いつもと同じ朝が、またやってくる。

 そう。いつもと同じ……。

 7月ともなると日中は汗ばむほどの陽気だが、ヒートアイランド現象とは無
縁の緑多きこの家では、夜も八時を過ぎると昼の暑さは嘘のように静まり、肌
にひんやりとしたものを感じるようになる。
 だが、亜美が住む別館の一室はむせ返るような妖しい熱気に包まれていた。
「お嬢様、いけません!」
 かおりは言葉こそ否定してはいるが、口調がどこか甘えたようなものなのを、
本人も自覚している。
「もう、かおりさんったら固いんだからぁ……」
 うしろから抱きつき、浦鋪かおりの胸を揉みながら亜美が口を尖らせる。
「かおりさんの今のお仕事は、私とエッチをすることですよ」
「ですが……んっ!」
 陥没ぎみの乳首を亜美が爪先で掘り起こすようにしていると、だんだんと固
くなってくるのを楽しむ。
 かおりが着ているのは特製のレザー・ボンデージメイドスーツだ。表面は黒
のエナメル地になっていて、胸とお腹の部分が大きく開いて肌が露出している。
特に胸の部分はバストを絞り上げるようになっており、水着の跡がついた小麦
色の乳房がおわんのように突き出ているのだ。
 朱色の裾が広がったスカートのフレアは腿の半分までも行かないミニで、か
がんでしまえば下着が丸見えだ。だが下着が見える心配はない。なにしろ何も
履いていないのだから。
 昼間は普通のメイド服だが、夜になるとここのところ毎日のように特注であ
つらえたボンデージスーツを着せられ、かおりは亜美のなすがままにされてい
る。


「だめ……お嬢さま。これ……以上んんっ!」
「私がかおりさんの“彼氏”なんだから、いいわよね?」
 かおりが黙っている間は、わざと手を休めてじらす。
 やがて耐えきれなくなったかおりは、亜美の言葉通りにおねだりの言葉を口
にするのだ。
 こんなかわいい人を思いどおりにできるなんて、ぞくぞくする。
 亜美は何かから逃れるように、かおりの体に溺れていた。
 なにしろ肉体は女だから、直線的な快感しかない男とは違い、いつまでも快
感を貪っていられる。そして、その間だけは何もかも忘れることができる。
 そうでもしないと、壊れてしまいそうだった。
 例え体は女でも、男であるという思いがどこか抜けきれない矛盾した心が、
彼女を苦しめている。
 舌先を絡めあわせるキスをしながら、亜美は右手の乳首への愛撫も忘れない。
かおりの息が荒くなっている。そろそろ、頃合だ。
 ソファーの方に軽くかおりを突き飛ばすように押しやり、にっこりと微笑む。
かおりは上気した顔で恥ずかしそうにうつむき、座って亜美を迎える準備をし
た。
 どのディルドゥにしようか選んでいる最中に、ドアを叩く音がした。
「亜美様、よろしいでしょうか」
 かおりがとっさに両腕で胸を隠し、足を閉じて前屈みになり小さく身を縮こ
まらせる。
 亜美は扉に向かって言った。
「なんですか、東雲」
「ご依頼の調査の結果が出ました」
 扉の向こうからの声に、亜美は軽く片眉を跳ねあげて答えた。
「ご苦労様。後で目を通しておきます。私の机の上に置いておいて下さい」


 僅かな間を置いて、気配が遠ざかってゆく。
 完全に足音が消えてから、かおりは溜めていた息を、はーっと吐いた。
 恥ずかしさで顔を真っ赤に染めてうつむいているかおりを見下ろしながら、
亜美はうっとりとなって自分の唇を舐める。
「恥ずかしがっているかおりさんって、やっぱり可愛いですね」
 かおりの横に座り、ほとんど押し倒すように抱きつき、唇にキスをする。
 固くなっていた彼女の身体が、亜美の手技によって徐々にほぐされてゆく。
 悠司が亜美になってしまってから、はや2か月余りが過ぎていた。夏休みも
近い。
 この休みは、親しい友人達と一緒に海に行くことが決まっている。
 普通の高校生と違うのは、行く場所がハワイのプライベートビーチというと
ころだろうか。それもダイヤモンドヘッドなどの俗な場所ではなく、見渡す限
り他に人がいない所だ。もちろん、専用の宿泊施設付きで何も不自由はない。
 滑走路もあるので自家用機で行ってもいいのだが、布夕が小さい飛行機は怖
いと言ったので、普通の旅客機を使って行くことになっている。もちろんエコ
ノミーやビジネスクラスではなく、ファーストクラスの貸切だ。
 でもその前に、やっておくことがあった。
 自分自身の迷いに、決着をつけなければならない。
 ひとしきりかおりの体を楽しみ、彼女が眠りに就いたのを確認して亜美は書
斎に足を運んで、アンティークデスクの上に置かれた飾り気の無いB5サイズ
の茶封筒を手に取った。
 亜美は震える手を抑えながら、東雲が置いていった報告書の封を切った。
 読み進むにつれて亜美の手はさらに震え、紙を繰る速度は遅くなってゆく。
 さっきまで燃えるように熱かった体は、氷のように冷え始めていた。

 *********************************


 期末試験も終わり、試験休みと称する実質的な夏休みに突入した初日に、亜
美は独りで出かけた。
 今日は、車を使っていない。クリーム色のワンピースと幅広の帽子をかぶっ
た亜美は、バスと電車を使ってここまでやってきた。
 彼女が立っているのは、悠司が住むアパートの前だ。
 確かにおぼえている通りの景色だ。
 間違いない。自分は確かに、都築悠司の記憶を持っている。
 亜美は微かに震える手をぎゅっと握り締め、二階を仰ぎ見た。彼女の視線の
先には悠司が住んでいるアパートの部屋がある。
 5分ほど通りに立ちすくんでいた亜美だが、ようやく心を決めてアパートの
階段を上ってゆく。
 奥から2番目の部屋が、悠司が住む部屋だ。
 報告書には彼の詳しいパーソナルデータが詳細に記され、今でもそこに住み、
大学へ通っている事などが書かれていた。
 都築悠司という人物がいる。
 これは確かなことだった。
 亜美という少女も確かに存在し、疑う余地はない。
 あの夜、自分はそれまでまったく知らなかった少女、瀬野木亜美になってし
まった。
 それでは、自分は最初から瀬野木亜美であり、都築悠司の記憶は単に、亜美
の記憶が産み出した妄想なのだろうか。だが、報告書の中には思い出せないで
きごともあったが、大半は悠司として思い当たることばかりだった。人から聞
いたにしては、あまりにも細かく知り過ぎている。
 今の自分の記憶はいったい、どこから来たのだろう?
 あの夜、自分はヴァーチャルラバーズというソフトの開発途中版をネットか
らダウンロードし、実行した。


