団長といえど生徒であるので競技には参加する。春香が参加することになっていたの
は女子障害物競走、パン食い競争、女子騎馬戦、色別対抗リレーの四種目。
 ただいま障害物競走の真っ最中。しかしながら問題も発生中だ。
 春香のやつはいったいいつの間にこんなに成長してしまったんだ。おかげで俺は今、非
常に難儀している。成長はいい意味で取られるもんだが、今回ばかりは例外だ。
 俺はうまく手足を扱うことができないでいた。手足の長さや重心が違うせいだ。自分の
体でありながら自分の体じゃないような感覚がまとわりついて離れず、額をぶつけるわ、
物を掴もうとして手首でぶったたくわ、目測を誤りまくりだった。
 最大の違和は胸だった。このでかいおっぱいがとにかく行動を阻害しようとする。走れ
ば揺れ、跳ねればたわむ。ノーブラであることが被害を拡大させたのは言うまでもない。
ことに障害物競走には不向きだ。はしごをくぐる障害があったが、ギャグでもなんで
もなく胸がつかえた。
 春香は運動はできるほうだからスペックは悪くないはずだが、某特戦隊の隊長のように
本来の力を引き出すことができない。手足を手足のごとく使いこなせないとかいうジョークは
必要ないのにな。
 ままならない。やるせなさや情けなさに感情が昂って目頭が熱くなる。競技の途中で泣
きはしなかったが、目はしっかりうるんでいた。
「涙目になる春香さんは春香さんではありませんが、組の中でもかなりウケがよかった
ので加点しておきました」
 競技終了後、近藤からこんな通達があった。もういい加減放っておいてくれ。監視役
がいなくても俺はしっかりやっていけるから。
 しかしこっちがそう思っていても、近藤は無慈悲にも攻撃の手を緩めなかった。
 パン食い競争でも後ろ手に縛る際近藤にやってくれるよう頼んだが、全身を縛れそう
なほど長い荒縄を持ち出してきたりしたときには本気で逃げ出した。ほかにもケガをし
た選手の代わりに急遽二人三脚に出場したときも、足を縛るために鎖のついた革手錠を
持ち出してきたりと、近藤のプレイはフリーダムすぎた。たったひとつ善意にうつる行
為として飲み物の差し入れが何度もあったが、差し引けば微々たるものだ。
「片桐、ちょっといいか?」
「うおっ、団長!? ──って、御子柴だったな。てっきりホンモノの団長かと思ったぜ」
「そんなに似ているか? まあ俺……私もそうなるように心がけているつもりだが」
「表情やイントネーションまでそっくりだな。さすが双子だ。恐ろしい子……ッ!」
 昼休み。俺は片桐を呼び出していた。本当なら他の首脳にも声をかけたかったが、そ
こは自重した。近藤に気づかれたくないからだ。今もトイレに行くと口実を作って逃げ
てきた。



「近藤のことだが、……どうにかならないか?」
 荒縄で縛られた手首の跡を見せる。どうにかならないかと相談するよりも、どうにか
してくれと対策を講じて欲しい。個人的には監視役の即刻の更迭が望ましい。後任もな
しで。団長の次に偉い団長補佐ならどうにかしてくれるだろう。
「いやあ、実は影武者を立てる運びになって急遽監査役の人選会議に入ったんだが、該
当する人員が近藤ひとりしかいなくてな。……まあ少々人格に問題あるがこの緊急時だ
ししょうがないかなと思っていたんだが、まさか本当に問題になるとは思わなかったな、
わはははははは」
 わかっていてやったのか。確信犯なのか。というかこいつこそが諸悪の根源じゃないか。
「最近流ハヤリのあの病んでる系のキャラもいいかなって男連中で協議してな。わざわ
ざ探してみたんだが、ホラ、そう…いうキャラ……だった…………ですよね?」
 威圧して黙らせる。怒りが有頂天を通り越して頭がどうにかなりそうだった。
「それで、どうにかならないのか?」
 暗にどうにかしろと圧力をかけておいた。任命責任を果たせと。謝って辞任するだけ
じゃ足らない。そういうのをするのは、問題を解決したあとだ。
「あー、悪いがそれは無理だ。いきなり解任とかしたら中に誰もいないことを確認され
たあげくナイスなボートで地獄に流されかねんからな……」
 片桐のおびえようは、「犯人が混じってるかもしれない連中と一緒にいられるか! 
俺は部屋に戻るぞ」と単独行動を取る役に似ていた。なにが団長補佐だ。団長を補佐す
るどころか逆に追い詰めてる。
「それにしてもだな……。おまえ、恥ずかしくないのか? こんなところに連れ込んだ
りしてよ」
「密談するならここしかない」
「男子トイレの個室で男女ふたりっきりなら、密談というより密会だな。──まさかッ、
これを狙って!?」
 あるわけないだろ。誰がすき好んで男を誘惑したりするか。
「もう辛抱たまらん……! ハァハァ……春香、おッ、俺の子を産んでくれ!!」
 妄想の爆発により理性のタガがはずれ、口をスッポンのようにして襲い掛かってきた
片桐の顔面を片手で覆うように掴み指に力を入れる。指は簡単に顔にめりこんだ。
「……少し、頭冷やそうか」
 さすが握力60キロ。リンゴを握りつぶすように顔面を破砕できそうな気になる。片桐の
やつもこれで頭を冷やしてくれるといいが。
『次の競技は女子騎馬戦です。選手の方はお集まりください』
 おっと、召集だ。顔面を掴んでいる右手はそのまま、左手も使ってくるっとお互いの
体の位置を入れ替える。手を離すと片桐は便座に力なくくずおれた。その表情は苦悶と
恍惚が入り混じった奇怪なものだった。
 俺の中の片桐のプロフィールが書き換わる。

