(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - 【 多分きっと、順列なんて必要ない、と 】







 ―――― 【 創作文章 : PERSONA3 】  ( 07/7/14 )












 ――面白いか面白くないかと聞かれると返答には困るんだけど、
 と前置きした上で、彼は文章の上に零していた視線を持ち上げて、彼女へと向き直る。


 感情をくすぐる要素、火種と言う火種が余す所無く消失した蒼白の壁面と床面。【憂鬱の庭】と言う異名に相応しい徹底的な静謐さに囲われた空間の中で、彼はつい先程から読み込んでいた文庫本を読む眼と手を一時停止させた。アクシデントと呼ぶにはいささか幸運の比率が濃過ぎる、黄金色の希少シャドウの一群に遭遇した彼等。そこでこの日のタルタロス踏破予定を急遽変更し、撤退時間ぎりぎりまでこのフロアで黄金掃討と金貨奪取を計画したのだった。幸か不幸か非常に広大なフロアであった為、探索チームは二人一組で二手に分かれて作戦を遂行し続けている。
 そしてこれは仕方の無い事だが、消失と出現を不定期なリズムで繰り返す標的を待っている間は、どうしても相手を待つだけの倦怠感と【死神タイプ】出現を警戒する緊張感が溶け合ったややこしい気分と向き合う事になる。
(何とも複雑な判定処理を必要とするシークエンスであります)
 と、彼女、アイギスは評価せざるを得ない何とも苦手な時間帯だ。その一方で、現場リーダーたる彼は倦怠感も緊張感もその顔面に露出させる事も無く、実に悠然とした物腰で時間を潰している。壁面にゆったりと背中を預け、月と夜空と旅人が描かれた栞を人差し指と中指に挟んだまま文庫本を読み進めていた。鋼線を一条一条豪胆に編み上げたような精悍さと、希少金属をナノ単位で削り上げたような繊細さが、その細く長い指先に同居している。ページをめくる度にゆらゆらと微動する指先を眺めつつ、アイギスがふと思い出したのはとある夏の夜の影時間。あの時は結局最後まで”何”を読んでいたのかは教えて貰えなかったが、実際の所、本当に、何を読んでいたのだろう。
 戦ぐように泡立つ過日の疑念。
 けれどまずは教則に則って、目の前の疑問を優先させる事にする。
「あの」
 会話をスムーズに切り出すには、こうして特筆すべき意味を特には持たない言葉を橋頭堡として設置するのが肝要である事を、アイギスはこの数ヶ月の巌戸台文寮、月光館学園生活で学習していた。
「今読んでらっしゃるその本は、そんなに、面白いんでしょうか」
 疑問として言葉に纏めたにも関わらず、肝心の疑問符は何故か本文に随行しなかった。
 恐らく、”きっと本当に面白いのだろう”と、質問を放る前に彼女は既に確信していたのだ。
 そうでなければ、周辺の【黄金】を一通り駆逐してからのこの数十分間、何一つ自分と会話を結ぶ事無くひたすら無言で文章に集中する事は出来ないだろうから。ただ単にそれが彼自身の周囲の挙動に比較的無関心な性格――つまりそれは”どうでもいい”と言う一語に尽きてしまうが――が発露しただけの事とも言えるが、それはそれで彼女にとっては少しばかり面白くない結果となる。だからこそ、その本が”面白くなければ困る”のだ。
 そこで彼女は、問い掛けた。
 返答はささやかな瞬きの小波を経て、寄せ返される。


「面白いかか面白くないかと聞かれると、返答には困るんだけど」
 と前置きした上で、彼は文章の上に零していた視線を持ち上げて、彼女へと向き直った。
「うん、強いて言うなら――――」
 言葉はそこから継げられた。


