イエロー・デ・トキワグローブはその時思った｡
ああ、早く大人になりたい、と。
自転車暴走族
本日の天気は家に閉じこもるのがばかばかしいほどの快晴だった｡
ただ風は強く､ほんのり暖まった空気に吹き抜ける風はすがすがしい｡
イエローは草や梢がたなびく様を心弾ませて眺めていた｡
身体がうずうずする｡
風の向かう方向へ､彼女も一緒に駆けて行きたかった。
それを行わないのは彼女はここで立っていなければならない理由があるからである。
「おっまたっせしましたー、イエロー先輩！」
出し抜けに元気の良い呼びかけに、彼女は黄金色のポニーテールをなびかせて振り返った。
そこには太陽のように快活に笑う金目の少年と、その背後に控えるように銀目の少年がいた。
彼らの名をそれぞれゴールド、シルバーという。
ゴールドは何が楽しいのかガハガハと笑いながら―――むしろこれが彼の素の顔なのだというのは、紫水晶の輝きを瞳に持った少女の談である―――イエローに封筒を手渡した。
「これが、ウツギ博士から頼まれた分。はい、どうぞ」
イエローは礼を言って茶の封筒を両手で押し抱いた。
ずっしりと重い。
この中には彼女には到底理解できない内容が、外国語の羅列のように書かれているのだろう。
もちろん中身を開封して確かめようとは思わない。
そも事の始まりは、オーキド博士からのお願いであった。
ジョウト地方に居を構えるウツギ博士に重要書類の配達と、入れ換えで他の種類を持ってくるように依頼したのである。
オーキド博士はいざとなった時でもそれに対応できるポケモンバトルの腕を信頼して彼女に頼んだのであり、彼女もそれに応えるだけの実力を有しており、何事もなく二人の間で約束は交わされた。
何事か会ったのはそのまわりだった。
その時ちょうどタイミング良くオーキド邸に顔を出していた娘と、オーキド博士の助手がこぞって反対したのである。
そういう危険が起こる可能性がある物事にイエローをさらしたくない、というのが理由であった。
そうは言ったとて、オーキドの周りにいる信頼の置ける人々は、書類が必要な日、きん差で用事が入っているのである。
そのために彼女にお鉢が回ってきたのだ。
なおもごねる彼女らをイエローは説得し、かくしてたった一人のお使いはスタートした、
「イエロー、ハンカチとちり紙は持った？ 書類はこのかばんの中にあるから肩からさげてね。それから―――」
「あのですねイエローさん、領収書をもらうときはまず駅員さんに―――」
まわりに騒がしく見送られて。
確かに彼女はちり紙は持っていなかったし(必要ないと思った)、領収書の貰い方も知らなかった(経費はオーキド研究所持ち)のだが、いかんせんこれはやりすぎだと複雑な思いでいっぱいだった。
それから電車とバスに揺られて数時間、降り立った停留所でゴールドたちの姿を発見したときは、その思いは更に高まった。
どうやら助手が連絡を入れていたらしい。
姫を守る騎士たちは「オーバーだなぁ」と肩をすくめつつも結局は彼女をウツギ研究所まで送り届けたのだった。
書類を手渡し数時間後、彼女は再び書類を手にしたという訳である。
ずっしりと肩に紐は食い込む。
その重みを責任の重みと思って、彼女は意を新たに一礼した。
「今までありがとうございました、ゴールドさん、シルバーさん。後はバス停に行くまでだから、ぼく一人でも大丈夫です」
彼女のにこにこ顔を見下ろして少年二人は計ったように顔を突き合わせた。
どうやら二人の合間に暗黙の了解が生まれたようである。
ゴールドは首をふって一歩踏み出した。
「いーや、バス停まで送りますよ。そうしねーとクリスのやつがうるさいっスから」
言外に、年上の威厳を著しく損なうような考えを抱かれていると察して、彼女は頬を膨らませた。
「―――いいですよぅ」
「いーからいーから」
はんば強引に押し切られ、結局彼女はうなずいていた｡
ゴールドとシルバーはウツギ邸の裏手に回り、そこから自転車を二台かっぱらっていた。