 片桐雄太──男に襲い掛かった男にして、M。



 現在、俺は保健室にいる。
 というか、気づいたらここにいた。
 記憶がかなりとびとびになっている。女子騎馬戦で、白組の八卦の陣に混元一気の陣で
突っ込んだところまでは覚えているが、それから先のことはあいまいだ。最後の光景は、
さかさまになった人々とその隙間から見えた雲ひとつない青空。……どうやら俺は落
馬してしまったらしい。
 180度景色が回転するほど頭が下にあって、しかし頭はぶつけなかったようだ。頭痛
はまったくない。代わりに胸が痛かった。体操服を見ると胸部を中心に前面に大きく砂
埃がついていた。無意識のうちにネコのように転身して大事を避けたのか。人間、追い
詰められるとすごいな。
 ネコといえば、女同士の戦いをキャットファイトとはよく言ったもんだと思う。勢い
余ってツメを立てるのはまあ許容できるとしても、マニキュア塗って武器に仕立て上げ
ているのはやりすぎだが。引っかきキズが全身くまなく縦横に走っている。
「お目覚めですか」
 枕元には忠実に役目を遂行する近藤がいた。リンゴをむいているのはなんのつもりか。
手は動かしたまま顔だけをこっちによこして俺の様子を観察していた。
「どうやら大丈夫のようですね。意識を失われたまま一生を過ごされるようなことにな
らず、安堵しております。(反応がないとイジリ甲斐がありませんから)」
 ……芸風を変えてきたな。
「なあ、騎馬戦ってどんなふうだったんだ? 正直、ほとんど覚えてないんだが」
「わたしの見聞きした、ムシャムシャ、限りのことでよろしければ、ムシャムシャ、お
話いたしますが、ゴックン」
 感慨深く昔を振り返るように、遠い目をして近藤は語り始めた。
 が、話が始まってもいないのに近藤の話はすでに嘘くさい。せめてリンゴは話し終わっ
たあとで食べてくれ。



 女子騎馬戦の騎馬は各組のツワモノを選りすぐって結成されている。一騎四人構成で、
団長である俺(春香)を大将にして、以下七騎が続く。ちなみに公正を期すために参
加選手の総体重の上限まで設定されている。基本的に頭のハチマキを取られるか落馬す
ると退場だが、落馬の場合自陣に戻り20秒待機すればまた戦線に復帰できる。勝敗は敵
陣にある10本の旗をすべて奪うか大将が退場することで決まる。時間切れだと奪った旗
が多いほう、同数なら残機が多いほうが勝ちだ。
 一気に敵の頭を叩くか、着実に騎馬を減らして作業をやりやすくするか──戦略はあ
るが、どのみち総力戦になる。いくら戦略を練ってもそれを実行するやつがいなければ
話にならないからだ。それは相手もこっちも同じだ。
『両陣営は陣立てを行ってください』
 アナウンスがあって、それぞれ騎馬が動き出す。
『白組は……これは八卦の陣です。不用意に切り込めば全滅必至! 対して紅組は……
おお、混元一気の陣です。突撃に秀でた陣をもってきました』
「団長、命令を」
 オーダーといってもな。突撃の陣形なら突撃するしかないだろうに。
「見敵必殺」
 いかにも春香が言いそうなことを言った。少ない語数で意味を的確に伝えるような感
じで。
「目に付いた敵はなぎ倒せ。敵大将に戦力を一極集中しろ。何枚の壁があろうと突き進
め。敵あらば倒せ、敵なくば進め。生きて戻ろうと思うな、死んで花実を咲かせろ。や
つらの白を紅に染め上げてやれ。……吶喊」
 俺の合図とともに騎馬は前進を始めた。歩きから徐々にギアを上げ、敵方に到達する
ときにちょうどトップスピードになるようにする。騎馬が強いのは、馬の質量が馬の速
度で突っ込んでくるからだ。生身ではどうすることもできない。
 敵方も守っていては不利と感じたのか、陣構えを別のものに再構成した。
『おおっと、ここで白組は陣形を変えてきたあ!! これはアマゾンストライクだ! 
守備一辺倒から超攻撃型の陣形になったああああああッ!!!』
 面白い。ならば我々はそれを打ち破ってみせよう。真正面からのぶつかりあい。伯仲
した実力だが、負けてやるつもりはない。
『両軍とも激しいぶつかり合いだ!! 動きが早い! まさしく神速の大攻勢と言えま
しょう!!!』
 激突する。衝撃で騎馬がお互い崩れていったが、進軍は止まらない。損得を無視して
とにかく突っ込む。誰もが敵対心と闘争心をむき出しにしていた。ときの声をあげ、交
戦している。何度も騎馬がぶつかりそのたび火花を散らす。
「突っ込め突っ込め突っ込め! 前を向け! 振り返るな! 怖れるな! 人間が人間
を倒せぬ道理はない!!!」
 血が出るなら※せるとどこかの州知事も言っている。それくらいの気概で臨めば地球
外生命体とて敵ではない。
「敵艦に注水音! 3、4、5……現存する全艦からです!」
 ソナー手からの報告。敵もいよいよ本気ということか。
「全艦に通達、デコイ発射準備。我が艦は発射と同時にダウントリム40にて急速潜航。
爆発とノイズに紛れ、超伝導推進にて単独で敵艦隊後方に出る!」
 時には奇策も必要だ。教科書どおり山を背にし水を前とするだけじゃ足りないことも
ある。圧潰ぎりぎりの深度で爆発にさらされながら航行。よくて満身創痍、悪くて沈没。
正直、分は悪い。だがやってみる価値はある。活は死中にのみあり、虎穴に入らなけ
れば虎子は得られないのだから。



