』

ANOTHER SIDE OUT




トンネルをぬけると、そこは不思議の街でした(BGM いつも何度でも)、
じゃなくて花畑だった。色とりどりの花が咲いている。今は10月なのだが、夏の花まで
咲いているのはどういうことだ?
っと思って気づく。そうか、これ夢か…しかし自分で夢を夢だと認識できるなんて珍しい
な。普通は気が付かないものなんだが…
『つぁ!眩しい…』
トボトボと花畑を歩いていたら突然目の前がカッっと光った。何かが強力な光を放ってい
る。何だ…?
徐々に光が収まっていき目の前が見えるようになってきた。光を放っていた物体が姿を見
せる。そこには…
『神様ですにゃ』
…変なのが浮いてた。
『…何だ?』
『だから、神様ですにゃ』
自称神様なその変なのは猫、というか猫のヌイグルミのような格好をしている。しかもか
なり不細工だ。変に眼はデカイし…あと何で座禅くんで浮いてるんだ…変な新興宗教の教
祖じゃあるまいし。
『すいません。起きてもいいですか』
いかに自分の夢とはいえ、こんな変なのに関わるんだったら起きた方がいいかもしれない。
『ちょっと待つにゃ。お前に話があるのにゃ』
俺を引き留めようとする猫。やっぱり夢ってのは自分の思い通りにはいかないものだ。
『はいはい何でしょうか?』
起きられないのなら、話に付き合うのもまた一興か…
それにしても夢ってのは自分の体験や印象に残ったことが出てくるって聞いていたが、こ
んなの見たことあったかな?
『ふむ、素直でよろしいにゃ。じゃあ、まずは自己紹介からいこうかにゃ。
私は寝子叉神社の神をやってるものにゃ。本名は長いから寝子神と呼んでくれにゃ』
寝子叉神社と言えば此処の町はずれにある小さな神社だ。滅多に人が訪れることはなく、
たまに近所のお婆さんが掃除に行ってるみたいだが俺にはほとんど関わり合いのない場所
だな。小学生か幼稚園の時に1回行ったきりだったと思う。確か、一応縁結びの神様が祭
ってあったはずだが…



にしてもなんでそんなところの名前が俺の夢に出てくるんだ?どうせ出てくるなら巨乳ア
イドルの風花ちゃんがよかった。
『その通り。私は縁結びの神様にゃ』
なに!?
『なんで俺の考えてることを?……あ、そうか。俺の夢だから当然か』
『今はそういうことでもいいにゃ。しかしお前は巨乳好きか…
私はひんぬーの方が好きにゃのだがな…』
そうか貧乳好きか…俺とは馬が合わないな。俺はやっぱり胸は豊かな方がいいと思う。
『そんな事はどうでもいいにゃ。それよりも今日はお主に大事な話があってにゃ
まあ、これでも飲んで聞いてくれにゃ』
そう言って寝子神は地面に着地して俺に缶コーヒーを渡した。お、ボ○のブルーマウンテ
ンか。俺の好みが分かってるじゃないか。それにしてもコレ微妙にぬるい。体温じゃない
だろうな…
『ではしばらく話を聞いてくれにゃ。まずは率直に言うと、お前の弟の上村翔を女に変え
たのは私だにゃ』
『な、なんだって――――!?』
と、驚いてみたがこれ夢だ。別に驚くことでもない。つうか神様が女に変えたのか…そり
ゃしかたないな。
『正確に言えば「女に変えた」と言うよりも「女として生まれてきた場合の姿」にした
っと言ったところにゃ。どちらでも大した違いはないがにゃ』
『で、何で翔を女に変えたんだ?翔が何か悪いことをしたのか?』
缶コーヒーを啜りながら訊ねる。翔はけっこう悪いことをしていたと思うが女に変えられ
るほどのことをしたとは思えない。
『逆にゃ。むしろあ奴はいいことをしたんだにゃ。女に変えたのはそれの恩返しだにゃ』
なんで女に変えるのが恩返しなんだ?恩返しって言ったら相手を少なからず幸せにするこ
とだろう?翔が女になって幸せになったとは思えない。
『そのへんも説明したいところだがそろそろ朝だにゃ。続きはまた夜にしてやるにゃ。
ではさらばにゃ少年!また会おう』
そう言って花を巻き上げながら天高く舞い上がっていく寝子神。神様だけあって派手な退
場だな。花は大切にしましょう。
それとさっきから「ピピピピ」って音が聞こえ………

『うう……』
携帯のアラームが止まり、時計を見るとジャスト7時。何時も通りの朝だ。
『…妙な夢見たな〜』
体を起こす。しかしここまではっきりと夢の内容を覚えているとは珍しい。
そうして立ち上がろうとすると自分が右手に何か握っていることに気が付いた。
『…こ、これは!?』
ボ○のブルーマウンテン。夢の中で寝子神から貰ったものだ…
こんなもの昨日は部屋の中にはなかった。寝ぼけて握ったのではない。
『まさか…あれ、夢じゃなくて…そんな馬鹿な』
そんな…まさか、ありえない。なんで…猫なんだよ



朝食を1人で黙々と食べる。翔はさっさと食べて出て行ってしまったので、今、家には俺
しかいない。俺はパンをかじりながら缶コーヒーを見つめていた。
『アレが夢じゃないとすると…寝子神が言っていたことも本当ってことになるんだよな…』
そう「翔を女に変えたのは寝子神」ということになる。しかし何で?何で翔が女に変えら
れなくちゃならない?
いや、確かに突然男が女に変わるなんてまず説明できることじゃないから、神様が変えた
というなら納得できる。それでも充分というか1番非現実的だが…
『寝子神は恩返しだって言っていたけど…』
前も思ったが恩返しで女に変えるなんて…それは恩返しじゃないだろ。
まあ、俺がこれ以上考えてもしかたがない事なんだが。とりあえずその理由は今日の夜に
ははっきりするハズだし。そう思うと、夜が待ち遠しいような、恐いような…
『どちらにしろ、このことは翔には黙っておいた方がいいな』
女になった理由が分かったのに当人に黙っておくのは非道い気がするが、信じてはもらえ
ないだろう。それに神様に女に変えられた、なんて言われたらショックだろうしな。
『まあ、全ては夜わかることだ』
そうだ。ウジウジ考えてもしかたない。警官の人も言っていたじゃないか「大切なのは『真
実に向かおうとする意志』だと思っている」と!
俺はパンを平たいらげ家を後にする。とりあえずは今出来ること、しいては学校に行くこ
とをしないとな。




『やっと昼休みか…』
午前の授業が終わり、ホッとして机に倒れ込む。
4組からは今日もまだ翔の怒鳴り声が何回か響いていた。さすがにピークを過ぎたとはい
え、まだたくさんの人が翔のことを見に来てるようだ。
こう言うと翔の兄である俺のところにもかなりの人間が事情を聞きに来る、と思うだろう
が生憎俺のところには誰も来てない。
何故かというと俺と翔が兄弟だと知っている人間は生徒では2人しかいないからだ。その
2人とは稔と順次のことだが。
俺の母さんと翔の父さんである良夫さんが結婚したのが半年前だが、正確にはきちんと夫
婦になったわけではない。籍を入れていないし、苗字も違うままだ。母さんも良夫さんも
あまりその辺は気にしないアバウトな人達なので、まあ、ようするにめんどくさかったの
だろう。
そのため翔の苗字は良夫さん方の上村だが、俺の苗字は母さん方の小山だ。
ごくごく普通の学生の俺と、けっこう問題児の翔に関わり合いがあると思っている人間な
どいるはずもなく。別に誰も俺のことを気にしてない。
順次には俺から話し、稔にはまだ翔が男だった時、同じ家から出て行くのを目撃され、こ
のことを話したというワケだ。
だから世間、つうかこの学校の生徒間では俺も翔も一人っ子という扱いになっている。
『やっと終わったな…貴志メシにしようぜ』
弁当箱を持った稔が俺の席までやってくる。順次もパンを持ってこっちにやって来るのが
見える。
『ああ、そうだな』
うちの学校は基本的に昼食は何処で食べてもいいのだが、みんないちいち移動するのがめ
んどくさいのか大半は自分の教室で食べている。かく言う俺もその1人だ。
『しかし相変わらず4組はすごいな…今日もかなり人が来てたぞ』
パンを食べながら順次が切り出す。どうやら休み時間に確認してきたようだ。
『しゃあーねーじゃん。元男があんなに可愛い子になっちまうんだからよ。
あ、そう言えば貴志、昨日のメール見てくれた?』
『昨日のメールって…?』
昨日お前からメールなんてもらったっけ?
『ほら、「妹さんと付き合わせてくれ」ってやつだよ。どうなんだ?OKなのか?』
ああ、そういえばそんなのあったな。昨日からいろいろあってすっかり忘れてた。つうか
故意に忘れようとしてた。こいつが馬鹿なのを…
『お前…まだ、そんなこといってたのか…』
順次が呆れた目で稔を見ている。俺ももう呆れかえっている。こいつはホントしょうがな
い。



『いいじゃんかよー。順次は彼女いるからいいかもしれないけどよー。俺ら彼女なしにと
っては可愛い子は全部ターゲットなんだぜ』
『つうかお前、5組の女子と付き合ってたんじゃなかったのか』
確か…3日前に嬉しそうにそんなこと言ってたぞ。
『ああ。フラれた』
なはは、と笑いながら答える稔。そうか、まあ当然だわな。これで一体何回フラれたんだ?
ちょっと不憫な気もするが自業自得なのでしょうがない。
『で、で、どうなんだ?いいのか翔ちゃんと付き合っても?』
『お前には無理だ』
いろんな意味で。だいたい翔がお前、つうか男なんか相手にするわけねえだろ。
『あのなあ、お前。上村がお前なんか相手にするわけないだろ。だいたいいくら今は女に
なってるっていっても心は男のままだろ。そんな奴が男と付き合うわけねえだろ。別にお
前じゃなくてもよ』
順次が俺の気持ちを代弁してくれた。その通りだ。翔は心は男なんだから男なんかと付き
合うはずもない。仮に心が女でも稔とは絶対に付き合わない。
『別に俺はかまわないぞ』
『いや、お前がかまう、かまわないの問題じゃないだろ!』
さっきの順次の話聞いてなかったのかよ?
『つうか上村ってヤンキーだろ。あんなのと付き合っても全然楽しくねーだろ?
確かに顔は可愛いけどよ』
なあ?と俺に同意を求める順次。俺も少し声を潜めて翔のことを話す。一応周りに兄弟だ
ってバレたら駄目だからな。
『そうそう。翔の奴かなりキレやすいし、俺のことすぐ殴るし、言葉遣いは悪いし。
昨日だってミスって風呂覗いたら危うく殺されかけた…』
最近はそこそこマシになったような気もするけどな。まあ、あいつはあいつでいいとこあ
るけど、わざわざ稔に話すことでもない。
ん?なんか気づいたら2人が固まってた…どうしたんだ?
『な、なにィィィィィ!お、お前!風呂覗いただって――――!!!!』
うおっ!!
『馬鹿!声でかすぎだ!』
クラスの連中の視線がいっきに俺たちの方に集まる。女子はなんか俺の方見てヒソヒソと
話している。がはっ!稔、なんてこと言うんだ…この野郎。
『何だそのフラグ!!?何様のつもりだこの野郎!俺にも覗かせろ!!
ちくしょォォォォ!1人だけオイシイ思いしやがてー!俺にもなんかイベントくれよォォ
ォォ!』
『声でかいって!意味分かんないよ!』
どさくさに紛れて自爆する稔。今度は稔の方に視線が集まる。順次はそそくさと席から離
れていく。
『和姦 無い、だってぇぇぇぇぇ!強姦したのかよこのヤロー!レイプは犯罪だぞちくし
ょォォォォ!』
頼むからもう黙れ。黙ってくれ!
『あー!もう、怒った!お前になんか「巨乳ナース淫乱病棟24時」貸してやらねーもん
ね!』
何ッ?俺の大好きな巨乳AV女優「富華井そら」ちゃんが出てるAV。貸してくれるって
言ってたのに…それどころじゃないが。

結局昼のこのやりとりのせいで午後からも俺はずっと女子に白い目で見られるハメになっ
た。少しだけ翔の気持ちが分かった気がした。
クソ。稔の奴め…まあ、元は俺が発端だが。



トボトボと帰路を歩く。稔のせいで俺に対するクラスの女子の好感度が暴落したのはほぼ
間違いなし。恐慌ってのは前触れもなしに起こるものだ。デフレでもなかったのに。
『石仮面被って人間やめようかな…』
冗談言える元気はまだあるみたいだ。まあ、こんなことで落ち込んでもしかたない。うち
のクラスあんまり可愛い子いないしな。
『ただいまー』
そんなこと考えてる間に家に到着。ふと見ると翔の靴がある。俺より早く帰ってるなんて
珍しいな。
『翔、帰ってるのか?』
台所のドアを開ける。そこには案の定翔がいた。ここにいるってことはさっき帰ってきた
ばかりみたいだな。
『げっ…』
俺を見て声を漏らす翔。おかえりなさい、なんて到底望んでないが、別に「げっ」なんて
言わなくてもいいじゃないか。
ん?よく見ると翔は鞄以外にも大きな紙袋を持っている。何だろう?
『なあ、翔。その紙袋なにが入って…』
“ゴン!”
『いてっ!』
言い切る前に翔に頭をどつかれた。何だ?俺まだなにもしてないぞ。反抗期?反抗期か?
いや、そんなこと言ったらずっと反抗期だが。
『あたた…別に殴ることはないだろう。俺が何かしたか?』
『うっせえ!ついやっちまったんだよ』
つい、で殴られては俺の頭が保たないんですけど…
『それでその袋何が入ってるんだよ?』
もう1回聞いてみる。
『……制服だ』
そうか制服か…なぬ!?制服ってことはブレザーか。
『そういえば今日届くんだったな』
女性の制服は今時珍しいブレザーだ。スカートは赤のチェックでリボンも赤。また黒い
ニーソックスも付属している。そのため男子には大変人気がある。
まあ、うちの学校は今だに体育の時間女子はブルマという伝説を誇っているので、他県か
らわざわざ入学する勇者もいるぐらいだ。東南高校は神の庭、エデンの園と言われたこと
もあるくらい。
『ああ、今日の放課後西尾から貰った。つうか俺にマジでこれを着ろっていうのかよあい
つらは…』
翔は明らかに嫌そうだ。その気持ちはよくわかるが、学校の規則だから守らなければ駄目
だろう。翔は今までさんざん規則を破ってはいるけども。それに、なんだ。今の翔がこの
制服きたらすごい可愛いだろうな。男として見てみたいという気持ちはないことはない。
『そりゃ着なくちゃ駄目だろ。一応今の翔は立派な女の子なんだからな』
『だ れ が立派な女の子だと…!』
見ると翔は怒りの形相。あ、立派な女の子はマズかったか…
“ガス!”
『ぐほぉ!』
ナイスキック、ナイスキックだ。すごく痛いですけど…
『…ご、ごめん。でもやっぱり着たほうがいいと思う。規則だし
それに翔も何時までも学生服で周りから変な目で見られるのは嫌だろ?』
翔が女になって初めて登校した時のことを思い出す。あの時翔が学生服だったために行き
交う人達の視線を集めていた。まあ、それだけでの理由ではないけど。
『チッ。ウザいけど我慢してやっか。確かにお前の言うことも一理からな。
素直に納得したくはねえけど』
『そうか、ありがとう』
どうやら分かってくれたようだ。
『べ、別に褒めたわけじゃねーっての!調子にのんなよ!しかたなく、だからな』
『はい、ごめんなさい』
また蹴られそうになったので早めに謝る。しかし、そうか。明日から翔はブレザー着てい
くのか…楽しみだな。
…はあ、楽しみってまた俺馬鹿なこと考えてしまった。翔は男だ(今は女だけど)しかも
俺の弟だ(義理だけど)。変に意識するな俺。



『さて、いよいよか』
1日が終わり、携帯を枕元に置いて俺もベッドに潜り込む。ついに翔が女になった原因が
明かされる時が来た。
ドキドキを抑えて早く眠れるようにイギーを数える。
イギーが1匹、イギーが2匹、イギーが3匹、イギーが4匹、イギーが5匹……
……イギーが25匹、イギーが26匹、イギーが27匹、イギーが28匹、イギーが29
匹、イギーが45匹…あれ、なんでいきなり45匹に

“キング・クリムゾン!!”
「時間を15秒ほどスッとばした…
『帝王』はこのディアボロだッ!!依然変わりなくッ!」
イギーが45匹、イギーが44匹、イギーが43匹…イギーが30匹
“ドドドドドドドドド”
「なにィ!まさかッ!これはッ!
消し飛ばした時間が『逆行』しているのかッ!?」
“ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム!!”
「オッ…オレはッ!初めから何も数えていないッ!!
オ…オレのこの『予知』は絶対にこれから起こる『真実』なんだッ!
オレの無敵の『キング・クリムゾン』はイギーを500匹まで数えるはずなんだ!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無
駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無
駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄アァァァッ!!!」

イギーが31匹、イギーが32匹…あ、だんだん…眠く…なって、きた…



気がつくと昨晩と同じ花畑に立っていた。どうやら眠ることができたらしい。さてとりあ
えず寝子神は…
『神様ですにゃ』
目の前に浮いてた。そう、フヨフヨと。相変わらずなんで座禅くんでいるんだ?いや、そ
んなことどうでもいいけど。
『こんばんわ。昨日の続きをお願いします』
一応敬語で頼む。いくら変な格好をしているとはいえ、相手は神様だからな。失礼のない
ようにしとくのが当然だ。
『了解ですにゃ』
そう言うとまた寝子神は俺に○スのブルーマウンテンを渡した。相変わらずぬるいけど我
慢しよう。
『どこから話そうかにゃ…そうだにゃ、まずは私が受けた恩から話すにゃ
あれは花も香る9年前の4月、まだ小学生1年生だったお前の弟が私の神社に来たんだに
ゃ…』
…どうも話によると「受けた恩」というのは、近所の子供がイタズラで寝子神の御神体を
持ち出して外の置きっぱなしにしていたのを翔が元の場所に戻してやったということらし
い。
『別に人間が作った御神体に本当に我々神が宿るわけではにゃいが、一応私のために善行
を行ってくれたのだから立派に恩を受けたことになるにゃ』
なるほどな。やっぱり翔もなかなかいいとこあるじゃないか。まあ、当時はまだお母さん
が亡くなっていなかったとは思うけど。
『そのことは分かりました。でも、なんでそれで翔が女になるんです?』
確かに恩の話は分かったが、全然翔が女になったことと関わりはないような気がする。
『まあまあ焦るにゃ。恩を返すって言っても我々神とはいえ万能ではないにゃ。
私は縁結びの神。私に叶えられる願いは色恋沙汰、恋愛関係のみにゃ』
はあ、まあそりゃしかたないな。縁結びの神様だもんな。でも…
『だからって翔が女になることとは関係ないでしょ!』
さっきの話だと、ようするに好きな女の子と仲良くなれるとかそういうことじゃないか。
『落ち着け。今から話すにゃ。当然私も上村翔が恋愛に興味を持つまで待って、好きにな
った娘と恋人にしてやろうと思っていたにゃ。
だがあの少年は母親が亡くなったせいか心を少し閉ざしてしまい。誰かを本当に好きにな
るってことがなくなってしまったのにゃ』



確かに母親がなくなったらショックだろう。俺はまだ小さい頃に父が死んだからあまり悲
しいとかそういうことはなかったが。育ち盛りの時に母を亡くしたら…俺も…
『上村翔は何人かの娘とも付き合っていたようだが、どの娘もおよそ好きなどとは思って
いなかったのにゃ。
そこで上村翔が1番信頼…というか親愛の情を持っている男に目をつけたのにゃ。もっと
も上村翔はその、いわゆる同性愛者ではなくごく普通の男だったため、その感情が恋愛に
までいくことはない。そこでしかたなく上村翔を女に変えたのにゃ。
まあ、別に女に変えるのは相手の男でもよかったのだが、さすがに少々気の毒だから本人
を女に変えたのにゃ』
な…ッ!!?
『そ、そういうことだったのが…でも、それはおかしいぞ!別に今好きな女の子がいなく
ても後々出来るかもしれないじゃないか!いや、きっと出来ると思うけど』
『確かにそうだが…時間がなかったのにゃ。我々神の間には受けた恩は10年以内に返さ
なければいけないという掟がある。あと半年ほどで上村翔が好きな女を作るなど不可能と
思ったのにゃ』
そんな…そんな勝手な。まるで人権無視じゃないか。
『そんなそっちの身勝手な理由で女にされた男のことを考えてみろ!!何が神様だ!!』
気がつくと相手が神様であることも忘れて怒鳴っていた。でも、当然だ。あまりに理不尽
過ぎる。人権もクソもあったもんじゃない。
『お前の気持ちも分かるが…これも我々の掟なんだにゃ。許してくれ』
『許せるか!!……はぁ、でもアンタにこれ以上言ってもどうにかなるもんじゃない。許
すことは出来ないけど…もう俺も怒鳴ってもしょうがないからな』
神様相手にこれ以上啖呵を切っても無駄だろう。俺って情けないな…ホント。
『すまないにゃ。…しかし思った通り中々よい男だにゃ、お前は。少し情けないところも
あるが…まあ、安心したにゃ』
安心って…何のことだ…?