 そして、どうしてか理由はわからないが悠司は女性に変化してしまい、その
女の名前は瀬野木亜美という、それまでまったく知らなかった別人だった。悠
司は亜美の人格に乗っ取られて男性とセックスを重ねたが、やがて男としての
意識も表に出るようになり、男と女の意識の境界があやふやになってきた。
 悠司と亜美の記憶が融合したような感じだ。
 そうだ。確かに自分は女になり、都築悠司の肉体はこの瀬野木亜美という体
へと変化したはずだった。
 ではなぜ、悠司がもう一人存在しているのだろうか。
 悠司が亜美へと変化したのなら、それまでにも実在した瀬野木亜美という人
物の肉体はどうなってしまったのだろう。
 何もかもが、混沌の中にあった。
 東雲の報告書の中に、写真はなかった。亜美は写真を入れないようにと指示
したのだ。
 見るのが怖かったからだ。
 確かに写真を入れさせなかったのは正解だった。報告書を読むだけでも亜美
は何度となく目眩をおこし、結局3分の2ほどしか読み通すことができなかっ
た。
 そして洗面所へと駆け込み、胃液しか出なくなるまで吐いた。
 全身が水で濡れたように湿っている。嫌な汗だった。高熱でも出したように
全身が熱く、そして寒かった。
 怖い。これほどの恐怖を感じたのは、生まれて初めてだった。
 だが、逃げていては何も始まらない。
 こうして亜美は、悠司が住む……かつて自分が暮していたアパートの扉の前
に立っている。
 あの夜の恐怖を思い出し、逃げ出したくなるのを、亜美はぐっと堪えた。
 手を振り上げる。小刻みに体が震えているのがわかる。
 深呼吸をした。


 呼吸さえもが奇妙に震えている。
 軽く握った拳を反転させ、手の甲で三回ドアを叩く。
「はい」
 すぐに声が返ってきた。
 ドアを開けて顔を出した者は、当たり前といえば当たり前の、悠司本人だっ
た。
「こ……こんにちわ」
 ようやく、それだけ声が出た。
 初めて第三者の目で見る自分の顔は、まるで他人のようだった。
「亜美ちゃん、どうしたの? 家庭教師はおしまいのはずだけど……」
 家庭教師? そんなことは報告書にはなかった。
 彼と自分を結びつける接点など、どこにもなかった。なのに目の前の男は、
自分を確かに知っているようだった。
 怪訝そうな顔をする『自分の顔』を見て、亜美は顔から血の気が引いてゆく
のがわかった。手足の末端が冷えてゆく。まるで貧血を起こしたようだった。
「そんなところに立っているのもなんだから、中に入らない? いや、別に下
心なんて無いから安心して」
 青い顔をしている彼女を心配して、悠司が亜美の肩をそっと抱く。
 亜美の体が、びくんと跳ねた。
「あ、ごめん」
「いえ……」
 亜美は靴を脱ぎ、履き物も揃えずふらふらと部屋の中に足を踏み入れる。
 部屋の匂いはどこか懐かしく、しかし他人の物だった。男女の違いもあるの
だろうが、好ましく思いながらも違和感を感じずにはいられなかった。
「これ、座布団。汚く見えるかもしれないけど、一応きれいだから」
 悠司がドアを後ろ足で閉めて亜美に座布団を勧めた。部屋でごろ寝をする時
に枕代わりに使っている物で、折り癖がついている。お世辞にもきれいとは言
えないが、部屋の様子からすればましな部類に入る。


 亜美は黙って受取り、少し湿った座布団の上に座った。
 悠司は散らかし放題の台所からかろうじてきれいなマグカップを探し出し、
インスタントコーヒーをいれはじめた。
 やはり、都築悠司という人間はいた。それも、自分の他に。
「都築、いるかー?」
 ドアを叩く音がする。
「はい。今、開けます」
 悠司はコーヒーを台所に置いたまま、ドアを開けた。
「米借りられないかな? ちょっと今きらしちゃっててよ」
 体に隠れて見えないが、どうやらこのアパートの住人のようだった。
「またですか。仕方ないなあ。今月だけでもう、5キロくらいあげてますよ?」
「すまん! この通り。今晩、麻雀で勝ったら返すからさ」
 拝み倒すようにして小太りの男は何度も頭を下げる。悠司は仕方がないなと
言いつつ、プラスチック製の米びつを開けて、コンビニのビニール袋に米を詰
めてゆく。
「とりあえず三合もあれば十分ですよね」
「いや、五合欲しいなあ。おまえんところの米、うまいんだよな。そのへんの
スーパーで買うのと、ひと味違うっつーか……んん?」
 ようやく男は部屋の中にいる亜美に気づいた。
 扉の向こうから無遠慮にこちらを眺めているのは、あの晩、乱交に加わった
住人の一人だった。
「おっ、噂の彼女か。すごくかわいい子だな。羨ましすぎるぞ、こいつ!」
 肘でどすどすと悠司の胸を小突く。
「そんな。彼女じゃないですよ。俺が家庭教師をしていた子なんです」
「家庭教師ついでに、こっちの方も教えているんだろ?」
 腰を突き出しながら笑う男に米の入ったビニール袋を押しつけて悠司が言う。
「違いますって。ほら、彼女も迷惑そうにしてますし」