 意識は、そこで、突き当たる。












 何から何までがナノ単位で難解な現代文の教科書とノートを机の中に直そうとして、
 その何気無い挙動が予期せぬ障害物によって阻害される。
 他の教科の学習教材は足元の鞄の中に全て仕舞われているので、机の中にはもう何も入っていない筈――昼休みの到来を告げる軽快なチャイムが教室内に鳴り響く中、その旋律の裏側にささやかな不審の【?】を混ぜ込ませつつ、アイギスは自らの机の内部を覗き込んだ。右奥に鎮座している掌大の固形物を認識し、それを取り出す。”身に覚えの無い”所持品が、そこから出現した。
「………………」
 【文庫本】の背表紙と題名と表紙裏を一瞥一読し、それでも思考は進展しない。解を、閃かない。
 幾度と無く読み込まれたのだろう、カバーも本体も擦り切れと折れ曲がりの痕跡で満たされている。しかしそれが自分の手によるものでは無い事を、彼女は瞬間的に、むしろ反射的に理解し終えていた。「――わたしが休んだ日に、誰かがこの机を使用していたんでしょうか?」と独り言が口腔を割って空気へ飛び込むものの、ここ最近、少なくともこの二月に入ってからは一日たりとも休む事無く登校している質実剛健な自身の学園生活を思い返し、その可能性も割れ消えた。
 思考回路は【兎に角、誰かの忘れ物として職員室に届けるべき】だと声色穏やかに主張していた。その模範的な玉条を否定する理由も、特には思い付かない。鍵穴には既に該当する鍵が差し込まれ、後はそれを然るべき方向に回すだけの簡単な手順しか残っていなかった。
 けれど、その”然るべき方向”を、何故か失念しているような。
 どちらに回せば良いのかをどうしても思い出せない不可思議な感覚が、澱のように身体の奥底に溜まっている。
 何かを、
 忘れているような。
「あら」
 文庫本の表紙――括られた縄と垂れ下がる縄の不思議な調和――に視線を落としていたアイギスに、斜め上から声が降り落ちる。視線をそちらへと向けると、つい先程授業を終えて出て行ったばかりの現代文の担当、そしてこのF組の担任でもある鳥海先生が、席の真横に立っていた。どうやら教壇の上にうっかり忘れた教材を取りに戻ってきたらしいが、それを小脇に抱えた彼女の視線はアイギス、いや、アイギスが持っている文庫本へと注がれていた。
「へえ、珍しい光景ねー、アイギスさんが小説読んでるなんて。えっと、題名に作者は、っと……」
 更に一歩、一段踏み込み、詳細を確認する。その後の頷きには不可分の感嘆と得心が等分に配合されていた。
「うん、知ってる知ってる。そっか、帰国子女だから日本の文学よりも海外の文学の方にどうしても興味が向いちゃうのかしら? 今アイギスさんが持ってるそれは読んだ事無いけど、他の作品なら幾つか先生も読んだ事があるわよー。文体、と言うか、作者自身の視点と発想が物凄く風変わりよね。【そういうものだ】とか【プーティーウィッ?】とかは今でも憶えてるわ、そうそう、一番最初にゆりかごの話を読んだ時に作者の名前を素で間違えたのもいい思い出かしら。何度も頭の中で訂正と修正を繰り返したんだけどどーしても【ネ】と【ガ】の順番を入れ替えて認識しちゃうのよね。アイギスさんも、そんな経験無いかしら? 勿論あるわよね?」
「え? あ、えっと、その……」
 挟んで結んで畳み掛ける、鳥海先生の思い出含みの長広舌。
 一連の話を呆気に取られたまま聞いていたアイギスは言葉の最後に同意を求められ、大いに困惑した。だがすぐに本心と本題を思考の中に取り戻し、返答する。
「――これ、実はわたしの持ち物じゃないんです。多分、他の誰かの持ち物じゃないかな、って……ついさっき見付けたばかりで、中身も殆ど読んでませんし」
「あら、そうなの? てっきり先生あなたの持ち物、若しくは図書室で借りてきたものだとばかり思ってたわ――あ、でも、そっか。よく考えてみたらうちの図書室、この作者の作品って一冊も置いてなかったわね。同じ文学の一ジャンルなのにSFってそれ以外のジャンルに比べて扱いが悪いのは21世紀になっても相変わらずなのよねえ。この際、その辺りの選書事情の改善を職員会議で申し出てみようかしら。古典馬鹿のあのアフォエヅラの鼻を明かす所かこじ開けて引き千切っちゃうのは爽快だし、確か、N島もチャットで【最近の図書室はテーマが画一的なメジャー作品に偏り過ぎてるような気がする】ってぼやいてた気がするし」