『とりあえず話はここまでにゃ。何か聞きたいことは…?』
『一応訊いておく。翔を男には戻せないのか?』
それが出来るのなら、なんら問題はない。まあ、おそらくは…
『悪いがそれは無理にゃ。掟のことだけではなく。本来人を結ぶことしか出来ない私が恋
愛関係ということで無理矢理女に変えたのにゃ。もう1度性別を変える力は私にはないに
ゃ』
やっぱりな。期待はしていなかったが。
『これでいいかにゃ…?』
いや、最後にもう1つ。
『なんで猫なんだ?』
ずっと疑問に思っていたことを口にする。翔の話の方が遙かに大事だったので忘れいたが、
真相を聞いた後はまた気になってきた。仏さまの格好とか地蔵の格好とか天使とかだった
ら分かる。が、何故猫?
『簡単にゃ。私は神になる前、もうずっと昔の話だが生前は猫だったのにゃ。
お前達人間は神は人の姿をしているとか人でしかなれないとかいう勘違いをしているが、
本来神になれるものはあらゆる生物の中から選ばれるにゃ。人間だけ特別扱いのはずがな
かろう。
だから私は猫の姿をしているのにゃ。もっとも誰かに猫と思わせるられるのならどんな姿
にもなれるけどにゃ。ネコミミ巨乳美女にもなれるにゃ』
『是非尾お願いします』
人間の欲望というのは強いものだ。俺はさっきまでの怒りを忘れ頭を下げて頼んでいた。
出来ればB90以上、Gカップ以上でお願いしたい。
『にゃるほど。だが断る!』
なにィィ!?
『この岸辺r…寝子神が最も好きなことの1つはくだらん頼み事をする奴に「NO」と断
ってやることだ!』
クソッ!こいつもジョジョ好きか!猫なのにジョジョとはストレイ・キャットめ!
『ではそろそろ朝にゃ。もう会うことはないかもしれないが達者でな。
上村翔のことヨロシク頼むにゃ』
『ああ、不本意だけど…翔とその翔が好きな男が幸せになれるようにする』
しかし、翔に好きな男がいるのか…悪い奴じゃないといいけど…
『このニブチンがァー!』
なんか寝子神がわけの分からないことを言って消えていく。心配しなくてもなんとか頑張
るさ。
お、携帯のアラームの音が聞こえる…もう、朝か…




翔を起こして、先に朝食を食べ終わる。それにしても遅いな翔。7時にきっちり起こした
のに、もう7時30分をまわっている。
寝子神から真相を聞いて、俺は複雑な気持ちになっていた。まさかあんな事情があったと
は。しかし翔も可哀想だ…あんな勝手な都合で女に変えられるなんて…
『(それにしても翔に気になる男がいるのか…)』
どんな奴だろう。悪い奴じゃないといいけど…あ、でもあのキツイ性格の翔が気になるっ
ていうぐらいだからけっこういい奴なんだろう。そう、信じたい。寝子神そのへんのこと
は何も言わなかったからな…
少しどんな奴か見たい気もするが…一応、翔の兄貴として。
でも、そっか。翔に好きな男がいるのか…ちょっと残念なような…
ん?残念って、何がだ?
“ガチャ”
次の瞬間、そんな思考をいっきに吹き飛ばすモノが目の前に現れた。
『うおっ!!』
台所のドアを開けて入ってきたのは翔だ。紛れもなく翔なのだがその姿は、なんというか

茶色のブレザーを着ており胸元には真っ赤なリボンの花が咲いている。少し視線を落とす
と赤のチェック模様のスカートがブレザーの下から出ている。ミニスカートと言うほどで
もないが、太股を少し隠すほどの長さだ。
スカートからはまったく太くはないが肉付きのいい白い足がスラっと伸びており、膝から
下は黒いニーソックスで覆われている。
この娘はどこのアイドルですか?というほど可愛い。お世辞ではなく本当に可愛い。
しばらくその姿を凝視していると、翔が俺の方にツカツカと寄ってきた。
“ゴンッ!”
俺の目も前まで寄ってきたと思った次の瞬間、頭をげんこつで殴られた。慣れてはいるが
それでも痛いことには変わりない。
『ジロジロ見んじゃねーよ。キモいんだよボケ!』
“ゴン!ゴン!”
怒鳴って俺の頭を2度3度殴る翔。よっぽど恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。つうかそんな
にポンポン殴らないでくれ。俺の貴重な脳細胞がどんどん死滅していっていまう…
『待った!待った翔!もう見てない、もう見てないからやめてお願い』
これ以上殴られると悪い頭が更に悪くなってしまう。そうなると死活問題だ。



『…ったく殴られたくないんだったら見んなっつーの。そんな下品な目で見られた俺の体
が腐ったらどうしてくれんだよ!』
そんな無茶苦茶な。神話の怪物じゃあるまいし、見ただけで人が腐ったりするものか。
俺はそんな汚らしいモノなのか?……翔の中じゃたぶんそうなんだろうな…はぁ。
しかし見るなっていうのは無理がある。正常な男ならしかたのないことだ。
『そうだよ。翔があんまり可愛いもんだからついつい見ちまったんだよ!
これは俺だけでなく全ての男に共通するぞ!』
そう。俺だけではない。こんなに可愛いんだから…
『かっ、可愛い……?
…くっ!んなこと言うんじゃねーよ。可愛いとかマジキモいんだよ!このホモ野郎!ゲ
イ!オカマ!』
そう言って手を振り上げる翔。さすがに俺ももう殴られたくはないので、かまわず続ける。
『ホモじゃないしゲイでもオカマでもない!たとえ元男でもこんなに可愛い女の子になっ
たんじゃ思わず視線がいってしまうのはしかたがないって!
いや、翔は言われるのは嫌だろうけどホント可愛いんだって!』
褒めちぎる。あながち嘘ではない。というか全て真実だ。もっとも翔には逆効果かもしれ
ないが…
『…ち、だからこんなモン着るのは嫌だったんだよ!…心にもねえこと言いやがってよ!
どうせ元男がこんなモン着るなんてキモいとか思ってんだろ?分かってんだよそのくら
い。俺もキモいと思うしよ…』
そんなこと思ってたのか。でもそれは…
『違う!絶対違う!全然キモくなんかない。マジで嘘偽り無く可愛い』
ここまできたらヤケだ。かなり恥ずかしいこと言ってる気がするが、翔にも自分がどれだ
け可愛いのか分かってもらいたい。でないと危険だ。何が危険なのか分からないが危険だ。
…何言ってるんだ?俺。



『…だ、だから世辞なんか言うなって言ってんだろうがクズ!
ま、まあお前がそこまで言うのなら…もう、この話はなしにしてやんよ…
そ、その…お、お前があんましつこいから、俺ももう疲れたしよ…』
そう言って自分のパンを焼き始める翔。どうやら納得とまではいかないが、収めてくれた
ようだ。こっちもまだ納得いってないんだが…これ以上言うのはまた口論になるだけだか
ら、止めておこう。
『あんまりゆっくり食べてると学校遅れるぞ。俺、先に行って…』
と、言いかけて玄関に向かおうとすると翔が俺のズボンの裾を掴んだ。何だ…?
『どうした?何かあるのか?』
ズボンの裾を掴んだまま無言で俺を見つめる翔。何かあるなら早く言って欲しい。
『…そ、その、よ。きょ、今日は俺と一緒に学校に行け』
なんと。珍しいこともあったものだ。翔から一緒に登校しようなんて言われるなんて。
『い、言っとくけどな!こんなカッコして1人で行くのが嫌なだけだからな!
べ、別に恥ずかしいからついてきて欲しいとか、お前と一緒に行きたいとか、そ、そんな
の…ち、ちっとも考えてねーからな!勘違いすんなよクズ』
まあ、確かにいきなり女子の制服で1人で行くのは辛いモノがあるな。知らない人になら
ともかく、学校の生徒、翔を知ってる人間に見られたら何言われるか分かったもんじゃな
いし。いや、だいたい分かるけど…
『分かった。そういうことなら一緒に行こう』




なんとか教室にたどり着いた。登校中つねに翔は俺の影に隠れ、出来るだけ目立たないよ
うに目立たないようにと歩いていたのだが、それが逆にマズかったりする。
俺の後ろに誰かいるのか?と思った生徒がチラチラと見ていたのだが、ある1人の生徒が
翔のことを発見して大声をあげたのが皮切りだった。
次々と翔の周りに登校中の生徒達が集まってきて口々に
『きゃー!すごい可愛い。ホント可愛い』『すげえ…可愛すぎ。お前ほんと上村か…?』
『え、上村くん?なになに可愛すぎー!』『上村くん…その、僕と付き合って…』
とか連発してそのたびに翔は顔を赤くして怒っていたのだが、学校内に入るとどんどんど
んネズミ講式に生徒達が集まってきて、さすがの翔もあまりに多勢に無勢だったらしくた
だ俯いて顔を真っ赤にしているだけだった。
ちなみにその間、俺は翔にケツを蹴られ続けてとばっちりをうけるハメになってしまった。
尻だいぶ腫れてるだろうな。イタタタ…
『おはようさん。あれ、稔は?』
いつも俺よりも早く学校に来ている順次と稔。でも、今日は順次しかいない。
『あいつならさっき4組の教室にお前の妹見にいったぞ…なんか今日は女子の制服着てき
てるらしいじゃないか』
あの馬鹿。また性懲りもなく…
よく見ると稔だけでなく妙に人が少ない。みんな翔を見に行ってるのか。まあ、確かに可
愛いからな。一目見たいという気持ちは分かる。
しかしこの調子では家に帰ったらまた翔に……今は考えないでおこう。
『そっか。ま、馬鹿だからしょうがないか』
『つうか何で女子の制服なんて着てるんだ。そっち系の趣味でもあったのか?』
別に翔にそんな趣味はない。まあ、制服は俺が無理矢理着せたようなものか…でも、しょ
うがない。規則なんだからな。
『いや、趣味とかじゃなくて、着なきゃ学校通えないんだ。翔はすごく嫌がってたけど俺
がなんとか説得した』
『は〜なるほねえ。大変だな上村も…ちょっと気の毒だな』
確かに気の毒だ。でも俺は少し嬉しかったり…って変な意味じゃなくて。
単純に弟よりも可愛い妹の方が嬉しいと思うのは男として至極当然ってことで。
『いや〜目の保養だった。やっぱ美少女は美少女らしいカッコしないとな』
しばらくして稔が帰ってきた。ものすごく満足そうな顔をしている。



『でもいいよな〜貴志は。あんな可愛い子と1つ屋根の下だろ。俺もあんな子と一緒に住
みたいよ〜』
『何いってんだ。お前にも妹はいるだろうが』
順次がはぁ、とため息をついて稔に話しかける。そうだった。稔にも妹はいる。名前は確
か…
『美野里か…確かに妹だけどよ〜』
そうだった。美野里ちゃんだ。一度会ったことはあるがかわいらしい子だった。今は中学
生ぐらいだったかな。
『だって俺のことを稔って呼ぶんだぜ。非道い時にはアレとかソレとか俺は物かっつーの。
しかも俺に対してめっちゃ偉そうだしよ。
俺はお兄ちゃんとかお兄ちゃまとかあにぃとかおにいたまとかお兄様ってのが好きなんだ
よ!
兄者とか兄貴とか兄ちゃんとかは駄目なんだよぉぉぉぉぉ!』
変なトコでこだわりもってるやつだな。それにお兄ちゃんとかはあってもお兄ちゃまとか
おにいたまってのは絶対無いだろ。なんのギャルゲだよそれ。
『それなら俺も同じだ。俺なんか名前ですら滅多に呼ばれない。たいていはオイとかで済
まされる。それに偉そうというかすでに俺は下僕レベルだ』
ホントにそう。まあ、翔がお兄ちゃんとかいいだしたら逆にどうしていいか困る。
あ、でも今の翔になら呼ばれてみたいかも…
『おお、そうだたのか心の友よ。ついでにお前の妹を俺にくれ!』
お前、話聞いてなかったのかよ!
『稔のことはほっとけ。それよりそろそろホームルーム始まるぞ』
順次の言葉通りその後すぐに先生が入ってきて、俺たちは席に戻っていった。



『今日はいつもに増して大変だったな』
『まったくだぜ。それもこれも全部てめえのせいなんだからな。帰ったら覚悟しとけよ』
学校からの帰り道、翔と距離を置いて歩く。何故帰りまで翔と一緒だったかというと…
「てめえのせいでこんな目にあったんだからな。今日は最後までつきあえボケ!」
と翔に言われたからだ。
それにしても翔と一緒に帰るなんて初めてだな。今まで邪険に扱われてきた分兄としてな
んとなく嬉しかったりする。まあ、別に翔も俺と一緒に帰りたいってワケではないだろう
が…
『そう言うけどな翔。別にそれは俺のせいじゃ…』
“バン!!”
『うっせえ!全部てめえにせいだっての!口答えすんじゃねえよウゼえな。
つうか俺の方寄ってくるんじゃねえ!キモいんだからよ』
鞄で俺を殴り飛ばした後、フン、と鼻をならして先行する翔。さっきの訂正。「今まで」
じゃなくて「今でも」邪険に扱われてます。
『だいたいよー。なんで俺があんなキャーキャー騒がれなきゃなんねんだよ!女だけなら
ともかく男どももいっぱい寄ってくるしよ…ウザいにも程があるぜ』
今日もたくさんの人間に付きまとわれてうんざりしてるようだ。今まで翔はいくら美少年
だったとはいえあんまりうちの学校で友達いなかったからな…
他校の不良とかとはよく遊んでいたみたいだけど。
『しかたないよ、可愛いんだから…』
『だ、だから可愛いとか言うんじゃねーよ!何度言や分かるんだよ大ボケ野郎!』
“バン!バン!”
『ごほっ…!?』
連続して鞄で腹を殴られる。本当のことを言っただけだって…
『つつつ……ごめんごめん悪かった。もう言わないよ』
言うたびに殴られるのは嫌だからな。
『もう言わない、って何簡単に意見変えてんだよ!だからヘタレなんだよてめえは!』
“ガス!”
俺の右足を思い切り蹴る翔。ジーンときた。ジーンと…
…ったく。じゃあどうしろって言うんだよ…
『ち、オラとっとと帰るぞ!こんなことしてたら日が暮れちまうからな』
そう言って足を蹴られてしゃがみ込んで悶えている俺をほって走りだす翔。
『っと、翔、待ってくれ!』
走っていく翔の後ろ姿を追う。あ、ちょっとパンツ見えた。今日は白か…




『さて…』
ドラマも見終わって時刻は11時。そろそろ風呂にでも入るか…
タンスから着替えを取り出す。この前みたいに翔と鉢合わせになるかもしれないので、洗
面所に行く前に翔の部屋まで確認しにいく。
“コン、コン”
『翔、いるか?』
軽くドアをノックしてから呼びかけてみる。ここに翔がいるのなら安心だ。
『んだよ。なんか用でもあんのかよ?』
中からダルそうな声が聞こえる。大丈夫みたいだな。
『いや、今から風呂入ろうと思うから…』
『へ?…な、なんでお前と一緒に風呂なんか入らなくちゃなんねーんだ!
それに俺さっき入ったつーの!くだらないこと言うんじゃねえクズ!』
アレ?何か誤解してる?…俺の説明が足りなかったか。あれでも充分に意味が分かると思
ったんだが…
『え、いやそういうことじゃなくてだな。ホラ、この前つうか一昨日風呂覗いちゃったじ
ゃないか。言っておくけどワザとじゃないぞ。
それで、もうあんなことがないように確認しただけだ』
別に一緒に風呂に入ろうとかそんな大胆つうか変態なことを考えていたわけではない。
『な、なんだ。そんなことかよ…
ま、まあな。俺も2度とあんなのはごめんだからな!もし今度やったら絶対ブっ殺す!』
うん、俺も次やったらブっ殺されると思う。ほぼ100%間違いなしに。さすがにこの歳
で死にたくはない。
『それだけだ。悪かったな』
そう言って洗面所に向かおうとすると翔に引き留められた。
『ちょっと待てよ』
『何?なにか用事でもあるのか?』
だったら聞くが。別に急いで風呂に入らなくてもいいからな。
『用事ってほどのものでもないんだけどよ…まあ、なんつうかグチを言わせろ。
か、勘違いするんじゃねーぞ!単に今は事情をよく知ってるのがお前だけってことだから
な』
なんだ。そんなことか。そりゃいきなり女になったんだから、グチの1つや2つ言いたく
なるだろう。
『うん、いいぞ。それぐらいなら喜んで聞こう』
『そうか…悪いな。
最初に女になって学校に行ったとき、普段なら俺に目を合わせもしないような連中まで俺
のトコ寄ってきやがってよ。口々に可愛いとかなんだとか言うんだよ…』


うん。それは確かに翔は可愛いからな。まっとうな男ならお近づきになるたいと思うだろ
う。
『女だけじゃなくて男もいっぱい寄ってきてよ。今日も女子の制服着ていったら前よりも
たくさん寄ってきやがって。ウザいから怒鳴っても離れやしねえ』
確かにそんな感じだったな。稔もしかり、うちのクラスの連中もしかり。
『あいつらなんなんだよ…?人が女に変わった途端、目の色変えやがってよ。マジきめえ』
『それは翔が可愛いからだよ。まあ、なんというか男の時の翔も格好良かったけど、やっ
ぱり格好良くても男は寄ってこないだろ。でも可愛いってのは別だからな』
いくら格好いい男でもそれだけで男に好かれるってのはないからな、普通。
『だ、だから別に可愛くなんかねーっての!ウザえな、ホント…
でも俺、思うんだよ。連中は俺の顔やら俺の体やらに興味があるだけで、別に俺のことな
んかなんとも思ってねーのよ』
それは違う。それは違うぞ。
『その考え方は間違ってる。確かに今の翔は顔も可愛いし、体型もいい。
でもそれだけじゃないんだ。もし仮に本当にそれだけを見て翔とつきあってるのなら、そ
んなに寄ってきたりはしない、絶対に。
だからそれだけじゃなくて、翔の人柄…みたいなものもあるんだと思う。その、翔もけっ
こういいトコあるし…』
まあ、中には本当に顔とかしか見てない奴もいるだろうが、そんな奴はそれほどしつこく
はない。稔は例外。
『そ…そんなもんなのかよ…』
ドアの向こうの翔がやや声を落としてい呟く。
『ああ、そんなもんだ。だからそう、深く考えなくていいと思うぞ。
もし、男に戻れるのなら(戻れないのだが)万万歳だし。仮に女のままでも俺はいいと思
う。こんな無責任なこと言って悪いけど』
それに女のままなのだ、実際。だから翔には早くその好きな男とやらと幸せになってもら
いたい。
『簡単に言うんじゃねーよボケ!
………でも、…お前が…戻らなくてもいいと…思うなら…』
怒られてしまった。ちょっと無責任な発言すぎたか…
…最後の方は声が小さくてよく聞こえなかったが。
『まあ、そんだけだ。グチって悪かったな。お前の意見なんぞ参考にもなんねーけど、俺
の気が少し晴れたからよしってことにしてやんよ。
オラ、さっさと風呂でもんなんでも入ってとっとと寝ろ!』
そう言ったきり、ドアの向こうから声は聞こえなくなった。まあ、少し気が晴れて何より
だ。言われたとおり俺も風呂に入って寝よう。




風呂からあがって部屋に戻る。ふ〜。サッパリした。
寝ようと思って携帯を手に取るとメールがきていることに気づく。どうせ…
「翔ちゃんとデートさせてくれお兄さん」
やっぱりな。はいはい削除削除。相変わらず懲りないというか、しつこいというか、根気
強いというか…
だいたいお前は翔とまともに話したことないだろ…いや、俺が知らないだけで本当はある
のか?
まずないと思うが、もし稔が翔の好きな男だったらどうしよう?俺は稔の兄貴になるのか
…絶対嫌だ。なにがあっても嫌だ。まずないとは思うが…

“積み上げた〜砂の城を♪浚う波に両手を広げ〜ては♪”
携帯を置いて寝ようと思ったら着メロがなった。電話か。こんな時間に誰からだろう?
『知らない番号だな…』
見たことのない番号だ。登録もされてない。勧誘とかそういう系か?まあ、とりあえずで
てみるか。
『はい、もしもし』
『こんばんわ。悪いなこんな時間に』
こ、この声は…
『健さん…?お、お久しぶりです』
『おう、久しぶりだな。こうして話すのは2年ぶりぐらいか』
電話の主は健さん、須々木健さんだった。久しぶりに声を聞いた。
健さんは、まあ、簡単に説明すると母さんの元教え子兼友人だ。俺が小学生の頃に家まで
母さんを訪ねてきて、その時知り合った。それから出会うたびに遊んで貰ったし、いろい
ろとお世話にもなった。
『ええ、最後に会ったのが俺が中学3年時でしたから、それぐらいですね。
それで突然どうしたんです?』
『今は高2だったけな。でかくなったな。
今、仕事でこの町まで来ててな。久しぶりにお前の声が聞きたくなった。それにちょっと
訊ねたいこともあったんだ』



健さんが訊きたいことか…なんだろう?に、しても仕事っていうとやっぱりアレだよな…
健さんは一言で言うとすごい人だからな。
健さんぐらいだと思う「俺は、いつ、どこで、誰に、どんな風に、どのような理由で殺さ
れようとも、文句をいうつもりは一切、ない」と心の底から言い切れるのは。
なにせ高校時代の異名が『静かなる狼』っていうぐらいだし…つうか母さんは『笑う雌豹』
だったけ。どこの戦地だよその学校…
『何ですか?訊きたいことって?』
『ああ、実は人を捜しててな。背は180僂阿蕕い覗蕕桟繊スキンヘッドで右頬に傷が
ある男でな。名前は堀田史也って言うんだが。会ったこととかあるか?』
スキンヘッドで右頬に傷って…いかにもだなあ。
『すいませんけどないですね。また見かけたら知らせますけど』
『そうか。もし見かけても声なんて絶対かけるなよ。小物とはいえ、いや小物だからこそ、一般人には危険な男だからな。
無理に関わる必要はない。いや、むしろ絶対に関わらない方がいい。
しかし、知らないか…分かった。ありがとうな。しばらくこの町にいるつもりだから、も
し困ったことでも会ったら遠慮なく知らせてくれ。役に立てると思う』
その危険な男とやらはこの町にいるみたいだな。健さんはそいつを見つけたら町を離れる
つもりなんだろう。
『いや、そんな悪いですよ…それにあまり困ったことは(あるけど)』
『ははは。まあ、遠慮するな。
…今日の用はこれだけだったんだ。こんな遅い時間に悪かったな。先生によろしくいっと
いてくれ』
先生ってのは母さんのことだ。
『いえいえ。全然かまわないですよ。それじゃまた』
『おう、またな』
そう言って電話は切れた。そっか、今、健さんこの町にいるんだ。なんというか心強いな

いや、別に何があるわけじゃないけど。




今日の朝も翔の周りには相変わらず人だかりが出来ていた。翔はすごく可愛い、すごく可
愛いのだが、いつまでもワラワラと群がってくるうちの学校の生徒はよっぽど暇なんだろ
うな。別に翔の友達とかならかまわないが、知り合いですらない連中は…
ちなみに今日も翔と一緒に登校した。別に今日は頼まれてはいない。翔がまだ恥ずかしそ
うだったので俺から一緒に行こう、と言ったのだ。
キモいとかウザいとか言われたけど結局OKしてくれた。あとやっぱり1人では恥ずかし
かったのか少し嬉しそうだったので、俺としても殴られながらでもついて行ってよかった。

『いやー。翔ちゃんやっぱ可愛いわ。今日は4組体育あるんだろう?
翔ちゃんのブルマ姿見られるじゃん。やっほーい』
1時間目が終わり、順次と稔と3人で話してたら、また稔がそんなことを言い出した。今
日は4組体育があるのか…そういや翔は男、女どっちの体育に参加するんだろうな?
『確かに4組体育あるけど。なんでお前が喜ぶんだ?うちのクラスは普通の授業だろ?』
大喜びしている稔に順次が冷静に言う。何時間目に体育があるか知らないが、確かにうち
のクラスは今日は全部教室での授業だ。
『別に教室からも見えるじゃん』
『お前、窓際じゃないだろ…』
稔の席は1番廊下側だ。よっぽど目がよくないと窓から外を見ることなんか出来ない。
順次の言うとおりだ。何浮かれてるんだコイツ?