 亜美は曖昧に微笑んで頭を下げた。自分のことを憶えていないんだろうか、
と疑問を感じたが、すぐに思い至ることがあった。
 瀬野木家の者が持つ不思議な力で、他人の自分に関する記憶を曖昧にしてし
まえるのだ。母の叡美(さとみ)や姉の観夜はもっと強い力を持っているとい
うが、亜美でさえこの程度の力を無意識にふるえる。調子が良ければ今のよう
に、自分のことを完全に忘れさせてしまうことができる。
 なるほど、夜な夜な男漁りをしても話題にならなかったのは、こうした理由
があるからなのだった。そうでもなければ、今頃マスコミに嗅ぎつけられ、名
家のお嬢様のご乱行などと騒ぎ立てられるの火を見るより明らかだった。
 なぜこんなことを思い出せなかったのだろう。こんなことなど、小さい頃か
らわかっていたはずだ。自分の存在を隠すことは亜美にとって空気を吸うのと
同じことだった。
 おかしい。
 やはり自分の記憶は混乱している。
 瀬野木亜美としても、都築悠司としても……だ。
 まだ悠司は、住民と話をしている。亜美は心を落ち着けるべく、座ったまま
部屋の様子を眺めてみた。
 匂いも、家具の配置も、置いてある物もほとんど自分の記憶にあるものと変
わらない。懐かしさと共にわき上がる不安を、亜美はむりやり押し殺す。
 机の方を見ると、パソコンが立ち上がっているのがわかった。亜美はパソコ
ンをいじるとしても、ほとんどワープロとしてしか使用しないが、悠司はかな
りハードに使いこなしている。
 目を細めてじっと画面を見ると、なにやら数式らしいものがずらずらと並ん
でいる。何かのプログラム言語のようだ。ウィンドウの壁紙は、猫耳少女から
中華娘へと変っている。
 ようやく悠司はアパートの住人を追い返し、ドアを閉めて亜美のところにコー
ヒーを持ってきた。


「砂糖は2杯だったよね。あと、牛乳も半分入れてあるから。亜美ちゃん、カ
フェ・オ・レ好きだったよね」
「はい」
 カップを受け取って、亜美は自分がカフェ・オ・レが大好きだったことをお
もいだした。そうだ。ここ2か月、ずっと飲んでいなかったのが不思議なくら
い、彼女はそれが好きだった。
 少しぬるくなったコーヒーに口をつけながら、亜美は画面の方をちらちらと
何度も見た。
「亜美ちゃん、パソコンに興味あるの?」
「え? ええ……」
 悠司は立ち上がってパソコンの方に歩いてゆく。
「これさ、先輩に頼まれたプログラムなんだ。なんでも即売会で販売するゲー
ムだとかで、俺は下請というか、3D格闘……と言っても亜美ちゃんにはわから
ないか」
 説明し辛そうに悠司は頭を掻く。
「いいえ、わかりますよ」
「本当? じゃあ、話は早いや。モデリング……っていうか、キャラクターの
制作は他の人の担当なんだけど、俺はそれを動かす部分をやっているんだ。以
前先輩が作った見本はあるんだけど、やっぱり他人が作ったのはわかりにくく
てね。3Dのオブジェクトを動かすプログラムはやったことあるんだけど、格闘
ゲームみたいに複雑なのは初めてだから、いろいろとおぼえながら泥沼で作っ
ているんだ」
「先生、泥沼じゃなくて、泥縄ではないのですか?」
「そ、そうとも言うかな」
 悠司が妙に雄弁で、格好をつけているのがおかしかった。
 その一方で、彼が自分の知っている悠司とは少し違うということにも気がつ
いた。


 確かに自分はプログラムの知識はあった。だが、先輩ともほとんど没交渉だっ
たし、滅多に行かないが、即売会も買い専門だ。だが今ではプログラム言語の
ことを思いだそうとしても、ほとんど記憶にのぼってこない。
 やはり、自分の中の悠司という存在は、亜美が作り出した幻なのだろうか。
 亜美はコーヒーを座卓の上に置き、立ち上がって、ぼんやりとパソコンの方
を見た。悠司は彼女に説明をしようとして、マウスを動かし、ウィンドウを幾
つか閉じた。
「お、おっと……や、やばいなこりゃ……」
 プログラム途中のウィンドウの下に隠れていたのは、過激なポーズをした女
性の全裸画像だった。ビュアーのサムネイルは、そんな画像がまだ大量にある
ことを示している。悠司はマウスを忙しく動かし、次々とウィンドウを閉じて
ゆく。
 心ここにあらずといった風情だった亜美は、ぶつぶつと独り言を呟きながら
忙しく手を動かしている悠司の肩越しに画面を見ようと、背伸びをした。
「先生?」
 よりによって、ペニスを挿入をされて喜んでいる女性の画像が大写しになっ
ていた。
 悠司は本気で慌て、彼女に見られまいと指でソフトリセットキーを何度も押
した。ブルースクリーンが現れ、コンピューターをリブートさせてから悠司は
気がついた。
「あっ、しまった! プログラムをセーブするの忘れてた」
 額に手を当て、がっくりとうなだれる。
「昨日からの作業分が全部吹っ飛んじゃったよ……あーああっ……」
「ごめんなさい。私が変なことを言ったからですよね」
「いや、亜美ちゃんのせいじゃないよ。俺のミス。こまめにきちんとセーブを
していればよかったんだよ」
 苦笑しながら振り返った拍子に、亜美の胸に手が当たる。


「あ、いや、その……ごめん」
 柔らかい感触がした。どこまでも沈みこみそうで、それでいて手を押し返す
確かな手応え。なぜか懐かしく、悠司は胸に当たっている右手を離せなかった。
 亜美は驚いた顔をしたが、すぐに自分の手を悠司の手の上に重ね、彼が手を
離そうとするのを押さえた。
「亜美ちゃん?」
 薄い布地越しに感じる下着の手触り、そして彼女の体温、甘い体臭……。
 悠司は空いている左手で亜美の肩を握り、引き寄せようとした。だが、彼女
は反対に、彼を突き飛ばすようにして逃げた。
「ごめん」
 反射的に悠司は謝る。亜美は彼を見て言った。
「悠司さん……私のことを、忘れてください」
 胸の奥から熱い物がこみあげ、目尻から溢れ出る。
「突然、どうしたの」
「私……私……!」
 自分でも混乱して何がなんだかわからない。うつむいて髪を振り乱し、頭を
左右に激しく揺さぶる。
「わからないんです。何もかも。先生が、本当に私の先生だったのか、私が本
当の私なのか、ここにくればわかると思ったのに」
 両手を強く握り締め、うつむいたまま絞り出すように声を出す。
「どうしてだか、なぜだか、とにかく腹が立ってしかたがないんだ! 俺……
それとも私? だから……だから!」
 亜美は顔を上げて悠司を見つめた。
「今日は私の想いに決着をつけに来たんです。でも、やっぱり何も変わらない
みたいです。私の記憶は……きっと妄想だったんでしょう。だから先生……悠
司さん。私を、忘れてください」
 亜美の目尻から、つぅ……と涙がこぼれ落ちた。


