ゴボッ

鼻から勢いよく吸い込んだ水に驚いて目を開ける。
悲鳴を上げようと開けた口からは大量の塩辛い水が流れ込み声は音にならない。
あわてて体内ボンベに呼吸を変えたけどいつまで持つのか。
目を凝らしてみても見えるのはただ光の差さない海底だけ。

どこら辺まで飛ばされたんだろう?
50キロ以内には海ばかり続いている。
(・・・よりによって海の中なんて。誰か探せるかしら?)
とにかく120m先の水面を目指して泳ぎ出す。

           

イワンが自分の能力を制御出来なくなったのはこの夜が明けてから。
もっとも三十日も寝てたから昼夜逆転かまだ夢の中なのかもしれない。
最初は部屋のなかを靴がふよふよと浮遊していたぐらいだから笑って済ませてたけど、
皿が飛び交い額にぶつかったときは笑いごとじゃ無いし、
私のクローゼットの中のものがピュンマの机の中から見つかったときはついに怒ってしまった。
なのに自分は何事も無かった様にふよふよと避難してしまうし。

反抗期かな…。
そのあどけない姿には似つかわしく無い言葉。

コポッ。

息苦しさでふと現実に戻る。
・・・何時になったら水面に出るの?
浮上できない。

ネル地のパジャマは思った以上に動きづらく、
刺すように冷たい海水は、水圧と共に手足の感覚を鈍くしている。
落ち着こうとしてみるけど体は言うことを聞かない。
もがけばもがくほどみるみる酸素量が減っていくのが解る。

≪うそ!助けて!イワン!早くしないとほんとに私死んじゃうわよ!≫


(僕のことは呼んでくれないの?)

突然通信が入ったかと思ったら目の前にふわっと現れた人。
ぎゅっと抱き締められ、体の力が抜けていく。
震えていた彼は、

ほぅーっ。

とひとつ大きなため息。

(…よかった。逢えて)

かすかに呟いた彼にもう一度強く抱きしめたられた。

(ジョー?どうやって此に?…。)

一瞬ちょっとだけ困ったように眉根を寄せて

(そんなことより早く出た方がいいよ)

意味ありげに微笑みながら抱えられ力強く泳ぎだす。

(肺がつぶれちゃうからゆっくり行くよ。酸素大丈夫?)
(まだ…あるわ、ねぇ…ここには…イワンね?)

何も答えず水面に向け上昇を続ける。
表情は伺えないけど、怒っているのかも知れない。

(イワンは?どう―!?。)

突然彼が振り返り、引き寄せられて…、キス。
唇に触れたと思ったら大量の酸素が人口肺に流れ込んできた。

(ついでに酸素補給。無駄なことしてると無くなるよ。
  …大丈夫。たぶんイワンも落ち着いたんじゃないかな)

含みのある言い方

(何かあったの?)

彼はじーっと私の顔を見ていかにも楽しそうに笑う。

(変な顔するから水のんじゃった。)
(失礼ね!)
(ほら!上見て!)

もう水面まで来ていた。
海は凪いで水中から見える白い月が揺れて映る。
月を目指し浮上。
ゼリーの様な水から空気へと境界線を越える。

波頭が小さな三角を作り
月を砕き映す。
「綺麗!」私は思わず声に出した。
「君も。」
な、何てとんでもないことをいとも簡単に口にしてしまうのかしら?
ぼぼぼっと顔が熱くなる。
「人魚姫みたいじゃない?嵐でも無いし反対に助けられてるけど。」
ちょっとだけイワンに感謝。
「きっとねヤキモチ焼いてるんだイワン。」
「イワ…ンが?」

あの泰然自若な子が、ヤキモチですって?
「彼は僕以上に愛情を知らないよ。頭では分かってる、全て机上の事。
   だからその感情を持て余したんじゃないかな。」
『きっと君のこと好きなんだよ』


(ヤキモチ?)