「嗚呼、団長が行く……。
望まれることなく、浮き世から捨てられし彼女等を動かすもの。
それは、生きる意志を持つ者の意地に他ならない。
 ……と、素晴らしい指揮と奮闘振りでした」
「いや俺絶対そんなこと言ってない。なんで捏造をさもあったことのように話すんだよ。
それにダウントリムってどこに潜るんだ」
 ハンカチで涙をぬぐうふりをするのが白々しい。俺の記憶が定かじゃないのは落馬の
前後だけであとははっきりしている。陣立てして突っ込んだことは確かだが、号令をか
けたり鼓舞したり潜水艦でバトルとかは全然してない。本人を前にここまで嘘を並べら
れるとは、逆に感心するな。
「結局どっちが勝ったんだ? 俺の記憶だと、俺が落馬したときにはまだ白組の団長は
崩れそうだったが残ってたから、負けか?」
「両大将同体でしたので引き分けです」
「嘘!? 俺が崩れたとき、相手は俺より上にいたんだぞ」
「その昔ガリレオはピサの斜塔から重さの異なる物体を落としました。それが地面に到
達したとき、なんと同着だったそうです。そればかりか、真空中では鉄球と羽毛でも同
着になるそうです」
 近藤の説明はツッコミどころ満載だ。近藤の世界の物理法則では、地上は真空で、物
体はどんなにタイミングをずらしてもすべて同時に落下するらしい。『すべて』同着な
ら地球ができてこのかた、物体が地上に落下したことがないわけだが。理想気体もびっ
くりの都合のよさだ。
「まさか、審判を買収したとかないよな……?」
「まさか。ただ少しばかり審判をなさっている先生方にご自分の性癖についてご一考な
されるよう進言しただけです。その上で人の道を説きましたら、皆様涙を流してご理解
していただけました」
 うわ、黒い……。これは抱き込みというより脅迫だ。ここまでやるか。
 というよりも本性がこうなのか。どうやら片桐の言っていた病んでる系の本領を発揮し
つつあるようだ。
「これで最後のリレーに勝った組が自動的に優勝ということになります。つまりアンカー
であるアナタにすべてがかかっています」
「まあそれはいい。それで、なんで俺は保健室なんかに来てるんだ? ここには先生は
いないだろ?」
 保健医はグラウンド脇に設置された救護テントにいるので、保健室は空室になってい
るはずだ。
「救護テントのような人の目のつくところで団長が倒れられていたら組の士気にかかわ
りますから、わたしの独断でここに運ばさせていただきました」
 独断専行の匂いがぷんぷんする。片桐以外の首脳も近藤を持て余しているようだ。
 それで、俺は誰に治療してもらえばいいんだろうか。医療設備が整っていたとしても、
使い手がいなければ宝の持ち腐れだ。まあたいしたケガでもないので見よう見まねでも
いいだろうが。
「治療しますので、どうぞ座ってください」
 近藤はなんのためらいもなく保健医の指定席に座って俺を手招いた。やっぱりか。
 勧めるままイスに座り、患部を見せる。両肘に右膝が主な外傷で、小さな擦り傷、引っ
かき傷まで入れると数え切れない。それとは別に落馬のときに強く打った胸も痛い。
「名誉の負傷ですね」
 てっきり不様などと酷評するのかと思っていたが、そんなことはなかった。おおかた皮
肉のつもりだろうが、額面どおりに受け取っておく。深読みしてもろくなことにならない。



「……っつ」
 ガーゼにしみこんだ消毒液が身にしみた。まああれだけ擦過傷が多いとな。
「痛むのでしたらいつでもおっしゃってください」
 思いがけなく、近藤が優しい言葉をかけてきた。もしかしたら奮戦での俺を見てあの
近藤も感動して改心したのかもしれない。
「そこを重点的に責めますから」
 ……気のせいだった。
 近藤の治療は自称としかいえないものだった。手が俺の体のあちこちをべたべたと触って
くるのだ。上から順に、髪の毛、うなじ、首筋、鎖骨、肩、腋、腕、手、わき腹、
尻、太もも、ふくらはぎ、すね、足の裏……。およそ人体で固有名詞のつくところはほ
とんどやられた。要するに触りようがない内臓と朝近藤が言っていた女性の不可侵の部
分である三ヶ所以外は全部だ。そのうち治療と治療の逸脱との割合は五分と五分。
「ほかに痛むところはありますか?」
「落ちたときに打った胸かな。さっきからずっとズキズキ痛い」
 胸という単語に近藤は超反応した。耳がぴくっと動き、体の動きが一瞬だけ止まる。
いつもが感情の読み取りにくいポーカーフェイスであるだけに、こういうときだけ何を
考えているかわかる。わかりすぎるから困る。
「それでは、体操服をたくし上げてください。実際に患部を見てみませんと状態がわか
りませんから」
 テンプレートのような建前だ。しかし断ればまず間違いなく減点だ。これまでかなり
減点されている。俺の計算機はこれ以上は危険だと概算した。
 着るときの倍以上の労力を使ってまくる。あいかわらずスイカのように巨大な胸だ。
正直持て余している。女のおっぱい触りたい放題とか言っているやつは素人だ。自分の
胸を触って何が嬉しいんだ。しかもこれだけでかいと足元が死角になって歩くときに邪
魔になる。百害あって一利なしだ。
「それはさすがに言いすぎだと思います。女性の乳房には百利も二百利もあって、害な
ど存在しません」
 考えてることが口から漏れていたようだ。その内容が気に入らないのか、近藤は妙に
噛み付いてくる。口を動かすヒマがあったらさっさと胸の治療を完了させてほしい。さっき
からずっとおっぱいさらしたままだからな。
「おっと、これは実はいい機会なのではないでしょうか。──ということですので、唐突で
申し訳ないですがここで『お願い』の権利を行使したいと思います」
 なにかをひらめいたのかポンと手を打つ近藤。『お願い』──今朝足元をみまくった
末に約束させられたあの一件。さて、なにをさせるつもりなんだか。
「ここではなんですので、奥のベッドに戻っていただけますか?」
 なんでまた。しかし拒否権のない俺はそれに従う。ベッドの横に二人並んで立つ。座って
いるときはそうでもなかったが身長差が浮き彫りになる。近藤は俺より頭一つ分低い。
男の俺と同じくらいだ。
「わたしのお願いというのは、アナタに乳房のすばらしさを知っていただくことです。
先ほどの暴言は女性の立場からすれば到底同意できるものではありませんでした。それ
ならば、アナタ自身の身体でもってそのすばらしさを味わえばいいのではないかと考え
たわけです」
 すぱーんと足を払われた。なんの予備動作もなく放たれた鋭い足刀が不意をうたれた
俺の両足を地面から刈り取り、倒れる方向をベッドの上に強制的に設定した。
 俺があっけにとられているあいだに両手は頭の上で縛られベッドにくくられて固定さ
れてしまっていた。下半身は動くが腹の上には近藤が馬乗りになっていて身じろぐこと
しかできない。やりなれている感のするすばらしい手際だった。
「な、なにするんだ!」
「なにをする、ですか。今朝アナタが約束しましたのは、『なんでもする』ことです。
言い換えれば、『なんでもされる』のを受け入れることです。ですから、『なに』をさ
れようとも、それを阻害してはいけません。おわかりいただけましたか?」
「わかるわけないだろうが!!」
「減点です。とりあえずそのうるさい口を塞がさせていただきます」
「むぐっ、んむむむむむー!」
 唇が合わさる。ドラマであるようなロマンは微塵もなく、一方的な強奪なキスだった。