「コーヒー、御馳走様でした。さようなら」
 振り向いて出口を目指して一歩足を踏み出した彼女を、悠司は背後から抱き
しめた。
「亜美ちゃんのことを……忘れられるもんか」
「私は、あなたのことを、本当は知らないんです。私は、あなたに何も教わっ
ていません」
「でも、俺は君の事を知っている。君は俺の事を、これから知ればいい」
「離して、ください……」
 亜美は体をゆすって、悠司の拘束から逃れようとする。だが、しっかりとホー
ルドされた彼の手の中から抜け出る事はできなかった。
「忘れて欲しいんです。お願い……」
 亜美は目をぎゅっと閉じて、精神を集中した。たちまち心の奥底が冷えてき
た。その冷気を体から放出する。体の芯まで凍てつきそうな寒さが、亜美自身
をも凍えさせた。
(これで……悠司さんは私の事を忘れてくれる)
 意識的に記憶をいじったのは初めてだったが、うまくできたはずだ。
 だが、悠司の手は緩まなかった。
「ここで俺が手を離したら、亜美ちゃんは逃げてしまう。だから離さない」
 背筋に悪寒が走った。
 男に抱かれるのは初めてではない。だが、それとこれとは違う。『自分』に
抱かれているという感覚が、彼女の中の悠司の部分を狂わせる。
 そうだ。確かに自分の中には、亜美と悠司の二人の人格が存在する。それに
間違いはないと、ようやく確信できた。
「亜美ちゃんは、亜美ちゃんだよ。人は誰だって変わる」
 悠司は亜美を抱きしめたまま言った。
「だから、忘れるなんて言っちゃダメだ。そんなの寂しすぎるよ」
「悠司さん……」



 彼の手が緩んだ。亜美は体をよじって悠司から逃げ出した。
「でも、だめなんです。だめだから……」
(私ガ……コワレテシマウカラ)
 もう一度、全力で彼の記憶を奪おうとする。
 悠司に肩をつかまれ、体の向きを変えられた。亜美は自分の魂も凍れとばか
りに全身全霊を込め、彼の記憶を消去しようと心を凝らす。
 引き寄せられた。そして、温もりが彼女を包む。
「亜美ちゃんの体……ひんやりとしてて、気持ちいいな」
 正面から抱きしめられた途端に、体が熱くなるのがわかった。
 彼の体臭が亜美の鼻の奥をくすぐる。
 股間が熱く蕩けてゆく。
 欲しい。
 目の前の彼の、ペニスと精液が欲しくてたまらない。彼の生命を感じ取りた
い。押さえきれない欲望が亜美の奥底から込み上げてくる。
 自然に亜美は、笑みを浮かべていた。
 そう。あの、魔性の笑みを。
「悠司さん。インターネットでエッチな絵を見ているんですか?」
「見られてたか……」
 顔を少し背けて、悠司はすまなそうな顔をする。
「亜美ちゃんが来るってわかっていたら、ちゃんと見えないようにしといたん
だけどね」
 亜美の体から力が抜けてゆく。
 細身だが、しっかりとした肩幅の男性に身を委ねる感覚は、母親の手の中に
いるのとは違う安心感がある。
 それでいて、一刻も早く離れたいという気持ちもある。
 矛盾しているが、彼女の中ではどちらも正しい。女でありながら男であり、
男でありながら女である自分にとって、この程度のことは矛盾にもならない。



 迷いが、熱した鉄板の上に乗せられたバターのように溶けてゆく。
 それでもまだ彼女は迷いを完全に断ち切れない。
 亜美は再び悠司の手から逃れ、彼と一歩間を置く。
 床に転がっていた箱に足を取られ、下を見た。家庭用ゲーム機のパッケージ
を踏みかけていた。確かこれは、義兄の雄一郎が勤めているファンタズムとい
う会社の製品だったかしら……と亜美は思い出した。
 なんでこんなことに心を奪われるのだろう。その何気ないことで張り詰めた
緊張が解け、亜美の心の枷が、すとんと抜け落ちた。
 まだ心の一部は目の前の男を拒否しているが、圧倒的な他の部分が彼を求め
ているのがわかる。

(だめ。もしかしたら“俺”なのかもしれないのに、抱かれるなんて……)

 しかし、口から出た言葉は彼女の心とは裏腹なものだった。
「私を抱いてください。セックス……しましょ?」
 悠司が恐る恐る手を伸ばし、彼女に触れた。亜美は体を投げ出すように、悠
司に身をゆだねる。
 体が、凍えるように熱く震えた。

 もう――戻れない。




 背伸びをしながら亜美は悠司に抱きついた。彼は戸惑いながらも、亜美の柔
らかな胸の感触を楽しむ。二人の服を通してさえ、下着の生地が感じられるほ
どだ。

(本当に、いいのかい?)

 という言葉が悠司の喉元まで出かかって、止まった。亜美の潤んだ瞳が、レ
ンズ越しに彼を見つめている。
 ここまでくれば、言葉は不要だ。
 顔を寄せると、亜美はすっと目を閉じた。顔を少し横に傾けて、艶やかな唇
に口付ける。すぐに唇を割って、亜美の舌が侵入してきたのに悠司は驚いた。
 離れようとしても、亜美の手がしっかりと首筋にまわっているので、それも
できない。悠司の動きを察知して、亜美がまぶたを開いた。手の力を弱めて、
唇を離す。
 亜美は軽く眉をしかめて唇を尖らせ、怒ったような表情をしていた。
 どこか親しみをおぼえる顔だった。
「ごめん」
 悠司が軽く頭を下げると、亜美もまた同じ動作をする。
 おでこ同士が軽くぶつかり、そこで止まった。
 亜美は顔をずらして、悠司のあごに頬をこすりつける。眼鏡のフレームがず
れるのも構わずに、無精ひげの感触を味わうように何度も何度も、飽きること
なく子猫のように肌を触れ合わせた。
 汗じみた脂っこい汚れが亜美の麗しい肌を汚してゆく。
 汚れる事が快感だった。
 肌を触れ合わせる事が屈辱的だった。
 饐えた汗の体臭が亜美を酔わせる。

