プロポーズした後も彼はいつもと変わらなかった。
「返事はいつでも良いよ。」
言った通り彼はきっと待つつもりだ。
いつまでも…
もしかしたら、ずっと保留にしたまま自然消滅して
彼の新しい恋が始まってしまう方がいいのかも知れない。
私は卑怯だ…苦しくて…逃げつづけた。

でも…
お酒の力を借りて、電話でなら、今なら言えるかも知れない。
彼は今日数百キロも離れた地方都市に泊まっている。

「もしもし…どうしたの?何かあった?」
受話器越し、呼び出し音など聞いたか聞かないかという速さで慌てた彼の声が聞こえてきた。
「ううん。あ…あのね、前の…えっと…お話なんだけど…」
ヤダ、私、挨拶もしてない。
「前のって?」
怪訝そうな、でも少し早口。
「あの…去年の日本グランプリの後の話。」
そんな遠まわしで彼に通じるかしら?と多少不安になった。
「もしかして、返事…くれるの?」
慌てた彼の声。
「いえ!…あのそうじゃなくて、…そうなんだけど…」
更に言葉があやしくなる私。
「待ってて今、部屋にいるんだよね?」
心なしかトーンが上がったような…。
「そうだけど…待っててって…ジョー?」
私の言葉の最後は電話を通ることなく部屋に留まる。

ツーツーと通話不可能のシグナルに電源を切った。
今更ながら彼が話ができる状態かどうかの確認をするのも忘れていた事に気づく。
大きく吐いた溜息が消えぬうちにコツンと窓に小石が当たった。
白い出窓の下、見慣れた赤い服を着た茶の瞳が見上げている。
彼の手には使い物にならなくなった携帯電話。
「こんばんわ。」
「こんばん…わって、まさか加速装置を使ったの?」
しかもMAXで…

「どんな返事でも…たとえ悪い結果だったとしても君の口から、ちゃんと顔を見て聞きたかったから。」
「だからって…今日明日は打ち合わせだって言っていたじゃない?」
絶好のチャンスだと思ったのよ、電話ならはぐらかせると思ったのに。
「こんな大事な事に比べたら、距離も時間もどうって事ないよ。」
彼の瞳はとても強くて、私が嘘で隠した事などきっとあっさりと砕いてしまう。

「私は…あなたの望むものをあげられないかも知れないわ。」
窓枠に着いた手に瞳を落として声を絞り出す。
「望むもの?」
彼の瞳が少しだけ揺れたのは見なくてもわかる。
「あなたの…子供。」
血を分けた…肉親。
ゴメンね、あなたを傷つける言葉だと解っているのに。
「そんな事?」
ふわりと聞こえた声に弾かれて窓の下の彼を見る。
「子供ならイワンがいる。僕はそれ以上望んだ事は無いよ。」
どうしてそんな優しい瞳をするの?
「それに、その事なら僕の方だって…お互いさまって事で…ね?」
優しい嘘。
あなたに『機能』が残っている事は解っているもの。

「僕が望むのは、君だけだ。」
信じてもいいの?
縋り付いてしまう、夢見てしまう…きっと。
「本当…に、私でいいの?」
彼は一瞬零れ落ちそうに大きく瞳を見開いたあと、ふっと優しく微笑んだ。
「もう一度、言うから返事を聞かせて。」

一度下を向いて大きく息を吐き出したあと、すくと仰向き薄茶の瞳が真っ直ぐ私の瞳を見つめる。
「君と、ずっといっしょに居たい。君の他には何も要らないんだ…。結婚して下さい。」
見慣れた黄色のマフラーが海風を孕んで大きく翻る。
私は…ズルイ。
ここまで来て、まだ逃げようなんて頭の片隅で考えている。

私の逡巡を彼はどう取ったのか、ふっと力を抜いて笑った。
私は思わず目を逸らす。
「僕は、嫌われてはいないよね?」
思いがけない言葉に弾かれて彼を見る。
「好きよ。」
それだけは伝えなければ…何とか唇に乗せた言葉。
「ありがとう。それならいいんだ、急がせてゴメン。僕は待つよ。」
君の気持ちの整理がつくまで…。

「じゃ。おやすみ。」
行ってしまう…。
待って、行かないで。
私はまだ伝えていない。

「ジョー!」
出窓の枠に足をかけて立ち上がる。
驚いたジョーが慌てて手を伸ばし地面を蹴り跳び上がった。
私は出窓を足場に彼の腕の中にダイブする。

「びっくりした…。危ないよ。」
私を空中で捕まえて子供みたいに抱いたまま庭に降り立った彼は目を丸くして私を見上げた。
「ちゃんと…伝えなきゃ…あなたが好き。」
私は彼の顔を両手で挟んで覗き込むように見下ろす。
「うん。」
「ホントに私でいいの?」
「!勿論。」
「意外と束縛するかも知れないわよ。」
「いいよ。」
「今までみたいに浮気したら許さないわよ。」
「うん…って!浮気なんかしてないって。」
「そういうことにしておきましょ。」
「信じられないの?」
「ま、ちょっとぐらいはしかたないのかしら?あなただから。」
「え〜?」
「嘘よ。」
思わす吹きだす。

ジョーが大きく溜息をつく。
「もう質問は無い?」
彼の反撃。
「…うん。」
彼の顔を両手で挟んだまま頷く。
「じゃ、僕からの質問。何故飛び降りたの?」
私もあなたと居たい。
「あなたが行ってしまうから・・・。」
微笑むように瞳が揺れた。
「僕は、いつも君と一緒に居る。君が僕を必要とするならいつでも君のそばに。」
彼の瞳は夜空の星を映したようにきらきら光る。
「言っただろ?僕には距離も時間も関係無いんだ。」
気が遠くなるほどの永遠とも言える時間が私たちにはある。
その永い時間をこのままの関係でいられるのか…。
「愛してるわ…でも自信が無いの。」
ねぇ。
私はやっぱりずるい。

「あえて紙切れに拘らなくても、僕達はこの関係で良いのかも知れないね。」
私は彼の顔から手を離す。
「僕は、君の国の婚姻事情はよく解らない。」
ふわりと笑う彼。
「ただ、僕自身のけじめの為のプロポーズだと思ってくれればいい。」
抱きしめられ彼の癖のある髪を描き擁く。

マフラーに顔をうずめて小さくうなづいてみる。
彼にそれと知られないように。





―・―・―・―・―・―


*いいわけ

お嬢さんの国では事実婚が多いらしいので、こんなに悩む必要は無いはずなんですけど・・・。
(今の二人の生活って仏では意外と多い形みたいだし。
  男のほうも願ったりなんじゃないかとか思ったり・・・。)


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