(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - なでこハーケンクロイツ

「なでこハーケンクロイツ」

 ――夏休みの、とある一日。
 僕はまた千石撫子の家にお邪魔していた。
 ――いやいやいや。
 そもそも、何で僕、ここにいるんだろう……
 確か、神原に進路のこととかで相談があるって呼ばれて。
 喫茶店に行く途中で神原に携帯で千石から電話があって。
 千石の家に着いたところで、神原が別の用事を思い出して。
 気がついたら、千石と僕は今日も二人きりだった。
 ……そこはかとなく、誰かの作為を感じるのだけど。
 まあ、気のせいだよな、うん。
 ――それにしても。
 相変わらず岩○文庫とか夏休みの百冊とか、そういう感じの健全な本が並ぶ書棚。
 んー。感心感心。
 しかし、みんな二列に並べられてるので、物によってはちょっと本棚からはみだしてたり。
 所々の隙間から、漫画の背表紙がちらほら見える気もするけど、きっと目の錯覚だろう。
「暦お兄ちゃん、学芸会のことなんだけど」
 そうなのだ。
 秋の学芸会に向けて、千石は演技指導して欲しいのだという。
 何故僕に。
「秋発表なのに、今からもう練習始めてるのか」
「……う、うん」
 熱心だなー僕の母校。というか千石。
 僕の頃はそんな真面目な奴一人も居なかったぞ。
「で、テーマは?」
「な、撫子のクラスはドイツ文学なの」
 ほう。
 言われてみれば、書棚にもそっち系の作品がいくつかあるような。
「とにかくシュトルムウントドランクなんだよ!疾風怒濤なんだよ!」
 いや、絶対わかってないだろお前。
 僕もよくわかんないけどさ。
「一応、ゲーテが下敷きなの」
 ほうほう。
 ゲーテくらいなら僕でも知ってる。
「『若きウェルテルの悩み』を現代風にしたんだって」
 ほうほうほう。
 まあ、ゲーテでは「ファウスト」と並んで有名な作品だろうしなあ。
 中学生の劇には丁度良い作品かもしれない。
「ウェルテルが性同一障害に悩むネオナチ家庭の女の子で、ベアトリーチェがユダヤけいけん……って読むの? 主義者の家庭に育った箱入り娘なんだって」
「重すぎるわ!」
 誰だ脚本書いた奴!
 反応に困るネタを手当たり次第ぶち込みすぎだろう。
 ゲーテが下敷きだからって無理矢理ドイツを舞台にしなくてもいいだろうに。
「で、いっ……衣装があるんだけど……き、着替えて、くるね」
「え? ああ、じゃあ待ってるよ」
「う……うんっ」
 なぜ赤くなる。
「あ、暦お兄ちゃん、本棚はさわったら駄目だから」
 そういわれればさわりたくなるのが男の子というものだが。
 残念、僕はお兄ちゃんであって、お兄ちゃんは妹分のお願いを裏切ったりはしないのだ。
 しかし……お、○波文庫の陰に漫画発見。
「お兄ちゃん」
 間髪入れず声が飛んできた。
「これも読んだら駄目なのか?」
「駄目、絶対」
 週間漫画誌で最近人気のある作品だ。
 神が魔界から来た悪魔と一緒にライアーゲームを解いていく話――だったっけ?
 いや、なんか混ざってるか。
 しかし、漫画も駄目とは。
 他人の手垢つくのが嫌とかそういうのかなあ。
「まあいいけど……あ」
 ……付箋がついてる。
「あ……え?」
「この付箋、何?」
 わたわたしていた。
「あああああああそれはその……参考に、と思って」
「参考?」
「うん……男の子とか、どんな女の子が好きなのかな、とか……」
 ほうほう。
 それはなかなか興味深い話題だ。
 でも、この漫画、主人公はあんまり一般的な男の子ではなかったような。
「神様のいうことは、絶対」
「異端審問か!」
 まあ、漫画の説得力はおいといて。
 しかし。
 千石もそういうことに興味があるお年頃なんだよなあ。
 前はそういうのわからないとか言ってたのになあ。
 まあ、うちの妹たちですら彼氏が居るんだから、当然といえば当然か。
「ふむ、よかったら僕に話してみないか。希望に沿うように相談に乗ってやる」
「えええええええええ!」
 いや、なぜそこまで驚く。
「だ、だって……暦お兄ちゃん、彼女いるんでしょ?」
「え?」
 いや、確かにいるけど。
 でも、この文脈だと、彼女が「いるからこそ」相談を受けるに相応しいと思うのだけど……
(えー、意外……うまくいってないのかな、それとも移り気なのかなでも)
 何やらぶつぶついっている。
「暦お兄ちゃんは――戦場ヶ原先輩、だっけ――その人と、おつきあいしてるんだよね?」
「ん? ああ――神原に聞いたのか」