 やわらかい唇は俺の呼吸を邪魔するように口をふさいだ。吸盤のように吸い付いて離れ
ない。酸欠になるのに時間はかからなかった。おとされる寸前のところで唇は離れたが、
俺はぐったりとしてしゃべることさえできなかった。
「どうしました団長、これはただのキスですよ? 序の口で入り口に過ぎません。この
ようなことだけでマグr……グロッキーになってもらっては困ります」
「おまえ、なんで、キス、なんか……。おんな、どうし、だろうが」
 切れ切れになりながら思ってることを言った。現時点で俺は男の春樹じゃない。いう
なれば女の春樹だ。その俺に女である近藤がキスをする。それも軽いスキンシップなん
てレベルじゃない濃厚なやつをだ。おかしくないか?
「わたし、団長のことが好きですから」
「え゛?」
 驚いた。呼吸するのも忘れるほど驚いた。団長といえば俺のことだ。まさか俺のことが──
「言い方が悪かったですね。わたしが好きなのは春香さんです」
「ええええええええッ!?」
 もっと驚いた。思わず肺の中の空気を全部吐き出す勢いで叫んでしまった。
 近藤は春香のことが好き。つまり♀×♀と、こういうことか。
 まさか近藤にそんな性癖があったとは。考えてみれば春香のことをよく知っていると
いっても、近藤は知りすぎていた。家庭内の事情をまるで見たことのように話していた。
学校に持ち込まないような話もだ。それこそストークかスニークかやってないと知ら
ないようなことまで。
 ……待てよ。近藤が春香のことが好きなら、なんで俺が告白されないといけないんだ。
「わたしが好きなのは春香さんですから。たとえそれが髪の毛であっても、吐息であっても、
言葉であっても、わたしにとっては全てが愛おしいものになります。ましてや春香さんの
形そのものであれば、『中身』が誰であろうとも好きになるのは当然のことです」
 二次元だけじゃなくフィギュアもいいですよね、みたいな言いようだった。
「ご理解していただけたところで、もう一度……いただきます」
 さっきまでとは一転してふわりとかぶさるようなキス。唾液を流し込まれ、近藤の舌
と俺の舌とで混ぜあう。リンゴの甘い香りと味がした。
「どうされました? 抵抗がなくなりましたよ?」
「うる、さい……」
 角砂糖がぬるま湯にたゆたい、じわり溶けていっているように、意識が定まらなくなって
いった。脳に酸素が足りないせいだ。きっとそうに決まってる。ましてやキスに夢中に
なることなどあるわけがない。
「しおらしい春香さんも新鮮ですね」
「ん……ふっ……んっ」
 状況だけ見れば、まさしくエロいシチュだった。誰もいない保健室で、体操着姿の女子が
馬乗りになり長いキスをし唾液を交換している。その気がなくてもその気になりそうだ。
 直した体操着は近藤によって再びまくりあげられ、中身を惜しげもなくさらしている。
春香の胸はその巨大さにもかかわらず重力にも屈せず形を保ち続けていた。今また近
藤の手により搾るように持ち上げられている。
「吸い付いてくるようですよ。乳頭もこんなに勃起されて……。まだ触ってもいません
のに」
 実況をまじえつつ、責める手は片時も休まない。近藤はじつに愉しそうだった。表情
はひとつでも、口調は心なしかくらいの違いだが軽い。
 そんな近藤に感じさせられているのが嫌で、これはただのマッサージだと受け流そう
としてもダメだった。体の部位はともかくやっていることはそう変わらないはずだが、
手つきが違った。まさしく舐めるようにだ。さっきの治療とは比べ物にならないほどね
ちっこく。指の動きを目で追うだけで催眠術にかかったみたいに近藤の放つ雰囲気に呑
まれていってしまう。



「あ、バカっ……胸、なんか、吸う…なっ……!」
 おかげで制止の声もこんなにも弱々しい。
「春香さんのおっぱい、甘いミルクの味がしますよ」
「する、わけない、だろ…」
 俺を春香と呼ぶなと言いたかったが、言えなかった。もう俺は演技なんかしてない。
どこまでも素だ。つまり今の俺は春樹として近藤の相手をしていることになる。その俺
が女のように喘いでいる。男であるはずの春樹が、だ。
 正直、女の体を甘く見ていた。AVもどうせ演技だろと高をくくっていた。
 とんでもなかった。
 春香の感度が女のなかでどうかは俺にはわからない。だが、男と比べると……桁が違う。
「もう、やめろ……って。ああっ!」
 おっぱいだけ責められているのに、いつのまにか快感の波が体全体に広がっている。
撫でられるどころかほんのちょっと触れられただけで過敏な刺激が生じる。
 吸って、舐めて、吸って、転がして、吸って、吸って、舐めて……
 不規則で容赦ない攻撃が乳首を中心にして加えられる。近藤の舌先が動けば俺は歓喜
の声をあげる。手が自由になれば口を塞いででも出したくない声だ。
「こんなに感じて乱れる春香さんもいいものですね。わたしとしても『くやしい…でも
感じちゃう』なシチュエーションは嫌いではありません」
 冷静であろうと努めている俺をあざ笑うかのような発言。ドサドめ。……まあ近藤に
言わせれば俺はドマゾとなるんだろうが。内心はどうあれ近藤に責められて喘いでいる
んだからな。
「やめ……そこ、さわるなぁ……っ!」
 胸への愛撫を継続しながら近藤はさらに下へも手を伸ばした。おい、そこは協定違反
だ。胸だけの約束だろう。
「サソリはカエルを刺さずにはいられないものなのです」
 嫌な比喩もってきたな……。それが性だからしょうがないと言いたいわけか。
「ゆっ、ゆび、やめえええええええええ!!」
 近藤の指が毒針のごとく侵入を果たした。冷たく硬い感触が背筋を凍らす。近藤が視
界をさえぎっているためになにをされているのか見ることができず、それがさらに恐怖心
をあおる。
「まだほんの少ししか入れていないのに、すごく締め付けてきますよ。それに、この音
が聞こえますか?」
 耳をすますと、遠くで流れている競技用BGMに混じってかすかな水音が聞こえた。
「こんなにも濡れていますよ。胸がそんなにも気持ちよかったのですか?」
 言葉が胸を締め付ける。体が勝手に反応する。中枢であるはずの脳からの命令が届か
ない。羞恥とか屈辱とかがないまぜになった感情が暴走して、結局のところ近藤のされ
るがままになっている。心情的に受け入れているのだ。
「う……くぅ……」
 俺の分泌する潤滑剤は、気色悪くてたまらない異物として認識している指を受け入れ
られるものに変えようとしていた。
 二本の指が俺の中で暴れまわる。広げてみたり叩いてみたり擦ってみたり……。奔放
に振舞うそれは胸以上の快感を生み出した。
 だから近藤がするのをやめたとき、冷静だった思考にノイズがまじってしまった。ど
うしてやめたのかと。心でどう思っていても、体が欲しがっていた。破裂まぎわの風船
のようなものだ。ただ風船と違うのは、その風船自体が破裂することを望んでいるとい
うこと。
 呼吸を乱しながら近藤の顔を見る。してほしいと言うか言うまいか迷った口は、腹話
術をし忘れた人形のようになにも音にしなかった。