赤と銀色の、使われずさび付いた感のある自転車である。
ブレーキをかけると軋んだ音が立ちそうだ。
「―――貸せ」
傍らに自転車を置いたシルバーは、やおらイエローの前に歩み寄り手を突き出した。
何のことか分からず首をかしげると、彼の手はバックの肩紐へ伸びた。
「重いだろう、持ってやる」
「―――い、いいです！」
彼女は両手でかばんを抱えて、彼の手から逃げるように飛びずさった。
強い調子で言ってしまったことに気付き、あわてて謝る。
「あ、ご、ごめんなさい！ でも、ぼく･･･」
「そうだぜシルバー」
ゴールドがひょいと二人の間に体を挟み込むとシルバーの肩に手をまわした。
「これはイエロー先輩の『任務』なんだぜ。横取りはいかんっしょ」
シルバーはぽかんとゴールドの顔を眺め、目を細めると煩わしげにその手を払いのけた。
イエローに向き直ると長く付き合ったものがかろうじて分かるという程度の微笑を浮かべる。
「分かった」
悪かったな、と捨て置いて彼は自転車へ向かう。
イエローがうかがうようにゴールドを見上げると彼はニヤニヤ笑いながら彼の後を追っていくところだった。
彼女はほっと息をつき、両手に抱えたかばんをもう一度強く抱え直すと、彼らの背を追いかけた。
「イエロー先輩、自転車、のれますよね？」
そう言えば、という感じてゴールドが彼女を見下ろした。
イエローはむくれる。
「のれますよ」
「んじゃ、問題ないっスね」
彼はうなずき、シルバーがまたがっていた自転車の後部座席にひょいと乗り込んだ。
シルバーは声に出さず悲鳴を上げてバランスの崩れそうになった自転車を必死で支える。
「おいっ！」
怒鳴りつけた先でゴールドはひょうひょうとしたものだった。
「おれとイエロー先輩が一緒じゃまずいだろうが」
「どうしてだ」
「先輩の彼女に手ぇ出したらヤバイでしょーが」
あいにくと二人は顔を寄せて語り合っていたので話を聞いたイエローが顔を赤らめたり必死で否定したりとすることはなかった。
シルバーはとりあえず納得したらしい、表情は仏頂面であったが。
目線で自転車に乗れと示されて、イエローはあわてて乗り込んだ。
実質は異なる名目上たった一人のお使い。
その初めての試練をイエローは感じた。
常に移動は徒歩かドドすけである彼女、自転車は幼少期に乗ったことがある、その程度だ。
しかし乗れると見栄をはってしまった以上、ここで引くわけにはいかない。
イエローは意を決してペダルを踏み込んだ。
すい、と自転車は進んだ。
「わぁ･･･」
危なっかしかったのは最初だけであり、一度スピードに乗ってしまえば、後はそれを維持し続けるだけ。
どうやら体がこのバランスを覚えていたようだ。
彼女はうっすらと微笑んで、夢中に右、左とペダルを踏み込んでいく。
「ちょっと、まってくださいよ、イエローせんぱーい！」
背後で声がした。
夢中になっていた自分に気付いてあわてて自転車を止める。
乗ったまま背後を振り返るのは恐ろしかった。
と、その横合いを自転車が通りすぎていく。
イエローはあわててペダルを踏み込んだ。
シルバーが運転する自転車はゴールドを荷台に乗せてふらふらと頼りなく彼女の眼前を走っていく。
イエローはもう少しスピードを上げたらいいのに、とその横合いに並んで思った。
自転車の二人乗りはスピードがある方が安定するということくらい、彼女でも想像できる。
だが彼女は、明らかに自転車に乗りなれていないふうの少女に、少年たちが気を使っているということに気付いていなかった。
自転車にあるまじきとろとろとしたスピードで、二台と三人は行く。
シルバーは運転に集中しているからか素からか始終無口を通しており、荷台で楽をしているゴールドがしきりにイエローに話しかけていた。
操縦に余裕が出てきたイエローはうなずいたり笑いかえしたりして、和やかに時は過ぎ、バス停まで後少し、というところでゴールドの母親の料理の腕前を語り合っていたところで、ゴールドはふと思い付いたのかのように呟いた。