 まるで互いの体に匂いを擦りつけ、犬の縄張りの匂いつけのように、相手が
自分の所有物であると主張したいのか、二人は飽きることなく顔を擦りつけあ
う。悠司の手が亜美のふっくらとしたヒップを揉むのならば、亜美は悠司の背
中に手を回し、広い背中を撫で回す。
 手のひらで、相手の体を感じあう。
 互いの鼻息さえ顔に感じる。まるで顔に当たる相手の息で撫で回されている
ようだった。肌が、産毛が、犯される。鳥肌が立つほどの気持ちよさだ。
 再びキスをする。
 唾液が上になっている悠司の口から流し込まれた。
 少し、スナック菓子の塩味がした。
 亜美は自分の口の中で唾液を転がし、一度口を離して、悠司にわかるように
顔を少し上げて喉を見せ、コクンと飲み込んだ。
 今度は亜美が背伸びして、悠司に自分の唾液を含ませる。
 悠司はすぐに飲み込んでしまった。亜美が軽く眉をしかめると、彼は次を催
促するように舌で亜美の唇をつつく。
「ふ……んっ……」
 軽く吐息を漏らし、二人はくちゅくちゅと唾液を交換しあった。
 唾が顎を伝って胸まで滴り落ちるが気にしない。まるで舌と舌とセックスの
ようだった。相手の舌苔(ぜったい)まで削ぎ取るように、絡ませあい、つつ
きあい、強弱をつけながら互いの口を犯す。
 まるでペニスが絡みあっているようだと、亜美はぼんやりと考えた。
 舌がペニスならば、唾液は精液だ。亜美は気持ち悪いほど股間が濡れている
のを感じつつ、自分のペニスで男の口をなぶる。
 薄暗く狭い六畳の和室は、獣の匂いに満ちていた。
 ようやく二人の顔が離れた時には、まるで乳児のように口から胸にかけてよ
だれがまとわりつき、服が亜美の肌に、ぺとりと張りついてしまっていた。
 薄いブラウスの布地越しに、ブラジャーのレース生地が見える。


 悠司は、ほうっと息を吐き、彼女の胸のあたりを見つめた。
「亜美ちゃんの服、涎でべとべとだよ」
「……だったら、先生が脱がしてください。早くしないと風邪をひいてしまい
ますから」
「う、うん。そうだよね。風邪をひくといけないから」
 あれほど唾液が出たというのに、再び悠司の口の中に唾が湧き出てくる。詰
まりそうになりながら、それを一気に呑み込む。
 亜美にまで、唾を呑み込む音が聞こえた。
「先生、緊張してます?」
「緊張? ……かもね」
「どうしてですか」
 亜美は悠司の胸板に顔を寄せる。
「亜美ちゃんがかわいいから」
 心臓が、とくんと大きく脈打つ。
「もっと……」
「もっと?」
 とくん、とくん、とくん。
 鼓動が遮断機の鐘の音のように早くなってゆく。心臓の動きだけで、なぜか
乳首が固くなって膨らんでゆくのがわかる。
「もっと、私を見てください。私の全てを……全部、脱がして、見て、セック
スしてください。先生と、セックスしたいんです」
 震える手を背中に回し、ジッパーを下ろしてゆく。途中までやってから、悠
司が後を引き継ぐ。
 亜美はまるで、初めて女性の体を目にした童貞少年のように荒い鼻息をもら
しながら、悠司のじらすようなゆっくりとした動きを、うっとりとした視線で
追っている。


 衣擦れでさえも今の亜美には快感になってしまう。全身の神経が全て快楽を
受け止めようと全力で蠢いているようだった。服が亜美から離れまいと体を絡
め、彼女に別れを惜しみつつ肌を舐め回すのだ。
 ブラウスが床に落ちる静かな音が、亜美には雷鳴のように聞こえた。
 悠司は二歩離れて、亜美の全身を上から下まで見つめた。
 白の清楚なブラジャーにベージュのウエストニッパー、そしてこれもベージュ
のストッキングに、ブラジャーとお揃いの純白のガーターベルトとショーツと
いうフル装備だ。
 レースをふんだんに使った豪奢なブラジャーは亜美の胸を整え、真ん中に大
きな谷間を形作っていた。男の基準からすると露出度の少ない部類に入るフル
カップのブラジャーだが、亜美くらい大きな胸ともなると、ハーフカップでは
形良く整えるのが難しい。彼女にとってはこれが必需品なのだ。
 ウエストもニッパーで締め上げられてはいるが、決して体には喰い込んでい
ない。食事だって、きちんと栄養を管理されたものを食べている。テニス部の
練習だけではなく、エアロビクスや軽いランニングなども日課になっている。
亜美の均整のとれたプロポーションは、このように地味な努力によって作られ
ているのだ。
 小さい頃から、亜美はそのように育てられてきた。
 習い事も、勉強も、運動も、普通の家庭の子供から見れば異常なまでに厳し
いカリキュラムだったが、彼女にとってはそれが普通だった。空気を吸うよう
に、食事をするように、全ての鍛練が苦にならなかった。
 その努力の結晶が、悠司の目の前にある。
「脱がしてくださいますか?」
「あ……うん」
 胸にかかる長い髪をたくしあげ、うしろへと流す。悠司が戸惑う様子を見て、
亜美は手をつかみ、背中へと誘導する。自然にすっぽりと悠司の深い懐につつ
まれ、亜美は彼の匂いに酔いしれた。


 この磨きあげた体は、一生を添い遂げる男性のためにある。
 母親にはそう教えられてきた。
 何事も、全ては愛する夫のためだと。
 姉もまた、そうだった。彼女はそうして、嫁いでいった。
 もはやこの考えは、古い因習に過ぎないのだろう。
 だが、今の亜美は目の前の男性がその運命の人間ではないかと思い始めてい
た。いや、信じたかった。

(彼は“自分”なのに?)

