(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - 【 monochrome mellow 】







 ―――― 【 創作文章 : PERSONA3 】  ( 07/8/13 )












 階下に降りた彼女の視界は、パーティション越しにラウンジの全体を捉える。難関の夏期講習も乗り切った夏季休業の真っ最中、誰も彼もが各々の用事で出払っているのだろう、見渡す限り仲間の姿は誰一人として見当たらない――と結論付けようとした岳羽ゆかりの視線は、しかし、ただ一人の例外をその視界の奥底に発見する。
 左九十度に折れ曲がった半透明の仕切りの向こう側。堅苦しさと行儀良さを人並みに孕んだ応接用としてのソファに、現場リーダーを務める”彼”の姿が見えた。それを一瞥で捉えられなかったのは、彼が背筋を伸ばして――尤も、彼は普段から仄かな猫背気味だが――真っ直ぐ身を預ける事無く、背もたれに半ば覆い被さるように姿勢を崩していたからだ。誰の意見を私見として借りるでもなく、彼女の公式見解は【睡眠中】との一答を弾き出す。
「……珍しいよね」
 と、安直ながら切実な感想が口を突いて出た。
 わざわざラウンジに降りて来て無防備な昼寝姿を曝け出している彼など、滅多にお目に掛かれるものでは無い。
 だからと言って役得や眼福かって聞かれると悩むけど、と台詞未満の独り言を零しながら、ゆかりはソファの近辺へと歩を進める。距離の値を減算するにつれて、背もたれの天辺に顔を埋めている彼の表情が精度を増す。斜めに傾いだ身体全体が、機械的に発生させる人工の小波のように規則正しく上下動していた。
 視線を周囲に散らすと、青々とした葉を存分に茂らせている観葉植物の傍には何処から持ってきたのか古びた扇風機が鎮座し、その首を左右に、これまた規則正しく旋回させ続けている。暑気を追い払うと言うよりはむしろ暑気から逃げているようにも思える所作は、けれどエアコンの送風とは決定的に異なる格段に格別な”趣”を場に提供していた。そして点けっ放しのテレビには、現在開催中の高校野球の全国大会を戦っている選手達の一挙手一投足が映し出されている。
 唯一の観戦者の充分な寝入りを自らの顔を覗き込ませて再確認し、彼女はテレビの電源を落とした。球児達を応援する鳴り物と歓声が絶ち消えて、ラウンジに扇風機の羽音だけが居残った次の瞬間――背後から、また新たな羽音が発生した。
「…………消した?」
 羽音、と言うには余りにも速度の遅い単語。
 ゆかりが振り返ると、つい先程まで寝入っていた彼がいつのまにか身を起こし、普段の何割増しかで焦点が離合集散した曖昧な目付きのままで彼女に疑問符を投げ掛けて来ていた。意識を無くし掛けた人間が【星】を自らの周囲に振り撒いているのは漫画的表現の常套手段だが、この場合は、星の代わりに【月】を纏わせているような感じにも受け取れる。無論、特に深い意味は無く、ただ何となくそんな感じがしただけの事なのだけれど。
 それは兎も角、彼女は曖昧さを排除した言動で応答する。
「うん、消した。つーか、どっぷりと寝入ってたでしょ?」
 すると今しがた排出した曖昧さを全て拾い上げたかのような返答が、寄越された。
「……寝てた? ん――寝てた? いや、ずっと起きていたつもり、なんだけどな」
「だーかーらー、コレ以上無くぐっすり昼寝してたって。そのいつも以上に呆けた寝起きの顔と低空飛行のテンションが何よりの証拠でしょ、もう」
 ぴしりと人差し指を伸ばし、彼の顔面へと突き付ける。
 指差された彼は自身の顔面に自らの指を這わせ、ごくごく自然な動作で目元を擦り、無意識的に波打つ欠伸を放った。そこで漸く彼女の指摘に納得したようで、頭を下げる。