「あー、そういえば」
イエローは首をかしげたが彼は口をすぼめて何やら言いにくそうにしているようであった。
疑問を覚えたが、独り言の類いだろうかと追求はしない。
思考を他に切り替えた彼女は名を呼ばれて応えた。
「クリスに会ったら、覚えとけよ、っておれが言ってたって伝えてください」
「はい？」
「そう言や分かります」
イエローは訳も分からずうなずいた。
何やら穏便ではない伝言だが、この人たちはまたけんかでもしたのだろうか。
言うなれば、いつも喧嘩腰、な彼らだ。
彼女が彼らの行動全てを知り得ているはずもないので、まったく分からない。
ただ、伝えろというのなら伝えるだけの話だ。
その時かすかな声音が空気を震わすのを聞いた。
運転と思考に集中力を向けていた彼女は内容を聞き取れなかったが、ゴールドは聞いていたらしい。
彼はシルバーの背に怒鳴りつけていた。
「なんだよっ、お前だってあの時は似たようなもんだっただろうが！」
シルバーは黙っていた。
ゴールドに何を言われても、もう自分は関係ないとばかりに運転に全神経を集中している。
ゴールドは明らかに不服げに舌打ちをした。
ギスギスした空気にイエローがはらはらしだしたとたん、ゴールドはにやりと笑った。
この驚くべき表情変化が彼らしい。
まわりが着いていけないのだ。
「ぴとっ」
彼は言った。
そしてその通りに行動した。
彼はシルバーの背中に頬をくっつけ、細い腰に手を回した。
恋人同士のような抱擁に、ぽかんと少女は口を開けた。
自転車ががたりと揺れ、普段表情を変えない彼からは想像できないほど顔面の筋肉を引きつらせて背後を振り返った。
「やめろ！」
「いやーん、シルバーちゃん、怒っちゃ、イ・ヤ」
ケラケラと笑いながらもゴールドは言われた通りすばやく彼から離れた。
悪ふざけしすぎて親友を青すじだたせるのが常の彼ではあるが、これ以上は危険だと今日はわきまえたらしい。
めずらしいほどのあっさりとした引きであった。
明らかに憤慨した様子の銀目とこれだけは譲れないとばかりに笑い続ける金目。
それを見続けた琥珀色の瞳の少女はぽつりと呟いた。
「二人とも仲が良いんですねぇ」
「なぜ」
シルバーが思わず突っ込んだ。
事のしめの言葉にしてはまったく正しくない、色々と訂正を加えなくてはいけない内容だった。
「ひでー」
「あ、えーと、すみません」
「イエロー先輩もあやまんないでくださいよー」
非難の声の割にはゴールドの声は笑っていた。
大真面目なのはシルバーのみであり、イエローは「きっと、てれてるんだ」と微笑ましく考えていた。
シルバーは歯がゆげに口を広げかけたが、イエローのニコニコ顔を見て、結局押し黙る。
「イエロー先輩の勝ちー」と宣言した金目は、何に勝利したのか首をかしげた少女に笑顔を向けた。
彼は上機嫌だった。
イエローが共にいると基本的に銀目は悪態をつけなくなる。
彼女に敵対しない限り、彼の立場はシルバーの遥か上に立てるわけである。
「それで、イエロー先輩」
「はい？」
「レッド先輩とこういう事したいんスか」
ギィッ！
赤い自転車がさびた音を立てて止まった。
ギコギコギコ･･･、と銀色の自転車が奏でるリズムカルな音が風景の中に響く。
と、スピードを乗せた赤い自転車が追い付いてきた。
「な、なにを言い出すんですか、いきなり！」
「いや、なんとなく」
彼は彼女が二人の仲がいい、と呟いたその声音にわずかに羨ましがるような響きを察知した、それを突っ込んだだけである。
この動揺っぷりから察するに、どうやら図星のようだった。
無自覚なようだが。
「別に、僕は二人が仲良しなんでいいですね、って言っただけです。何でそこでレッドさんが出てくるんですかからかってるんですかひどいですゴールドさんイジワルだゴールドさん」
頬を膨らませる少女に「からかいがいがあるなぁ」とゴールドは一人悦に入っていた。