「うん。凄い人だって」
 凄い人。
 まあいろんな意味があるけれど。神原がどう説明したのか――
「暦お兄ちゃんを虐めるのが大好きな人で、お兄ちゃんはそれが嬉しいんだって」
「待て待て待て待て」
 間違っては居ない!
 間違っては居ないけど。
 その表現では僕の評判が大ピンチだ。
「虐待される事自体が好きなわけじゃない」
「じゃあ、その人には虐待されてもいいんだ――ふーん」
 あれ。
 なんか部屋の気温が下がったような気がする。
 僕、何か言い方間違ったか?
「暦お兄ちゃんは、征服されるのとか鞭とか好き?」
「制服でされるのとか無知とか好き?」
 またずいぶんとマニアックな質問だなあ……
 今の中学生はそんなスレスレのプレイをするのか?
 無知、というのはまあうぶな子って意味だよな?
 でも――制服でされるって、何を?
 キスとか――その先とか?
 ……不覚にも赤くなってしまった。
「え? 暦お兄ちゃん、何で赤くなってるの?」
「いや……その……男は、たぶんそういうのも嫌いじゃない……と、思うけど」
「えええええええええ?」
(お兄ちゃん、Mだったんだ……考えてみたら怪我してもいっつも平気そうだし……痛いの好きなのかな)
 また何かぶつぶつ言ってるし。
「じゃじゃじゃあ……撫子がそういうことしたらこ……お、男の子は興奮するのかな?」
「え?」
 うーん。
 答えにくい質問だな。
 僕が中学生だったら、どうするだろう……
 通っていた中学の制服のままで、キスとか。
 男の子に詳しくない子――今の千石みたいな子と、キスとか。
「するな、多分」
「ふーん……じゃ、ちょっと待っててね、お兄ちゃん」
 着替えてくるから――そう言って、千石は隣室に消えた。
 うーむ。
 今日の千石は色々変なこと聞いてくるなあ。
 役作りの一環なのだろうか。
 でも、キスねえ。
 ぶっちゃけ、せいぜい出来てもキスまでだったろうなあ。
 中学のころはまだまだ精神的にもガキだったし、だからこそ高校に入っても童貞だったわけで。
 でも、もし千石みたいな子が同級生でいたら――
「お兄ちゃん、こっち見て」
 どうだったろう、とか。
 僕がぼんやり考えていた間に、撫子が戻ってきていた。
 着替えていた。
「……何? その服」
「神原さんの友達が、子供のころからコスプレやってたんだって」
「……もらったの?」
 こくこく。
 頷くと前髪が眼にまたかぶる。
 所謂ナチスドイツ――風の軍服に、帽子に――黒光りする鞭。
「ひとらーゆーげんとの制服だって」
「重い上に危険すぎる!」
 いやいやいやいや。
 これは駄目だろ。
 誰だよ女子中学生にこんな服着せようとか考えたの。
「え、そうなの? 別にトゲとかついてないよ?」
「僕の心にトゲが刺さるよ!」 
 しかもズボンもはいてないし。
 大きめの上着がワンピースみたいになってはいるものの、これだとパンツ丸見えじゃないのか?
「アンダーはスパッツはいてるから気にしなくていい、って神原さんが言ってた」
 神原め!
 何を考えているのだ!
「パンツじゃないから恥ずかしくないって」
「恥ずかしくないのはあいつだけだ!」 
 見てるほうは恥ずかしいんだよ!
 それに、この格好で。
 帽子を目深にかぶった千石が鞭を構えると……凄く危険な匂いがする!
「眩暈がしてきた……」
「え、大丈夫、お兄ちゃん? ベッド空いてるから寝ていいんだよ」
「いやいやいやいや! 大丈夫だから!」
 ここで僕がベッドに寝たら起きるのが不許可になりそうな気がする。
「大丈夫だよ。撫子はお兄ちゃんが何をしても受け入れるし、どんな要求でも受け入れてあげるから」
「待て待て待て、それも役作りなのか?」
「子作り? それはちょっと……でも、お兄ちゃんがしたいなら」
「したくねえー!」
 彼女ともしてないイベントを妹の友達とこなすのはおかしいだろ!
 いや、彼女としてればいいのかといえば違うと思うが。
「大丈夫だよお兄ちゃん。撫子はお兄ちゃんが何をしても泣いたり笑ったりしないよ。心も表情も殺して全部受け入れてあげるし、深海魚みたいな瞳で見つめてあげるよ」
「喜べねえー!」
 なんだその明るさのない総受け体質は。
「そして泣かれたり笑われたりすべったり出来なくしてあげるから、安心していいんだよ」
 安心できるか。
 突っ込みとしては社会的に抹殺と同義じゃないのか、それ……って。
「まて。僕はお前にそういう人と認識されているのか?」
「――え? う、うん、まあ」
「微妙な返事だー!」
 そしてそれは僕の話芸だ。 
 