『大丈夫!席変わって貰うから!な、川上?』
そう俺らから少し離れたところで何人かと話している川上に声をかける稔。なるほど。席
変わって貰うのか…
『え?何が…?』
突然声をかけられて意味がよく分かっていない川上。
『何がって。4組が体育の時間席代わってくれよな?』
代わってくれ、よな?
『は?何言ってんだお前。何で代わらなくちゃなんねーんだよ?』
…コイツ、もしかして確認もとらずにそんなことを…
『いや、だって俺、翔ちゃんのブルマ姿見たいし』
『そんなの俺も見たいっつーの。誰か他の奴に代わって貰え』
まあ、当然だな。相変わらず馬鹿だな稔。
『そ、そんなー。じゃあ他に誰か!』
窓際の奴(男)にところかまわず訊きまくる稔。当然誰1人として了解なんてしてくれな
い。
『マジかよー。神は我を見捨てたもうた…』
がっくりと項垂れる稔。順次はため息を漏らす。俺は少しだけ、ほんの少しだけ稔が可哀
想だと思ったので、他の奴らに聞こえないよう声を小さくして言ってやった。
『安心しろ。翔はブルマじゃない。制服は貰ってたけどブルマは貰ってなかったから』
『ほ、ホントか!?』
『ああ』
それを聞いて嬉しそうな顔をする稔。
『よっしゃー。ざまあみやがれ窓際の奴ら。へっへー』
が、すぐに悲しそうな顔になる。どうしたんだ?
『でも…翔ちゃんのブルマ見られないのか…なんてこった。今は嬉しいが結局悲しい…』
はあ、まあ、好きにしろ。



やっと6時間目が終わった。ああ、4組の体育の時間は案の定、翔はブルマではなく男の
体操着だった。
そのため、うちのクラスはその時間、数学だったのだが、窓際の男子ほぼ全員が
「なんでブルマじゃねーんだ!」と叫んだせいで授業の半分以上は説教で終わった。
なんつうかうちのクラスの男は女日照りの奴が多いんだろうか?俺もその1人なのかもし
れないが…

俺が教室を出て行こうとすると教室のドアの所に1人の女の子が立っているのが分かっ
た。あの子は…
『あ、小山くん。よかった、まだ帰ってなかったんだ』
女の子は前田香澄さんだった。
『え〜と、前田さん。俺になにか用かな?』
前田さんは今の翔に負けず劣らずの美少女だ。長い黒髪にまったく化粧っけがないのに綺
麗な肌。清楚な感じの美少女で実際清楚らしい。可愛くても裏表のある女の子が多い今の
世の中で非常に珍しいタイプだ。また、誰にでも優しいため男女問わず人気が高い。
特に男の間ではひそかに想いを寄せている連中の多く、そうでなくてもお近づきになるた
いと思っている奴はいっぱいいる。
それと東南高校7大巨乳のうち1人だ(稔調べ)。そういえば翔もかなり大きいからメン
バーチェンジもあるかもしれない。まあ、男の間で勝手に言ってるだけだが…
『あ、あの明日クリーン活動があるじゃない。それで今から委員会があるんだけど…
何も用事がないんだったら参加してもらいたいと思って…』
そう言えばそんなことを聞いてたな。ヤバイすっかり忘れてた。危うく普通に帰ってしま
うところだった…
ちなみにクリーン活動とは1ヶ月に1回ある校舎内、外の清掃活動、主に草引き。
あと俺は美化委員だ。前田さんは美化委員長のため、クラスで委員を選ぶとき男の間では
凄まじい死闘があった。俺はそれに勝ち残ったというわけだ。
そのためその日1日は男子からシカトされていた。稔の奴もその日は俺らと昼食を食べな
かったくらいだ。薄情な奴め。



『あ、ああ。そうだったね。ごめんすっかり忘れてた。用事もないし今からいくよ』
わざわざ前田さんに来てもらったわけだし。
『そう、よかった。じゃあ私先に行ってるね』
にっこりと微笑んで先に歩いていく前田さん。相変わらず可愛いな…

やっと委員会が終わった。思ったより説明が長くなり、けっこう時間がかかったな。
まあ、でも別にかまわないか。
それにいいこともあった。明日のクリーン活動で前田さんと一緒に三階校舎の廊下のワッ
クスがけをすることになったのだ。2人っきりで何話したらいいのか分からないという不
安もあるが、それでも非常に嬉しい。俺ってけっこう運強いな。ありがとう俺。
『小山くん。明日は頑張ろうね』
席をたって帰ろうとすると前田さんが声をかけてきてくれた。
『あ、ああ。出来るだけ頑張るよ』
前田さんに苦労させるわけにはいかないからな。男として。これで俺に対する前田さんの
好感度が上がったらいいな、という下心もあるけど。
うん、よくみると前田さんはまだ何か言いたそうにモジモジしてる。何だろう?
『何か俺に言いたいことでもあるの?』
一応訊いてみた。明日のことで何か大事なことでもあるのかもしれない。
『あ、あのね。も、もしよかったらでいいけど…その、途中まで一緒に帰らないかな?』
何ィィィ!?
『え?その…俺と?』
『うん』
なんだコレ?なんの奇跡?まさか夢か?いや、夢じゃないな。何者かのスタンド攻撃か?
本体はどこだ?まさか遠距離自動操縦か?俺、矢でうたれるのか?それとも爆弾で死ぬ?

「レロ〜レロレロレロレロレロレロ。どうしたの小山くぅん?」

しまった!偽物かぁ!!このイエローテンパランスがぁ!
ってそんなワケねえ!落ち着け。落ち着け俺…




『その、あのね。まだみんな部活してるし…1人で帰るのもちょっとアレかな、と思って
…』
『いや、全然かまわないけど…いや、むしろ喜んで!』
そりゃ願ってもないことです、はい。これを断る奴はモグリだぜ!モグリってどういう意
味?
そんなワケで前田さんと一緒に帰ることになった。奇跡だ…

適当に世間話をしながら2人で歩く。今まであまり女の子と話したことがなかったので緊
張したが、前田さんも話を振ってくれるなどの気遣いをしてくれたおかげでごくごく普通
にいろいろと話すことが出来た。
しかし前田さんって案外うちの近くに住んでたんだな。ここまで帰り道が一緒だとは思わ
なかった。
『弟さん…大変だったね』
『え?』
先ほどまで話ていた話題に一区切りがついたとき、前田さんはそんなことを口にした。
弟…弟って翔のこと、なのか…?なんで、なんで前田さんがそのことを知っているんだ!?
俺と翔が義理の兄弟だって知ってるのは学校では教師を除くと稔と順次だけのはずだ
ぞ!?
『その、なんで私が知ってるのか不思議に思うと思うだろうけど…』
俺はよっぽど驚いた顔をしていたらしく、前田さんは何故、俺と翔が兄弟だと知っている
のかという理由を話してくれた。
『偶然だったんだけど、私が担任の先生の所に宿題のプリントをとりに行ったときにね、
小山くんが上村くんのことで先生に謝っているのを見たの。
それで不思議に思って担任の先生に訊いたら、小山くんと上村くんは血は繋がってないけ
ど兄弟だ、って教えてくれてね。
あ、でもこのことは誰にも話してないから安心して。
先生にも他の人に話すなって言われたし、2人とも隠してるみたいだから』
なるほど。そういうことか。しかし先生たちにはあれほど秘密にしといてくれって頼み込
んだのに…



まあ、話した相手が前田さんでよかった、と言うべきかな…
『その、ごめんね。秘密にしてることなのに…』
申し訳なさそうな顔をする前田さん。いや、別に前田さんが気に病む必要はない。
『かまわないよ。前田さんも他の人には話してくれてないみたいだし。
そう、無理に隠すほどのことでもないからね』
別に隠すほどのことでもない。知れたとしても…今は少し不都合か…
『だったらよかった。…でも本当に弟さん大変だったね。突然女の子になっちゃって…』
『うん、確かに本人は大変だったみたいだ。俺も本人ほどじゃないけど少なからず被害を
被ったよ』
周りからではなく翔から。
『うちのクラスでもみんなビックリしてたよ。まあ、あんな可愛い子になったんだから当
然だよね。男の子も女の子もみんな可愛いって言ってるし、私もそう思う』
確かにすごく可愛い。だがその点では前田さんも同じだ。
『まあ、確かに俺から見ても可愛いとは思うけど、乱暴な性格は変わってないからな〜』
もう少し女の子らしく、と言ったら男女差別かも知れないが…なったらいいと思う。
あ、でも翔が女の子らしかったら逆に変な気もするけど…
『乱暴って、そんなことないと思うよ。茜ちゃ…友達が「最近の翔くんは性格も可愛くな
った」って言ってたよ』
性格も可愛くなったってどこらへんが?ま〜前よりマシになったようななってないよう
な。俺は相変わらずポンポン殴られるからよく分からない…
『そうかな〜?』
『そうだよ』
そんなことを言っていると俺の家のまえの十字路までたどり着いた。このまま真っ直ぐい
ったら俺の家だからここでお別れだろう。しかし本当に前田さんの家って俺の家の近くだ
ったんだな。
『あ、じゃあ私こっちだから。その、今日は付き合わせちゃってごめんね』
『いや、そんな全然…むしろ俺の方こそごめん。
…あ、明日は頑張ろうな』
『うん。それじゃあ』
『ああ。また』
別れの挨拶をすると十字路を曲がっていく前田さん。いや、今日はホント得したな。
前田さんともわりと普通に話せたし。今日は人生最良の日かも知れない。
明日が厄日だったら嫌だな…
なんてことを考えながら俺も自分の家までの道を歩いていった。




今日は夕飯が美味しい。いつもと変わらないはずのコンビニの弁当も、今日は何故か格段
と美味しい。
何事も気の持ちようと言うけれども、幸せなことがあるとこうもご飯が美味しくなるもの
なのか…幸せ万歳。
『なにニタニタしてんだよ…きめえな』
テーブルを挟んで俺の斜め向かい座っていた翔が、俺の顔を見て怪訝な顔で言う。
どうやらそうとう表情が緩んでしまっていたようだ。
『いや、なんというか今日はとってもいいことがあったんで、つい…』
簡単に言うと綺麗な女の子と一緒に帰っただけだ。それだけ言うと格段ここまで浮かれる
ことのないような話に聞こえるが、女の子とあまり縁がなかった俺にしてみればまさに世
紀の一大イベントだった。しかも相手は校内1の美少女と誉れ高い前田さん。どんな男で
も俺を羨ましがるに違いない。
『へ〜。とことんツいてなくて鈍くさいお前にいいことね〜。
ま、どんな事か知らねえが、どうせくだらねえことなんだろ?』
む。それは思い違いだ。全然くだらないことじゃない。翔にとってはくだらないことかも
しれないが…
『聞きたいか?』
『別に聞きたくなんかねーよ』
くだらない、とまで言われたら逆に俺の方が話したくなる。自分が嬉しかったことは他人
に言いたくなるものだ。まあ、つまりは自慢ってやつだな。
『聞かせてあげよう』
『だから聞きたくねーって言ってんだろボケが!』
“ドス!”
翔が身を乗り出して俺を殴る。なんかますます聞かせたくなったので、俺はかまわず続け
る。
『前田さんって知ってるか?2組の前田香澄さん』
『あ?…ああ、なんか学校で1番号美人だ、とか言われてる女だろ?それがどうした?』
うん。一応翔も知ってるみたいだな。だったら説明する手間が省けて済む。
『その前田さんと…今日一緒に帰っちゃいました』
『な!!?』
翔も驚いたみたいだ。まあ、俺みたいなのが前田さんと一緒に帰るなんてことは想像でき
ないだろうからな。なにしろ何の取り柄もない男と容姿端麗成績優秀の美少女とじゃ、ま
ず接点がない、と思うのは当然のことだ。



『いや、実は同じ美化委員なんだけど、今日明日のクリーン活動のための委員会があって
な。それが終わって帰ろうとしたら前田さんが一緒に帰ろうって言ってくれてさ』
『…………』
『まあ、向こうはたぶん友達が部活とかで帰る相手がいないから俺を誘ってくれたんだと
思うけど。でも、俺としては他に誘う相手がいたんじゃないかなって…
もしかして俺に気があったりなんて思ったり…ははは』
まあ、俺に気があるなんて100%あり得ないだろうけど…
少しぐらい夢を見る権利は誰にだってあるんじゃないかな。今だけでも。
それに明日は2人っきりで掃除もするわけだ。これは途轍もなく素晴らしいイベントだ。
生涯つうか学校生活ではおそらくもうないだろう。
『なあ、どう思う翔?』
『…………』
『やっぱり、俺に少し気があったり…するかな?』
『…………』
『…翔?』
“グシャァ!”
翔の食べていた弁当が俺の顔に箱ごと見事に命中。まだ、オカズやらご飯やらが残ってい
たせいで、いろいろなものが俺の顔にものの見事に張り付いていた…
…何だ?いったい何が起きたのですか?宇宙からの攻撃?宇宙戦争?
“ダダダダダ”
と、翔が席を立って走っていく音が聞こえたところで我に返る。どうやら翔に弁当をぶつ
けられたようだ。何故かは分からないが翔の機嫌を大幅に損ねてしまったらしい。
『ちょ、待ってくれ翔!』
俺の制止を聞かないでそのまま台所のドアを開けて出て行く翔。俺も慌てて追いかける。
何で怒っている(?)のかは分からないが、どうやら責任は俺にあるみたいだからな…
『いったいどうしたんだよ!』
そのまま自分の部屋に入っていってしまう翔。俺はドアの前から翔に問いかける。
俺が何かしたのか?そんなつもりはまったくなかったんだけれど…



“ドン、ドン”
『何だ?俺が何か気に障ることでも言ったのか?だったら謝るから』
ドアをノックして話しかける。この部屋は鍵をかけても、俺が合い鍵を持っているから開
けることは出来るのだが、さすがに今、それをしては駄目だろう。
『なあ、翔!なんだ、理由を言ってくれないと俺もどうしていいか分からない』
出来るだけ優しい口調で話しかける。が、依然ドアの向こうから反応はなし。
いつもなら「うるせえ、クズ!話かけんじゃねえ!」とか「黙れ!きめえな」とか返って
くるのだが、今日はそれすらない。
こんなことは初めてなので、俺もかなり焦る。
『ごめん。何か分からないけどホントにごめん。だから何が悪かったのか教えてくれ』
俺もなんで怒られてるのか分からないとどうしようもない。それに、ここまで翔怒ってい
るのは初めてだから…
『なあ、翔…』
『……いい』
『…え?』
『もう“いい”って言ってんだよ!!!!』
今まで聞いたことのないような大声で俺を怒鳴る翔。気のせいかもしれないが涙声のよう
に聞こえた。
『翔……』
それっきりもうドアの向こうからは何も聞こえなくなった。俺はしばらくドアの前に立っ
ていたが、
『…ごめん』
そう言って自分の部屋に戻った。

『…分からない』
ベッドに潜り込んで考える。どうして翔があんなに怒っていたのか…
あの後、とりあえず台所にブチ撒けられた弁当を掃除して、俺も顔を洗い、風呂に入った。
翔はあのまま部屋から出てきてはいない。どうやら風呂にも入っていないようだ。
『何が…悪かったんだろう…』
正直見当がつかない。分からないことがあるってのは本当にモヤモヤとした気持ちになる。
今日の夕方からの浮かれた気持ちはどこかに飛んでいってしまったようだ…
幸せと不幸せは表裏一体ってか…
『嫌われちゃったかな…』
もともとあまり好かれている方ではないと思うが滅茶苦茶嫌われているってこともなかっ
たはずだ。
嫌われるのは嫌だ、と素直に思った。兄として家族として…そして…
そして…何だ?
とにもかくにも嫌われるのマズイ。今までコツコツと積み上げてきた俺の努力が水の泡に
なる。まあ、元々あまり効果のあったものではなかったような気がするが…
『とりあえず、明日もう1回きちんと謝ってみよう』
それで許してもらえなくても、とりあえずは謝るしかない。
『明日か…』
前田さんと2人っきりで掃除も出来るけど、やっぱり厄日かな…



ANOTHER SIDE

「まあ、向こうはたぶん友達が部活とかで帰る相手がいないから俺を誘ってくれたんだと
思うけど。でも、俺としては他に誘う相手がいたんじゃないかなって…
もしかして俺に気があったりなんて思ったり…ははは」

「やっぱり、俺に少し気があったり…するかな?」

『何だよ…何だよ…それ』
目を閉じてもあの時のあいつの顔が浮かんでくる。
嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに前田香澄のことを話すあいつの顔が…
何故かは分からない。何故かは分からないが俺は逃げ出した。たまらなくなってあの場所
から逃げ出した。
いや、理由は分かってるんだ。今まで分かろうとしなかっただけで本当は理由は分かって
いる。
『つまり、俺は、あいつを、貴志を好きになっちまったってことか…』
好きになったってのは正しくはない。本当は女になった時からずっと好きだったんだ…
だから、だからあいつが嬉しそうに他の女のことを話しているのを聞いて我慢できなくな
った。嫌になった。悔しかった。
『結局、俺のひとり相撲かよ…』
あの口調からして、誰が見てもあいつは、その前田香澄に惚れている。まず間違いなく好
意を持っているのだろう…
馬鹿らしい。結局、俺は1人で浮かれたり悲しんだりしてるだけじゃねえか…
あいつに「可愛い」って言われたり、「一緒に学校行こう」って言われたりして嬉しがっ
て、もしかしたら、もしかしたらあいつも俺に気があるんじゃねえか、なんて馬鹿な勘違
いしてよ…ホント、きめえな…
あいつにしてみたら俺のことなんか何とも思っていなかった、いや、思ってはいただろう
があくまでも兄弟、もしくは男としてってことだけで、異性としては見てなかったってこ
となんだろう…
『バッカみてえ…』
知らず涙が零れていた。目尻が熱くなっているのが自分でも分かる。雫が頬を伝う。
『…うっ…ひっく…ん…クソッ!…止まれ!止まれよ!泣くんじゃねよ!』
泣くな!泣くなよ!女々しいじゃんかよ!なんだよ俺!こんな弱くねえだろ俺!
でも涙は止まらない。止まってくれない。ここまで悲しくなるってことは俺はあいつのこ
とがそうとう好きだったんだろう…
しばらく泣き続けた。どのくらい泣いただろう…少し気持ちも落ち着いてきた。



『……待てよ』
冷静になって考えてみたら、あくまでも貴志が前田のことを好きだってだけで、前田がど
う思っているかは分からねえんだよな?
確かに一緒に帰ってくるぐらいだから、なんとも思ってねえってことはないと思うけど、
だからってイコール好きってことにはなんねえだろう…
『だったら、まだ手はあるじゃねえか』
そうだ。まだ充分手はある。貴志の片思いってことならそれほど問題じゃない。
まだ、俺に振り向かせるなんてことは簡単ってことはないだろうが、出来ないことじゃな
い。
なに悲観してたんだ俺は…らしくねえ。まだまだ全然大丈夫じゃねえか。
『って言っても…』
前田が貴志のことをどう思っているかはまだはっきりしてない。こればっかりは俺がいく
ら考えてみたところで、どうにかなるもんでもねえ。
『訊くしかねえか…』
訊いてみるしない、前田香澄から直接。貴志が好きなのかどうかを…
善は急げだ。さっそく明日訊いてみよう。
『でも……』
でも、もしこれで前田が貴志のこと好きだったら俺はどうしたらいい。
2人が両思いだったら俺はどうすれば…
『なんて、今考えてもしょうがねえか…』
とりあえずは明日だ。全部明日はっきりすることだ。

時計を見ると1時過ぎ。あれから随分時間がたったもんだな。
『よし!気合いはいった』
パン、と頬を叩く。ウジウジ考えててもしょうがねえ。やることはやる!
やって駄目だったなんてことは今、考えることじゃない。
『とりあえず、風呂はいっか』
今は風呂入って寝て、明日に備える。これでOK。
明日は貴志に起こされるより早く学校行って気合い入れるか。
目覚ましを6時30分にセットする。起きれるかな…いや、起きてみせる!