 まだしこりのように残る疑問が、亜美を苦しめる。だがそれも、悠司の愛撫
によってほぐされ、徐々に洗い流されてしまうようだ。
 耳の穴や、首筋の背骨に近い部分、肩甲骨あたりから脇腹への一帯を、彼の
指が、舌が、そして手の平が這ってゆく。唇を、舌を、指の先を、腹を、甲を
とあらゆる部位を使った足が砕けてしまいそうになる執拗なまでの愛撫。それ
も、乳房などの一般的な性感帯を避けながら、悠司の指は亜美を蕩かせてゆく。

(すごい。この人、私の弱い所を全部知ってる……)

 無数の人々によって開発され尽くされた敏感な体は、名ピアニスが奏でるピ
アノのように、甘美な快感のメロディーを奏でてゆく。
 ショーツに熱い染みができてゆくのを感じながら、亜美は自分自身の意外な
までのテクニックに驚いていた。
「先生、慣れてますね」
 亜美は自分の言葉に嫉妬の感情がこもっていることに驚いた。悠司は彼女の
質問には答えず、亜美の胸にそっと手を置いた。
「おっきなおっぱいだ……」


「先生は、大きなおっぱいは嫌いですか?」
「いや、大好きだよ」
「良かった……」
 きっと彼の手に心臓が高鳴っているのが伝わっているのだろう。大きな男性
の手でもつかみきれない豊かな膨らみを、すべすべとした滑らかな手触りのブ
ラジャー越しに楽しみながら、悠司は尋ねた。
「サイズはいくつ?」
「65の……F」
 悠司の頭にクエスチョンマークが浮かんだのを見て、亜美は補足した。
「あの、88センチです」
「88のFカップ! すごい巨乳だなあ」
「その言い方、やめてください。それに私、この胸はあまり好きではないんで
す」
「どうして?」
 亜美は顔を背けて、ぽつっと呟いた。
「重いんです。とっても」
「自分の体なのに?」
「私のはこう……胸の上の方にありますから、その、いつも肩が引っ張られる
ような感じになるんです」
 見られているのが恥ずかしく、それがまた快感だった。
「夜寝る時も重いし、うつむきになって寝ることが多いんです。これ以上大き
くなったら、息苦しくなっちゃいます」
「嘘だろ?」
「本当です」
 拗ねた口調で亜美がすぐに言った。
 バストがこれだけ重いのは、女でなければわからないことだ。男にしてみれ
ば大きな胸は憧れなのかもしれないが、実際にはいろいろと面倒でつらいこと
の方が多い。


 まだ亜美はオートクチュールのランジェリーなので苦労は少ない方だが、お
しゃれの面でもバストの大きい女性は、ブラの種類が選べなかったりと悩みが
多いのだ。
「それで、どこから外すの?」
「その前に、ウエストニッパーの方から脱がせてください」
 またしても首をひねった悠司にはかまわず、亜美はくるりと半回転して悠司
に背を向け、手を背中に回して指でホックを指し示した。悠司は亜美の言うま
まに、ホックを上から外してゆく。
「次は……きゃっ!」
 悠司がいたずら心をおこして、亜美の背中を指ですっと撫でたのだ。彼女が
身をすくませている間に、悠司はブラジャーのホックも外してしまった。
 亜美は肩越しに振り向き、悠司を非難めいた視線で睨んだが、ストラップを
外されると慌てて胸を隠そうとした。
「なんで隠すの?」
「だって……」
 抵抗が緩んだのを見計らって、ブラジャーのストラップに手をかけてブラジャー
を奪った。
「先生のいじわる!」
「はい、こっちを向いて」
 抗議も聞かず、悠司は彼女の肩をちょんちょんとつついて、前を向くように
と催促した。亜美は小さく息を吐いて、ゆっくりと悠司の方に振り向いた。無
言で悠司の顔を見て、腕で隠そうとしても隠しきれないふくらみを彼の目の前
に晒した。
「ほ……っ」
 悠司は息を飲んで、続いて大きくため息をつく。


 圧倒された。
 太り過ぎでもなく、肋骨の線がでるほど痩せてもいない。そのくせ、つまむ
とマシュマロのように柔らかな皮膚が指を跳ね返す。腰は細くくびれて、腰骨
の上にはやはり絶妙な加減の脂肪が乗っている。
 将来、子を宿すことになるあたりは、早く使命を果たしたいと主張するよう
に、ふっくらと膨らんでいる。おへそを中心にした縦長のくぼみさえもが、実
にチャーミングだ。悠司は初めて、へそフェチの気持ちがわかったような気が
していた。
 だが何よりも彼の目を引くのは、豊かなバストだった。
 下着に包まれていた時に双球の間にあった、思わず目を奪われる胸の谷間こ
そないが、決して外へだらしなく垂れ下がっていない、たわわに実った白い果
実がそこにあった。
「なんか、むちゃくちゃにエロいおっぱいだね。エロゲー……」
 エロゲーのヒロインみたいな、ぱっつんぱっつんの巨乳だと言いかけて、悠
司は口をつぐんだ。
「エロゲーって?」
 もちろん亜美は知っているが、わざと上目使いで悠司を見つめる。
 眼鏡のフレームの上を越えて見える亜美の小悪魔めいた瞳に、悠司は大いに
戸惑った。
「エッチなゲーム」
「そのエッチなゲームに、私みたいな胸の人がいるんですか」
「ノーコメント」
 悠司はごまかすように、亜美の雪まんじゅうのような膨らみに手を伸ばした。
下から胸を持ち上げるようにしてバストの感触を味わう。ずっしりとした重み
がある。確かにこんなものがいつもぶら下がっていれば、重いと感じるのも無
理もない。そのまま、両手でゆっくりと柔らかいのに指を押し返す確かな感触
を味わう。