彼女はこの憤りを誰かに分かってほしかったらしい、目線をここにいるもう一人の人物へ向けた。
「安心しろ、イエロー」
シルバーは力強く請け負った。
「後でボコしてやる」
『コワッ！』
イエローがシルバーをなだめたり、ゴールドが平謝りしたりしているうちに、三人はバス停に到着していた。
バスに乗り込み手を振る彼女を見送った少年二人組は、めいめいその甘い名残を惜しむかのようにだんまりを通していた。
やがて、金目はしみじみとうなずいた。
「うーん、さすがなごみ系イエローさん。からかいがいがあるぜ･･･！」
ぐっと握り締めたものを眺め、銀目は腐れ縁の仲の者として、警告はしてやることにした。
「―――いいかげんにしないと、クリスと『マサラの三強』が黙っていないぞ」
「･･･こわいなぁ」
前者にか後者にかはたして両方にか、彼はしみじみとうなずいた。
トキワシティの駅にたどり着くと､はたして時はもう夕暮れだった｡
自転車暴走族
イエローは穏やかに帰路につく人々ごしに夕日を見詰め､その見事なオレンジ色に、ほう、とため息を吐いた。
トキワシティの郊外に住むイエローが知る夕日は木々の葉に埋もれて沈む赤だ。
それがここではビルの合間に沈む。
まったく違うのに、空の色は同じなのだとしみじみとした思いを味わっていた。
ぼうと呆けて見つめていたイエローは近くに人が近づいていることに気付いていなかった。
「あの、すみません･･･」
「―――はいっ？」
イエローが驚いて身を震わせると、そこには青年が立っていた。
もちろんイエローの見知らぬ、少なくとも記憶にない青年である。
青年が紙を取り出し示したので見てみれば、それはこの町の簡易地図であった。
この駅を含む大まかな施設よ、大通りの線が縦横に走っている。
「コンペイトウ、っていう店知ってますか？ コーヒー専門店なんですけど･･･」
「ああ、はい」
イエローはうなずいた。
彼女には縁のない大人な味を提供する店であるが、少し前にグリーンと一緒に行ったことがある。
イエローは地図を指差し、丁寧に説明した。
曖昧な顔でうなずく青年の表情から、どうやら彼はこの町に不慣れなのだろうということがうかがえた。
もう一度子細に、と口を開きかけ、彼女は気付いた。
個人営業のコーヒー専門店はポリシーかどうか知らないが閉店時間が速い。
駅前に大きく立てられた時計塔に目を走らせると、閉店まで少ししか時間がない。
イエローは思案して、一瞬後には決めた。
「あの、閉店まで後少ししか時間がないので、僕が案内しますよ」
「本当ですかっ？ すみません、ありがとうございます」
青年はありがたそうに頭をたれる。
イエローが青年を促がした、その時。
「イーエロー！」
駆け足の一歩を踏み出した少女はその一歩に振り返った。
人込みを縫うようにして少年が歩いてきている。
自転車を押しているのでそのスピードはゆったりとしたものだ。
心持ち焦っていたイエローは待ちきれず彼のもとへ駆けた。
「レッドさん！」
「探したぜイエロー。さすがトキワの駅だな、人が多い･･･」
「あの、コンペイトウって言うコーヒー屋さん、レッドさん知ってますか？」
彼女の気迫に気おされ、レッドは口篭もり彼女の顔をまじまじと見た。
自転車を止めて、聞く体勢に入る。
「どうした？ 何かあったか？」
「あの、その自転車でそこまで乗せていってくれませんか？」
そう言ってイエローは背後の青年を指差す。
レッドはついとその男に視線を向けた。
男は頭に手を当ててすまなそうにイエローの横合いへ近寄る。
「いや、もういいですよ。閉店も近いっていうのなら、また今度で」
「でも･･･」
イエローは青年を振り仰いだ、その一瞬。
彼は彼女の肩を掴んだ。
彼女が目を見開く。
彼女の肩に下がったバックの紐を毟り取ると彼女を突き飛ばした。
小さく悲鳴を上げて倒れていく身体、それを抱きとめる者があった。
目を見開いたイエローが見たのは、顔付きを険しくさせたレッド。