ANOTHER SIDE OUT




1人で学校に行く準備をする。翔はもう家にはいない。
今日も一応何時も通り7時に起こしにいったのだが、すでにベッドは蛻の殻で、鞄や制服
もなくなっていたところを見るとすでに学校に行ったのだろう。
まだ、こんな早い時間だというのに…
朝練とかがあるのならこの時間でも不思議じゃないけど、なにも部活とかに入っていない
生徒が登校するには早すぎる時間だ。
それに、翔が俺に起こされることなく起きる、なんてことは初めてだった。
『やっぱり、まだ怒ってるんだろうな…』
当然か…1日2日で機嫌が治る怒り方じゃなかったもんな…
俺も昨日、寝る前に翔が怒った原因をかなり長い時間考えてみたが、結局分からなかった。
やっぱり俺ってニブいんだろうか…いろんな事に。
『謝るタイミング…逃しちゃったな…』
今日帰ってきてから…では遅すぎる。そもそも今日翔が何時に帰ってくるかどうかも分か
らないのに…
と、なるとやっぱり学校で謝るしかないか。
普段、学校で出会うことはあまりないから、教室まで行ってきちんと謝るしかない。
『それで許してくれるかどうかは別として…』
なんにしろ俺が悪いのは間違いないのだから。翔は理由もなしに怒ったりしない、と思う。
『しかし今日はいろいろあるな…』
翔に謝らなくちゃならないこと、前田さんと2人っきりで掃除。
いろいろって言っても2つだけだけど。普段何もないせいかな…



教室に着く。教室も、クラスの連中も俺の心中とは関係なしに何時も通りだった。
そりゃそうだ。俺がどうであろうと周りの人間がどうこうなるものではない。
自分を中心に世界が動いていると思うなよ、シャア!とかレコアさんに言われてしまいそ
うだ。今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない。
…はぁ。何くだらないこと考えてるんだ俺…
『よっす!おっはよー!聞いてくれYO。俺昨日すげえいいことあったんだぜ』
そしてこいつも何時も通りだった。朝っぱらから元気な奴だ。
『なんだ…いいことって?』
とりあえず訊いてみた。訊かなくても勝手に喋るだろうが、コミュニケーションは大事だ
からな。
『実はさあ、コンビニで出会った綺麗なお姉さんに「君、かっこいいね」って言われたん
だよ。どうだ羨ましいだろ?』
幸せな奴。その楽観的というか何というかな考えを俺にも少し分けて欲しい。
『そりゃ良かったな…』
『へっへー。そうだろ、そうだろ?』
嬉しそうだ。たかだが声をかけられたくらいなのに…
まあ、でも俺も前田さんと一緒に帰ったぐらいであれだけ浮かれてたんだから、そうそう
人のことは言えないか…
『馬鹿にされてることに気づけよ稔』
順次もやってきて、いつものメンバーが揃った。本当にいつも通りだな、外の世界は…
『ん?つうか貴志何かあったのか?えらく浮かない顔してるけど…』
俺の顔を見て順次が言う。やっぱり顔に出てたか…
『いや、ちょっとな…』
言っていいものか、悪いものか…でも、誰かに相談にのってほしいという気持ちもある。



『「ちょっと」どうしたんだよ?』
まあ、少しぐらいなら話してもいいか…
『実はさ…昨日翔とケンカしちまってな』
ケンカというよりは翔が一方的に怒っているようなものんだが。まあ、俺が悪いんだし、
それもケンカと言えばケンカかな…
『ケンカ…?何が原因なんだよ?』
順次が訊いてくる。でも、それは…
『俺にも分からない』
『なんだよそりゃ…?』
分からないものはしょうがない。俺が悪いことは確かなようだが、俺にも何が悪かったの
か…
『はあ…ま、元気だせよ。兄弟ゲンカなんて良くある話じゃねえか』
『そうだぜ。だいたいあんな可愛い子と一緒に住んでるんだから、それぐらいのバッドイ
ベントはねえとな。割に合わないからな』
励ましてくれる順次。稔も一応気遣ってくれてるみたいだ、文面からはそうは見えないが
…案外、本心だったりしてな…
確かにくよくよしててもしかたないか。とりあえずは謝ってから、だな。

昼休みになった。さて、やるべきことは1つだ。
『4組行くか…』
そして翔に謝るか。許して貰えるかどうかは分からないが、いや許して貰うまで謝り続け
るつもりだ。
『あれ?どっか行くのか?』
教室から出て行こうとすると順次に声をかけられた。
『あ、ちょっと翔に謝りに4組までな』
『そっか。ま、頑張れよ』
そう言って送り出してくれる順次。そうだな、頑張らなくちゃな。



4組の教室の前まで来た。さて、翔はどこにいるんだろう?
ドアを開けて中を覗く。教室内は生徒達でガヤガヤと賑やかだ。
『ん〜?』
目をこらして翔の姿を探す…おかしいな、見あたらない。しかたない。誰かに訊いてみる
か。
とは言ったものの、4組に翔以外知り合いなんていないし、誰に訊いたらいいんだろう?
そんなことを考えて、4組の教室の前でうろうろしてたら、誰かが教室の外に出てきた。
あれは…
『吉永さん…?』
『え?』
教室から出てきたのは順次の彼女の吉永茜さんだった。そう言えばこの人も4組だったな。
いや、でもちょうどよかった。
『あ、なんだ小山くんじゃん。久しぶり〜』
吉永さんに訊いてみるか。たぶん知ってるだろう。
『あのさ…訊きたいことがあるんだけど?』
『ん?何?』
『しょ…上村がどこにいるか知らないかな?』
あぶない、あぶない。危うく翔って言うところだった。ここで名前なんかで呼んだら変な
詮索されるかもしれないからな。とりあえず兄弟ってことは秘密にしておかないと。
『上村って…翔ちゃんのこと?』
へ?翔ちゃん…?
『ま、まあそうだけど…』
『あたしにかすみんって何組?って訊いてたから会いに行ってるんじゃないかな?
あ、かすみんってのは香澄のことね。前田香澄、知ってるでしょう?』
かすみんとはまた中々アレなニックネームだな。いや、けっこう似合ってるけど。
吉永さんって前田さんと友達だったんだ…確かに吉永さんってカラっとした性格だから友
好関係広そうだしな。
それにしても翔が前田さんにいったい何の用があって…つうか前田さんと知り合いだった
のか?
まあ、それもあるが…
『上村のこと翔ちゃんって呼んでるんだ…』



これはけっこう意外だった。翔の奴こんな呼び方されたら怒るだろうに…
『あはは。まあね。こう呼んだら翔ちゃん怒るけど、それがまた中々からかいがいがあっ
て楽しいのよ。なんて言うかちょっと前の翔ちゃんにこんなこと言ったらそれこそキレて
ただろうけど、最近は丸くなったというか落ち着いたというか、なんせ可愛いわけですよ。
だからうちの女子はみんなこう呼んでるよ』
なるほどね。昨日前田さんも言ってたけど丸くなった、か。確かにそうかもしれないな。
半年前、出会ったときは本当に荒れてたからな。その時のことを思うと最近は大人しくな
ったのかもしれない。他校の不良とかともあまり遊ばなくなったし。
『分かった。ありがとう』
『ん、じゃね。順次の奴のこと浮気しないようにしっかり見ててよ』
『あいつは浮気なんかしないよ』
あはは。そうだね、と言って吉永さんと別れた。
しかし、翔が前田さんと、ね。もしかして昨日怒ってたのはそれと何か関係あるのか?
まさか、実は翔と前田さんが付き合っていて、その彼女と俺が一緒に帰ったことに怒って
たり……は、ないな。
寝子神の言うことが本当なら翔は本気で女の子を好きになったことがないはず。
だからわざわざ女に変えて、その親しい男と付き合わせようとしたわけだからな。
でも、だとしたら何で……ん〜分からん。
とにもかくにも2人を探さないとな。

その後2組に行ったが翔も前田さんもいなかった。
しかたなく校舎中を探したのだが、結局昼休みが終わるまでに2人を見つけることは出来
なかった。




ANOTHER SIDE

目覚ましの音で目が覚める。時計を見ると6時30分…起きた…起きれたぜ。
なんというか、たかだが朝早く起きただけなのにものすごい達成感がある。
パンパンと顔を叩き目を覚ます。やれば出来るじゃねえか俺。いつもこの調子ならあいつ
に迷惑かけることもねえんだが、まあ無理だな。さすがに毎朝こんな時間に起きるなんて
俺にとってはあまりにしんどすぎる…
『ふぁ〜あ〜』
でっかいアクビが口から出た。さて、何時までもボンヤリしてねえで、さっさと学校行く
準備っすっか…
『…っしょっと』
手を上に伸ばしてTシャツを脱ぐ。何もつけてねえせいで、脱ぐときに胸が大きく揺れる。
うっとおしい。でも寝るときにまでブラジャーなんか着けてたら窮屈でしんどいからな。
まったく女ってのは男と違っていろいろと面倒だぜ…
んでもってタンスの中からブラを取り出す。最初は慣れてねえもんだから着けるのにもす
げえ時間がかかったが、最近はすぐに着けれるようになった。慣れってのは恐いな。ちっ
と前までは男だった俺が…
ちゃちゃっと制服に着替えたら、次ぎに鏡の前に座り、寝癖でボサボサになった髪を見る。
男の時よりも少し髪が伸びているのでストレートはいえ寝癖がつきやすい。それをくるく
るドライヤーで整える。
しっかし、くるくるドライヤーってのは間抜けな名前だな。もう少しまともな名前を付け
られなかったのかよ…ま、おばさんから勝手に借りてるもんだから俺が文句言ってもしか
たねえが…
『よし!』
リボンをつけ終わったら、全身を映す鏡の前で1回くるっと回って変なところがねえか確
認する。うん、大丈夫だな。
元々そこそこ身だしなみに気をつける方だったから、スタンドミラーを持っていた。
男の時はあんま使うことも少なかったが、今は買っておいてよかったと思っている。
はぁ…女が板に付いてきやがったな…きめえ。
『んじゃ、とっとと飯食うか』
あいつの部屋の前まで行って起きてないことを確認してから、台所に下りる。一応気をつ
けてそろりそろりと階段を降りた。今日は貴志とは顔を合わせずらいからな…全部きちん
と確認するまでは。



校舎の時計を見るとまだ7時前だった。
『すげえ早いな…』
当然だ。俺がこれぐらいの時間に到着できるように家を出たんだから。
“ガラガラ”
教室には誰もいなかった。俺が一番乗りってことだな。ま、学校に来てる奴自体はけっこ
ういるだろうが、大抵が部活の朝練やってるからほとんど教室にいる奴なんていねえだろ
う…
『暇だな…』
ちっと早く来すぎたか……でも、これくらいに出ねえと貴志が起きてきちまうし…
あいつは丁度今頃起きてるだろうな。毎回馬鹿みてえにきっちり7時に起きて俺を起こし
に来てたからな。本当に律儀というか真面目というか…まったく俺なんかに構うことはね
えのによ。いっつもいっつも無理して兄貴ズラしやがって。ヘタレのくせに…
ホント、馬鹿な野郎だよ。そんな馬鹿なことするから俺なんかに好かれちまうんだ。
そんな馬鹿なことするから俺が好きになっちまったんだよ
…ったく、しょうがねえ野郎だな。いや、本当に馬鹿なのはあいつのこと好きになった俺
の方か…
ま、だからこそ今日、前田にあいつのことどう思っているのか、なんてこと訊かなくちゃ
なんねえわけなんだが…めんどくせえことしちまったぜ。
でも、前田が、あいつのこと、なんとも思ってなかったらいいな。貴志には悪いけどよ。
『モヤモヤする……』
気持ち悪い。胸の辺りがすげえつっかえてる。今までこんなことはなかったのによ。
それにしても初めて本気で好きになった奴がまさか男、しかも血は繋がってないとはいっ
ても兄貴だとは……俺は変態か。マジキモイな。
『おっはよー、って言っても誰もいないだろうけど……ん?』
机に突っ伏してそんなことを考えてると、俺の気持ちとはまるで場違いな明るい声が耳に
響いてきた。この声は…
『ん?んん〜〜?な、なんで翔ちゃんがこんな時間にいるのさ!?』
そいつは俺のことを見つけると驚いたように指さしてきた。人に指なんか向けんじゃねー
よ。



『朝っぱらからうっせーな!
だいたい翔ちゃんって言うなって何回言やあ気が済むんだコラ!』
毎度のことだが一応やや怒気も含めて言う。まったく、こいつに限らずこのクラスの女は
俺のことを翔ちゃん翔ちゃん言いやがって…
『なはは〜。ごめんごめん。で、翔ちゃん何でこんな時間に学校来てるの?』
こいつまた翔ちゃん言いやがって。人の話を聞いてねえのかよ?ま、いつものことだけど
よ。
『別に早く学校来たってかまわねえだろうが!今日はそんな気分だったんだよ』
俺はいつまでもやかましい女、吉永茜に向かって言う。
『へ〜。珍しいこともあったもんだ。ん?じゃあ明日は大雨か大雪じゃん。やったぁー学
校休めるー』
相変わらず人のことをボロクソに言いやがるな。
『んなわけねーだろ!つうかお前もえれえ早いじゃねえか』
『あたしはいっつも一番乗りだもん』
こいつとはなんつうか腐れ縁つうか、1年時から同じクラスなんだが、なんか知らねえけ
ど俺の友達やってる変な女だ。当時つうか今もだがヤンキーって言われててあんま誰も俺
に近寄ってこなかったにも関わらず、この女はそんなことは関係なかったらしく、入学そ
うそう隣の席だった俺にいろいろと言ってきた。それでいつの間にかそこそこ親しくなっ
てたってわけだ。
誰にでもすぐに世話を焼く奴で、クラスの連中誰とでも割と親しい。
俺が女になった後も構わずいろいろと世話を焼いてくる。いや、むしろ前よりも更にしつ
こくなったか…
もしこいつに彼氏がいなかったら、もしかしたら、もしかしたらだがこいつのことを好き
になっていたかもしれない。そうしたら今よりは、男を好きになるよりはマシだったか…
いや、大して変わらない気もする。
『ま、しっかし翔ちゃんもずいぶん女の子らしくなってお姉ちゃん大満足。
愛い奴、愛い奴』
そう言って頭を撫でてくる。こいつは…
『止めろっての!だいたい誰が女らしくなっただ?馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!』
俺は心は男だっての!あ、いや…そうでもないのか…男好きになるし…いや、でも…
『う〜ん、なんて言うか最初見たときはやっぱり男の翔ちゃんが姿だけ女の子になったっ
て感じだったけど、最近は雰囲気とか仕草とかも女の子らしくなったよ』
そうなのか…いや、そんなことねえと思うけど…
なんつうか完全に否定できねえ自分がウザい。
『あとは言葉遣いだけだよね〜。ちょっと私とか言ってみてくれない?』
『誰が言うかボケ!』
そんな気持ち悪りい…
『あ、でもやっぱり今のまんまでもいいかな。可愛い子がそういう言葉遣いってのもなか
なか素敵なものがあるもんね〜』
なんつうか好きにしてくれ。お前の趣味とかそんなもんを俺に押しつけるな。



なんてこいつと馬鹿なやり取りしてたら教室に徐々に生徒が入ってきた。時計を見ると8
時過ぎ。ずいぶん時間がたったな…
『お、吉永に上村、おはよッス』『茜ちんに翔ちゃん、ちぃーすっ!』
『おやおや、朝っぱらからイチャイチャと、茜ちゃん彼に言っちゃうよ?』
『あ、吉永さんに上村さん…おはよう』『まあまあ、お熱いことで…』
次々と俺と吉永の周りに寄ってきて、冷やかしていくクラスの連中。
…ったくホントにどいつもこいつも…
『ん、まーね。あたしたちはいつでもラブラブですから。羨ましいだろ?』
『てめえもくだらねえこと言うんじゃねーよ!』

そういや…前田ってどこの組か知らねえな俺。
昼飯を食いながら、ふと大事なことに気が付いた。
確か貴志がなんか言ってた様な気もするが、いちいち覚えちゃいねえ。
クラスも知らねえんじゃ会いに行くことも出来ないかもしれねえじゃんか…
馬鹿か俺…それぐらいきちんと確認しとけよ。
…っと今更悔やんでもしょうがねえ。あまり気が進まないがここは訊くしかねえか。いや、
ホント嫌だけど…
『な、なあ?』
俺は意を決して自分の真っ正面で隣の女子と話している吉永に向かって口を開いた。
吉永と周りの女子も話を止めていっせいに俺の方に向いてきた。
『ん?なに翔ちゃん』『え、なになに〜。もしかしてわたしに気があるとか?』
『バッカ、そんなわけないじゃん。歩美のことなんか好きなんだったら、あたしはどうな
るのよ?』
『もしかしてパンだけじゃ足りない?だったら私のお弁当あげるよ?』
次々と好き勝手なことを話す女子連中。人に喋らせろっつーの。
『あ〜、五月蠅せえ!ちょっと訊きたいことがあるだけだよ!』
俺はクラスの女子の大半と一緒に席を合わせて昼飯を食っていた。俺が望んだわけじゃね
え、女子連中がどうしても俺と一緒に飯が食いたいって言ってすげえしつこかったわけだ。
男の時は俺に目もくれてなかった連中まで…
結局半ば強制的に一緒に飯を食ってる、ってことになってる。



『その…前田香澄ってどこの組か知らねえか?』
『かすみん…かすみんなら2組だけど』『もしかして香澄ちゃんに気があるとか?』
『ずるーい!あたしの方が翔ちゃんのこと好きだっての!』
『あ、あんた、何どさくさに紛れて告白してんのよ!抜け駆けかっこわるい』
『わ、わたしも翔ちゃんのことー』『うちのクラスってレズのたまり場だったんだ…』
『ご心配なく。可愛い子にしか興味ないから』『あー!それどういう意味よー!』
だー、五月蠅せえ!でも一応必要な情報は聞き出せたか…そうか、2組か…
『ん?もしかして本当にかすみんに気でもあるの?』
と、キャーキャー五月蠅い女子連中を制して吉永が訊いてきた。
『え、いや別に…』
気があるのは俺じゃなくて…
『もし気があるなら止めといた方がいいわよー。かすみん他に好きな人いるから…』
な!?
『え〜。それ初耳〜』『嘘?だれだれ?』『へ〜、香澄ちゃん好きな人いたんだ』
『それはまた中々幸運な男子ですなー。学校一の美少女のハートを射止めるとは』
『あ、でも翔ちゃんも同じくらい可愛いもんねー』
前田香澄に、好きな男が…いる?
『ダメダメ。それは教えられません!親友のプライベートなんか話せるわけないでしょ!』
『え〜、茜ちんのケチ〜』『ま、普通そうだよね。ちょっと気になるけど』
周りがまだいろいろ何か言っているが、俺の耳には入ってこなかった。
前田香澄に好きな男………まさかな。




