(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - うたたね
::うたたね


「…ユーリ、まだ起きてる…?」

遠慮がちに部屋の扉が叩かれる。

「……どうしたリタ?」

扉を開けると、少し戸惑った表情のリタがいた。

「棚の上の資料が届かなくて…、取ってもらえないかと…思って…」

頼みにくそうにそう言うと、ふいとリタは顔を背けた。

「そりゃ、かまわねぇけど…。こんな夜中まで調べものか?」

勉強熱心だよなと感心した。
彼女の魔導器への熱意と、その知識の豊富さに関して右に出るものはなかなかいないだろう。

「……べ、別に。きりが悪いから終わらないだけよ」

口ではそう言いつつも、リタの努力をオレは知っている。
けれどそれを表だって言うのが嫌なのだろう。

「…そうか」

素直じゃないのはいつものことではあるけれど、なんとなく微笑ましい。
そんなリタの後ろをついて歩きながら資料室へと向かう。
たどり着いた部屋の扉を開けると資料の山、山、山。
床には紙やペン、用途のわからないものまでが散乱している。

「こりゃまた」

アスピオでの彼女の小屋も相当ではあったが、この部屋もまた良い勝負だ。
部屋の光景に言葉を失くしていると、

「その左の棚の一番上」

ぴしゃりとそんな言葉が飛んでくる。
言われた棚を見上げれば、これまたよくわからない資料が乱雑に並べられている。
…どれだよ?

「おーい、リタ。どの資料だよ?」

人に頼んでおいてさっさと自分の世界に入ってしまうのだから勝手なものだ。

「黒い背表紙の本と、…えーと…とりあえずその周辺の全部」

振り返らずにリタは答えた。

「はいよ、了解っと」

言われた物を探しだし、それを手にとる。
確かにリタの身長じゃ踏み台を使っても届かない位置に置いてあった。
…じゃあ一体どうやって置いたんだとか、突っ込んでもいいものだろうか。

「…それにしてもこれってなんの本だかサッパリ…」

「魔導器よ。あとはエアルとか…リゾマータの公式とかね」

「…科学の本か」

リタが何か難しい記号やら単語を並べて説明してくれたが、
正直何がどうなのかさっぱりわかんねぇ。
とりあえず総称して科学の本と名付けておいた。
…読む日は多分この先一度だって来ないだろうけど。

「あ、と…魔導器とエアルの関連性についての…」

オレが本に手を伸ばしている間に、リタは別の棚に向かう。
…そしてやっぱり彼女には届かない位置にあるようで。
踏み台に登り、さらに背伸びをしているが、どうしたって届かないものは届かないだろう。
そんな姿が少し微笑ましく、同時に危なっかしい。

「おいリタ、…大丈夫か?お前」

ふらふらとしているリタの元に行き、最初に指定された本を渡す。
再度彼女が取ろうとしていた本に手を伸ばした。

「届かないんだろ?意地張んなくたって取ってやるって」

「あ、…りがと」

小さくお礼を言われた。
返事変わりにリタの頭に手を置くと、本当に彼女が小さいのだと改めて実感する。
踏み台に登っていても視線がオレより下なのだ。…踏み台の意味あるのか。

「…いつも脚立使ってるから…ついクセで自分で取れるものだと…」

あぁ、どうりで。言われて納得した。
この見上げるような高さのいくつもの本棚に、びっしりと並べられた本。
その管理を一体どうしていたのかと不思議だったが、脚立があるのなら納得できる。

