今日は、俺の定めたルールによれば“要請”する日だった。
 14人目。最後のひとり。──キヨハルの番。

***

 朝に自分の席に着いたと思ったら、授業はすべて終わって放課後になっていた。
時間だけが飛ばされたみたいに自分の席で我に返る。その間のことはよく思い出せなかった。
昼食を食べたのかどうなのかすらあやしい。
 もう教室には俺のほかに誰もいなかった。長いこと放心していたようだ。
 胸が高鳴っていた。正直なところ、俺は極度に緊張していた。と同時にこの後
するであろうことに期待もしていた。期待すると胸の奥がむず痒くなり熱くもなった。
そんなにも俺はキヨハルのことが好きになったのだろうか。
 ポケットの中にある銀色のケースに手を触れる。この仕草もすっかり癖になってしまった。
決意を固めるように強く握り締める。
 まだなにもしてないうちから息が切れていた。呼吸がうまくいかない。
肺が酸素を受け取るのを拒否しているかのように息苦しい。

 ──そうか。俺は今からいつもやっている“要請”じゃなくて告白するのか。

 好きな人に好きと言う、それがこんなにも緊張するものだとは思わなかった。
昨日はあれから色々とイメージトレーニングをした。イメージの中の俺ははっきりと
キヨハルに思いを伝えることができたというのに、現実の俺は──こんなにも弱々しい。
 だが後には引けない。
 このまま明日に伸ばしたところで、今日を悶々と過ごすだけだ。
昨日は寝られなかった。好きだと自覚してたった1日でこうまでなってしまった。
また昨日のようなことになれば──俺は狂ってしまうかもしれない。
 一歩を踏み出す。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。
***


 キヨハルは校門を出てすぐのところで見つけた。ひとりで帰路についているところだった。
視界に後姿をおさめただけで鼓動がまた速くなる。ほとんどの生徒は下校したあとで周囲には誰もいない。
言うなら今しかないというタイミング。
 大きく息を吸う。こういうのは先手と勢いだ。面食らうかもしれないが……構うものか。
「なあキヨハル、ちょっといいか? あのな…………昨日の、ことなんだが──」
 息が詰まる。続きが言えない。一気に言ってしまわなければならないのに、口が動かない。動いてくれない。
「なんなんだよ!!」
「キ、キヨハル? どうしたん──」
 それ以上は口にできなかった。気圧されて。
 俺をみとめたキヨハルは見たことのないような形相だった。怒っている?
──いや、そもそも怒っているキヨハルなんて今まで一度も見たことがない。だがなんで怒っているんだ?
 俺はなにか怒らせるようなことをしたのか? その理由がわからない。
「どうしたと言いたいのはこっちだ! おれのことを振ったやつが、いまさら何しにきたんだよ!
 もういいんだよ。おれに構わないでくれ!」
 振った? ──そうか、昨日の俺のとった行動を振り返ると、あれは拒絶ととられても仕方ない。
だが違う。俺は本当のところでキヨハルを拒絶なんかしてない。
「そうじゃない。ただ俺は昨日のことで──」キヨハルのどこでもいい、掴もうと伸ばした俺の手は「だからもういいって言ってんだろ!」払いのけられた。
 手にしびれるような痛みを感じながらも今起こった事が信じられなかった。昨日好きだと言ってくれたのに、
なんで拒絶されなければならないんだろう。
 心にぽっかり穴があいたように感じられた。好きな人に明確に拒絶されると、こんなにも胸が痛く重く苦しい。
──これが昨日キヨハルが味わった感情なのか。
 だが負けていられない。今誤解を解いておかないと、松田のときのようになる。あんなことは二度とご免だった。
だから怯まないし、挫けない。
「聞いてくれ。……俺は、キヨハルのことを振ってない」
「ど、どういうことだよッ!?」
「昨日は返事をしなかっただろ? 俺はまだ「はい」も「いいえ」も言ってない」
「だからいまここで振ろうってのか? だったら同じじゃないか。……もういいんだよ、もう構わないでくれ。
おれは昨日のことは忘れる。だからおまえも──」