昼飯も食い終わり、昼休みになった。
いろいろと気になることもあるが、それを全て解決するには、とにもかくにも前田香澄に
話を訊いてみるしかない。少々恐いって気持ちもないことはねえけど…とりあえず訊かな
くちゃ前に進まないからな。
俺はクラスの連中にいろいろ詮索されるのが嫌だから、こっそりと誰にも気づかれないよ
うに教室を出た。目指すは2組だ。
不安はない、わけはねえ。でもやっぱり確かめなくちゃなんねえことなんだ。
自分に言い聞かせながら1歩1歩4組までの道を進む。まだ何もしてねえってのに心臓が
ドキドキしやがる。
『あ…』
4組の前まで来たら、ちょうど教室から前田香澄が出てきた。タイミングがいいというか
悪いというか…手間は省けたけどな。
『あ、おい』
『え?』
俺に呼び止められたと分かったのか、廊下を歩いていこうとしていた前田の足が止まって
俺の方に振り返った。
『アンタ…前田香澄…さん、だよな』
『…あなたは?』
『俺は上村って言うんだ。上村翔』
『あなたが上村くん…』
どうやら向こうは俺のことを知っていたようだ。まあ、不本意だが今俺はこの学校1の有
名人だからな。俺のこと、つうか名前を知らない奴なんていないだろう。
『ちょっといいか…?アンタに話があるんだけど』
『…私に話?』
『ここじゃちょっとアレだから、悪ぃけど屋上まで来てくれねえか?』
そう言って俺が先行する。前田も了承してくれたみたいで俺の後をついてくる。屋上で話
があるなんて…ベタだな。まるで告白するみてえだ。もっとも告白する方がなんぼかマシ
だっただろうけど…



屋上には幸いにも俺たち以外に誰もいなかった。ま、この時期の屋上なんてクソさびいか
ら滅多に人なんて来ねえんだが。だからこそ誰にも聞かれたくない話をするには最適だ。
『それで、私に話って?』
ここまで双方無言だったが前田が口を開いた。よし、俺も覚悟を決めねえとな。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。ホントに告白するみてえだな…
『今から俺が言うことに正直に答えて欲しい。アンタにとっちゃ馬鹿みてえなことかもし
れないけど、俺にとっちゃすげえ大事なことなんだ』
『…うん』
前田が息をのむのが分かる。俺もドキドキする気持ちを落ち着かせてゆっくりと言葉を紡
いだ。
『アンタ…小山貴志のこと、どう思ってるんだ?』
『…え?』
前田はポカンとした表情を浮かべた。そりゃそうだ、俺の口から貴志の名前が出るなんて
夢にも思ってねえだろう。だいたいこのシュチエーションでこんな質問されるとは思わね
えだろうからな。
『貴志のこと、好きか嫌いかってことだよ』
別になんとも思ってないって選択肢もあると思うが、今ははっきりとした気持ちが訊きた
いんだ。
『そんな…別に小山くんのこと…それにどうしてそんな事…』
やや顔を赤らめて答える前田。俺が訊きたいのはそんな平々凡々な答えじゃねえ。
『アンタは知らないと思うが、俺と貴志の奴は義理の兄弟なんだよ。
あ、勘違いしないでくれよ。別に貴志に訊いてくれとか言われたワケじゃなく、俺からの
質問だ』
『うん…2人が兄弟なのは知ってたけど…』
なに!?知ってたのか?貴志の奴が喋ったのか?あいつ…あれだけ黙っとけって言ったの
に…しょうがねえ奴だな。



『そんなことはどうでもいい。俺の質問に答えて欲しいんだ!
俺はマジ本気で質問してる。だから悪いけどアンタも本当の気持ちを答えて欲しい。
中途半端な答えはいらねえ。異性として、貴志のことを好きか嫌いか答えてくれ!』
しばらくの沈黙。前田は考えるように俯いた後、何かを決めたようにぱっと顔を上げた。
『分かった。そこまで真剣なら本気で答えなくちゃ駄目だもんね。
じゃあ…言うけど…その、私は小山くんのこと…異性として…好き、だよ』
あ………………………………………
『その、君の為に…すごく一生懸命先生たちに謝ってる姿見てから、なんだが好きになっ
ちゃて…
誰か他の人の為にここまで一生懸命になれるなんて…すごいなって』
……………………………………………
『だから、ね。そのすごく優しい人なんだなって思って…』
……………………………………………
『………分かった。ありがとな。変なこと聞いてすまねえ。もう、いいぜ…』
『え、うん。じゃあ、またね』
そう言って屋上から校舎に戻っていく前田。
『は、ははは…』
………はは、ははははははは…なにショック受けてんだ俺、薄々分かってただろう?
何とも思ってない奴なんかと、いきなり一緒に帰ろうなんて言いださねえってことぐらい。
だから別に覚悟してた結果だろう?なにも都合悪いことなんかねえじゃないか?
そもそも考えてみろよ。元々男な奴と誰が付き合おうなんて思う?ありえねえだろ?
だから、これは当たり前の結果だ。貴志と前田は両想い。祝福してやるのが当然ってもん
だろう?良かったな、オメデトウ。
でも貴志の奴やるじゃねえか、あんなすげえ可愛い子を彼女に出来るなんてよ。ホントだ
せえくせいにいいとこだけ持っていく奴だな。
ホントいつもいつもいいトコ取りしやがる。けっこう運強いのなあいつ。
半年も一緒に暮らしてたけど、今初めて実感したぜ。
ま、でも前田の言うことは当たってやがる。確かにあいつは真剣に他人のことを考えるこ
とができる奴だ。優しいってのも当たってるしな。
良かったじゃねえか、自分のこと良く分かってる子に好きになってもらえてよ。幸せな奴
だな。
だいたい前田があいつのこと好きになった原因は俺かよ。俺って愛のキューピットだな…
なんてな。馬鹿みてえ…
『…ったくホントにいいトコ取りしやがる…』
人を勝手に惚れさせといてよ……人も気持ちに気づきもしねえで…勝手に彼女作って…な
んだそりゃ、卑怯だろうが…
卑怯だ……卑怯……卑怯だよ……
『うっ…グス…うう…ひっく…』

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

ANOTHER SIDE OUT




6時間目になった。この時間は以前から分かっていた通りクリーン活動だ。大半の生徒は
外で草引きってことになっているが、美化委員の俺は3階の校舎の一角をワックスがけを
することになっている。
そう、前田香澄さんと一緒に…
『すごく嬉しいんだが…今は素直に喜べないな…』
気になっているのは翔のことだ。昨日の夜から怒っている。どうも俺の発言に何らかの問
題があったみたいで…情けないが、まだ何が悪かったのか、自分でもはっきりとは分かっ
ていない。
『それにしても…翔、前田さんに何の用事があったんだ?』
昨日の俺の話は前田さんのことだったし、もしかして何か関係あるのか…?
いや、たぶん関係あるんだろう。偶然にしては出来過ぎている。
いったいどういうことだろう?
『やっぱり分からない…』
まあ、とりあえずは前田さんに訊いてみるか。それが1番手っ取り早い方法だな。
翔に謝るのは事情がはっきりと分かってからの方がいからな。

とりあえず俺は下駄箱に向かう順次と稔に別れを告げて、1人、3階の廊下へと向かった。
もう、前田さん来てるかな?



『あ、小山くん!』
指定の場所に行くと、もうすでに前田さんと先生が来ていて何か話をしていた。
ますい。俺がだいぶん来るのが遅かったんだろうか…
『私は他の所も見に行かなきゃならんからな。前田と小山、後は頼んだぞ』
そう言って先生は去っていく。どうやらさっきまで前田さんにどういう風にするのか説明
していたようだ。やっぱり2人っきりか…嬉しい、嬉しいのだが…
翔とどんな話してたの?なんて訊きづらいな。それとなく話をしたいのだけど…さて、ど
うしたものか?
『それじゃあ、始めよっか』
前田さんは俺に掃除方法を説明してくれた。まずはモップで廊下を2往復ほどして、残っ
たゴミは箒で掃いて集める。大方廊下が綺麗になったら、バケツに入ったワックスをモッ
プにつけ、ワックスがけをして掃除は終了、とのことだ。
とりあえず2人でモップがけをする。こうから翔との話が出てくることはなかった。さす
がに俺もいきなりは切り出せないので、たわいもない世間話をする。
こうやってしばらくどうでもいい会話をした後、それとなく話を切り出してみるか…
『それでね…その人が…』
普段ならこうやって前田さんと話を出来るだけですごく嬉しいというか幸せなのだが、ど
うも翔のことが引っ掛かって素直に喜べない。
まあ、一応大事な弟だからな。兄として気になるのは当然だ。それに悪いのは俺だしな。
あくまでも兄貴として…気になるだけだ。
とりあえず自分に言い聞かせる。そうだ、兄弟として気になるだけだ。
…って何でこんなこと言い聞かせる必要がある。
『それでね……小山くん?』
『え?あ、ご、ごめん』
しまった。余計なことを考えすぎたか。前田さん、気を悪くしちゃったかな?
だとすればマズい。それはマズいですよ。
そうなると俺に対する好感度も下がるし、何より話が訊きづらくなる。
『ううん、いいよ。ただちょっとボーっとしてたみたいだけど、大丈夫』
『うん。全然大丈夫』
ほ。どうやら大丈夫だったようだ。とりあえず今は掃除することに集中するか。
話を訊くのは終わってからでも遅くない。



結局そのまま世間話をしながら廊下を掃除し、ワックスをかけて仕事は終了した。
『ん。もうこれぐらいでいいかな』
『うん。大丈夫だろ。でもけっこう早く終わったよな』
俺たちどちらともけっこうテキパキやったおかげか、案外早く終わったな。まだ6時間目
の終了のチャイムが鳴るまで10分ほどある。
ふ〜。早く終わってよかった。
…って、そうじゃなくて!肝心なことがまだ訊けてないだろ。
『お疲れ様』
『あ、ああ…お疲れ』
いやいや俺なんかよりよっぽど前田さんの方が頑張ってたぞ。わざわざお疲れ様なんて言
って貰えるほどのことでもない。
しかし前田さんはおっとりしている割にはやるべきことは迅速に済ませたな。けっこう関
心した。割と何でも出来るタイプなんだな。
と、まあ、それはいいとして。訊くべきことを訊かないとな。
『あ、あのさ…』
『ん?何?』
…つつつ、何か訊きにくいな。そんな疚しいことじゃないんだが、何となく翔と前田さん、
2人のプライベートなことを訊くみたいで少し気が重い。
いや、でも訊かないと翔が何で怒っているのか分からないかもしれないし…
『その、今日の昼休み、翔と会ってたんだろ。どんな話をしたのかよかったら教えてくれ
ないか…?』
『…え?』
何故か赤面する前田さん。う、やっぱり訊いちゃいけない類の話だったのか…
でも、いったいどんな話をしていたのか尚更気になる。
『いや、ちょっと翔に用事があってさ。4組にいったんだけど。
そこで吉永さんから翔は前田さんのところに行ったって聞いたから…
もしかして俺の用事と関係ある話なんじゃないかな、と。
あ、いや別に関係がないんだったらいいんだ』
関係ないってことはたぶんないと思んだけど…まあ、もしかしたら関係ないのかもしれな
い。
相変わらず赤面している前田さん。赤面するような話だったなら、やっぱり関係ないのか
な。



『あの、どうかな?前田さん…』
『そ、そんな全然大した話じゃなかったよ!!だ、だから、たぶん関係ないと思うよ!』
やや声をあげて力一杯否定する前田さん。や、やっぱりマズかった…?
『ご、ごめん。だったらいいんだ…』
『あ、いや…いいの。こっちこそごめんね…』
声をおとして謝ってくれる前田さん。でも、やっぱり迂闊に訊くべき話じゃなかったみた
いだ。前田さんにはホント悪いことをしたな。
せっかく少し仲良くなれたと思ったのに…これで俺に対する好感度がだいぶ下がったかも
知れない…はぁ…

しかし結局翔が何で怒ったのか分からなくなってしまった…
やっぱり本人に訊くしかないか…気は進まない、というかどっちみち謝るしかないわけだ
けど…



クリーン活動も無事(?)終わり、下校時間になった。
しかし難問はまだ残ったまま。まあ、理由が分からなくても謝らなくちゃいけないことに
変わりはないわけだが…
どうやって謝ったらいいか考えながら4組へと足を進めた。幸いにもまだ4組はホームル
ームが終わってないみたいだ。助かった。もし翔が帰っていたりでもしたら少しやっかい
だからな。謝るのは早いほうがいい。
『早く終わらないかな…』
壁にもたれてホームルームが終わるのを待つ。
それにしてもなんて言って謝ったらいいべきか…
「何で怒っているのか分からないけどごめん」…最悪だな。
「悪い。お前の気持ちも考えないで無神経なこと言ってしまって」…もし、なんで怒って
いるのか分かるか?とか訊かれたらマズいな。これも駄目。と、なると…
「ホントごめん!」…まあ、これが1番か…シンプルイズベストってやつだな。ベストを
尽くせ!
『よし!』
許して貰えるかどうかは分からないが、とりあえずちゃんと謝る決心はついた。
大丈夫、行けるぞ俺!
そうしていると4組のドアが開き担任の先生が出て行った。それに続き何人かの生徒も出
てくる。どうやら終わったみたいだな。
『え〜と?』
翔が出てくるのをしばらく待っていたが、一向にそれらしき人物は出てこない。あれ?
気になって教室の中を覗いてみる。一応隅々まで目をやるが翔の姿がない…何で?



『ん?どしたの小山くん?』
後ろから声をかけられる。吉永さんか…ちょうどよかった。
『あ、吉永さん、上村知らないか?』
『まだ用事があるの?』
まだ、というか最初の用事が済んでないわけなんだが。
『だから探してるんだけど、どうやら教室にはいないみたいなんだ…』
『…翔ちゃんね、帰っちゃったの』
え?
『なんで?どっか具合でも悪かったの?』
体調を崩したのか?それはちょっと心配だな。今、うちには両親いないし…
『そうじゃないの。あたしらにも理由が分からないのよ…
昼休み終わってからぱったり姿消しちゃって…みんな心配してたんだけど…
たぶん帰っちゃったんじゃないかな?』
昼休みが終わってから、いなくなった?それはもしかして前田さんと会ってからいなくな
ったってことか?どうして…?
『あの、それでさ。もしかして小山くん、翔ちゃんの家知ってる?』
『ああ、まあ…』
知ってるも何も一緒に住んでるからな。
『じゃ、ちょうどよかった。翔ちゃん鞄とか起きっぱなしでさ。
あたしが届けてあげたいところなんだけど、家知らないし、今から部活もあるし…
悪いけど翔ちゃんの家まで持っていってあげてくれないかな?』
そりゃ当然俺の役目だと思うけど、鞄も何も持たずに帰った…なんて。
『うん。分かった。渡しておくよ』
『ありがと。翔ちゃんに会ったら、みんな心配してたって伝えておいてね』
部活があるからだろう。吉永さんはそう言い残して廊下を走って去っていった。
それにしてもいったいどうして?確かに以前はよくサボって帰ってたりすることもあった
けど、鞄とか置きっぱなしだったってことは1度もなかったはず。
しかも最近はサボるなんてことすらしてなかったはずなのに…どうして?
これも、やっぱり俺の責任なのかな?…たぶん、そうなんだろうな…
とにかく家に帰らなくちゃ。



玄関に翔の靴はなかった。鍵もかかったままだったし、もしかしたら、とは思ったけど。
案の定、家の中を探しても翔の姿はどこにもない。台所にも部屋にもトイレにもいなかっ
た。
やっぱり家には帰っていない…
『どうして…?』
何故か急に不安が込み上げてきた。どうしてかは分からない、分からないのだが危険な感
じがする。直感的に翔を放って置いたら駄目だ、と。
俺は本来カンなんて当てにする方じゃないけれど、何故か今回はそのカンが正しいような
気がした。
気づくと俺は制服のまま、家を飛び出していた。
『翔を…翔を探さないと…』
どこに行ったかなんて分からないが、とりあえず探さないと。
嫌な予感がする。本当に嫌な予感がする。




◆注意
この話は本編の本来の展開とはまったく全然これっぽっちも関係ありません
俺が書きたかったから書いた。今は猛烈に反省している

IF STORY

あれから町中を歩いて翔のことを探し回ったが、結局見つけることが出来ず、日付が変わ
る頃に帰宅した。
翔が帰ってきたのは朝方だったように思う。台所で翔のことを待っていたのだが、睡魔に
は勝てずにいつのまにか寝てしまっていたので正確なことは分からない。
ただ起きたら目の前に翔が立っていた。暗い台所に1人で…
俺は翔にとりあえず謝ったのだが、「別にんなことはどうでもいい」と言われた。許して
貰えたのかどうかは正直分からない。
それとその日、翔は学校を休んだ。なんでも、制服が汚れたから今日は着ていけない、と
いうことだった。いったい何をしていたのか…
あんまり追求しても悪いから、俺も翔に断りだけ入れて学校に行った。
なんとなく翔のことが気になったのだが、俺も学校を休むわけにはいかなかったので…ま
あ、学生の義務だからな。

そしてその日、俺に奇跡としか言いようのない出来事が起こった。
授業も終わり、帰ろうとしていた俺は前田さんに声をかけられた。何だろう?と思い前田
さんについて屋上まで行くと…
「実はその…あのね…わ、私は、あ…小山くんのことが…す、好きなんです!」
その時は夢を見てるんだと思った。当然だろう学校一の美少女と名高い前田さんが何で俺
なんかのことを好きだと言うんだ…あり得ないだろ。俺が告白することはあっても向こう
から告白されるなんて絶対に無い、と思っていたからだ。
が、それが夢ではないのだと次の瞬間思い知らされた。紛れもない現実だった。
俺は正直な話、嬉しいとかいう気持ちより驚きの方が大きかった。大きかったのだが俺に
その告白を断るような理由は当然なく、一瞬だけ、何故か翔の顔が浮かんだが、それもす
ぐに消えた。
そうして俺と前田さんは付き合うようになった。



帰った後、夕食の時に翔にその話を聞かせてやった。その時の俺は有頂天で誰かに話した
くてしかたがなかった。とは言っても、誰でもって訳にはいかなかったのだが、ちょうど
家に帰ったら翔がいたので、思わずばっと話してしまった。
すごく嬉しかった。まさか前田さんに告白されるなんてホント夢にも思っていなかったの
だから。あんな可愛い子に…
てっきり翔にこんな話をしたら、また「からかわれてるのが分かねえのかクズ」とか
「うぜえからもう黙れ」とか言われると思ったのだが、意外にも翔は真剣に聞いてくれた。
変なチャチャを入れずにただ黙って真剣に…
それでただ一言「良かったな」と言ってくれた。

『おーい、翔入るぞ?』
夕食後、俺は翔の部屋に呼ばれていた。何の用事があるかは分からないが、俺を自分から
部屋に呼ぶなんて初めてのことだったので、よほど重要な話でもあるんだと思う。
『おう、いいからとっとと入れ』
了解が出たのでドアを開けて部屋の中に入る。
翔の部屋は以前ほど散らかってはなく、夢の島と言うほどのものではなくなっていた。
やっぱり女の子になったからかな…?あんま関係ないか。何にしろ部屋を片付けるのはい
いことだ。うん。
『どうしたんだ?俺を部屋に呼ぶなんて…何かあったのか?』
翔は窓の縁にもたれ掛かって外を見ていた。もう秋なので窓から涼しい風が部屋の中に入
ってきている。正直寒い。
『ちょっと見て欲しいもんがあんだよ』
そう言って翔は俺を手招きする。どうやら窓の外に気になるものでもあるみたいだ。
いったい何があったんだ?
俺は疑問を抱えたまま、言われたとおりに窓のところに行く。風に揺られたカーテンが頬
にあたった。
『何かあるのか?』
そう言って窓の外を見る。う〜ん、これと言って別に何もないと思うけど…
『ホラ、あれだよ、あれ』
そう言って翔は身を乗り出し、遠くを指さす。
どこだ?どこにあるんだ?
『う〜ん?』
俺も一緒に身を乗り出して目を凝らす、と…

“ドン”

―――え?

瞬間、視界が反転する。景色が変わる。
地面と空が反対になる。世界が反転する。
俺は落ちているみたいだ…
落ちる、堕ちる、おちる、………何で?

目線の先には窓が見える。あれは翔の部屋の窓だな。そこには人見える。あれは翔だな。
さっきの背中に響いた衝撃は……誰かに押されたのか?
そっか、俺は突き落とされたのか………誰に?