「とても物欲しそうな顔をしていらっしゃいますね。そんなに欲しいのですか?」
 話の続きも聞かず頷こうとして、しかし、
「もしそうでしたら、『お願い』してください。今朝アナタが手に入れた権利で『私の
処女を奪って、ペットにしてください』と『お願い』を行使してください」
 聞こえてきた単語の数々が危うく出かけたイエスをすんでのところで封じ込めた。
「お、お前、なに言って──はうっ!」
 時間があいて冷めようとしていた体に熱と疼きが復活して、抗議の声は殺された。
「なぜかと申しますと、アナタのその痴態を見て心を動かされたといいますか、そのよ
うな春香さんもまたアリだと思い、愛玩動物として手元に置いておきたくなったという
ところです」
 愛玩動物って。
 間違いなくこれは近藤の望む展開だ。既にペニパンを装備して待っている時点で反証
の必要もない。黒光りする凶器を俺に見せ付け、弱い愛撫を続けながら回答を待つ。余
裕が感じられるのは俺が折れるのを確信しているからか。平生なら魏延じゃなくても反
骨精神を前面に打ち出してもやむなしな扱いだが、……もう限界だった。
 理由は簡単。我慢できないのだ。
 かつて味わったことのないような快楽にどっぷり浸かってしまって、抜け出せない。
「おれ、……私の処女を、奪っていいから、ペットしてくれてもいいから……、だから、
だから……もっとやってください!」
 俺、終了のお知らせ。
 言い訳するなら、人間誰しも限界があるということだ。それで俺は拷問に耐えられる
ほど肉体的にも精神的にも丈夫じゃなかった。それに人間には三つの大きな欲求があっ
て、そのうちのひとつが満たされることを臨んでいるんだから、従うしかないだろう。
「それでは、いただきます」
 あの部分だけ露出するようにブルマとパンツをずらし、冷たいものがあてがわれる。
数秒して、棒が押し入ってきた。
「う、ぐ、ああああ……!」
 痛い。とにかく痛い。なんで自分からこんなものを入れてくれと頼んだのかと後悔する
ほど痛かった。消毒液がしみて痛いとか言ったが、そんなもの比べ物にならない。
 完全なドッキングを果たして、俺の心中を満たしたのは痛みと後悔と諦観だった。もう
なるようになれと。処女を奪われ、奪った相手に恋人にしてください宣言をして、もう
俺に残っているものはなにもない。
「春香さんの処女を奪うという長年の夢が叶ってしまいました。……次は春香さんの声
をたくさん聞かせてください」
「はぐッ……! や、めろ、そんな、うご、くなぁ…」
 慣らそうとかそんな心遣いがまったくない動きだった。最初からフィニッシュ直前の
ようなスピードで腰を振る。
 俺の出す声は喘ぎじゃなく、悲痛と苦悶がブレンドされたうめきだった。それでも近
藤は攻撃の手を緩めない。



「そのように膣に力を入れるから余計痛むことになるのです。落ち着いて大きく深呼吸
してみてください。……どうですか?」
「……少しは」
 入れられてからとうもの、全身を緊張させてないと壊れてしまいそうだった。それほ
どの恐怖があった。深呼吸することで少しずつ力を抜いていく。肩、腹、足と緩めると、
激痛とまではいえない程度まで痛みが引いた。
「先ほどは少々急ぎすぎたようです。感激のあまり我を忘れてしまいまして」
 打って変わってスローなペースで近藤が動きはじめた。力を抜くことで『中』に余裕
ができたのかスムーズに前後する。そこに休止していた胸への愛撫が加わった。
「ん、ふっ……」
 胸をいじりながらのゆっくりの抽挿が繰り返される。
「は、あ……あん……」
 ほぐれてきたのか、痛みに慣れたのか、痛みが無視できるレベルまで下がった。近藤
はなにも言わないが、下のほうでする水音が心なしか大きくなっているような気がする。
「大分よくなったようですね。とてもエッチな顔をなさっていますよ」
 どこからともなく取り出した手鏡によって俺の顔があらわになる。
「これ……こんなの……!」
 言葉が出てこなかった。鏡の中の春香は──俺は、顔を真っ赤に染め、目を潤ませ、
眉をハの字にし、熱い吐息をもらして感じていた。そう言う以外に形容できない顔だった。
「さて、仕上げといきましょうか」
「あううッ!」
 近藤がピストン運動を再開した。スローペースから一転、最初のときのようなハイペースで。
 もう痛みは感じなかった。むしろよくなってる。入れられてるおぞましさもなくなり、
抽挿で発生する微弱な快感が回数を重ねるたび大きくなっていった。胸への愛撫も継
続中で、上下の快楽が混ざって、間違いなく俺は女の絶頂に向かっていた。
 と、気づいた。
 下半身に広がるそれが、絶頂の予兆だけじゃなかったことに。
「と、めて……! じゃないと、も、もれる……!」
 俺は催していた。思い返せば、この姿になってから一度もトイレに行った記憶がない。
逆に水分補給だけは差し入れもあって多数やっている。……もしかして、やたらと飲
み物を差し入れていたのはこのためだったのか? 紅茶ばかりでおかしいとは思ってい
たが……。
 近藤が笑うのを俺はたしかに見た。
 狡猾に策をめぐらし、周到に準備を進めたことにより、今実を結ぼうとしている。
「あッ、あッ、やッ、はや、すぎ……!」
 ペースがさらに上がった。突き刺す深さより回数に重点を置いた文字通りラストスパート
だ。……俺をイかせ、痴態をさらすための。
「やめッ、出るッ、出るううううう!!」
 止めようがなかった。イクことも漏らすことも。あそこから漏れ出した熱い液体がも
もに幾筋も支流を作ってベッドに滴る。耳は遠くなり、さっきまで聞こえていたBGMは
鼓膜が二重になっているみたいにほとんど聞こえなくなった。かわりに自分の息遣いと
心臓の音だけが明瞭に聞こえる。
 とんでもないことになった。
 一時的に空白が多くなった頭で思いをめぐらす。
 処女を奪われ、強制的にイかされ、人前で粗相をし、近藤と主従関係になった。
 ああもう、なんだこれ。
 最終種目のリレーに向け、俺の中のやる気指数が恐慌以上の記録的な下げ幅で下落した。