呆然と視線をその方向に向けると男は宙に浮いていて、派手な音を立てて地面に落ちた。
奪ったバックが手を離れ、赤レンガの地面を滑り、止まる。
男がなおも手を伸ばした先、威嚇するかのように低くうなる鳴き声が上がった。
バックに前足をかけて男を睨み付けるピカチュウ―――ピカだ。
男はその瞬間戦況の不利を悟ったらしい。
這うように場を離れ立ち上がると、足を止めて遠巻きに見詰めていた人々の合間に押し入り、あっという間にその姿は見えなくなった。
ピカがその後に続こうとする。
「ピカ―――もういい」
主人に制止され、ピカは不服げに主人を見上げた。
男に消えた方向をもう一度見つめ仕方ないとばかりに一声鳴いた。
未だ呆然としているイエローをレッドは立たせると、地に落ちたバックを拾った。
土埃を払い、自分の肩にかける。
突っ立ったままだったイエローは、徐々に状況が飲み込めてきたようだった。
顔色をなくし、なのに無表情で、その声音にも表情がなかった。
「･･･レッドさんは、あの人が悪い人だって分かったんですか？」
「･･･ん、まあな」
直感だったけど、と苦々しく笑う。
だてに悪の組識を二つ三つ相手取って戦ってきた訳ではない。
役に立ちたくないスキルではあるが―――こういう場に役に立つといつもそう思う。
彼女はゆっくりと息を吐き出したが、それは震えていた。
「･･･いい人だと、思ったんですけど･･･」
レッドは何も言わず、彼女の背を押して促がした。
「迎えに来てよかった、乗って」
彼は自転車に乗り、促がされるままにイエローも座り込んだ。
ばらけだした人の輪を突っ切って、彼は自転車を走らせていった。
イエローは始終無言であったし、レッドもまた何も語るつもりもなかった。
彼はただ安全運転に気をつけて、オーキド研究所への道を進んでいく。
やがてぽつりと彼女は呟いた。
「―――かなしい、です」
「･･･イエロー」
「分かってます。世の中、良い人も、悪い人もいるんです」
ポツリポツリと語る。
もちろん知っている｡
もちろん、彼女は知っていた。
知識としては知っていても、感情が理解を拒むのだ。
消化不良の思いは彼女の胸に潜み、彼女の気を重くさせていた。
きっと音を立てて自転車が止まった。
華奢な体が前のめりに揺れる
琥珀色の瞳が驚いて見開かれると、そこに覗き込むように赤い瞳が映った。
「これからは知らないやつに不用心の接しちゃだめだぞ？」
「･･･はい」
神妙にうなずく。
気を使われているのだ、と、分かっていても心は沈む。
まるで、他人はすべて信用してはならないかのような。
―――そんなの、切なすぎる。
まなじりを下げて泣きそうな少女の頭に、大きな手が乗せられた。
「イエロー、お前は何も間違っていない。人を疑わないってのは、すごいことだよ。だけど、それだけじゃだめなんだ。･･･ごめんな、イエロー」
「･･･どうしてレッドさんがあやまるんですか？」
彼女は上を向いていた。
そうしないと、泣いてしまいそうだった。
「もっと早くお前を見つけるべきだった。そうしたらこんな思いをさせなくてすんだのにな」
彼女は激しくかぶりを振る。
感情を移したかのような彼の表情に、彼女は無理をしてでも笑わなければならない、と思った。
「いいんです！ ぼくが早く大人になったら、そうなるように努力をしたらいいんです！」
両手を握り締めてガッツポーズを取った少女に、レッドは微笑して頭をなでた。
前を向いて、自転車をこぎはじめる。
風の音に紛れて、彼の声ははっきりと彼女に届いた。
「おれたち、仲間がついてる。ゆっくりいけばいいさ」
「･･･はい」
彼女は引きつった笑みらしきものをうかべてうなずいた。
早くその話題をそらしたかった。
これ以上したら両目にたまったものが堪えられない。
「そういえばどうしてレッドさん、こんな所にいるんですか？」
答える彼の表情はこちらからではうかがう事は出来ない。
「んー、それが今日ゴールドから電話があってさぁ」