 亜美の呼吸が時々止まる。震えるような呼吸は、緊張のためだろうか。悠司
は乳牛の乳絞りをするように、亜美の乳輪のまわりに親指と人差し指で輪を作
り、ぎゅっと絞り上げた。
「ああふぅぅっ!」
 弓のように体をのけぞらせ、亜美が悲鳴を上げた。その拍子に手の拘束から
逃れた胸が、たゆんと上下に揺れる。
 まるで2本のペニスを一気につかまれたような感じだった。一瞬、亜美は乳
首から射精をしてしまったように錯覚していた。
「へえ。敏感なんだね。巨乳の女の人は胸が鈍感だっていうけれど、乳首の周
りを弄られただけでこんなに感じちゃうんだ」
「巨乳、巨乳って、そんなこと言わないでください」
 亜美は胸を押さえながら言った。だが、手の圧力で押し潰された胸が、余計
に大きく見えているということに彼女は気がついていない。乳首が隠された腕
の下で疼く。
「ほら、手で隠さないで。俺にもっとよく見せてよ」
「もういじわるはなしですよ?」
「いじわるなんか、してないって」
 悠司はそう言うと、亜美の両手首をつかんで胸から引き剥がし、顔を胸の真
ん中に埋めた。
「ひゃあんっ!」
 目に見えない無数のアリが、一瞬にして胸から脳髄まで走り抜ける。下腹の
方、そう、子宮から股間にかけてのあたりにピンク色の爆発が起こった。腰が
抜けてしまってへたり込みそうになった亜美を、悠司が危うい所で抱きしめた。
「おっと危ない。どうしたの、亜美ちゃん」
 両わきに手を通し、密着する体勢になっていた。
 再び亜美の全身が甘い痺れに包まれた。


 抱擁される快感があった。服を着ていた時とはまた違う良さがある。悠司は
まだTシャツを着ているが、薄い生地越しに、女にはない逞しい胸筋を感じる
ことができる。
 亜美は、ほうっと息を吐いた。糖蜜のようなねっとりとした、甘い呼気だ。
「きもち、いい……」
 固くしこった乳首が密着した悠司の胸に押し返され、亜美の体に跳ね返って
くるようだ。
「大丈夫?」
 亜美の足がしっかりと体を支えているのを確認して、体を離し、彼女の顔を
見た。
 銅色のフレーム無しレンズ越しに見える、大きな黒い瞳が濡れていた。
「ちくび、きもちいいんです。ねえ、せんせ? おっぱい、もっときゅっきゅっ
て、さわって?」
 子供にかえってしまったような甘えた、少し舌っ足らずの声には、それでも
確かに女の媚びと色気が込められていた。
 悠司は亜美を軽くパソコンがある机の方に突き飛ばし、机で彼女のお尻が支
えられるようにしてから、亜美の乳首を親指で押し潰し、ゆっくりと乳房全体
を円を描くように揉み始めた。
 亜美はのけぞりながら、悠司の愛撫を受け入れてた。
「うわあ、すげぇ。ぷるんぷるんしてるよ。柔らかくて大きくて、最高だよ」
 気持ちいい。胸がどろどろに溶け、クリームとなって流れ落ちてしまいそう
だ。悠司の手のしわさえも、今の亜美は感じ取れそうだった。揉む手から、彼
のエロチックな波動が直接注がれているような気分になっている。
 悠司が舌を伸ばし、乳首をくるりと舐め回した時は、危うく再び床に崩れ落
ちそうになる所だった。悠司は亜美の背中に手を伸ばし、お尻のあたりに片手
を置き、自分の顔とサンドイッチをするようにして彼女の体を味わい始めた。
「いや! 先生、お尻、だめぇ!」


 だが、熱心に乳首を吸い、舐め回すのに夢中の彼が亜美の要望などに耳を傾
けるはずも無かった。
 悠司の手は背筋からお尻の割れ目に至る領域を指でなぞり、下着の中に潜り
始めていた。奥に隠されているアヌスまでは届かないが、その上の溝を指で上
下になぞり続ける。
 この一方で悠司は、舐めたかと思えばあごを乳房や乳首に擦りつけ、無精ひ
げで亜美を刺激する。ざらざらの剛毛は敏感になり過ぎた亜美にとっては短剣
をつきつけられたようなもので、快感に痺れたと思えば鋭い痛みで意識を引き
戻され、これがまた快感へと変化してしまう自分の淫らさに恐れ、おののいて
いた。
 自分は、セックスが好きな淫乱女なのだろうか?
 悠司に責められつつも、亜美は頭の芯の方で、ぼんやりと自分の欲深い肉体
を分析していた。
 こんなにも感じてしまう。男を求めてしまう。
 やはり自分は、女なのだろう。それも、淫乱極まりない変態女だ。
 自分はまだ男だと考えていた心がこの瞬間、大きく壊れた。
 いつの間にか、悠司の愛撫が止んでいた。
 胸はすっかり悠司の唾液にまみれ、開け放たれた窓から、ほんのりと涼しい
風がただよい、乳房から気化熱を奪ってゆく。
 夏の生ぬるい風さえも、冷たく、気持ちよく感じられる。
 目を閉じて愛撫の余韻と心地好い風にうっとりとしている亜美に、悠司が言っ
た。
「亜美ちゃんのおっぱいって、クリームパンみたいだね」
「え?」
 唐突な言葉に戸惑う亜美。
「ふかふかしてて、中に美味しいクリームが詰まっていそうでさ。ここをきゅっ
てしぼったら、ミルクとかでてくるんじゃないかな?」


 普段ならセクハラ紛いの言葉も、体を重ねあうときは睦言に変わる。
「ミルクなんか、出ません。だって……赤ちゃん、できていませんから」
「でもほら。なんかクリームとかミルクとか詰まっていそうだと思わない?」
「思いませんっ!」
 ぷぅっとほっぺたを膨らませて亜美は横を向くが、悠司が乳首への攻撃を再
開したことで、その虚勢もすぐに溶けてしまう。
「もう……先生ったら」
 本当は自分でも、母乳が出そうな感じがしていた。
 乳首が痛いくらいに尖り、乳房全体が腫れぼったいような、むずがゆいよう
な疼きに包まれているからだ。
 気持ちはいいが、物足りない。もっと体の奥まで快楽をねじこんで欲しい。
 もちろん体の奥とは……。
 悠司はまるで亜美の思考を読み取ったようなタイミングで、そっと囁いた。
「亜美ちゃん。パンティー、脱いで」
「パンツ……ですか」
「それともスキャンティー?」
「もう! ……私は普通に、パンツって言います」
「みんなそうなのかな?」
「私のお友達は……そうです」
 亜美はきつく目を閉じたままで言う。心臓が破裂しそうだ。
「先生、お願い。脱がせてください……」
 しかし悠司は一向に手を出そうとしない。
 少し湿った部屋に、亜美の細く震える吐息の音だけが奇妙に響く。
 外の音はほとんど聞こえてこない。
 まるで別世界に、二人きりでいるようだ。
「先生?」
 耐えかねて亜美は、まぶたを恐る恐る開いて悠司を見た。