 そろそろ最終競技である色別対抗リレーが始まる時間だというのに、
俺はまだベッドに縛り付けられたままだった。
「まだなにかやるのか?」
「ええ、アナタには罰則を与えなければいけませんから」
 罰則。なんか俺悪いことでもやったかな。力の抜けた足からブルマと
パンツを黙々と脱がしている近藤を見ながら思い返す。
「残念ですが、アナタは春香さんになりきれませんでした」
 そういえばそんな規程もあったな。俺は減点に減点を重ねデッドラインを踏み越えて
しまったということか。
「失格なら失格で、うちわけを説明してくれ。どこでどう減点していったのかをな」
「誠に申し上げにくいのですが、春香さん度を示す点数は最初の1回でとっくにゼロでした」
「………………はぁ?」
 ある顔文字が頭を埋め尽くした。煽りじゃなく純粋な疑問だ。
 ワンミスで失格? なんだそのダンスゲームのワンモアエキストラみたいな設定は。
「完璧主義者ですから」
 理想を追い求めすぎだ。
「俺の記憶がたしかなら、加点も結構あったはずだろ。だったらそれはいったいなんだったんだ?」
「あれは個人的に萌えポイントを集計していただけです。講評いたしますと、萌えという点では
個人的に大満足な出来でした。アナタは春香さんに普段ない属性を引き出し、ギャップ萌えを遺憾なく
発揮されました。この功績は大変素晴らしいものです」
「なんだよそれ……」
 ショックで目の前が真っ暗になりそうになった。やってきたことがまるきりムダだったとは。
「不平や不満を述べるのはいいですけど、『主人』の言うことはちゃんと聞いてくださいね」
「……勝手に、しろ」
 もうどうでもよくなった。なるようになれ。石でくちすすいだ人の言うとおり、意地を通せば窮屈な人の世は
とかく住みにくい。なんか厭世が高じて引きこもりたくなってきた。山奥にでも。
 冷たい塊が設置され、新しく用意されたパンツとブルマによって覆い隠される。
「それからこちらは『主人』からの下賜品です」
 小さなピンク色のローターが乳首にひとつずつテープで固定され、さらにブラジャーで完全にロックする。
なんで両手を縛られてる状態で普通のブラが着けられたのかはわからない。近藤には絶対マジシャンの才能がある。
 はじめて着けたブラジャーに俺は違和感を覚えなかった。むしろこうあることが当然のような感じだ。妙な感覚ではあるが。



 上下とも異物のせいで落ち着かないが、それが快感に直結するわけじゃない。
この程度なら耐えられる──
「なッ、あああああああああ!!」
 強烈な刺激が脳を破壊せんばかりにシェイクした。油断したこともあって、
気を失う寸前まで落とされた。
「これもまた春香さんらしからぬ悲鳴ですね。ですが、それもまた一興というものです」
 今みたいな強さではなかったが上も下も震え続けていた。小さな振動音が体の中から聞こえる。
「だめ、こんなの……バレる……」
「大丈夫ですよ。今のは強でしたが、これからは弱を基調としますので。アナタが不審な挙動を
しない限り露呈することはありません」
 ノーブラなんか目じゃなかった。
 微弱な振動が常に俺に快感をもたらす。声は抑えられるだろう。だが普段通りとはいかない。
 近藤の持つリモコンで振動の強さが自由自在になるというところがネックだ。つまり近藤の気まぐれや悪意で、
絶頂まで上り詰めさせることもできるのだ。……酷すぎる話だ。
 これが罰。近藤の言う「春香さんらしい行動を取らなかった代償」。
罰は行住坐臥を問わず行われた。たとえそれが競技の途中であっても。もはや近藤に紅組の勝利なんかは関係なく、
自分の愉しみだけに没頭していた。運動会が終わったら近藤を監視役につけた奴ら全員の追及は決定事項だな。
「はぁッ、はぁッ……!」
 座り込みたくなる衝動を抑え、足を動かす。しかしちっとも進んでないように思える。景色はぶれ、声援までも歪んでいる。
自分が前に向かって走っているのかさえ怪しい。本当はとっくに倒れていて、まな板の上の魚のように足をバタつかせている
だけなのかもしれない。
 ビリビリとローターは動いている。保健室での絶頂を取り戻そうとしているように体が疼いた。今ここで自分の指でかき回したい
衝動に襲われる。しかし押し留める。このリレーに勝たなくちゃいけない。勝たなければ優勝はない。優勝するために俺は
こんな姿になったんだから。勝負を放棄することはできない。そんなことをしたら本末転倒だ。せっかくここまでやってきたのに。
 走らないと。
 前へ。前へ。
 ゴールテープが見えた。ただし地平線の彼方までラインが伸びた、その先にある。
 切った。意外と近かった。地の果てにあると思っていたが。
 ゴールライン付近で白組が集まって大喜びしていた。同じアンカーだった白組団長を胴上げしている。一方の紅組は通夜のように
静かに沈んでいた。
 負けたのか。
 安心して力が一気に抜けた。もう勝ち負けとかどうでもよくなっていた。全部終わったことがなにより心を安らげる。
よくもここまで失神したり粗相したりしなかったものだ。だがもう限界だった。
 意識が テレビが 消 えるよう にプツっと     途切れた。



