「ああ……貴方という人は……っ!」
 『僕』は歩み寄る騎士の手を振り払う。
「わかってください、姫。全ては貴女の為なのです」
 騎士は殊勝な言葉とは裏腹の酷薄な笑みを浮かべて、言う。
「たとえそれが私の為だったとしても! 他の方々を巻き込み、あまつさえ犠牲にまでしようとは、傲慢以外の何者でもありません!」
「流石は姫。私は貴女のその潔癖さに惚れたのだ。……どんな手を使ってでも手に入れたいと思うほどに!」
「あ……嫌っ!」
 騎士は『僕』を強引に抱き寄る。
 今の『僕』の華奢な力では、精一杯抗ってもその腕から逃れ出ることは出来なかった。
 騎士はそんな『僕』に嗜虐的な視線を投げかけながら、顔を寄せる。
「嫌われたものでごふうっ!?」
「そ・こ・ま・で。遊君に手ェだしたらヒネリ潰すわよ?」
 ぐらり、と騎士がゆっくりと倒れこむ。
 騎士の脳天に完璧なカカト落としを決めたヒーローは、プリーツスカートを翻らせて、銀縁のメガネをかけていた。
 ちなみに、見えた。
「し、縞ごふぅっ!」
「最初の台詞がそれっ!? ダウトっ!! やり直し!!」
 渾身の逆水平を受けてでふらつく僕を、委員長は厳しく指導する。
 仕方ない。言い直そう。
「い、委員……」
 長、と続けかけた僕の唇を人差し指で押さえると、謎のヒーローは言う。
「おおっと、それは言いっこなしね。今の私は、颯爽と現れてかわいらしい姫君を悪漢の手から助け出し、ついでに心も体もいただく正義のヒーローなの」
 そして、そのまま『僕』の頬に唇を寄せると…………。







 じりりりりりりりりりりり。

 目覚ましが、いつもどおり規則正しく騒ぎ立てる。
 僕は、ぼんやりしたまま上半身を起こすと、胸に手を当てる。
 ぷに、と贔屓目に見てもかなりひかえめな、やわらかい感触。まあ、『男』という建前上、便利ではある。いや、そうじゃなくて。
 いつもより眠りが深かったみたいで、目覚ましのショックで心臓が「ばくばく」言っている。
 変な夢を見た。と、思う。
 確か、僕がお姫様役で、悪役に迫られているところを委員長に助けられた……はず。
「……これのせい、かな?」
 僕は、枕元にあった劇の台本を見た。
 学園祭で『お姫様』役をやることになった劇だ。
 あの騎士役は本当は、国が崩壊しつつある中で全てを捨てて愛する姫を守り抜き、その愛を成就させる主人公だ。まあ、つまり僕の相手役ということになるんだけど、これがまた、誰がするかで揉めているらしい。女装男の相手役をめぐって争う男たち……なんともはや。
 それで、仕方なく相手役不在のまま、委員長と川村に代役を務めてもらいつつ指導されながら、毎日練習している。
「祐ちゃん、ご飯まだー?
 階下から、姉の声が聞こえる。
 ご飯まだー、って。普通弟に言う台詞じゃないと思う。
「用意してないからー、適当にパンでも食べてー」
「んー、わかったー」
 姉は、こういうときは素直に聞き分ける。一応、家事を押し付けていることに関しての謝意があるらしい。
「と、そろそろ着替えないとまずいか」
 時計を見ると、いくら学校が近いとはいっても、かなり厳しい時間帯になっていた。
 とはいえ、この程度の遅れでガタガタ騒いでいては校内指折りの問題児は務まらない。
 髪の毛の乱れを撫でつけながらベッドから降りると、パジャマを脱ぐ。
 無論自分の体をしげしげと眺めたり触って確かめたりエロいことを始めたりはしない。
 それはもう大分やったし。


 結局のところ、姉が薬を完成させない限り戻れないのだから、とにかく慣れるしかなく、慣れるためにはいろいろとするしかないという大義名分の下に、それはもう、色々と。具体的には秘密だ。
 手早く貧s……小s……いやらしさひかえめな胸にさらしを巻きつけて胸板を演出すると、セーラー服を身に着ける。ここ数日間で、これも大分慣れた……風を装う。内心はまだ戸惑う部分が大きい。
 少しでも顔を赤くしていようものなら、姉が「萌えー」とか言って擦り寄ってきてなでまわして舐めまわして押し倒されて弄られるので、平静を装うしかなかったりする。
 
 着替えが終わると、髪を整えたりする。面倒なのでまとめたりはしない。短いから、その必要も無いけど。

「んー……。じゃ、行ってきまーす」
「はいはい、今日も頑張ってねー」
 なにを頑張ればいいのかさっぱりわからない姉の声に送り出されて、オレンジジャムをはさんだ食パンを頬張りながら家を出た。
 学校までは直線距離で500メートル。予鈴が鳴り響いていたり無駄な足掻きで全力疾走している下級生におい抜かれたりするけれども、それも想定の範囲内。