「N島?」
「ん? あー、いや、ごめんねこっちの話こっちの話全部私事。今の気にしないで、ね?」
 文中に浮き立った未知の単語に反応したアイギスの疑念は、鳥海先生の強圧的な笑顔――深い詮索は御法度よ、と主張している――によって強引に吹き消される。ついでにその前の”六文字”にも同様の疑念が湧き掛けたが、それに関しては何となく誰の事か想像が付いてしまったので問題とはならなかった。
 それは問題からあっさり外されたが、肝心の本題は、まだ残っている。
 手にしている文庫本を強調するように掲げ、鳥海先生へと問い掛けた。
「あの、それで、この本はどうすれば良いでしょうか?」
「うーん、そうね――」
 鳥海先生は、何故か即答を躊躇して考え込む。アイギスにしてみれば即断で【じゃ、私が預かって持ち主に責任持って返しとくから安心していいわよ】と言ってくれる筈だとばかり考えていたので、予想の檻から易々と逃げ出した現実の展開に、少しばかり戸惑った。
 そして寄越されたのは、真実、意外な回答。
「ま、それはアイギスさんが引き続き持ってていいんじゃない? 誰がそこに入れたまま忘れたにせよ、それでずっと取りに来なかったら所有権を放棄した自己責任でしょ。もし置いて行った人が取りに来たならその時は相応の謝礼を要求して引き渡せばいいと思うわよ。そう、自己責任自己責任」
「……そうでしょうか?」
「そうそう。そんなものよー、社会って」
「――はい、分かりました」
 呪文のように四文字の漢字を繰り返す鳥海先生の言葉に多少の不安を覚えつつも、アイギスはその回答を取り敢えずは受け入れる。一応の対処法を取得した事で思考回路が安心感に浸ったのか、自分自身の無意識の海から、手綱が抜け落ちた一文が口を突いて出た。
「そうですね。そう言えば確か、【卒業式が終わったらちゃんと返して貰うから】って言ってた気がしますし」
「そうそう。そんなものよー、口約束――っ、て」
 鳥海先生は語尾の手綱を手放し、曖昧に空気へと解き放つ。続けて、疑念が発火。
「って、あら? その口振りだとアイギスさん、誰がそれを置いて行ったか知ってるんじゃないの? と言うかむしろ置いて行ったんじゃなくてその人から借りたとしか考えられないけど?」
「え?」
 至極真っ当な指摘に、しかし、アイギスは双眸をぱちぱちと瞬かせて首を傾げる。
「……わたし、今何か、おかしな事を言いましたか?」
「いや、おかしな事って言うかむしろとても筋が通った口約束って言うか、ね。つまり今の言葉を要約すると、”卒業式を来月に控えた三年生からの借り物”なんでしょ?」
「いえ、見るのは今日が初めてです。誰が置いて行ったのかも、全然分かりません。それにあの人は同級生です」
「………………」
「………………」
「うーん、謎。アイギスさんの謎が、また一つ増えたわ」
「――わたし、またもや、おかしな事を言ったでしょうか」
 アイギスは先程と今しがたの自身の発言を解き明かすべく、思い出そうと試みる。
 けれど自らが発した筈のその二文は短期記憶から根こそぎ抜け落ち、どうしてもそれを思い出す事は出来なかった。そして二人の会話は行き先を失い、結局、【引き続きそのまま持っておく】と言う結論でその場は落ち着く事となる。落ち着くと言うよりは、落ちが尽きたような煮え切らない終端、だったのだが。
 鳥海先生が去った後、アイギスは結論に応じる形で、一先ずその文庫本を読み始めてみる。
 先生が言っていた通り、”物凄く風変わり”な作品だと言う感想はすぐに意識の奥に根付いた。だが意味と意図をじっくり解析して”攻略”しようとした自身の作戦はどうやら不適合だったようで、ほんの十ページも進まない内に昼休みの終焉を告げるチャイムが教室内に響き渡ってしまった。
 以後は作戦を変更し、意味の把握はさておいてまずは読み終えてしまう事にする。午後の最初の授業は別の棟での化学実験なので、アイギスは人差し指と中指に挟んでいた栞を読み進めた箇所のページへと挟み、閉じた。「……本に度々接触して、意外に持ち辛い挟み方であります」と口を突いて出た自らの独り言、在りし日の”懐かしの口調”に――勿論、彼女は気付かない。