 目を覚ますと、そこは保健室のベッドの上だった。
「おい、目ぇ覚めたみたいだぞ」
 顔を覗き込まれていた。まだ頭がぼーっとする。顔の輪郭はわかってもそれが誰かはわからない。
覗き込んでいるのは一人だけじゃなかった。カーテンで仕切られた空間に何人もの人間がいた。
しかし目がかすんで、正確な数は把握できない。
「お前のせいで負けたんだ。たかがバイブ入れられたぐらいであんな醜態さらしやがって」
「しょせんスペアはこんなもんか。役に立たないな」
 口々に俺を罵る。俺はひとつの単語を耳にとどめていた。
 バイブ。
 股間が振動していた。正確には股間に埋まっているものが俺を責めるために振動していた。
「い、やだ……こんなの……うううう」
 頭がおかしくなる。脳が焼き切れてしまいそうだ。
「は、やく……、これ、抜いて、くれ……。もう、おれ、堪えられな……きゃうう! あ、ダメっ……つよす、ぎ…………ああああああ!!!」
 バイブの動きが激しくなって最後まで言えなくなった。女のような悲鳴を上げながらまた無様にイってしまった。
「『俺』じゃないって何べん言ったらわかるんだ?」
「しかも負けの原因になったヤツが命令するのかよ。もっと腰が低くてもいいんじゃないのか?」
 一言いえばその数倍で返ってくる。これだけの痴態と醜態をさらしてもなお、男たちの怒りのボルテージは高いままだった。
「わた、し、なにをしたら……ぬいて、もらえ、ますか?」
「それは自分で考えろよ」
「そういや、お前お願いする権利をひとつ持ってたよな? それを使ってここにいるやつらの気が済むようにすればいいんじゃねえの?」
 責任者がすること、それは責任者の名の通り責任を取ること。じゃあ、なにをしたら責任が取れるのか、どうすれば後腐れをなくせるのか。
『私』はひとつだけクラスメイトにお願いを聞いてもらえる権利を持っている。いや。持っていた。もう近藤を相手に使ってしまった。
 でも、まだそのことを知らないのなら。
(してくれるのかも……)
 『お願い』が叶えられるのなら。
(この疼きを満たせる)
「わ、私に……    してください……」
「はあ? なに言ってるのか聞こえねえぞ」
「私におしおきしてください! お願い……します」
 俺は恭順することを望んだ。
 慰みものになるとわかっていても、それがバイブの責めより苛烈なものであると知っていても、責任の二文字は従順であることを俺に強いた。
いや、もしかしたら本当は欲望に従っただけなのかもしれない。
「は、早くぅ……」
 俺のせがむ声に男たちは欲望をむき出しにして笑った。



「──そうして肉棒を穴という穴に挿れられた団長は『このいやらしい牝イヌにもっとおしおき
してください』と堕ちてしまったのでした。めでたしめでたし」
「だから本人を前に妄想全開のちっともめでたくない捏造物語を話して聞かせるな」
 気がつけば、なんだかよくわからないことになっていた。俺は近藤におんぶされて公道を移動していた。
ゴールテープを切って気を失ってからそうは経ってなさそうだが、なんでここにいるんだ。
「アナタがあのまま保健室にいた場合起りうるもっとも高かった可能性のシミュレーションです。
──もしかして、こうなることのほうがお好みでしたか?」
「そんなシチュエーションはないと断言できるが、一応真でも嫌だと言っとく」
 男に輪姦されるなんて想像するだけで怖気が立つ。タイマンでも願い下げだ。そもそも俺は男だ。
そんな趣味は微塵もない。相手にしても男だったやつを犯そうなど考えたりしないだろう。
まあ片桐のようなのもいるから一概にそうも言い切れないが。
「本当にそうですか? 昼休みは、あんなにも乱れていらっしゃいましたのに」
「……それは言うな」
「まあ、いいでしょう。アナタは今やわたしのペットですから、他の男になど興味を持っては困ります」
 独占欲が強いというか、執着心が強いというか。……歪みようが酷いが。今も手錠で俺の手と近藤の手を繋げているくらいだ。
「で、俺をどこに連れて行く気だ?」
 近藤の歩みにはふらつきとかよろめきというものがまったくない。春香の体は女にしては重いほうだと思うが、足取りはしっかりしている。
こんなに身体機能のレベルが高いなら、監視役じゃなく選手としてかり出せば最終競技に入る前に勝負を決めることができたかもしれない。
やっぱり人選ミスだ。片桐たちの責任は重いな。
「現在わたしの家に向かっております。これからアナタにペットとしての自覚を持っていただきたいと思いまして。
……おや、とても反抗的な目をしていますね。けれども、そうでなくては調教のしがいがないというものです。
じっくりと時間をかけてわたし好みの愛玩動物に仕立て上げてみせます。お約束しましょう」
 まあそんなマッドな夢は今日でついえることになるが。なにしろ俺は明日には男に戻るんだから。
聞いた覚えのある薬の効果は1日とまだ半分残っているが、リミットを過ぎてしまえば近藤も興味を失うだろう。
これまでの言動から、春香の形をしてないものに用があるとは思えない。
「さあ、着きましたよ」
 家に入る間際、この家は来客に望みを捨てるよう強いているのかと家風の正気を疑ってしまった。
 『この門をくぐるもの、汝一切望みを捨てよ』と書かれたプレートがドアの上に掲げられていた。
 ……俺のためにあつらえたような仕様だ。