「ちょっと本を積み上げてたら壊れちゃって。…役立たずだわ、あの脚立」

この部屋の散乱具合といい、資料の山といい、本の厚さといい。
…どれだけ脚立が酷使されていたのかが容易に想像できるのは気のせいだろうか。

「リタはもうちょっと誰かを頼ることを覚えねぇとな」

くつくつ笑うとリタの頭を撫でる。…丁度良い位置にあるんだよな、こいつの頭。

「う、うっさい!」

スパン と、リタが手にしていた本が顔面に直撃した。…真面目に痛いぞ、リタさん。

「と、とにかく、ありがと。助かったわ。資料はある程度揃ったから、もう大丈夫」

夜中に悪かったわね。
そう言ってリタはオレに部屋へ戻るように促した。

「もうちょっと付き合ってやるよ。…元々眠れなかったから、丁度良い」

この文字や記号だらけの本を見ていれば、その内眠くもなるだろ。

「……勝手にすれば?」

少し考えた末、リタは短くそういうとまた自身の世界に入り込んだ。



床に散らばる資料を敵等にそろえて片付ける。とりあえず座れるだけのスペースを確保した。
それにしてもまぁ、よくこんなに熱心になれるものだと改めて感心する。
頭を動かすことは得意じゃない。だからこういう奴の考えることはわかんねぇけど。
危なっかしくて放っておけないことだけは確かで。
そろそろエステルの放っておけない病でも移ったんだろうか。

「魔導器…、歴史?…空気中のエアルの結合性について…、」

散乱とした紙を手にとってみるも、意味は全くと言っていいほど理解できない。
きっとリタに説明してもらってもわからないのだと思う。
その他に散らばる紙や資料も、よくわからない記号が相変わらず喜々として並んでいる。
それらに軽く目を通すと、少しばかりの眩暈がする。

と、その時。

とさりと背中に重みを感じた。
隣で資料を読みふけっていたリタが倒れてきたのだ。

「お、おい…大丈夫か?……って」

心配を余所に彼女からは小さな寝息が聞こえてきた。

「寝てるのか」

それも仕方がないだろう。昼間は戦闘三昧だったし、
こんな夜遅くまで起きていれば疲れるのも当然で。よく頑張れるもんだ。
それでも最初に出会った頃よりは、少しずつ彼女も変わっている。
意地っ張りなところは相変わらずだけれど、仲間内には心を許すようになった。
そこまで思考が行きついて、はたと気がついた。

「この状況は…」

背中のリタは完全に寝入っている。夜中に部屋で二人きり。
思考があらぬ方向へと進んでいく。

「なんでこの状況で安心して寝入ってんだ、こいつは…?」

それは色んな意味を含んで、信頼されてることになるんだろうか?
いやそれはそれで良いんだか悪いんだか。
エステルには『フレンから注意されてますから』とかなんとか言って
よけいな警戒ばかりされてきたが、
…さすがにここまでの無防備だと逆に何もできなくなるというか、
いや、別に警戒されてなければ何かするとかそういうのではなく。

「無邪気に寝やがって…」

肩越しに見るリタの寝顔は無防備すぎて、一歩間違えば本当に何かしたくなりそうで。
背中から伝わる体温が温かい。
静まり返った部屋に、彼女の寝息が広がる。
プラス、この心臓の音と。

「……ガキじゃねぇんだけど、な」

目の前のことしか見えずに突っ走るほど子供でも、
行動することに躊躇するほど純情でもないけれど。
大切にしたい思いと、手に入らないならいっそ壊してしまいたいという思いが
頭の中で不器用に入り混じって頭の中を支配する。
身体をずらして振り返ると、寄りかかるリタは少し不快そうに眉をしかめた。
けれど特に気にする風もなくすぐにまた小さな寝息をたてる。
肩を引き寄せると、それは頼りないくらいに華奢で。

どうせ寝てるんだし少しくらいなら気づきゃしねー…よな?