考え込んでしまった私を見て今度はケラケラと笑い出す。
「君が考えても仕方ないでしょ?これは彼が解決する問題」
それはそうなんだけどね。
「ま。僕の問題でもあるか。今度は手強いからね。ちょっと真剣に考えないと。」
彼は自分に言い聞かせるようにつぶやいた後またすぐに笑顔に戻っていた。
「今度はってどういう事?」
彼は笑って私の問いには答えなかった。
「そろそろ来るはずなんだけどなぁ。君には聞こえる?ドルフィン号の音」
「?あ、あぁ聞こえるわ。こっちの方角。グレートが操縦してる。」
「うん。連絡してから寝るようにイワンに言っておいたから。」
「やっぱりイワンなのね」
「何が?」
「とぼけても駄目よ。何かあったんでしょ?…っっ?!」

またキスで…。これ以上は答えられないって事。

           


クーファンの中で寝息を立てているイワンを確認し、つい微笑んでしまう。
さっきはひどいことされたのに…。
朝御飯の片付けをしようと立ち上がった私にグレートがおいでおいでをする。
『…?』
「いいからイワンをだっこしててやりな。」
「なぜ?大丈夫よ、ちゃんと寝てるわ。」
「多分、ショックでゆっくり寝れないだろ。悪夢なんか見たら可哀想だ。」
「ショック?悪夢?」

私が飛ばされてから何があったんだろう。
ジョーがあの広い海の中私を見つけ出す事は多分不可能。
でも彼は何も話さない…。

「怒られたのさ、ジョーに。初めてだったのかも知れないな、奴に本気で怒られたのは。」
「そうかもしれない。本当なら・・・普通の子供なら、危ないことやいたずらをして親に怒られたり、友達と喧嘩したりぶつかり合って成長していくのに・・・。」
経験以外の事まですべて頭に入っていて、いつでも正解だけをはじき出すコンピューターの頭脳をもった子供。
私達の誰もが彼に逆らう事がない。
もちろん彼を叱ったことも無い。

「…。」

黙ってしまった私にグレートはウィンクしながら続けた。

「でもあんたには怒られたよな。本気で。」
『?』
「魔神像に独りで奴を送りこんだ時さ。」
あぁ、そうだった。あのとき私は本気であの子を怒った。
「ジョーを飛ばして君に怒られ、今度は君を飛ばして奴に怒られた。難儀な奴だよ全く。」

ため息をついて続ける。
「君たちの事が好きなんだよ。勿論俺たちの事も好いてくれてると思うがあんた達の事は別格だろ。」

「ジョーも…同じ事言ってたわ。」
ほーぅっ。とため息。
「自覚はしてるのか。でも、凄く怒ってたぞ。あいつ。ま、ジョーにもイワンにもいい薬だったかもな。」
時計をちらと見たグレートがぎょっとしたように呟く。
「やばいっ!また大人に怒られる!・・・」
あわててジャケットを羽織り
『あとは任せたよ。』ドアの所で振り返り軽くウィンク。
「ありがとう。」
「あぁ。…そうだあいつに貸しだって言っておいてくれ。」
「えぇ。わかったわ。本当にありがとう。」

私はグレートを見送ると、寝たふりをしているイワンを抱き上げた。
ほっぺをくっつけてぎゅーっと抱き締める。
(…ごめんなさい。)
(もう怒って無いわよ。それにジョーにたくさん怒られたんでしょ?)
(…。)
(もうしないでね。本当に死ぬかと思ったのよ。)
(ごめんなさい。)
(忘れないで。私はずっと一緒にいるわ。)




あまりにも鮮やかな微笑みに絶句する。
《君は気づいてない?これでも僕は少しずつ成長してる。君たちとは違う時間軸で。
  だからずっとは居られない。今だけ、少しだけでも。》



fin.

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このジョー君は意外と臆面も無くクサイこと言っちゃう。



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