「ごめん」
「いや、別に謝って貰うつもりで指摘したんじゃないんだけど」
「そう?」
「そう。……んー、相変わらず、こうして二人だけで会話すると色々と噛み合わせが狂うなぁ。ま――出会ってから何ヶ月も経ってるし、慣れたって言えば慣れたけど、さ」
 溜息とも息継ぎとも言える吐息を吐き落とし、ゆかりはついさっき落としたばかりのテレビを再点灯させた。「ありがとう」とすかさず寄越された彼からの謝意を「どういたしまして」と受け流し、彼女はテーブルを挟んだ向かい側のソファへと腰掛ける。斜め後ろから湧き上がる歓声、鳴り物、打球音。首をそちらに振り向けて暫し”熱戦”とやらを観賞した後、真っ先に思い浮かべたものの後回しにしていた疑問を彼にぶつける。
「でもさ、ここで見なくても、自分の部屋で見ればいいんじゃないの?」
「――確かに、そうだけどね。でも今は、部屋のテレビが壊れてるから」
「壊れてるんだ」
「桐条先輩に相談したら、『備品の修理交換には手続き上の都合で数日を要するからそれまではラウンジのテレビで我慢してくれ』、って」
「ふーん。まあ、そう言う事情じゃ仕方ないか」
「外出してる山岸が戻って来たら、壊れ具合を見て貰おうとも思ってるけど」
「あ、そっか。風花ならちょっとした故障はすぐに直してくれそうだもんねー」
 そんな風にあっさり氷解した疑問は、相変わらず暑気から逃げ回るように首を振る扇風機の涼風に吹き飛ばされる。テレビ画面の向こう側で繰り広げられている熱戦は一進一退の打撃戦の様相を呈し、まるでそこだけが相対性理論のロケットに閉じ込められたかのように試合進行が停滞していた。実を言うと野球それ自体にはそんなに造詣も深くなく興味も無い――基本的なルールと試合進行手順を辛うじて知っている程度――のだが、そんな事を抜きにしても、ついつい目を心を引き寄せられてしまう。
 試合は最終回に突入し、後攻側が一打逆転サヨナラの好機を作り出していた。先攻、守備側が最後のタイムを使用し、マウンド上に内野の守備選手達が集まってこの危機を乗り切るべく円陣を組んで士気を再度盛り上げている。
 円陣を解く直前に、全員で人差し指を掲げて自分達の勝利を誓い合う姿が映し出された。その中の一人の顔面の片頬に真っ白なガーゼが貼り付けられているのを視認したゆかりがその理由を訝ると、【自分の所へ飛んで来た強烈な打球を顔面で止めてヒットにさせなかった】との回答が彼から寄越される。その行為と根性に思わず感嘆した彼女は、そこでふと、それを説明した彼の片腕に巻き付けられている包帯に視線を縫い止めた。
 その包帯の理由を彼女は知っていた。
 と言うか、その場で目撃し対処していたのだが。
「……傷口、まだ傷んだり疼いたりする?」
「いや、もう大丈夫。岳羽が適切に処置してくれたから」
「ん、処置って言っても、ディアを重ね掛けして適当に包帯巻き付けただけなんだけどね――そう言えば、コロちゃんも今日は出払ってるんだ」
「順平が朝から散歩に連れ出して行った。と言うか、コロマルに無理やり引っ張られて行ったって言った方が的確かな」
「ふーん」
 まさか、敵シャドウの悩殺魔法に引っ掛かりリーダーの腕に噛み付いてしまった事への居心地の悪さを感じているからでは無いだろう、とは思いつつ、ゆかりはさり気無い相槌で一連の応答を消化した。そう言えばつい数日前にも同じように悩殺されたコロマルが真田先輩のグローブを噛み千切って、お気に入りの得物をお釈迦にされた先輩は暫く凹んでいたものだ。先輩と彼、どちらがより痛い思いをしたのかは第三者の視点からは測りかねるけれど――どちらの回復が早いかと問われれば、その解答は言うに難くない。
 彼は言葉を続ける。