「キヨハル!!」
 これ以上言い訳なんて聞きたくなかった。取り乱す姿を見たくなかった。
キヨハルの言葉を遮り、両手でキヨハルの激情に駆られた顔を固定し────キヨハルの唇に俺の唇を重ねた。
 背伸びしないと届かない身長差。だが、しっかりと繋がった。
「これが俺の、昨日の答えだ。……最後まで言わないとわからないか?」
 爪先立ちのまま、手はそのまま、驚きで見開かれたキヨハルの眼を強く見据える。
「俺も、キヨハルのことが好きなんだよ」
 たったこれだけのことを言うのに、ずいぶんと手間取ってしまった。だが、もういい。伝えたいことは伝えた。
「本気……なのか?」
「俺はもう女なんだ。女が男を好きになるのがおかしいか?」
「最初に告白したほうが言うのもなんだけどな、……もうおまえを親友としてじゃなくて、好きな女として見ることになるんだぞ。
それでもいいのか?」
「ああ、それでいいよ。俺──」

 いや、もう俺は“俺”じゃない。

「私もそうだから。私というひとりの女としてキヨハルっていうひとりの男を好きになったから」
 俺は“私”になることを選んだ。どの道を選んでも結果的にはこうなったかもしれない。ただ流されただけなのかもしれない。
だが胸のつかえが取れたように心はスッキリした。かつて特別授業と称して身につけさせられたこの女のような言葉遣いも、
元から使っていたように噛むこともなく、恥ずかしさもなく、ためらうことなく口にすることができた。
「私はTS法に基づかず、母体提供者としてでもなく、ひとりの女としてキヨハルに好きですと“要請”します」
 だからこの言葉には拘束力も強制力もない。
「それでも受け入れてくれる?」
「もちろんだ。おれはおまえのことが好きなんだからな」
 2度目のキスはキヨハルから。私は足の裏を全部つけて、キヨハルは背中を丸めて。
 このキスが恋人同士になった証のように思えた。
***


 私はいつも保健室で“活動”していた。
 2人目からずっとそうだ。消毒液の匂いに心なしか精液特有の青臭さも混じっている気がする。
対策をとらずにこのままここでし続ければ、いつかはっきりと嗅ぎ取れるようになるかもしれない。
 横に4つ並ぶベッドのうち、一番奥が私にとっての“いつもの場所”だった。
 年季の入ったパイプベッドは腰掛けるだけでぎしぎし軋む。まず私が腰掛けキヨハルにも促すが、
キヨハルは立ち尽くしたまま動こうとしなかった。
 見上げたキヨハルの顔はさっきまでの気勢は見る影もなく、がちがちに緊張していた。その気持ちはわかる。
そう言う私もそうなのだ。これからすることを考えれば、身も硬くなる。
「本当に、い、いいのか? いきなりこんな、こんなこと……!」
 それなのに、キヨハルはさらに緊張を高めさせようとしてきた。意図してではないだろうが見事なまでに空気が読めてない。
こんなときこそ笑えないギャグでも披露してくれればそれなりに雰囲気も和らい────無理か。
 たった今想いが結ばれて、即こんな状況。お互いが望んだとはいえ、一足飛びが過ぎる気がしないでもない。
 だが、それもしょうがないことだ。お互いの合意があってこの場は成り立っているのだから。合意に至った経緯は
……正直口に出せるようなものじゃない。かいつまむと、告白のあと幾度となくキスを繰り返した結果ガマンできなくなった、
とそういうことだ。──自分たちのことながらあきれてしまう。
「はは、はじめるときには、き、きききキスもするんだろ?」
 さっきから両手の指にあまるほどしているというのに、まだキヨハルはキスを求めてきた。
 ……でもないか。
 こういったことを始める前にキスをするのは予定調和のようなものだ。はじまりの合図や宣誓みたいな。
「すると思う」
「タン……じゃない、舌は入れる?」
「…………入れてほしい」
 女の子になんてことを言わせるんだ──注意しようと口を開くと、そこにキヨハルの口が覆いかぶさり舌が侵入してきた。
まったくタイミングが悪い。だが、──悪くない。
 キヨハルの舌が口腔を貪るようにくまなくねぶり、私はそれをあるがままに受け入れる。
 思えば、私の唇を求めてくるようなクラスメイトはいなかった。皆例外なく首から下だけを求めていた。
キスの時間さえ惜しんで“下”に夢中になっていた。──私もだが。
「なあ、なんでおまえはおれのことを好きになったんだ?」
 口を離したと思ったら、またもやいいとはいえないタイミングでの質問。ただでさえテンパっているのに、
余計なことを考えさせなくてもいいだろうに。
 だがなんで私はキヨハルを好きになってしまったのだろう。気づけば一番に近くにいて、しかし空気で、
それが当たり前のようになっていただけだと思っていたのに。“事件”のあと慰めようとしてくれたことなのか、
それとももっと別のことなのか。……思い当たる節が漠然としすぎて、どれが直接の原因かわからない。下地が多すぎるのだ。
「ごめん、理由がありすぎるみたいでよくわからない……。そういうキヨハルはどうなの。どうして私を好きになったの?」
「うーん、そうだな……おれもいっぱい理由があってどれがどれだか」
「それじゃあ私と同じじゃない」
 二人して笑い合う。お互い緊張は完全に解けたようだった。災い転じてなんとやらだ。