葛藤に心が折れそうになると、そんな考えも浮かんできた。
触れた赤みがかった茶色い髪は柔らかい。
心臓の音が少し早くなる。…なんとなく、この状況に辛さを感じ始めてしまった。
ならいっそ、

「リタさんー? 魔導器はどうした?勉強じゃねーのかー」

わざと少し大きめの声で起こしにかかる。
いっそ意識がある状態でさえいてくれれば、この悶々とした変な気もどうにか抑えられるだろう。

「……ん…」

眠たそうに目をこすりながらリタが目覚める。

「…魔導器は、世界の宝だと思うの」

「……は?」

わけのわからない言葉とともに、またリタは眠りにつこうとする。
寝ぼけてたのか。

「おいおいストップ。寝るなら部屋で寝ろ、風邪ひくぞ?」

それに確かリタはエステルと同じ部屋だった。
朝起きてリタがいないとなれば、エステルが騒ぐことは明白だ。

「…もうちょっと、だけ、仮眠とったら、また…」

ぐらぐらと睡魔で揺れるリタの体を抱きとめる。

「また、生殺しか」

腕の中に納まった少女は、起こすのも忍びないくらいすやすやと寝入ってしまった。
仮眠とかのレベルではなく、熟睡。

「朝まで頑張れ、オレの理性」

自嘲気味に呟くと、後は夜明けまでの数時間悶々とするしかなかった。

***


「ユーリ!わ、わわわた、わた、私のリタに何してるんです?!」

けたたましい声に意識が覚醒する。
結局うつらうつらしていた頭は、ぼんやりと寝不足を訴えている。
ばたばたと扉が乱雑に開け放たれ、息を切らしたエステルがそこにいた。

「どうしたーエステル?朝からそんな大騒ぎで…」

「……!! りりりりリタぁあっ!!」

エステルは泣きそうな声で叫びながらリタをオレから引きはがす。
がばっと結構大きな動作だったがそれでもリタは目覚めない。…寝過ぎじゃねーか?

「起きたらリタはいないし、ユーリの部屋は蛻のからで、二人で何をしてるのかと心配で…!」

・・・心配しなくても、なんとか何もしなくて済んだっての。
悶々し続け数時間。理性が打ち勝ったことを喜ぶべきか、嘆くべきか。

「…ふあぁ…、…?エステル、どしたの」

欠伸とともにようやくリタが目覚める。

「りりりりリタ、大丈夫です…?ユーリに変なことされてません…?」

わたわたとエステルがリタに駆け寄って無事を確かめる。…だから、何もしてないっての。

「あのな…、オレはそんなに節操ないか…?…っつーか少しは信用しろよ」

「ユーリだから信用できないんです…!」

…言いきったよこの姫さまは。

「別になにもないわよ?…ちょっと手伝ってもらってただけだし」

「そうそう、なのにリタは途中で寝ちまうし。おかげでこっちは寝不足だってーの」

「よけい心配です!ユーリ、本当に何もしてませんよね?リタが寝てる間に…とか!」

…してない。…ちょっと誘惑に負けそうになっただけで、断じてそんなことは決して。
決して、ちょっと勿体なかったとか、やっぱり少しくらいは、とか思ってない。

「エステルやジュディスならともかく、ユーリがあたしにどうこうしようなんて思うわけないでしょ?」

ピシャリと彼女は言いきった。
悶々と悩み葛藤していたオレの気なんて知らずに、言い切りやがった。
…それは信用されていることになるんだろう、けど。

「そう、なんです?」

リタのきっぱりとした断言にばたばたと騒いでいたエステルが大人しくなる。

「……信頼されてるんですね」

ぽん と、エステルがオレの肩を叩く。その目は憐れんでいるような、嬉しそうな、複雑な表情だ。

「それなら、手もだせませんよね」

「…憐れむか喜ぶかどっちかにしろよ」

安心した満面の笑みを向けられた。どうやら喜ぶ方を選んだらしい。…ってオイ。

エステルといいリタといい、無意識なのか確信なのかは知らないが、
さっきからオレのプライドにちくちくと棘をさしていることに気付いているのだろうか。

「あら、ユーリは案外ヘタレなのね」

ぐさりと何かが刺さった。確実にトドメの一撃が。

いつからいたのか、どこから聞いていたのかはわからない。
だが確実に言えるのは、わずかに残ったオレのプライドをジュディが粉砕したと言うことだ。