「そうしたら、『不味いであります。コロマルさんは後悔と悔恨の念で自棄のやんぱちであります』って、アイギスも一緒に付いて行ってくれたけどね」
「……何処でそんなハイレベルな死語叩き込まれたんだろね、アイギス。やっぱ幾月さんの悪影響かな」
「既に、【悪】なんだ」
「悪でしょ、疑いなく」
 と、当人には極めて失礼な文言を並べた所で、彼女は自身の携帯電話から響くアラーム音を耳に捉える。
 携帯を取り出して画面を一瞥し、彼女はソファから立ち上がった。
「――じゃ、これから部活の練習だから私行くね。今から出たらモノレールの時間にぴったりだし」
「分かった。……ああ、道理で」
「何が?」
「いや、そう言えばどうして制服着てるのかな、って、たった今」
「――あのさ、もしかするともしかして、今頃気付いた、とか?」
「ごめん」
「………………」
 明らかに【別に服装なんて全然気にも留めていなかった】的な雰囲気を言葉の端々に漂わせながら、彼が先程のように頭を下げる。今回は彼女も『いや、別に謝って貰うつもりじゃ』、等とは言わない。本心、本音はむしろその正反対だったが、流石にそこまでは要求はしなかった。
 ただ、言うべき事だけはきっちりはっきりと、言っておく。
「キミもさ」
「ん」
「もう少し、あの画面の向こうの人達を見習った方がいいわよ。色んな意味で」
 そう言って彼女が指差したテレビ画面の向こう側では、二死満塁の大ピンチを凌ぎ切った守備側の選手達がそれぞれに生気溢れる笑顔で自分達のベンチへと全力疾走している姿が映し出されている。何処かの誰かさんとは対極に位置する、隠し事も後ろ暗さも無い活力。
 もう少し目の前の彼もそれを身に付けてくれれば、とまで思考を展開させた所で、しかし彼女は――こうも付け加える。
「……って、それは、私もか」
 それは完全な独り言の形態を成していたので、彼は恐らく、端から端まで聞き逃していたに違いない。
 だからその後に続けられたゆかりの言葉に、当人の目はそれこそ小波の如く規則的に瞬く事になる。
「ごめん」
 暫しの逡巡が場を囲む。
 囲みを破る言葉は、何とも曖昧な三点リーダと疑問符を従えていた。
「…………? いや――」
 別に謝って貰うつもりで指摘した訳では無い、と言う言葉は、当然の事ながら彼の口からは飛び出さない。指摘すらしていないのに居心地悪そうに謝られるこの状況は、むしろ彼の方により大きな当惑をもたらしていた事だろう。
 お互いに別々の軌跡を描いていた視線が、余所見をした者同士のように脈絡無く衝突する。
 見詰め合う、と言うにはいささか熱量の足りない交錯。
 接着された視線を引き剥がすために、二人は偶然を装った必然として、同じ言葉で対応する。
「「ごめん」」
 一体何に対して謝っているのかがお互いに分からないまま、二人は取り敢えず苦笑いし、テレビ画面に視線を戻した。
 二人の視界に引き戻されたテレビ画面では、同点による延長戦が既に始まっている。とは言え――遥か十年前から既に始まっている【延長戦】を逃れようの無い当事者として戦い続けている人々にとっては、たった今始まったばかりのその延長戦は、まだまだ真新しく新鮮な装いを帯びているようにしか思えないのだろうけれど。
 古びた扇風機は相変わらず、首を左右に散らして廻り続けている。
 決して逃げられない暑気と対峙する、実にくたびれたその姿の方が、むしろ彼等彼女等にしてみればより深い共感を呼び起こすように思えるかも知れなかった。










” monochrome mellow ”
















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