“グシャァ”



両腕の骨は折れ、右足は複雑骨折。完全に骨がくっつくまでには約1ヶ月ほどかかるらし
い。
あの後、痛みで意識が朦朧としている俺は救急車のサイレンを聞いた、と思う。
気が付くと翔が俺に覆い被さって泣いていた。翔の涙を見るのは初めてだった。
2階の高さから落ちてこのケガとは…運が良かったのか悪かったのか…
頭だけは無意識のうちに守っていたらしく、傷と言えるようなものはなかったのだが。
なんせ咄嗟のことで俺に受け身なんてものがとれる余裕はなかった。

もうすでに入院生活5日目。さすがに手足がまともに動かないのでは大人しく寝ているよ
り他はない。家に帰れるのも…だいぶ先のことになりそうだ。ま、もうしばらくは親も帰
ってこないわけだし…いや、どっちにしても同じか…
ああ、それと学校の方には翔が連絡してくれたそうだ。さすがに無断で1ヶ月も休むわけ
にはいかないだろう、と思ってくれたらしい。
それは助かった。しかしだからといって欠席日数がチャラになるわけでもない。
俺が今までほとんど学校を休んでなかったってのはホント助かった。おかげで1ヶ月休ん
でも進級とかにはまったく関係がないみたいだ。学校の勉強はだいぶ遅れるけどな…順次
にノート見せて貰わなくちゃ…
それと担任が口を滑らせたらしく見舞いにも何人かが来てくれた。稔に順次、そしてクラ
スの連中も数人。
そして前田さんも…
嬉しかった。嬉しかったのだが…



ふとベッドの脇の時計を見る。5時を過ぎたところだった。そろそろか…
“ガチャ”
病室のドアが開く。制服姿の女の子が入ってきた、何時も通り。
『よう、元気だった?』
そう言ってベッドの横の椅子に腰掛け、俺の顔を覗いてくる、何時も通り。
『こんな姿で言うのもなんだけど…元気だな』
手にも足にもギプスをつけ、更に足は吊ってある。身体的にはとても満足いくような状態
ではないけれど、体力的に元気なのは確かだ。ずっと寝てばっかりだからな。
『それだけ言えれば充分だね。今日は何も持ってきてないけど、ま、我慢して』
確かに今日はなにもお見舞いの品はないみたいだ。鞄以外には何も見あたらない。
何時もはなにかしら持ってきてくれるのだが…まあ、そっちの方がいいか。俺なんかのた
めに余計なお金を使う必要はない。
『今日は学校どうだった?』
『ん?別に…変わりなかったよ。普段通りだった』
まあ、そうそう大きなイベントなんてあるもんじゃないからな。日常ってのはそんなもん
だろう。
“ガチャ”
『小山くん。ご機嫌はいかがしら』
病室のドアが再び開き、また人が入ってきた。
『まあ、そこそこ元気です』
この人は片岡先生。俺の担当である女医さんでけっこう美人。つうか俺は今時女医さんな
んてあまりいないだろう、と偏見を持っていたのだが、現実ってのは案外分からないもの
だ。
『あら、翔ちゃんも来てたの?いつもご苦労様ね』
俺の隣に座っていた少女…翔を見つけた先生は声をかける。この2人はすでに顔なじみに
なっていた。毎日会ってるからな。
『こんにちわ』
翔も先生に挨拶する。
『本当にお兄さん想いの妹さんね。小山くんは幸せ者だわ』
『ははは、まあ…』
俺は苦笑する。確かに毎日学校が終わると何時もお見舞いに来てくれるのだから兄想いの
妹なんだろう。それにお見舞いの品もよく持ってきてくれるし、果物を林檎を剥いてくれ
たりもする。翔は案外手先が器用だったみたいで、料理とかもうまいのかもしれない。
『ええ、たった1人のお兄ちゃんですから』
お兄ちゃん…か。



世間では俺は足を滑らせ自分から転落した、ということになっていた。
唯一の目撃者である翔が証言してるんだし、何より俺自身がそう言ってるんだから間違い
はない、と思われている。いや、間違いはないのだ。

俺は1人病室で考えていた。なんであんなことになったのかを。確かに翔が俺に怒ってい
たことは確かだった。俺には理由が分からなかったが…それにそれはもう終わったことだ
と思っていた。
俺には結局分からないままだった。翔本人から訳を聞くまでは…

「気づいていなかったみたいだけど、俺は女になってからずっとお前のことが好きだった
んだぜ」

「前田がお前のことが好きなのも知ってた。なんせ俺が本人から訊いたんだからな。
…俺と前田では勝負にならないと思ったから…素直に身を引こうと思った。
でも…お前があんまり嬉しそうに話すもんだからよ。…我慢できなかったんだわ」

「その体じゃしばらくはなんも出来ねえわな?だから俺が面倒みてやるよ、前田にかわっ
てな。ねえ?“お兄ちゃん”」

つまり悪いのは俺だった。翔の気持ちに気づいてやれず、いくら知らなかったとはいえ翔
の前であまりに非道いことをしてしまったのだ。
そう、悪いのは俺だった。全部俺だった。だから本当のことは言わなかったし、俺自身信
じたくはなかったのかもしれない。
「翔に突き落とされた」なんてことは…



しかし嫌でも思い知らされた。
2日前まで、前田さんは毎日お見舞いに来てくれていたのだが、俺が前田さんに多少キツ
イことを言って帰してから、彼女はお見舞いには来てない…
せっかく俺のことを心配して来てくれていたのに…悪いことを、本当に悪いことをしたと
思う。
でも怖かった。俺が前田さんと話しているとき、1人、無表情で林檎の皮を剥いている翔
が…
何を言うでもなく、何をするでもなく、俺のために林檎の皮をシュルシュルと剥いている
翔が…
果物ナイフがなかったからと包丁で皮を剥くその姿が何故か怖かった…

『そう言えば最近、前田香澄はお見舞いに来ないね。どうしたんだろうね?』
俺の考えてることを見透かしたのか翔がそんなことを言ってきた。
だが来ないのは当然だ。俺が追い返したんだからな…
『ふふ。彼氏に少しくらい非道いこと言われても、あの子なら構わずお見舞いに来てくれ
そうなのにね。よっぽどショックだったのかな…それとも、他に来ることができない理由
が出来たとか?』
……確かに、言われてみれば…前田さんなら俺が非道いこと言っても、それでも来てくれ
るのかもしれない…いや、でも実際来ていないじゃないか…実際に…
『まさか…』
『たとえば……ふふ、誰かに歩道橋の階段から突き落とされたり…』
……な!?
『もしかしたら、意識不明の重体だったりしてね?』
そ、んな…
『でも、クラスの連中は一言もそんなこと…』
『ここ、2日ほどは誰も来てないから、分からないよ?
それに意識不明の重体だよ。家族が学校の方にはふせていてもおかしくはないよね?』
でも、そんな、こと…
『あはは、冗談だよ、冗談冗談。顔真っ青にしちゃってさ。
まったくお兄ちゃんは冗談通じないよね』
『そ、そうか…冗談か…はは、そうだよな。冗談だよな…』
そうだ。そんなこと冗談に決まってる。
『…たぶん、ね?』
翔は棚に置いてあったリンゴを器用にシュルシュルと剥く。
シュルシュル、シュルシュルと…

BAD END




ANOTHER SIDE

失恋のダメージってのは思ってたよりもすげえでかいな…
味わってみて初めて分かったぜ…

気が付くと当てもなく学校を飛び出していた。鞄やらなんやら全部教室に起きっぱなしだ
がそんなことは知ったことか…
今から授業なんて受ける気にもならねえし、学校にいるつもりもない。
当然、家に帰るつもりもない。
『家に居たら、絶対あいつと顔を合わすことになるからな…』
今は顔を合わすことすら辛え。恥ずかしい話だけど顔を見ただけでまた泣いちまいそうだ

…ったく、たかだが男1人のことでボロボロボロボロ泣きやがってよ。ホント弱くなった
よな俺。ま、男の時ならそもそも男を好きになること事態がありえねえ話なんだけどよ…
『好きになる相手間違えちまったよな…』
今さら言ってもしかたないことだけどよ…
相手には他に好きな女がいて、しかもその女もそいつのことが好きか。ドラマとかでは良
くあるパターンってやつだな。
『はは、ドラマみたいな恋をしました、ってか』
空笑いしてみる。虚しい…
すげえ胸が痛い。ドロドロでグチャグチャで、言葉にはしづらいけど、すっげえ気持ち悪
い。



痛い…痛い…イタイ…
ズキズキする…マジ痛てえ…
『とにかくこんな所うろついててもしょうがねえ…』
なんかスッキリすることがしたい。この胸の痛みが少しでも和らぐようなことが…
馬鹿なことでもいい。少しでも痛みがマシになることがしてえ。
『久しぶりにあいつらにでも会うか…』
スカートのポケットの中から携帯を取り出す。荷物は全部教室に置いたままだったんだが、
幸いにも携帯と財布だけは身につけておいた。
うちの学校の制服のスカートはわりとでかいポケットが付いているので、こういう小物系
を入れておくには便利だった。
登録している名前から三倉浩二を選ぶ。
三倉浩二−ここら辺じゃあんま評判の良くない宍原高校の奴で俺の悪友みたいなもんだ。
同じ中学で高校に入ってからもそいつを含め宍原の連中とよく遊んでたりしてたわけが、
最近はあんま会ってなかった。
正直、親しくなろうとも思わないような汚ねえ連中だが、適当に遊ぶには最適な相手だっ
た。
「おう、今から遊べねえか?」
とりあえずメールを送ってみる。ま、あいつなら学校なんてサボってるだろ。
しばらくすると返信が来た。OKらしい。指定された場所まで行くか…
スカッと出来ればそれでいい。たとえ馬鹿なことでもな…



『よう、久しぶり』
駅前まで行ったらそいつがいた。赤く染まった髪、服装こそは学生服だがすげえ適当な着
方で、首からはシルバーアクセがチャラチャラとぶら下がっている。
変わってねえな。相変わらずしまりねえツラしてやがる。
『あん?何だお前…?
もしかして逆ナンか?いいぜ、ホテルでも行くか?』
ニタニタしたツラで俺のことをジロジロ視線で舐め回す。は?ボケかこいつ?
目腐ってやがんのか…
と、思って気が付く。あ、そういやこいつは俺が女になったなんて知らねえのか。
チッ、面倒くせえな…
『バッカ。俺だよ俺』
『は?』
訳が分からないといったツラで俺を見る三倉。ま、そりゃそうだわな。いちいち説明しな
くちゃなんねえのか…
『あのさ。俺だよ、上村翔』
って言っても信じるわきゃねえよな。つうか普通信じねえか。
『何いってんのお前?翔の知り合いかなんかか?』
『じゃなくて、上村翔本人だっつうの!』
なんか証明するようなもんねえかな、と思ってスカートのポケットをゴソゴソ探す。
お、なんかあるな…何だこりゃ?
『学生証か…』
ちょうど良かった、助かったぜ。学生証は俺が女になってから写真とか全部差し替えてあ
ったんだ。いちいち撮りなおすのとかそん時はすげえ面倒かったが、ま、今は助かったぜ。
『ホラ、これ見ろよ』
『あん?』
学生証に顔を近づけてくる三倉。訝しげなツラして覗き込んでいる。これで信じてくれる
んなら助かる、つうか信じろ。俺をこれ以上イライラさせんじゃねえ。



『んん〜?』
三倉は学生証の写真と名前のところを一通り見た後、もう一度俺の顔を覗き込む。
どうだ?信じたのか?
『お前…ホントに翔?』
『そう言ってんだろがボケ!』
まあ、なにはともあれ信じたみてえだな。…ったくいちいち手間のかかる奴だぜ…
『そういや…どことなく顔も似てるような…お前…どうしたの?』
『どうしたもこうしたも、朝起きたらこうなってたんだから俺にも訳分からねえっつーの』
つうかホント今考えても訳が分からん。男だったのに朝起きたら女になってました、って
一体どこの世界の人間の話だよ、そりゃ。
ま、実際なっちまったもんはしかたねえんだけどよ…
だいたい俺が女にさえならなかったらこんな辛い気持ちにもならなかったんだよな…
『…まあ、いいや。お前は翔ってことでオールOK。
あ、そういや悪りいけど遊ぼうにも俺まだ人数集めてなかったんだわ。
今、メールしとくからよ』
何故か開き直ったような陽気な声で俺に話しかけてくる。心なしか顔もニヤけている。
どうしたんだ、こいつ?ま、信じてくれたのならそれでいいけどよ…
『ん?どこ行くんだよ?』
携帯を手に持ったまま俺に背を向ける三倉。
『あ、え〜と…便所だよ便所。ちょっと待っててくれ』
『おう、早くしろよな』
なんで携帯手に持ったまま便所いくかな?しまえよ?別にんなことどうでもいいけどよ…



『あ、もしもし堀田さん?…いい女見つけましたよ。今からそっち連れて行きますんで…
きっと気に入ると思いますよ…あ、はい、じゃそういうことで』

ANOTHER SIDE OUT




『くそっ!』
だいぶ翔のことを探し回ったが一向に見つからない。コンビニ、デパート、ゲーセン等翔
が行きそうなところは虱潰しに探したが翔はいなかった。
『いったいどこに行ったんだ…?』
よくよく考えてみればこのだだっ広い町で人1人見つけるというのはけっこう難しい。
翔のようにそんじょそこらにいないような美少女でもたくさんの人達の中に紛れてしまえ
ばちょっとやそっとじゃ分からない。
いかに人通りの少ない時間帯だといっても、1人紛れるには充分な人の多さだ。
『別に隠れてるわけじゃないと思うけど…』
とりあえず探すしかない。誰か他に頼れる人でもいれば別だけれど…頼れる人?
『そういえば…』
誰か頼れる人が…

「もし困ったことでもあったら、遠慮無く知らせてくれ」

…いた。
いたじゃないか!そうだ、すっかり忘れてた。こいつはグレィトですよ!
健さん、健さんがこの町に来てたんだった。
「いなくなった妹を一緒に捜してください」なんてあまり大したこととは言えないかも知
れないが、俺にとっては大したことだ。
それに健さんはいい人だからきっと協力してくれる。
さっそく電話を…
『あ…』
携帯を取り出して気がついた。よく考えたら俺、健さんの携帯の番号知らないじゃんか…
ちょっとどういうことですか俺!なんでそんな大ポカを…
つうか健さんも健さんだ。あの時番号なりアドレスなりを教えてくれたらよかったのに…
…って人のせいにしてもしかたない。



『どうする?どうする俺!』
このままウダウダ考えてないでさっさと翔の探索を再開した方がいいな。
『いや、ちょっと待て…』
健さんの番号は知らないが、雪彦さんの番号なら確か…確か今年の春に会ったときに聞い
てメモリにいれていたような…
急いで携帯で確認する。
『あった…』
ありましたよ、須々木雪彦。よかった…本当によかった。
たぶん、いや、まず間違いなく雪彦さんも健さんと一緒にこの町に来てるはずだ。
あの2人が別々に行動するなんてあまりあることじゃないからな。
…春会ったときは別々だったけど…
『なんて今考えても仕方ない』
雪彦さんが携帯を変えてないことを祈って電話をする。
“トオルルルルルルル”
『頼む。出てくれ!』
これで雪彦さんが出てくれなかった大人しく諦めて俺1人で探すしかない。
だけどあの雪彦さんなら…それに健さんと一緒なら尚更心強い。
『はい、もしもし?』
出たー!ありがとうございます神様。この世に神様ってのはいるみたいですね。あ、一応
寝子神も神様か…感謝しときますよ。
『もしもし雪彦さん?』
『そうですけど…?』
『俺です!小山貴志です!』
『…ああ、貴志くんかい?久しぶりだね。そう言えばこの前、美雪さんが電話したとか言
ってたな〜。まったく、その時僕にもかわってくれたらよかったのに』
『突然で悪いんですけど…健さんは?』
『ああ、今ちょっと席を外しててね。後1時間ほどしたら戻ってくると思うんだけど…』
1時間か…待ってもいいけど…いや、やっぱり駄目だ。



『あの雪彦さん…頼みがあるんですけど…』
『ん?なんだい?』
『実は人を探して欲しいんですよ。その、俺の妹なんですけど…』
正確に言えば元弟、現妹と言ったところなんだけど…まあ、今はそんなことはどうでもい
い。
『…なにか事情がありそうだね?
…分かった。かまわないよ。それで、特徴とかあったら教えてくれないかな?』
特徴か…可愛い。美人。…なんてことは特徴にはならないな…
え〜と、何か…
『え〜と、黒髪で肩までショート。あとうちの、東南高校の制服着てて、鞄とかは持って
ません。あと、その俺が言うのもなんですけど可愛いです。
…すいません。思い当たる特徴はこれだけです』
『うん。充分だよ。制服は着ているけど鞄は持っていない、ね。
じゃあ探してみるよ。もし見つけたら電話するから』
『ありがとうございます。本当にすいません』
『いやいや、かまわないよ。じゃあ』

よし、雪彦さんが協力してくれるのならすぐに、とは言わないけど見つかるはずだ。
何せ物探しのエキスパートだからな。あれだけの少ない情報でもきっと見つけ出してくれ
るはず。
『さて、俺もこんなことしてないで早く探さないと』
もう一度町に駆け出す。翔…早く見つかってくれ。なにか嫌な予感がするんだ。



“ドス”
『わたっ!?』
走り出したところで誰かにぶつかった。痛た…っと、相手の人は大丈夫か?
『あの、ごめんなさい。急いでて…』
目の前で転んでいる人に声をかける。どうやら小さな女の子にぶつかったみたいだ。
悪いことをしたな。大丈夫だろうか…ケガとかしてないかな…?
『いえ、別に…』
起きあがろうとする女の子。うん、どうやらパっと見てケガはないみたいだな…良かった。
『大丈夫かい?』
女の子に手を伸ばす。急いでいるとはいえ、こんな子を放って去っていくのは最低だから
な。
『うん、大丈夫ですにゃ』
………にゃ?
『はい?』
起きあがった女の子をよく見ると…これは、なんていうか…その…
外見的には10歳くらいの純粋に可愛らしい女の子だ。うん、そうそういないくらいに可
愛い。あと5、6年ほどたったら美人になると思う。服装は花柄のワンピース。
そこまでなら何も問題はない。なにも、問題は、ない、のだが…
問題は…頭の上にネコミミがのっかっていることだ…それにお尻から尻尾が…
『あれ?あれれ?』
おかしいな?俺は現実世界を生きているはずだよな?
確かにネコミミ少女なる生物が存在することは知識として知っていたが…まさが自分の住
むこの町でエンカウントすることになろうとは…はぐれメタルよりもレアだ。
いや、いやいやいやあり得ない、あり得ないぞ。もしかして新手のスタンド使いか…?
スタンド使いは皆特徴的な格好をしているからな…セッコとかメローネとか…
そう言えば岸辺露伴もけっこう特徴的な格好してるよな、髪型とか。味もみておこう。
…って混乱するな。混乱するな俺!目の前の現実を直視しろ!
『あの…おにいさん?』
『あ、いや、何でもない。何でもないんだ。じゃ悪いけど俺急いでるから
その…ぶつかってごめんな』
これ以上この子を直視すると俺の現実感が揺らいでしまいそうだ。悪いけど今はあまり時
間もとってられないし…もう行こう。



『上村翔がどこにいるか知ってるにゃ』
なにィィィィィィ!!??
『なんでそのことを…いや、それ以前になんで翔の名前を』
この子いったい何者?もしかして本当にスタンド使いなのか?アトゥム神?
…ん?待てよ…この話し方…どこかで……あ!
『君…もしかして寝子神?』
『に゛ゃ!?』
あ、尻尾がビーンと立った。やっぱり…
『寝子神だろ…』
『な、ななな、なんのことかにゃ?私には全然さっぱり…』
コイツ、なにやってんだ…だいたい何でこんな姿で…いや、さすがに夢の時の姿じゃ他の
人がビックリするとは思うけど。でも今の姿でも充分…
しかし何で少女?趣味?趣味なのか?
『そ、そんなことより…翔の居場所を聞きたくないのかにゃ』
そうだった。そんなことより…
『知ってるのか!?』
『当然だにゃ。神様が知らないことはないにゃ』
えっへんと胸を張る女の子(仮)。
やっぱり寝子神じゃないか…まあ、今そんなツッコミしたらまた話がややこしくなるから
止めておこう。
『それで、どこに?』
『この先の角を曲がって裏通りの方にいくにゃ。そこから右に角を曲がったところにある
潰れたバーにいるはずにゃ。あ奴に危険が迫っているにゃ。さっさと行ってやれにゃ』
危険が…迫ってる?危険が迫ってるだって!?
『分かった。ありがとう寝子神!』
やっぱり予感は的中したか!急がないと!
『だから寝子神じゃにゃいと言っておるに…』
俺は寝子神に礼を言うとすぐに走り出した。
なにが起こっているのか分からないが…間に合ってくれ!