「じゃあ──するぞ?」
 キヨハルに押し倒される。緊張は解けても私の心臓までは落ち着いてくれなかった。激しい鼓動で今にも破裂しそうだった。
せっかく和らいだ身体も制服を脱がそうと手がかかっただけで、意味なく強張る。キヨハルを直視できない。
脱がされる自分を想像して──しかしそれは一向に実現しなかった。
「あれ? んー……えー……」
 お世辞にも脱がせることに慣れているとはいえない手つきだった。しかもいちいち私にうかがいを立ててくる。
「これどうやってはずんだ?」「先におれが脱いだほうが?」質問は多岐にわたった。
「もしかして、初めて?」
「…………恥ずかしながら。けどよ、みんな似たようなものだっただろ? 俺だけが童貞ってわけじゃ──!」
 そう言いながらも、脱がす手際はこれまでの誰よりも悪かった。口先はあれだけ滑らかなのに、指先はリンゴひとつむけそうにない。
 結局お互い各自に脱ぐことで合意した。せっかくのムードが音を立てて崩れたような気がする。
 一旦キヨハルは仕切られたカーテンから出て行った。カーテンの向こうでごそごそ音が聞こえる。
ただの衣擦れ音なのに耳をそばだてて聞き漏らさないように傾注してしまう。どきどきする。
男の着替えなんて自分のでさんざん見飽きたと思っていたのに、異性のそれだと思うと──
 いや、そんなことをやっている場合じゃない。私も急いで脱ぐ。ブラもショーツも脱いで、──急に恥ずかしくなった。
今までこんなことはなかった。薬で我を忘れていたせいかもしれない。しかし今は、今までに13人の男にみずから晒していた胸もあそこも隠したかった。
 急に自信が持てなくなったのだ。キヨハルが私の裸に魅力を感じなかったらどうしよう。
他の13人は喜んで飛びついてきたが、キヨハルが喜んでくれる保証はどこにもないのだから。
 待ちかねたようにカーテンが勢いよく引かれ、反射的に私は両手で胸を隠していた。
あそこはしょうがないので女の子座りで見えないようにする。
 そんな私の姿にキヨハルは絶句していた。なにか言いたそうに口がぱくぱく動いていたが、
なにも言わず──抱きしめられた。体が潰れてしまいそうなほど強く。
「き、キヨハル?」
「ごめん、すっごくかわいかったからさ。……思わず手が出た」
 キヨハルの体温を感じる。キヨハルの息遣いが聞こえる。キヨハルが私に触れている──
 薬を飲まなくても身体が疼いていた。さっきの不安はあっけなく消し飛び、目の前の男を、キヨハルを欲しがっていた。
いや、キヨハルだからこそ欲しい。薬なんかに頼らず、初めて自分の意志で、男と──キヨハルとしてみたい、

そう思った。
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