表紙 タイトル | |
作者 | フランチェスコアルベローニ,FrancescoAlberoni,泉典子 |
発行日 | 1999年5月12日 |
レビュー | イタリア人のおっちゃんが書いた本です。 イタリア人というと、「人生楽しけりゃそれでエエやん」的なにおいを個人的には感じてしまいますが、このおっちゃんは、ロジカルにストイックに人生を考えていると思われます。かなりエエこと言ってます。 ただ、換言すれば「謙虚であれ!」とか「変化を恐れるな!」とか「忍耐を忘れるな!」とか、そういうことが書いてあって、生きていく上で基本となることは、洋の東西を問わず、そんな変わんねぇんだな、と思いました。 |
心に残ったフレーズ | 状況が示すサインは明白なことが多いが、察知するのは簡単ではない。 状況が変わったために、行動の仕方を根本から変える必要があることを、認めようとしなかったからだ。 生きるということは、失敗し落胆することに抵抗することではないだろうか。 人生というのは、絶えず危険に立ち向かいながら創造し革新していくプロセスなのだ。 新しい企画には、それがどんなものでも疑いの目を向け、形式主義や官僚主義の甲羅をつけて邪魔をする。組織が官僚化してしまうのはこのためだ。 大きな組織をよく観察してしばしば気がつくのは、そこではたらく人々が、その組織が送検された当初の目標を完全に見失ってしまっていることだ。 彼自身が、仕事が意義あるものだということを、深く信じていなければならない。層でなければ他人を納得させることなどできようがない。 試練に遭わせ、それに立ち向かえる手段を与えるのだ。手段というのは教育だけではない。勇気であり、精神力である。 自分を社会に適合させていくことであるいっぽう、努力して創造していくことでもある。 成長しようと思ったら、自分の資質が刺激され、ためされるような、場所と人を探しに出かけなければならない。自分の家も町も習慣も捨てて、新しい発見のある、全てが可能な場所を目指さなければならない。 われわれの活動は、基本的には三つのタイプに分けられる。楽しむためのもの、必要に迫られてのもの、成長するためのものである。 勇気というものは、悪意のある社会に立ち向かわなければいけないことを知りながら毎朝ベットを出て、見返りなどを期待せずに誰かにちょっと手を貸すために、精神を晴朗に保っておくことなのだ。われわれが生きているのは、、利益を得たり感謝されたりしなくとも、何かをつくり、創造し、社会を発展させていくためであるからだ。信念や使命感をもつということは、人生の流れに乗りながら、ある芳香とはある目的を持って流れの一部になっていることを自覚することだ。人のためになる仕事をしていると感じることだ。 目標を見定め、弱気や疑念や失望を払いのけるには意志に頼るしかないのだ。 幸福になりたかったら、何よりもまず、大事なものとそうでないものを区別することだ。それから、どうでもいいことは、無関心になることだ。 |
読了日 | 2005年10月1日 |
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アルベローニ氏著作紹介、ありがとうございます!うれしいです。