『出来れば私が助けてやりたいところにゃのだが、そこまでするとルール違反なのにゃ。
…願わくば2人が無事でありますよう』




ANOTHER SIDE

『おい、いつまで待たせんだよ?』
三倉とマック入ってからかれこれ1時間ぐれえたつ。
俺は携帯をいじる三倉のあい向かいでハンバーガーをひたすら食っていた。
すでにチーズバーガー4つめ、ポテトは2つめだ。
『まあまあ、奢って貰ってやってるんだから文句言うなよ』
確かに全部金は三倉持ちなわけで…俺にあんま文句言う筋合いなんてないかもしれねえけ
どよ。
俺はなんかスカッとすることがやりたくてお前を呼んだんだ…だれもハンバーガー食うた
めにわざわざ誘ったわけじゃねえ。
『にしてもちょっと時間かかりすぎなんじゃねーのか?人集めんのになんで1時間もかか
るよ?』
どっか別の町から呼ぶわけじゃあるめーし。お前のガッコからだったらそんな時間かかん
ねーだろ?
『そう言うなや。だいたい今3時半ちょっとすぎたとこだぜ。どこの学校もまだ終わって
ねーっつーの。
俺やお前と違っていっつもサボってるわけじゃねーんだぜ』
『はっ、よく言うぜ。学校行っても勉強なんてやってねーくせに。
どうせ適当に遊んでんだろ?』
こいつらが真面目に机に座って勉強してるとこなんて想像できねーよ。だいたい学校なん
てほとんど行ってねー連中ばっかだろうに。
『まあな…でも、お前も東南なんか行ってるケドよ、やってることは同じだろ?』
『違げーよ。俺は最近は真面目にやってるっての』
そう、最近はけっこう真面目にやってる。一応授業はきちんと受けてるし、成績もそんな
に悪い方じゃない。素行つうか態度とかでも以前ほど五月蠅く言われなくなったと思う。
確かにちっと前の俺なら授業には出ねえ、態度は悪いし教師にはくってかかる、とか平気
でやってただろう。でも、いつからかそんな事をしないようになった。そう…



『(あいつのおかげか…)』
正直言って俺は自分でもそんな馬鹿なことやってるって実感はなかった。
授業はめんどかったし、教師共はくだらねえことで五月蠅く言うからちょっと頭にきただ
けだ。それが俺のせいだとか、俺が悪いとか思ったことはなかった。
ただ…その事であいつが俺の代わりに謝ってるのを見てから少し考え方が変わった。
別に俺の否を認めたとかそういうわけじゃねえ。ただ俺のせいであいつが苦労するのはち
っとばっかし気の毒かな、と思っただけだ。義理の兄弟とはいえ、言ってみれば赤の他人
の為にあそこまで頭を下げて平謝りするあいつを見て、少し格好いい奴だな、と思っただ
けだ。
それもあって…俺は女になってからあいつのことを…
…っといけね。そのこと忘れる為にこうして遊びに出てきたのに俺が思い出してどうす
る!あいつはもう俺に振り向いたりはしないんだ…振り向いたりは…
『う……』
…って何また泣きそうになってんだよ馬鹿!忘れろ!今はそのことは忘れろよ!
『おい、どうした』
気がつくと三倉が俺の方をじっと見てた。っつ!いけね、いけね…
『べ、別になんでもねーよ』
『そうか…』
こんな奴に涙見せるなんてとんでもねえ。一応ダチってことなってるがあんま信用できね
え奴だからな。そもそも信用なんてしてねえが。
『あ、そうそう、後20分ほどで人数集まるって返事来たからそろそろ行くか』
『行くって、どこへだよ?』
『最近俺らがたまり場にしてる場所があんだよ。そこでいっぺん合流してから遊びに行く
って手はずだ』



たまり場ね〜。どうせろくな場所じゃねえだろうな。つうか何処か知らねえが俺らみたい
なのにたまり場にされたら迷惑だろうに…
ま、んなこと俺には関係ねえが。
つうか…
『そんな別に大人数集める必要ねーだろ。5人ほどいりゃ俺はいいんだよ』
いったい何人集めてるのか詳しくは知らねえけどよ。どうもえれえ大量にメール送ってる
みたいだからちっと気になった。
『ざっと10人ほどは呼んでるけどよ。なんせお前女になってんじゃん。しかもすげえ可
愛いし。そうメールしたら何人も来たいって奴が増えてよ。
ま、勘弁してくれよ』
10人もかよ。俺あんま多いの好きじゃねえんだよな。それに…
『つうか俺が女になってるって言ったのかよ…』
『いいじゃねえか。どうせ会ったらすぐバレることだしよ』
まあ、そりゃそうなんだが…
『だから、きっちりお持てなししないとな…』
何故かにやける三倉。は?なんだこいつ?何が可笑しいんだ?
『お持てなしとかいうほどのもんじゃねえだろ』
『はは。そりゃそうか』
訳分からんこと言う奴だな。元々アホな奴だとは思っていたが…
『それよりも行くか』
そう言って席を立つ三倉。
『あ……んぐ…おう』
俺も残ったポテトを全部口の中につっこんで、後に続く。



『ここだ』
案内されたのは町中から離れた裏路地にある一件のつぶれたバーらしきところだった。
コンクリートの地面より下に階段が続いており、一般の人間から見たらあんま雰囲気のい
いところとは言えねえ。
ま、俺らみたいなのがたまるには丁度いい場所かもしれねえが…
『さっきメールしたらもう人数揃ってるみたいだからよ。先入れよ』
『…おう』
三倉に言われ俺は先行して階段を降りる。なんだが煙草くせえ。最近つうか女になってか
ら吸ってなかったから匂いに敏感になってんのかな。

中は外見通りの場所だった。
そこら辺に割れた酒瓶やらビール缶やら煙草の吸い殻が転がっている。お世辞にも綺麗な
場所ではない。ライトも何カ所かはついており、真っ暗ってことはねえが、あんま明るい
こともねえ、辛うじて人の顔が見える程度だ。
『お、来たか…』
店の奥に何人かの男が集まっている。カウンターの所には男が1人腰掛けておりそれを取
り囲むようなかたちだ。
カウンターに座っている男はスキンヘッドで右頬には大きな傷がある。目の所はサングラ
スで隠れててよく分からねえが、どうみても凶悪極まりねえツラしてやがる。
…つうか学生じゃねえだろ。やべえ雰囲気が漂よってやがる。
『ほう…すげえ上玉じゃねえか』
そいつは俺のことを値踏みするみたいにジロジロ見てきやがる。なんだコイツ?
『アンタ…誰だ?』
『オイ!堀田さんになんて口の利き方しやがる!』
堀江…と呼ばれた男の取り巻きっぽいチンピラが俺に向かって怒鳴ってきやがった。
ホントにどういうこったこれは…



『この人はな。本物のヤクザなんだぜ。俺らとは格の違うお人なんだよ』
ヤクザか…どうりでな。雰囲気からしてただのチンピラじゃねえとは思っていたが…
『で、なんでそのヤクザ様がこんなとこにいんだよ?』
『今は堀田さんが俺らの面倒見てくれてんだよ。おかげで俺らもいろいろと遊べて楽しい
ぜ』
堀田の取り巻きの男の1人が答える。なるほどねえ。ここらの不良はヤクザの手下か…
ちっと見ねえ間にずいぶん変わっちまったもんだ。
『へ〜、ヤーさんがチンピラ囲ってお山の大将かよ?ずいぶんなこったな』
『んだとコラー!』
『まあ、落ち着け。ふ〜んなるほどねえ。可愛いだけじゃなくてなかなか気も強えーじゃ
ねえか。俺好みだな』
取り巻きを制して俺をジロっと見つめる。その顔はニヤついてやがる。
『おい、三倉…どういうこったよ?』
俺の後ろにいる三倉に問いかける。こんなの聞いてねえぞ。人数集めて遊びにいくんじゃ
なかったのかよ…?
『へへ、悪りな。堀田さんにいい女連れてこいって言われててよ。
なかなかいいのが見つかんなくて焦ってたらちょうどお前が出てきてよ。ベストタイミン
グってやつだったぜ。
いや、ホント助かったぜ翔…いや、自称上村翔ちゃんよ!』
なん、だと…!
『…てめえっ!!』
『はは、そんな可愛い顔で睨まれても全然怖くないっての。
だいたい、何が朝起きたら女になってた、だよ。んな冗談今時小学生でも信じないっつ
ーの!
お前がいったいどこの誰で何で翔の名前語ってんのかとか、まあ、この際どうでもいい。
いや、むしろ翔本人だったって方が俺はいいがな。翔の奴最近何度誘ってもつれねえし、
いいかげん頭きてたんだよ』
この野郎…!あまりいい奴だとは思ってなかったがここまでのクソ野郎だったとは…
『…俺をどうするつもりだよ…?』
沸騰しそうなほど怒りに満ちた頭を落ち着かせ訊く。だいたい想像つくがな。
こんな所に俺を連れ込んだ時点で…
『んなの決まってんだろうが!ネンネじゃあるまいしよ!』
堀田の取り巻きの男が怒鳴り、続いて何人かが俺の周りを囲み始める。



…ちィ!やっぱりかよ…
『俺が満足いくまで犯ったら後はお前らにまわしてやる。
写真とんの忘れんじゃねーぞ』
相手は12人。前に6人、後ろに4人か…
堀田ともう1人のヤクザっぽいのは余裕ぶっこいてるのかカウンターのところで見ている
ままだ。
ちっとやべーか…女になってだいぶ力落ちてるからな…ま、そんなこと言ってられねえが。
『…へへへ』
笑いながら徐々に距離を詰めてくるクズ共。
『はっ、女1人相手に大の男が寄ってたかってよお。
チキン共が…っ!そんなに俺が恐えのかよ?』
『なんだと!』『このクソアマぁ!』
『止めろ!挑発だ、相手にすんじゃねえ!』
勢いだった男共を堀田が制す。…っち、やっぱり駄目か…
と、なるとこいつはもう正攻法でいくしかねえな。
『出口は…』
後ろの階段を確認する。約10メートルほどか…
幸いにも背後の守りは手薄だ。今の俺でも3人程度だったら楽勝でブチのめせる自信はあ
る。つっても相手もそこそこ場慣れしている連中ばっかりだ。そううまくいくかどうか…
ま、うまくいかなかったら俺がこのゲス共に犯られるだけだ…そればっかりは勘弁願うぜ。
あいつにならともかく…こんな野郎共に体預けるなんざ死んでも御免だからな。
ま、グチグチ考えてもしゃあねえ。ここはいっちょ、やるか!



『うおおおおおおおおおっ!!!』
俺の背後の三倉の右足にローキックをくらわせる。
『がっ!?』
一瞬、足を押さえて屈み込んだ三倉の顔面がちょうど俺の拳の前にきたので、鼻めがけて
拳を叩き込む
『おらぁ!』
“ゴス!”
鼻血を出しながら倒れ込む三倉。
『つぅ…』
思いっきり殴ったせいで拳が少し痛むがそんなこと気にしてられない。
そのまま出口の階段まで走る。
『逃がすか!』
俺の前に男が出てきて視界をふさぐ。やっぱり簡単には逃がしちゃくれねえか。
『どきやがれ!』
勢いをつけて相手の脇腹に蹴りをいれる。
『くたばれ!』
相手が怯んだところで今度は顔面に思いっきり足をめり込ます。
“グシャ”
よし!視界が開けた。あともう少しで階段に…
“バチィィ!”
『……あうっ!?』
な、なんだ…いきなり…背中に…衝撃…が
背中に激しい衝撃をうけ思わず倒れる。なんだ…体が動かない…?
目線を上げると1人の男が俺を見下してニヤニヤしている。あの手に持っているのは…ス
タンガンかよ、クソ!
『…ったく手間かけさせんじゃねえよ!』
『おい、この女気絶しちまったんじゃねーのか?』
『心配すんな。電圧は抑えてある。気絶しちまったら面白くねーからな』
倒れた俺の周りにワラワラと男共が集まってくる。ちくしょう…っ!



『このクソ女!痛え!痛えじゃねえかクソ!ブッ殺す!ブッ殺してやるクソがぁ!』
立ち上がり、鼻血がドクドク流れるのを手で抑えながら、血走った目で俺の方を睨みつけ
る三倉。さっき倒した男もまた起きあがる。
『ははは、おいおい、なんだよ三倉そのツラは。ひひ、真っ赤じゃねーか』
『うっせー!!いいからその女俺に寄越せ!口もマンコもケツも犯りまくってからブッ殺
してやる!』
『待てよ三倉!まずは堀田さんだっつーの』
気がつくと堀田の野郎が俺のすぐそばまで来ていた。
『まあまあ勘弁してやれ三倉』
『でも堀田さん…この女…』
『俺が犯ったらまずはお前にまわしてやんからよ。そん時は好きにしろや』
『は、はい!ありがとうございます!』
『さて…じゃあ翔ちゃんだったけな。準備はいいかな〜?』
笑いを含んだ口調で倒れている俺の目の前まで顔を近づける堀田。
『いいわけねーだろクズ!』
かろうじて動く口で暴言を浴びせる。汚ねえツラ近づけんじゃねーよこのクズ野郎!
クソ!体さえ動けばこんな野郎…
『ははは、ホント気の強えー女だな。ま、心配すんな。ちゃんとお前も気持ちよくしてや
るよ。
ここにいる全員が終わる頃にはお前もチンポ無しじゃ生きられねーエロ女になってるぐら
いにな。
ひゃははははははははは!』
下卑た声で笑う堀田。つられて周りの連中も一緒に笑い出す。
『触れんじゃねえ!ちょっとでも触れたらお前ら全員ブッ殺してやる!!』
『出来るものなら…なあ?』
『クソ!クソが!このクズ野郎共…許せねえ絶対に許せねえ!お前ら全員ここから生きて
帰さねえからな!』
ちくしょう…っ!ちくしょうちくしょうちくしょう!
まだだ!まだなんか方法はある。俺が助かる方法が…絶対、絶対にある!
こいつらをブッ飛ばして、全員ブッ殺して…全員…全員………
………おにい、ちゃん


『待てー!!!!』

ANOTHER SIDE OUT




『待てー!!!!』

有らん限りの大声で叫んだ。バー内の人間の視線がいっせいに俺に注がれる。
ギリギリだった、かもしれない。とにかくなんとか間に合ったようだ。
寝子神から翔の居場所を聞いて、全力疾走でここに向かった。で、いざ中に入ってみれば
この有様。
何人ものいかにも凶悪そうな男たちが円を作り、その中心に翔が倒れていた。
男たちのにやついた表情を見れば、これから何が起ころうとしていたのかは容易に想像が
つく。
なんでこんなことになったのかは分からない。ただ翔が凶悪な連中に襲われそうになって
いたのは確かだ。
男たちが誰なのかなんて見当がつかない、いや、1人だけ心あたりはあるのだけれど。
もっとも人から特徴を聞いていただけで、直接出会ったのは今が初めてだ。
堀田史也…危険な男だと聞いていたが、実際会ってみてその通りだと思った。
人を外見で判断するのはよくないかもしれないが、どう見ても危険人物だ。
『ちゃんと1人は見張りたててろって言っただろうが!』
その堀田が口を開く。外見そのままのような低くドスの効いた声だ。
『『す、すいません』』
周りの男たちが堀田に謝る。やっぱり堀田がこの連中のリーダー格だな。
『早く翔を離せ!警察を呼んであるんだぞ!』
『誰に命令してんだコラー!』『サツって…やばくねえ?』『おい、どうすんだよ?』
周りの男たちが口々に俺に向かって暴言を吐いたり、不安めいた顔でざわめきあったりし
ている。このおどしで素直に引いてくれればいいが…
『落ち着け!仮にサツを呼んでてもここまで来るに時間がかかる。場所を移しゃあいいだ
けの話だ。まあ、その前に…』
堀田が俺を睨む。
『…こいつをブチ殺してな』
それを合図に男たちが俺の方に距離を詰めてくる。お楽しみを邪魔されたからか明らかに
怒りの表情だ。やばいな…



『翔、大丈夫か?』
おそらくはまだ何もされてないと思うが、一応翔の状態を確認するために声をかける。
『馬鹿!なんで来たんだよ!俺のことなんかどうでもいいからとっとと逃げやがれ!
今ならまだ間に合うからよ!』
床に倒れたまま翔が声をあげる。うん、どうやら何かされて動けないみたいだが、ぱっと
見てこれといった傷とかもないし、体の方は大丈夫なんだろう。良かった…
『お前を助けに来たのに、逃げたら意味無いだろ』
以前のことで少々度胸がついたのか、凶悪そうな男たいが今まさに俺を叩きのめそうとし
ている状況でも割と冷静に声が出る。
『助けるとか格好つけてんじゃねーよ!さっさと逃げろ!逃げねえとブチ殺すからなぁ!』
泣き出しそうな声で俺を怒鳴りつける翔。俺のこと心配してくれてるのか…嬉しいな。
でも逃げないとブチ殺すって言ってもこの状況じゃ無理だろ。
『俺1人じゃ逃げない!翔も一緒に逃げる』
そうじゃないと来た意味ないし。
しかし幸いというべきか俺が注意を惹きつけたから連中は翔から離れた。今、翔のそばに
いるのは堀田1人だけだ。
『馬鹿!ばかばかばかばばかばかばかぁ!』
涙をポロポロ流しながら俺を怒鳴る翔。むう…助けに来た人間に対して馬鹿は失礼じゃな
いか…?
『へへへ、お涙頂戴の再会はすんだのか?つうか、なんだてめえは?翔ちゃんの男か?』
『…兄貴だ』
お前なんかに翔を翔ちゃんだなんて呼ぶ権利はないと思うぞ。
『ほう、そりゃ随分妹思いの兄貴だな〜。しかし1人で来るとはなかなか勇敢なお兄ちゃ
んだ』
『お前らなんか1人で充分だから』
ドっと周りから笑いが起きる。
当然ハッタリだ。俺じゃ正直1人も倒せないかもしれない。ま、別にケンカしにきたわけ
じゃないんだが。
『ひゃははははは。なるほど「1人で充分」か。はははははははは…
―――なめてんじゃねーぞ糞ガキがぁ!!』
馬鹿笑いから一転ものすごい形相で俺に罵声を浴びせる堀田。ぐ…さすがに迫力がある。
『…もちろん俺だって何の準備もしてきてないわけじゃない』
ポケットに手を突っ込む動作をする。
『くたばれクソがぁぁぁ!!』
その動作を見て男共がいっせいに飛びかかってくる。
ポケットの中には…ティッシュが入っているだけだ。さっきのはただのハッタリ、こうで
もすれば飛びかかってくるだろうと思っていたが案の定。
俺はケンカはそんなに強くない。ましてや俺よりも格段に強い翔を動けなくようにした連
中にかなうわけがない。でも身のこなしなら少しは自信がある。
『っつらぁ!』
単調に襲いかかってくる連中の間をすり抜ける。いっせいにかかってきたのが逆にアダに
なったな。普通後ろにもう何人かは置いておくものだ。
そのまま全力疾走で翔のところまで走り寄る。
『翔!!』
倒れている翔の手を取り一気に背中に担ぎ上げる。
『貴志……』
『逃げるぞ!!』



『あっ!前!!』
『え……うぐっ!』
前からかかってきた男に腹を思いっきり殴られる。思わず苦悶の声が漏れる。
…っ!倒れるかよ!
『死にやがれ!!』
“ドス!”
立て続けに腹を殴られる。他の男たちのぞろぞろと寄ってくる。
『オラァ!』
“ゴス!バキ!”
駄目だ…このままじゃ…翔を…
なんとか力を振り絞って翔を傷つけないようにゆっくりと床におろす。
『おにいちゃん!!』
『…へへ』
翔に大丈夫だと言うように笑ってみせる。正直ぜんぜん大丈夫ではないが…
『オラオラさっきまでの威勢はどうしたよ!!』
“ガス!ガス!”
翔をおろした後一緒に倒れた俺の横っ腹に容赦なく蹴りをいれる。にぶい音が何度も耳に
響き痛みが襲ってくる。
翔の蹴りには全然及ばないがそれでもこう何発もくらうとやばい。
『が…ああ…っ』
他の男たちの俺の背中やらを蹴り飛ばす。
『やめろぉー!やめてくれ!頼むからもう止めてくれよぉ……
俺は、俺は何でもするから…っ!』
その気持ちは嬉しいけど…お前が何でもされたら俺がたまらない。
『もう遅いっつのー!こいつを血反吐吐くまでボコったらゆっくり好きにさせてもらうか
らよぉ〜。大人しくまってな!』
“ドス!ドス!”
『やめてぇー!!もう…やめてよぉ!』
翔が涙を流しながら懇願する声がきこえる。はは、俺は大丈夫だって言ってやりたいが…
ちょっと今は無理かな…へへ
『ひゃははははははは。残念だったなお兄ちゃんよぉ〜。
ま、今は気絶しねえ程度に抑えといてやるから、ゆっくりかわいいかわいい妹がザーメン
まみれになるのを見物するんだなぁ!』
堀田のゲスい声がかろうじて聞こえる。
『漫画とかドラマだったらここで正義の味方やら何やらが助けに来てくれるんだろうが…
生憎そんなことはねえみたいだなぁ〜。へへ、現実ってのはきびしいねぇ〜
なあ?翔ちゃん』
『…っ!黙りやがれクズがぁ!てめえら絶対、絶対に殺してやる!』
『おお〜恐い恐い。俺ら殺されちまうぜ。ひひひ』
『ああ〜殺されるぅ〜助けてママってかぁ〜?』
『きめえ〜何言ってのお前?ははははっ』
俺をいたぶっている連中が翔をからかって笑う。さも愉快そうだ。
でも、間にあったか…けっこうギリギリだったな。



『…なんとか時間はかせげたみたいだな』
『あん?』
堀田が怪訝な顔で俺の方を見る。俺の言っていることの意味がよく分かっていないようだ。
『俺は本当は警察なんて呼んでないよ。この世には警察よりも確かなものがあるって知っ
てるからな。警察よりももっと確実な正義の味方がいることを…』
『なに言ってやがる?へへ、恐怖でイカレちまったのか?』
周りの連中も訳が分からないといった顔をして俺を笑う。笑えばいいさ。危険ってのは実
際にあってみないと分からないものだ。
『警察呼んでねえのならなおのこと好都合だ。場所を移す手間が省ける。
ここでこの女をじっくり犯して、それを充分にお前に見物させたらゆっくりといたぶって
やるよ』
『まったく…正義の味方ってのは何でピンチにならないと現れないのかな…』
まあ、しょうがないか。呼んだのは俺がここに入った直後だ。むしろ10分ほどでここま
で来れる方がすごい。
『貴志…』
翔が涙を浮かべて不安そうな顔で俺を見てくる。ああ、翔からも見えないのか…
でも残念だな。俺が翔の正義の味方になってやりたかったんだけど…
まあ、俺じゃ無理か…
『ホントにイカレちまったみたいだな。正義の味方なんているわきゃ…