 さて、どうなることか。



 ハッと我に返った。
 しかしまだ睡眠直後ではっきりとはしない。思考レベルは最低。
 カーテンの隙間から日が差し込んで、室内をうすぼんやりと明るくしていた。
 浮かび上がった室内の様子は、まったくもって見たことのないものだった。見たことのない机、
見たことのないサイドテーブルとその上にある小物類、見たことのないクローゼット、見たことのない柄の壁紙……
 状況の把握を進める。
 俺はなにかに抱きつき、左手はなにか温かくてやわらかいものを掴み、俺の頭にはなにかがのせられていた。
 のせられているのは手だった。こどもをあやすみたいに優しく添えられていた。
 掴んでいたなにかから手を離す。下からピンク色の突起が出現した。温かくて、やわらかくて、突起があるもの。
形状からも答えはひとつだった。
「──ッ!?」
 跳ね起きた。俺が今まで抱きついていたものの正体が判明する。
「こッ、近藤!?」
 俺の驚きの声で目を覚ました近藤がすぐ目の前にいた。もっと正確に言えば、近藤−衣服−下着。
 完全に覚醒した。記憶も同じく。そうする気もないのに昨日のことが勝手に再生される。
 昨日、近藤にお持ち帰りされ、シャワーを浴びたり脱がすヒマも惜しんで躾と称した調教が始まった。
イかされる寸前でおあずけを何度も食らって心が折れてからは調教は順調そのものだった。
最終的に「私はご主人様のペットです。ですから首輪をつけてください」と自らお願いするところまで進んだ。
よって、俺の首には鎖つきの首輪がはまっている。調教のないようについては……正直進んで思い出したくない。
記憶を自由に消せたらいいのにとこんなに切実に思ったのは、小さいころに怖い話を聞いて以来だ。
「おや春香さん、おはようございます」
 近藤は無表情で、自分で全裸であることを気にした様子もなく挨拶してきた。そして気づいた。俺も全裸だ。
脊髄反射の速さで下を隠そうとして、腕がなにかを挟み込んだ。
「なんで、俺に……胸が!?」
「春香さんだからに決まっているではありませんか」
 ベッドから飛び降りカーテンを全開にし、窓ガラスに自分の姿を映す。
 微妙に春香だった。
 微妙、というのは、どことなく春香と違っていたからだ。
「小さ……!?」
 ミニサイズになっていた。スケールダウンといってもいい。
 昨日まで見下ろしていた近藤と視線が一致するほど縮んでいた。元の俺のサイズだ。手足の長さも。
ただ年齢的に若返って小さくなったというわけじゃなく、各体の部位の比率はそのまま倍率だけ下げたようになっている。
 戻ってない。
 身長だけ戻っても意味がない。
 性別が戻らないと。
「みずから愛玩しやすいサイズになっていただけるとは……、アナタもわかっているようですね」
 お前は何もわかってない。
 脱ぎ捨ててあった昨日の体操着を瞬速で身につけ、近藤の制止の声も聞かず家を飛び出た。
裸足で、ぶかぶかの体操着姿で手のつけられない猛犬のように鎖をジャラジャラと引きずりながらという問題アリな外見だったが、
それを気にするほど余裕がない。それどころじゃなかった。
 向かう先は学校。および教室、もしくは科学部部室。
 運動会はすでに終わったというのに、当日以上の本気さ加減で俺は走り続けた。
 すれ違う人にぎょっとされるもスルー。
 後々迷惑をかぶるであろう春香には一応心の中で謝っておいた。



 運動会で力を使い果たしテンションが限りなく低い教室に俺は飛び込んだ。
「御子柴さん……小!?」
「わあ、カワイイ〜!」
 驚き成分が大量混入した感想を完全無視して、このおかしな状況の原因を作った
張本人の机の前に立つ。
「おい、なんで俺はこの姿のまんまなんだよ! お前変身薬飲んでも戻れるって
言ってなかったか!?」
 あのポ○ジュースの効果は1日という話だったような覚えがある。それなのに戻った
のは背だけだ。おかしいとかいうレベルの話じゃない。
「残念でぇすが、きみの姿は戻りませんよ。そぉれに、あの薬は変身薬ではなく、『変成薬』です。
たぁだ変身するだけの薬ではありません。ですから解毒剤なんてありませぇん。
そぉもそぉもあの薬は体を作り変えるためだけのものです。だぁからいちど御子柴春香に
“なった”のなら、もぉうそこに御子柴春樹は存在しません。なにせ、きみはすぅでに御子柴春香
という人間なんですから。ゆえにぃ『戻る』ことは選択肢にもあがりません。春香でぇある自分が
春樹とぉいう他人になるために自分を壊すなんてことができるわけないじゃないですか。背だけが
戻ぉったのは、そちらのほうが最適と判断したからでしょうね」
 そうだったか? そう言われてみればそんな気も──って、そんなことは問題じゃない。
なんとしても俺は元の姿に戻る。でないと、近藤と主人とペットなんておぞましい関係が継続することになってしまう。
「そんな無責任なこと言うな! それに春香が二人になることになるんだぞ、それでもいいのか?」
「わぁたしにしてみればそれでも一向に構いませんが、それは昨日解決しました」
 ちょうど誰かが教室に入ってきた。とてつもなく見知った顔だった。
「お、俺──!?」
 そこにいたのは紛れもなく俺だった。学ランを窮屈そうに着て、無愛想というか無表情を貼り付けて、
夢でも幻でもなく確かにそこにいる。ただし、背は比べ物にならないほど高い。
「ああ、おはよう」
 俺に気づいた“俺”が挨拶をよこす。その素振りが俺の知っている人物のものに酷似していた。
「ひょっとして……春香か?」
「そうだが、なにか?」
「その、姿は……?」
「私もあの薬を飲んだからな。ちょっと借りている」
 なぜ春香があの薬を飲まないといけないんだ。おかしい。なにもかもがおかしい。理由が見えてこない。
「一度兄というものになってみたかったからだ。生まれてくる順番で決まるのは不公平だと常々思っていた」
 そんな理由か。くだらない。
「わかぁったでしょう、御子柴君。これで春樹君と春香さんはひとりずつです。なぁんの不都合がありますか?」
 不都合だらけだ。誰も兄妹を交換するなど言ってない。
「借りていると思うならすぐ返してくれ。その体の持ち主が言ってるんだ。返せ。いま返せ、すぐ返せ、さあ返せ」
「だが私はその体に戻りたくはないな」
 申し出は一文で却下された。だがそんなので諦めるわけにはいかない。このまま女でいることは、
すなわち悪夢にほかならない。
 いろいろ説得を試みたが、春香は頑として耳を貸さなかった。



「ではこういうことにしないか。私の気が変わるまで、ということは」
 なら気が変わらなければそのままということじゃないか。
春香のことが「返さないとは言ってないぞ。永久に借りておくだけだ」と物品を奪うガキ大将に見えた。
「それはそうと、もう私は春香ではないぞ。今は春樹で兄だ。そしてお前が春香で妹だ。
……言っている意味はわかるな?」
 こんなときに双子で意識の共有をしたくなかった。要するに春香はこう言っているのだ──私を兄と呼べ、と。
御子柴家において兄の権限は結構なものだった。双子でありながら立場が上だったわけだ。
……つまり形式上妹になってしまった俺は春香に逆転されてしまったわけだ。
「うぅ……おにいちゃん……」
「どうした、妹よ」
 悪夢なら早く覚めてくれ。
 そう願うそばから、教室に近藤という名の悪夢の片割れが現れ、
逃げるまもなく悪夢が継続することが確定したのだった。



                終




というわけで終わりです。
運動会のシーズンを過ぎまくり、しかも最初に考えた筋書きとまったく違う展開に…

これからのことですが、次の投下はクリスマスになるかと思います。
去年書いて投下し損ねたのが残っているので。
「陽」はその後になりそうです。
あと、SS保管庫にあるTS法のケースAも何気に自分が書いたやつなので、
そっちのほうもさっさと完結させたいかなと。

それではまた来月に。
ノシ
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