「･･･ゴールドさん？」
「そう、ぜったい自転車で迎えに行けって言われて･･･そういえばなんでだろうなぁ？ 大きな荷物でもあるのかと思ってんだけど、そうでもないみたいだし」
(･･･ゴールドさぁんっ！？)
イエローは内心叫ぶ。
気を使われたことは明らかだった。
彼女は目の前に金目の少年がニヤニヤと笑っているかのような錯覚を起こす。
彼が彼女に何を求めているのかは明らかであり、きっと明日の夜にでも戦況を尋ねに電話をよこすのだろう。
だが彼女には無理だった。
行為ははっきりいってありがた迷惑だ。
そんな勇気も根性も持ち合わせた覚えはない。
―――ふだんなら。
自分なりの理由付けを行ってレッドの背に、彼女はぴとりと頬を寄せた。
「うぉっ！？」
彼は奇声を発して、内面の動揺を示すように自転車が大きく左右に揺れた。
跳ね上がった心音を落ち着けるかのように、二拍間を置いて、恐る恐る呼びかけてみた。
「えーと、イエロー？」
「うー･･･」
くぐもった返事が返ってくる。
レッドはしばし無言、それ以上何も言わず、運転に全神経を集中させる事にした。
華奢で細い腕が弱々しく腰に絡み付いたときも、されるに任せた。
イエローは頬越しに伝わるほのかな彼の熱を感じたとたん、何か心の中のものが決壊するのを感じた。
彼の呼びかけに曖昧にしか応えられなかったのは、会話をしたら泣いていることが分かってしまうと思ったからだ。
求めるがままに彼の細いようでがっしりとした腰にまわした手に力を込める。
彼は許してくれた、だからきっと泣いていることはもうばれているのだろうと彼女は分かった。
分かっても、もう止められない。
妙に人肌が恋しかった。
何かにすがり付きたくて、それを許してくれる人は目の前にいた。
彼女は目頭を彼の背中につける。
服をよごしてわるいなぁ、と心の隅で考えつつ、今はたが感情に身を任して、静かに泣いた。
やがて堪えきれずにしゃっくりがもれ出す頃、涙と一緒に感情もすべて流れていったのかイエローは彼から体を離した。
とたんよみがえる羞恥心、今までやってしまった行為と、人前で泣いてしまったそれで、彼女はごまかすようにうめいた。
「っうーっ、うーっく、うー･･･」
「イエロー、元気出せー」
レッドは、もうそれしか思い付きません、といった調子で声を上げる。
精一杯励まそうという優しさを出来るだけ仰々しくならないようにという配慮が、彼女はただありがたかった。
胸にほのかに明かりが灯るような。
「今日、なんかおいしいもの作ってやるからさぁ、―――なにがいい？」
イエローは鳴咽を繰り返し、酸素の少ない頭で考える。
もう落ち込んではいなかったが、優しさはありがたく受けることにした。
すぐに返答があった。
「っ、カレー･･･」
「ん、分かった、カレーだな」
レッドの一番の得意料理、切って炒めてゆでるだけ、と自称するように彼の作り方はおおざっぱなのだが、何故かおいしいのだ。
―――もうすぐオーキド研究所だ。
彼女はタイミングを逃し、結局腕を彼の腰に巻き付けたその姿勢のまま、手持ちぶさたに彼の背に顔をくっつけたり放したりしていた。
「―――あの、レッドさん」
「なに？」
「お願いがあるんですけど･･･」
「ん？ なに？」
「今度、ゴールドさんをイジメるので、協力してください」
「―――えっ？ イエローらしくない、あいつ一体何をしたんだ？」
「ひみつでーす」
オーキド邸にたどり着いた彼らを、心配のあまりの顔を突き合わせて待っていた、オーキドの助手と孫と、その友人が出迎えたのが、その後の話である。
明らかに目をはらした様子の少女を見て色々とかんぐったマサラの三強のうち二名にレッドが問い詰められ、イエローは半泣きの助手に手厚く介護されたとか。
その日の夕飯はカレーだったとか。
その後日のゴールドの運命は、言わずもがなである。
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