「すみません、恵がご迷惑をおかけしました。」
 「いえ、お気になさらないでください。」
 理恵に連れられ帰宅した僕を杉田が出迎えてくれた。杉田は理恵と半ば社交辞令的な挨拶を交わし、理恵もそれに答えた。
 「それじゃ私は帰ります。」
 「せっかくだから上がっていってください。タクシーを呼びますから」
 意外な台詞が杉田の口から発せられた。一緒に居ればそれだけボロを出す可能性が増える。それは杉田もわかっているはず。僕は杉田の真意がわからなかった。

 結局理恵はタクシーが来るまで待つことになった。理恵をリビングに招き入れ僕はお茶を入れるという名目で杉田と共に席をはずした。
 「杉田さん、なんで理恵を引きとめたんですか。一緒に居ればボロが出ますよ。なにせ僕の・・・妻だったんですから。」
 キッチンで僕は杉田を問い詰めた。もちろんリビングに居る理恵に聞こえないよう声は抑え目に、だが強く杉田を問い詰めた。
 「まあ、落ち着け、実は前から考えていたんだが物事を隠すには協力者が居た方が楽じゃないか?」
 「それは・・・・まさか!?」
 「そう、彼女に秘密を打ち明けて協力者になってもらおうと思う。そこで君に聞きたいことがある、理恵さんは・・・笹原理恵という人物は信頼できる人物か?」
 杉田の目は真剣だった。一緒に暮らし始めてからは見たことの無い・・・・あの初めて病院で会った科学者『杉田一樹』の目だった。
 「もちろん協力者になってもらうには信頼できる人物でなければならない。もしも機密が漏れるような事態になった場合、君も私も、そして協力者もただではすまない。もし君がここでNOと言えば彼女にはこのままタクシーで帰ってもらう。」
 杉田の言葉は重く僕は黙って考え込んだ。
 「もう一度君に聞く、笹原理恵は信用できる人物か?そして君は彼女を巻き込む勇気があるか?」
 杉田は考え込む僕に再度選択を迫る。キッチンにかけられた時計の秒針が刻む音が僕を追い詰めていった。
 いくつもの選択肢と結果が僕の中でシミュレートされた。そして僕の出した答えは・・・・・"YES"
 「本当にいいんだな?」
 杉田の確認に僕は黙って頷いた。

 理恵を招き入れてから10分が経っていた。理恵はリビングでテレビを見ながらタクシーが来るのを待っていた。しかし理恵は知らなかったが杉田によってタクシーの予約はキャンセルされ、タクシーが杉田家に来ることは無かった。
 「それにしても遅いな、タクシーも、恵ちゃんも」
 そう理恵が呟いたとき、リビングに僕と杉田は戻った。その手に3杯のコーヒーと1冊のファイルを携えて。

  ・・・・ To be continued



 部屋を重苦しい沈黙が支配していた。時計の秒針、そしてページをめくる音が時折聞こえるだけだ。どのくらい時間が経ったのだろうコーヒーは冷めもはや湯気すら立っていない。時間が過ぎるのが遅い、額を一筋の汗が流れていった。
 沈黙に絶えかね時計に目をやる時計の針が12時半を指し示していた。そして理恵に視線を戻すと理恵は静かにファイルを置いた。
 「大体の事情はわかりました。それで・・・私にどうして欲しいんですか?」
 「恵を・・・いや恵一君をフォローして欲しい。そのファイルの表紙に書かれているとおりこのプロジェクトは極秘で進められている。決して外部に漏らしてはならない」
 理恵は黙ったままだった。しかし杉田はなおも続けた。
 「しかし、被験者ただ1人で抱え込むのには限界がある。そこで信頼できる貴女に白羽の矢を立てた・・・というわけです。」
 再び沈黙が部屋を支配する、時計の秒針だけが時の流れを示していた。沈黙を破ったのは理恵だった。
 「・・・・少し・・・考えさせてください。・・・急にそんな事言われても・・・」
 「わかりました・・・・それでは私がお送りします。・・・・恵一君はカップを片付けたら先に寝ていてくれ、私は理恵さんを送ってくる。」
 杉田は理恵を送るといいガレージへと向かった。理恵は1人玄関で杉田を待っていた。
 「そうだ・・・理恵、ちょっと待っていてくれ。」
 僕は思い出した。理恵との・・・鈴木恵一として過ごした最後の思い出・・・その証が有ることを。僕は探した、あの数少ない僕の"遺品"その中に・・・あった。
 「あの・・・理恵・・・これを」
 「ん・・・これは?」
 理恵に渡したそれは・・・あの旅行の写真、理恵と恵一が2人で微笑みあうそれは今ではもう見ることがかなわない幸せの結晶だった。
 「恵ちゃん・・・いえ、恵一・・・ありがとう」
 理恵はその短い言葉を残し、杉田の車で帰路についた。

 車内でも2人は黙ったままだった。理恵は手にした写真をじっと見つめこれからどうするべきかを考えていた。
 マンションまであと少し・・・その時理恵の口が開いた。
 「あの・・・杉田さん、なぜ今ごろになって私にこんな話をしたんですか。恵一なら私に連絡を取れたはずなのに。」
 「私も考えた末の結論なんだ、彼が目覚めてから幾度と無く考えた。が、結論がでなかった。そこへ彼が貴女を連れてきたことで決心がついたんだ。」
 理恵はため息をつき、話を続けた。
 「そうですか・・・実は・・・今日初めて会って彼女になにか恵一のようなものを感じたんです。こう・・・理屈じゃなくて。それで確証がほしくて恵一に嘘をついて家まで来たんです。」
 「そうですか・・・」
 「あとひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか?恵一は今・・・幸せなんでしょうか?」
 杉田は突然の問いに黙り込んでしまった。再び彼の口が開かれたのはしばらくたってからだった。
 「それは・・・私にはわかりません。ただ、今日貴女にお話したのは彼の為でもあるんです。彼は目覚めてからずっと貴女に会えない辛さに苦しんでいました。表には出さなかったですが私にはわかります。」
 「そうですか・・・」
 車内は再び沈黙した。そして沈黙を保ったまま理恵のマンションに着いた。
 「それでは、・・・少し考える時間をください。・・・さようなら」
 短い言葉を残し理恵はマンションへと消え、杉田は足早にその場を後にした。
 
・・・・ To be continued

管理人/副管理人のみ編集できます