 彼は、突っ立ったまま腕組みをして言った。
「亜美ちゃんが自分で脱いでよ」
 心臓を突き刺された気分だった。左の乳首が痛くなるほど痺れ、そこから全
体に甘い疼きが広がってゆく。
 見透かされている。
 相手が求めるから仕方がないのだと思い込むことで自我を保とうとしている
亜美を、悠司は突き放した。
 自分からセックスを求めたというのに、亜美はまだ心のどこかに迷いを残し
ていた。吹っ切ったはずなのに、頑固に抵抗する部分がある。
 そうだ。まだ間に合う。
 服を着て、出て行けばいい。ついでに頬の一つでも張っていけば、気が少し
は晴れるだろう。この部屋を出れば二度と会うことも無い。
 でも、それでいいのだろうか?
「亜美ちゃんが自分で脱ぐ所が見たいなあ」
 悠司の声は、どこか嬉しそうだ。
 この人は、本当に『自分自身』なんだろうか。ここまで自分は性格が悪かっ
たのだろうか?
 思考の迷路に迷いこんだ亜美は、もう一度目をつぶり、深呼吸をした。
 湿った部屋の空気が亜美の肺を満たす。どこか懐かしい匂いが、彼女の心を
落ち着かせた。
 亜美は崩れ落ちそうになる足を少し開き、お尻を机から少し浮かせた。まず
はうしろをずり下ろす。山を越えるまでは抵抗があったが、するりと太腿まで
滑り落ちる。前もだいぶ下にずり落ちている。
 今度は前だ。
 じくじくと股間が濡れ、疼きがいっそう強くなるのがわかる。


 白い布が引き下ろされ、無毛の股間があらわになってゆく。

(ああ……恥かしい!)

 義兄に剃られ、かおりに定期的に剃られ続けている股間は、まるで少女のよ
うな無垢の肌を露出していた。
 もちろん亜美は目を閉じているから悠司がどこを見ているかわからないのだ
が、下半身に集中しているだろうということは確かだ。彼の視線が突き刺さり、
亜美に淫汁の分泌を促しているようだ。
 亜美にとっては腿を滑るショーツの感触すらも、股間を直撃する快楽の攻撃
になってしまう。全身が性感帯になってしまったようだった。
 尻を机に預け、まずは左足から、続けて右足を上げて下着を脱ぐ。悠司の手
が触れ、亜美は熱い物に触れたように慌てて手を自分の胸の上に戻した。
「すべすべしているんだね。これ、素材は何?」
 悠司の言葉に亜美は、はっとなって目を開けた。
 想像したとおり、悠司は彼女の下着を持って両手の平で挟んでいた。布切れ
に残った温もりを楽しんでいるようだ。
「やめて、触らないでください。は、恥かしいですから……」
「濡れているのが恥ずかしいから?」
「それよりも……温かいのが、恥かしい、です」
 自分でも声が段々と小さくなってゆくのがわかる。
 胸も股間も男性の目の前に晒しているのに、下着を触られたことよりも、濡
れていることよりも、下着に残った自分の温もりを相手に感じられるのが、不
思議とどうしようもなく恥ずかしくてならない。
「返してください」
「帰さないよ。俺はもっと、亜美ちゃんを見ていたいんだ」
 そっちの帰すではないのにと亜美は思ったが、悠司にじっくりと体を見られ
ると、心が蕩けてゆく。


 抵抗が、できない……。
 少女の体は、ため息が出るような柔らかな曲線と豊かさを備えていた。
 そして、白い。
 静かに山に舞い降りる粉雪のような、なめらかな肌だ。まるで蝶が翅を広げ
ているような趣のあるガーターが花を添えている。
 股間の陰りに至る道筋を目でたどっても、薔薇色へ染まる程度で、荒淫の影
はどこにも見当たらない。陰唇は果実の切れ目からわずかに顔をのぞかせる程
度で、彼女の股間だけを見る限り、少女から女性へと変化してゆく瀬戸際の絶
妙の美しさを、今も残しているようだ。
 もはや彼女が身に着けているのは、ストッキングとガーター、そして眼鏡だ
けだった。
「うーん、マニアック」
 悠司が思わず唸った。
「俺、ガードルなんて初めて見たよ。本当にエロい下着だなあ」
「ガードル? これ、ガーターですけど」
 不意に訪れた無言の時間の後、二人は同時に吹き出した。
「よくわからないんだよ。ガーダー?」
「ガーターです」
「なんか外国のファッションモデルとか、そういうの着ていそうだよな。あと
メイドさんとか。スカートを自分でまくってみせたら、ガーターだけでパンティー
ははいてなくてさ。それで、“御主人様、ご奉仕させていただきます”なんて
言われたらたまらないよな」
 目の前で裸の魅力的な女の子がいるというのに、別の人の話をする無神経さ
に亜美は少し腹を立てながら言った。
「私の家には本職のメイドがいますよ。なんなら制服を借りてきて、先生の前
で着て見せましょうか?」


「いや。俺が好きなのは中身の方なの」
 亜美の怒りも、悠司の軽いタッチだけで簡単に溶けさってしまう。皮膚に触
れるごつごつとした男性の指は、女同士の愛撫では決して味わえない感覚を亜
美にもたらす。
 悠司はガーターを外さず、そのまま抱きついて彼女の身体をすっぽりと自分
のふところにおさめ、背中とお尻を重点的に触ることに決めたようだ。
 大体、体を動かすメイドにガーターは必要ない。どちらかというとヒップと
腿をすっぽりと覆うショートガードルを着ている人が多く、下着も実用本位の
地味でしっかりと体を包む物がほとんどだ。
 なにしろ亜美はメイドのかおりと何度も寝ているから、そのあたりの事情は
かなり詳しいと言えるだろう。
 ちなみに現在、かおりはレース地のローレグショーツに、黒のガーターとい
う亜美専用の装いを強いられている。亜美にすっかり蕩かされてしまった彼女
は、悠司が想像するエロメイドそのものと化しているのだが、もちろん悠司は
そんなことを想像もすることすらできない。

(そうね……今度はかおりさんと一緒にするのもいいかも。私もメイドさんの
格好をして迫ったら、先生は喜んでくれるかしら?)

 三人でする淫らな遊戯を想像するだけで亜美の股間は熱くなり、淫らな液体
がストッキングに滴り落ちるほどにまでなっていた。

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