 学園帰りの学生達とお勤め帰りの企業人達によって混沌を成す、【あねはづる】のモノレール内。
 授業の狭間の休み時間では当然の如く”踏破”出来なかったその文庫本を、アイギスは吊り革に掴まりながら読み進める。片手、右手が完全に封殺されているので左手の親指を器用に動かしてページをめくらねばならないのだが、その動作がなかなかどうして、意外と難しい。自身の不甲斐無い不器用さに甘口の苦虫を噛み締めつつ、読み込みはじっくりと、しかし確実に進んでいた。
 と、
 彼女の視界を塞いでいた周囲の人混みに隙間が生じ、少し離れた空間の展望が開ける。自分と同じ月光館学園の制服姿の生徒男女三人が、狭苦しい空間の中で内向きに三角を形成していた。見覚えがあり見慣れた三人。自分の、2年F組のクラスメート達。こちらに背を向けている一人を除いた二人は、確か――岳羽ゆかりと、伊織順平だろうか。特に”会話した記憶は無いような気がする”けれど、その二人で間違い無い。こちらに背を向けたもう一人、両耳にイヤフォンを装着した男子生徒が持っている文庫本に視線を落としている光景を視認した所で、アイギスの意識の焦点はその”本”へと繋がれた。
 自分が今読んでいる本と同じ領域。
 同じ作者の違う著作を、その男子生徒は携えていた。
 すると背表紙に視線を向けた伊織順平が、何気無く、その作者名を声に出して読む。
 読み終えたその名前を聞き取った時、アイギスは自然に、ごくごく自然に口を開いた。


「「順序が逆」」


 爆ぜるような人波で混沌としつつも意外に静かだった車内に、そんな言葉が響き、”重なり合う”。
 伊織はまず眼前の男子生徒に視線を向けたが、すぐにその言葉に”共犯者”が存在している事を察知したようだった。彼が周囲に視線を振り撒き始めたのを見て取り、アイギスは慌てて隣に立つ体格の良いスーツ男性達の山陰に身を隠す。「誰だ!? ハモったぞ、今どんぴしゃでハモった!」と口走る彼の焦燥を岳羽が生温い苦笑で見守っている――むしろ見下ろしている――様が、山陰の隙間から見て取れた。
 こちらに背を向けたままの、もう一人の男子生徒の表情は、窺えない。
 我関せず、と言った感じに、一定のペースでページをめくり続けている。アイギスと全く同様の体勢なので左手の親指でページをめくっているが、その指先は彼女のそれとは次元の違う圧倒的なスムーズさで、印字された物語の進行を的確に補助し続けていた。
 やがて、その両肩がぴくりと微動し、頭が僅かに揺れた。
 何十秒遅れかで、漸く、今しがたの出来事に関して何らかの感情を表出させたように見えた。それがどのような感情を従えた表情だったのかは、残念ながら、彼女の位置からは窺いようがなかったのだけれど。










” 多分きっと、順列なんて必要ない、と ”
















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