 想定の範囲外は、そのすぐ後に。


 既に予鈴は終わって、遅刻確定してから堂々と校門にたどり着いた僕を迎えたのは……。
「いーっつ、罰ゲーム」
 メガネをキラリと輝かせて、これまでの品行方正さの微塵もうかがえない悪魔的な笑みを浮かべた、委員長だった。






「セーラー服にもようやく慣れたっていうのに、また何かやるの?」
「そうそう、その『慣れ』がイケナイのよね。最初の頃の、『女の子のカラダ』に慣れなくてモジモジしてたり、女の子だっていうことを隠そうとしてそわそわしてたり、スカートのひらひらが気になって何度も確認してみたり、そういう『萌え』イベントが出尽くしちゃったのよ」
 既に1時間目の授業が始まる中、どうやったのか担任を言いくるめた委員長が僕を生徒指導質に連れ込んで、ものすごいハイテンションでまくし立てる。 ていうか、萌えイベントって。
「そもそも、劇の『お姫様』役をやるために、慣れる必要があるっていうことだったと思うんだけど」
「だ・か・らー! 今のアナタは『初々しい女の子』の輝きが無いの! それを失ったTS美少女は、『失格』となる! のよ!」
 失格で結構な気もする。それは。
「……じゃあ、どうすればいいのかな?」
「まず一つ。お姫様らしい言葉遣いを心がけること。二つ。サラシは取ること。追記。『僕っ娘』は可。『ボクっ娘』は上等」
「待て待てまてまてまてまてまてまてまてまてーっ!」
 一瞬、姉にされた街中での行為を思い出して、赤くなってしまったりやらしい気分になってしまったりしたのはヒミツ。
「バレるっ! そんなことしたら、バレるっ!」
「大丈夫よ。……ほら、こんなにちいさいし」
「ちょっ、やめっ……っ」
 速く、そして的確だった。委員長が妙に紅潮していると思った次の瞬間、背後に回りこまれた。
 そして、上着のすそから手が入り込んでくる。
「こんなのつけてると、余計に変に思われるわよ。あ、でも、先っぽが勃っちゃったりしたら、ばれちゃうかもね?」
「さ、サラシ、とらないでよ……っ! こ、転がさ……っ、ないっ……で!」
「大丈夫」
「だいじょぶじゃ…………しっ、下は…っ、や……っ!」
「感じやすいね、遊君。毎日いやらしいことしてたんでしょ?」
「しっ、してな……っ!」
「ウソつき」
「そこ……弄らない……で…っ!」
「あ、ここが弱いのね、遊君って」
 そして、僕は委員長に押し倒された。







「さ、2時間目からはちゃんと出ないとね」
「………うん」
 委員長に服を調えてもらいながら、頭の中に霞がかったような気分のまま、僕は頷いた。
「演劇の練習も」
「……うん」
「私の夜のお相手も」
「………う……ってするかーっ!」
 渡る世間は鬼ばかりです、姉さん。
「やっと目が覚めたわね。さ、遊君がしなきゃいけないことを、復唱してみて」
「………ちゃんと『お姫様』口調でしゃべること」
「そうそう。アクセントに気をつけて、女の子っぽく丁寧語でしゃべるといいと思う。で、もうひとつあったよね?」
「サラシは取ること。………本気で?」
「ダウト。お・ひ・め・さ・ま・口調で」
「本気でございますか?」
 お姫様口調なんて言っても良くわからないので、とりあえず丁寧語で、仕方なく言ってみる。
 何か変なような気がするけれども、背中がむずがゆいけれども。
「……うーん、まあ、いいわ。最初だしね」



「それで、質問の答えはまだでしょうか、委員長?」
「あ、それと『みやこ様』って呼んでくれると嬉しいな……って、冗談っ、冗談だからね」
 委員長、照れてる。
 変な倒錯入ってる。
「みやこ様とは、どなたのことでしょうか?」
 言ってみる。
「ワタシの名前を言ってみろ」
「ごめんなさいすみません私が悪かったです調子に乗りすぎました空木都様っ」
 委員長、ドスが利き過ぎ。北斗四兄弟の末っ子かと思った。
 とりあえず言い直してみる。
「……質問の答えはまだでしょうか、みやこ様?」
「あ、えー、うん、本気」
 やっぱりちょっと赤くなっている委員長。
「ほら、着物に下着って邪道でしょ? それと同じ」
「いやそのりくつはおかしい……くありません?」
「仕方ないわね。じゃあ、毎朝遅刻せずに来るなら、それは免除してもいいわ。けど、少なくとも今日はダメ。遅刻だし、サラシは私が預かったから」
「変態」
「なにか?」
 うわ、とぼけたっ。
 こういうときだけ、普段どおりの鉄面皮だ。
「……文化祭までには、立派な淑女に育て上げて差し上げますわ、お姫様」
「あっ……」
 鉄面皮から一転頬を緩めた委員長は、僕の手を捧げ持つと、甲にくちづけた。
 まるで、騎士の誓いのように。
 だから、僕は劇中の姫の台詞で答えた。練習の成果を見せるために。
 特に他意はない。絶対に。
「はい、あなたを信じます……みやこ様」

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