『―――正義の味方登場ってか』

『『………………!?』』
その場にいた俺以外の人間が皆、声のしたほうを振り向く。
その視線の先には―――

夜の空のように暗く夜の海の如きに漆黒き。
地獄そのままに闇く影さながらに黒い。

黒衣の美女が皮肉な笑みを浮かべて。
ただ単純に、存在していた。




須々木健さん。旧姓は御幸健。性別は女性、年齢は26歳、身長は約180僉
この世のものとは思えないような整った顔、長いまつげ、スリムなボディー、スラリと伸
びた足、大きな胸。
流れるような腰までの黒髪、季節感など微塵も感じさせない真っ黒いダークスーツ、黒い
カッターシャツに黒いネクタイ。
つまり全身黒ずくめ。だが怪しい雰囲気などまるで感じない。むしろ黒という色がこの人
の持つ美しさをよりいっそう際立たてている。
愛車は黒のアルファロメオ、コーヒーはブラックが好き。趣味は映画(おもにラブロマン
ス)鑑賞、好きな食べ物はアップルパイ、好きな言葉は「勧善懲悪」「悪即斬」。
好きなマンガは(母さんの影響で)ジョジョ。好きなスタンドはスタープラチナ。
職業は何でも屋、って言っても本当に何でもするわけではなく、主に個人や企業、警察な
どから依頼を受けて悪人の引き渡し、処罰、捜査の協力などを行っている。要するに裏家
業だな。ただし時代劇の様に悪人を殺したりはしない。ただ、この人に処罰が委ねられれ
ば死ぬよりも非道い目にあうだけだ。

『俺はサスペンスだとかホラーだとかが大嫌いなんだ。奇を衒ったり意表をついたりする
のが嫌いなんだよ。人があーだこーだ考えたり、泣いたり怖がったりするのが嫌いだ。
ベッタベタにありふれた、女のために男が命をかけるような、そんな物語が好きなのさ。
お約束の展開、王道のストーリー、使い古された正義の味方にありふれた勧善懲悪、熱血
馬鹿に理屈馬鹿。ライバル同士の友情にお涙頂戴のハッピーエンド。
そういうのがほんっっっとうに大好きなんだよ』
歌うような高く透き通った声がバー内に広がる。
健さんは状況を確認するように周りを見渡してから、俺たちの方にゆっくりと歩を進める。
相変わらずすごい存在感だ。彼女が現れただけで明らかに場の空気が変わった。



『んだテメーは!?』
男たちの何人かが怒声を飛ばすが、まったく気にせずにゆっくりとこっちまで歩み寄って
くる。
『だからこういうのは嫌いだな。
大の男が寄ってたかって1人の女を苛める。
しかもあろうことかヒロインを助けに来たヒーローは返り討ち。
それじゃあ駄目だろ。悪人が勝って終わる話なんて俺は認めないね』
流し目で俺の方を見る健さん。うっ…面目ない。俺だってヒロインを助けるヒーローであ
りたかったけど実力がたりなかったようです。今後はもっと頑張ります。こんなことがま
たあったら困るけど…
『俺はまあ、あれだな。傷ついたヒーローの代わりに悪人共をブチのめすお助けキャラっ
てとこだ。
ほら、よくあるだろ?脇役が主役くっちまうの』
今度は視線を俺から連中に移し、話を続ける健さん。相変わらずの余裕っぷりですね。
つうか健さんが脇役なら俺なんて背景の草ですよ、あ、落ちてるゴミかもしれない。いや、
出番すらなかったり…
そんな俺が主役だなんてとんでもない。主役は間違いなく貴方です。
『おい、貴志。あの人…』
心配そうな目で俺を見て小声で話しかける翔。
『大丈夫…あの人なら大丈夫だよ』
そう、まったく問題はない。あの人が来ればもう安心。ちょっと俺が情けないが…何もし
ないうちにバトンタッチだもんな…
『最近はなんつうか、善人だが悪人だか分からない奴が多いんだよ。
善人なら善人らしく、道で困っているお婆さんを助けたり、拾った金交番に届けたり、信
号守ったりしろよな。
悪人なら悪人らしく、人の物盗んだり、人を傷つけたり、信号無視したりしろよな。
分かんねーんだよ。最近の連中はあやふやでよ。白か黒かはっきりしろっての!
…でも、ま、今回はそういう意味では助かった。お前らどうみても悪人だ。
まさに悪人、正しく悪人。いいね、遠慮なくブッ飛ばせる』
ゆっくり、ゆっくりと連中のすぐそばまで足を進める健さん。口元は愉快そうにつり上が
っている。ものすごく楽しそうだ。かなり嬉しそうだ。
最近いろいろとストレスが溜まっていたのかもしれない。
『だから、まあ、なんつうの?
ここが「お前らの墓場だ!」って感じだな。もしくは「みんなまとめてここで死ねィッ!」かな?』
健さん…それ、思いっきり悪役のセリフ…しかも2流3流、ショッカーレベルだ…
『おい、さっきから黙って聞いてりゃずいぶんと好きなことくっちゃべってくれるじゃね
ーか?』
堀田が声をあげる。それを合図とするように何人かの男が今度は健さんの周りを囲む。
健さんはといえば動きもせずにその様子を眺めている。
『だいたい1人で乗り込んでくるたあ、ずいぶん肝の据わった姉ちゃんだな。
ははは、それとも単純に頭が悪りーのか?』
馬鹿にするように笑いながら堀田が続ける。周りの連中もニヤニヤしている。
連中にとっては健さんは飛んで火に入る夏の虫ってところなんだろう。もしくは絶好のカ
モか…その認識はものすごく間違っている。ものすごく間違っているのだが、こいつらに
それを教えてやる義理はない。



『ひょー、よく見たらアンタすげえ美人じゃねーか。いいねえ』
男の1人が感嘆の声をあげる。そして舐め回すような視線で健さんを見る。
それに続いて健さんを囲む輪から下卑た笑い声が漏れる。
『翔ちゃんと一緒に犯られに来ましたってか。素直だな姉ちゃん』
確かに健さんは絶世の美人だ。その女性を好きに出来るなんて男としては歓喜の極みだろ。
ゲスな連中なら尚更だ。ただ好きに出来れば、の話だが…
『おい、黙り決め込んでねえでなんか喋ったら…』
そう言って男の1人が健さんの腕を掴む。次の瞬間―――
『…へ?』
男の体が宙に浮いていた。なんてことはない、健さんが片腕で男の体を無造作に放り投げ
たのだ。
“ドシャ”
『ぎゃ!?』
間抜けな悲鳴をあげて落下する男。軽く6メートルは飛んだな…
横を伺うと翔が唖然とした顔でその様子を見ていた。周りの連中も同じ顔だ。
ま、そりゃそうだろ。どこの世界にあんな細い腕、しかも片腕で大の男を放り投げられる
女性がいるというのだ?ここにいるけど。現実は小説より奇なり、ってね…
『俺はまどろっこしーのも嫌いでね。
雑魚は雑魚らしくいっせいにかかってこいよ』
シニカルに笑って大げさに腕を左右に大きく広げる健さん。まるでどこぞの舞台女優だ。
そうするとこいつらはエキストラの悪役ってところだろう。
『…ぐ…このアマぁぁぁぁぁぁ!』
一瞬怯んだ様子を見せながらも勇敢に、というか無謀にも自ら危険の渦に飛び込んでいく
男たち。まるで超特急の電車に飛び込む自殺者のようだ。うん、我ながら中々いい例えだ
と思う。
『よっこらしょっと!』
向かってくる男たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げる健さん。
具体的に言うと、まず初めに飛びかかってきた男の拳を軽々と避け、額にデコピンをする。
それだけで半回転しながら豪快にブッ倒れる男。
その後ろから殴りかかってきた男の腕を掴みそのままひっぱる。すると面白いぐらいに自
分の勢いと引っ張られた力で健さんの後方の地面にヘッドスライディングをきめる。甲子
園球児もビックリの見事なヘッドスライディングだ。盗塁は確実だな。
そして3人目の男には目にも止まらぬ速さで(本人はものすごく手加減しているだろうが)
首元に手刀を決める。その男はガクンと大きく顔がブレ、白目をむいて倒れたままピクリ
とも動かない。死んでない、よな…?
その様子を見てさすがにビビったのか汚らしい悲鳴を上げながら逃げようとする者も何人
か出てきたが、当然それを健さんが許すはずがなく、片っ端から悶絶させられている。
まるでホントに漫画の世界だな。デコピンで相手をブッ飛ばしたり、手刀一発で人を気絶
させたりなんて…
健さんがすごいことは重々承知のはずだったのだが、間近で見るとさらに認識を改めさせ
られる。



『てめえこのクソブタがぁ!』
今度はバタフライナイフを持った男が健さんの前にでる。ナイフと言ってもチャチな作り
でそう深々と刺せるタイプのものではない。
とは言っても一般の人間(俺なんか)をビビらすには申し分ないだろう。
ただ問題は…
『あん?なんだコレ?』
相手が到底一般人ではないということでして…
『な!?』
ナイフの刃の部分を指でつまむと、まるで細い木の枝を折るようにポキっとやる。
まるでオモチャだ。いくら大した物ではないとはいえ普通の人が簡単に折れるほどヤワな
代物ではないはず。
『こんなもん使うから性根が曲がっちまうんだよ。
ストリートファイトの基本は拳と蹴りだろうが!その基本もなってない奴が刃物なんか持
ちだすんじゃねー!』
少し腹が立ったのか健さんはそいつの顔に美しい足技をかます。派手に吹っ飛んだ男は奥
のカウンターに激突して沈黙した。
『クソ女、止まりやがれ!動くとこいつらブッ殺すぞ!』
いつの間にか俺と翔の前に特殊警棒を持った男が立ちふさがっていた。
正攻法では敵わないということにやっと気がついたらしく俺たちを人質にとったみたい
だ。
『く…てめえ!』
翔が苦々しそうに声を出す。俺も普通ならそうしているだろうが健さんの前ではそんなこ
とは…
『ふ〜ん』
男の言葉をまるで無視してずんずんとこっちに近づく健さん。
『おい!聞こえねえのか!こいつら本当にブッ殺すぞ!』
『お前もヤクザもんの端くれならよ〜軽々しく「ブッ殺す」なんて言葉使うんじゃねーよ。
「ブッ殺す」って心の中で思ったのならその時すでに行動は終了してるんだろうが?』
プロシュートの兄貴ィ!いや姉貴ィ!
『そんなシャバイ脅しにビクついてこんな仕事はやってられねーってことだ。
止めれば気絶させえるだけで済ませてやる。だがその2人にほんの少しでも触れたら腕1
本はもらう。好きな方を選びな』
ものすごい威圧感だ。関係ない俺までビビってしまうんだから当然この男は…
『う…うう〜』
ビクビクと見て分かるぐらい震えていた。その気持ちはよく分かる。だが同情はできない
な。
そうしているうちにもドンドン健さんは近づいてきて…
『アリーヴェ・デルチ(さよならだ』
…右の拳で男を吹っ飛ばした。正直、気絶で済んだかどうかは分からない。



『あ、危ない!』
翔が声をあげる。一瞬何が危ないのか分からなかったけど、健さんの方を見て理解した。
健さんの後ろに男が忍び寄っている。あの手に持っているのは…スタンガンか!?
“バチィィ!”
健さんの背中に火花がスパークする。ここに来て初めて膝を折る健さん。
『へ、へへ、はははははは!ざ、ざまーみやがれ!この化け物、さんざん手間取らせやが
って!お前は死ぬまで犯してやらあ!』
勝ち誇った顔で馬鹿笑いする男。まずい…あんだけ強力なのくらったら、いかに健さんで
も…
『あ〜ビックリした…』
…大丈夫だった。
『な、ななななな!?』
驚愕の表情で後ずさりする男。まさか普通に立ち上がってくるとは予想だにしていなかっ
たようだ。さすがに俺も一瞬冷や汗をかいたが…あのスーツは絶縁性なのだろうか?
そのわりには背中の部分が少し焦げてるけど…
『ふ〜ん、最近はこんなもんも簡単に手に入るんだな。
確かに護身用には便利だが、こんな風に悪用されるとなると売る方も考えなくちゃな』
健さんは呆然としている男からスタンガンを簡単に奪い。バチバチと確認するように自分
の手にあててスイッチを入れている。訂正、スーツが絶縁性なのではなく、健さんの体が
絶縁性でした。
『ひ、ひいいぃ〜』
『ま、とりあえず自分でもくらっとけ』
今度は悲鳴を漏らして逃げようとする男の背中にスタンガンをあてる健さん。
“バチィィ!”
『ぎゃひ!?』
まさか自分のスタンガンで悶絶するハメになろうとは思っていなかっただろう。
間抜けな悲鳴だ…ご愁傷様。



『さて、と…』
残すところは堀田を除けばあと2人。完全に戦意を喪失しているみたいだけど…あれ見た
あとじゃしかたないな。まともな頭なら健さんに向かっていこうとは思わない。
『なにやってんだお前ら!とっととその女黙らせねえか!』
その2人に今度は後ろから堀田の怒声が浴びせられる。前門の虎、後門の狼。いや、健さ
んとあいつでは、前門の空条承太郎、後門のケニー・Gといったところか…どっちにしろ
ヌケサクにはつらい相手だな。
『『あ…ううう〜』』
2人とも見てて可哀想になるくらい震えている。なんつうか中間管理職、じゃなかった、
下っ端はつらいな。さっきまではボコボコにしてやりたいくらいゲスな連中だと思ってい
たが、いや今も思っているが、なんだが親近感が湧いてきた。
『で、お前らの大将はああ言ってるが、お前らはどうするんだ?
俺ははなっからお前ら1人も逃がすつもりはないが、さっきそこでブッ倒れてるナイフ持
ったガキに言ったように、
大人しく降参するなら優しく気絶させるだけで済ませてやる。ただ向かってくるのならど
うなってもしらねえ。お前らの問題だ。自分で決めろ』
健さんは満面の笑みで哀れな2匹の犬に優しく優しく言い聞かせるように語る。
…口調はまったく優しくないが。
『『ああ…え〜と』』
前と後ろを交互に確認しながら汗をダラダラ流している。
『そのクソ女の言うこときくつもりか、ああ?』
後ろは最早凶悪な本性を惜しみなく出している堀田。
『どうするぅ?』
前は美しい顔に聖母のような優しい微笑みを浮かべている健さん。
『……もう何もしませんから、許してください』『お、俺も…』
結局2人は健さんをとった。うん、その選択は賢明で正しい。ただそれが本当によかった
かどうかは別として…
『お前らぁ!!』
『おお、そうか。よしよし、いい子いい子』
“グシャ!”
微笑みを顔に貼り付けたまま目にも止まらぬ速度の拳を片方の男の顔にめり込ませる。男
は盛大に鼻血を吹き出して倒れた。
その様子を隣で見ていた男の顔が凍り付く。
『優しくって言ったのにィィィィ〜〜〜〜!』
そして悲鳴をあげる。
『ああ、スマン。ありゃウソだった』
“ドゴンォォン!”
まったく悪びれずにすっぱり言うと、男をサッカボールよろしく蹴り飛ばした。
派手に孤を描いて飛んでいく。あ、カウンターの奥にゴールした…
『どうだ?やられてみなければ分からんこともあっただろう?もう聞こえてないか…』
全滅。堀田を除いた13人がものの5分足らずで全滅した。
それをやらかした健さんは傷1つついておらず、息もまったく乱れてない。強いて言うな
らスーツの背中の部分が少し焦げてるくらいだ。
俺の隣の翔はさっきからまるで思考が停止したかのようにストップしている。
俺は以前の一件で健さんのすごさを少しは理解してたからある程度耐性はついているが、
初めて見る人間にはあまりに衝撃的だろう。
ちなみに俺は以前の一件で世の中には時速60劼曚匹覗ってくる車を止めることが出来
る人間がいるのを知った。あの時はビビりすぎて思わず漏らしそうになったな…
『つうか誰も死んでない、よな…?』
健さんのことだから大丈夫だと思うけど…




『ひとりぼっちになっちまったな、堀田?』
顔にシニカルな笑みを貼り付けたままバーの奥のカウンターに座り込んでいる堀田を見据
える健さん。顔は笑っているものの目は怒りの炎に満ちている。ちなみにカウンターには
さっき健さんがブッ飛ばした男が2人ほど尻を高くあげた間抜けな格好で倒れ込んでい
る。
『なにもんだてめえ…?』
堀田は凶悪極まりない、まるで狂犬病にかかった犬のような表情で健さんに吼える。
こちらもどうやらかなりご立腹のようだ。違うところは顔がまるで笑っていないところだ
ろう。
『人間にお前は人間か?って問いかける馬鹿はいねえだろ?犬にお前は犬か?って問いか
ける馬鹿もいねえだろう?犬は喋らねえしな。
強いてお前の問いに答えてやるとすれば、俺は俺、須々木健だ。文句あるか?』
『そんなこと訊いてんじゃねえ!』
サングラスを捨て怒鳴る堀田。目が怒りに血走っている。
『俺はお前みたいな悪党を倒すために異次元世界からはるばるやって来た光の戦士ってと
こだ。
宇宙刑事ウルトラミラーヤッターセーラー勇者王仮面V3とでも呼んでくれ』
ちょ、健さん…それいろいろ混じってる。セーラーは駄目でしょうセーラーは…
『てめえ…人のこと舐めるのもいいかげんにしやがれ…っ!』
『舐める?舐めたら汚いだろ。お前みたいなのは舐めたくないね、食中毒になりそうだ』
小学生かよ。こんな男を目の前にしてここまでボケるとは流石健さんだな。
つうか健さんやけに性格変わってないか…もっと物静かというか寡黙な人だったのに…
母さんの影響かな…?
『…ま、つまりはお前んとこの組長から依頼受けたんだよ。
「うちの組の下っ端に女クスリ漬けにして体売らして小遣い稼ぎしているクズがいるらし
い。すまないがワシのところに連れてきてもらってはくれないだろうか」ってな。
向こうさん今いろいろと忙しいらしくて、お前にかまっている暇はないが、かと言って放
って置くわけにもいかないってので俺に依頼がきたわけだ。
最初はもう少し穏便に、出来るだけ荒立てずに事を済ますつもりだったが、
俺の友達に手を出したとなると話は別だ。腕の1本や2本で済ますつもりはさらさらねえ』
穏便に事を荒立てずに、ってのは嘘だろう。健さんがそんな悪人を無傷で捕まえたりする
わけがない。



『…と、言っても別に殺しはしないから安心しな。
悪党ってのは生かしておいて、傷が治ったらもう1度ブチのめす。
そしたら1人で最高3回は楽しめるからな。学習能力のない野郎は4回目になっても更正
する気がねえから、その時は正当防衛に見せかけて速やかにブチ殺してやるのが基本だ』
心底嬉しそうな口調で語る健さん。健さん…恐い人ッ!
すごい理論だ。世界の平和と自分の趣味をミックスした理論だな。
仏の顔も三度までってこと…いや、すでに一度目から仏じゃないけど。
『あのクソオヤジが…ッ!くだらないことしやがってぇ…!
今時ヤクザがカタギの仕事だけでやっていくなんざ、馬鹿馬鹿しいにも程があんだよ!
何のためにヤクザになったのか分かんねえだろうが!小遣い稼ぎして何が悪い!』
『悪いね。とことん悪い。あそこのオヤジさんはカタギの仕事だけでちゃんと暮らしてい
ってるじゃねえか?ま、だからこそ俺の依頼を受けたんだが。
だいたい自分の楽しみの為だけに罪のない女の子を無理矢理犯すゲス野郎が言ってもまっ
たく全然一片も説得力がない。てめえみたいなのがいるから昔気質のヤクザまで暴力団呼
ばわりされるんだよ』
まったく同意です。翔をこんな恐い目にあわせたゲス野郎が悪くないはずがない。
『黙りやがれクソ女がぁ!!てめえはこれで腹ん中抉りまわした後、死体をバラバラにき
ざんでやらぁ!!』
完全にプッツンしたのか堀田は上着のホルスターからナイフを引き抜いた。
さっきのチンピラが持っていたチャチなバタフライナイフとは違いかなり立派な代物だ。
アーミーナイフ…いや、コンバットナイフってやつだろう。なんの飾りもない無骨なハン
ドルから刃渡り9僂呂△蹐Δという長い刃が突き出ている。
まったく褒める気にはならないが、さすがヤクザというところか素人目に見てもチンピラ
とは明らかに構えからして違う。
『…ったく最近の若いもんはどいつもこいつもすぐに光り物を持ち出すよな。
そんなもんに頼る前にまずは自分の体を少しは信じてやったらどうだ。
人間の体ってのはな、鍛えたら武器に頼らなくても充分強くなるんだよ。武器使った方が
弱くなるくらいにな』
確かにそうかもしれないが、それは人間の限界を明らかに超えた健さんのような超人だか
らこそ初めて言えるセリフだろう。そもそもこいつらには(俺もだが)自分の体をそこま
で強くしようて気もないし、忍耐力もないし、度胸もない。
『くたばれぇぇぇ!!』
そんな言葉をまるで無視して健さんに刃を突き立てようとする堀田。かなりすばやいし正
確に胸を狙っている。ただ今までの経緯からいっても…
『人の話はよく聞いておくもんだぜ』
…そんな程度で健さんをどうにかできるはずもなく…
“ボキボキィ!!”
『ぎゃひぃあああああああああっ!!!』
獣の咆吼の様な悲鳴をあげる堀田。
健さんは流れるように堀田の突きを避け、そのナイフを持った右腕を捻った。
まるでドアノブを回すような気軽さでただ単純に、なんの技巧もなく、なんの工夫もなく
ただ捻っただけだ。
それだけで堀田の腕の骨は音を立てて折れた。ものの見事に堀田の右腕は軽く360度以
上は回転し、それと同時に小気味いい音が響いた。
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