 さて、そんな馬鹿な会話はさておき。
 それから、本来の台本に従って撫子は演技を始めた。
 ――大人しく僕も演技を見る。
 見たその限りでは。
 千石は――最近、やはり変ってきた気がする。
 それはあるいは、蛇が脱皮するような変化。あるいは成長。
 積極的に。前向きに。
 少なくとも、演じている時には、引っ込み思案な千石はそこには居ない。
 ――なんか、いいな。こういうのも。
 僕はそう思った。
 思っていたのだけど。
「暦お兄ちゃん……どう、かな?」
 一息入れたところで、僕に向き直って感想を求める千石。
 あれ?
 その制服の。
 胸のボタンがいつのまにかだいぶ下のほうまで外れていた。
 ああ、後で注意してやらないとダメだな。
 なんか、隙間から下着が見えそうになってるし。
 ふーん、ブラ、もうつけてるのな。
 千石は順調に成長しているらしい。
 ズボンはいてないから、上着の隅からなんか動く度にスパッツが覗くし。
 確かにパンツではない。
 ないがしかし――これでもまだ扇情的すぎるのではないだろうか。
 とは言え、今の「どう?」は演技について、であろうからして。
 まずそれについての感想を述べるべきだろう。
「……うん、いいんじゃないか?」
「そ……そう? そそられる?」
「その表現は適切じゃないなあ」
 上手いとか良い感じとか、ならまだしも。
 女の子がそそられるとか言っちゃいけません。
「上手いと思うよ」
「撫子、美味しそうなの? そうなんだ……嬉しいな」
 ん?
 何かニュアンスの違いを感じるが……
「じゃ、じゃじゃじゃあ――」
 ずずい、とにじり寄ってくる千石。
 胸元の隙間を僕に見せつけるように、顔を僕に突き出す。
 どことなく、呼気が熱いような――気がした。
「――え。何?」
「暦お兄ちゃんは――撫子を」
 そこまで、千石がゆっくり口にした時。
 
 ――玄関から、女性の声がした。

 うん。
 何も起きてないよ。
 例によって、お母様が変則的な帰宅をされたらしく。
「へ、変態と思われる――」
 今回については僕も迷いなく同意しよう。
 というか千石がこんな格好の時にお母様に会ったら、僕はもうそれだけで人生終了間近だ。
 故に先日の如く、間男のようにこそこそと僕は千石宅を辞したのだけど――何故だろう。
 僕は間違ったことは言わなかったはずだし、取った行動も間違っていなかったと思うのだけど。
 僕の心の中の何かが、警報を鳴らして止まない……
 まあ、いいか。
 千石との間にもし誤解が生じていたとしても、解く機会はあるだろう。
 夏休みは――まだ長いのだから。

 ――で、今回のオチ。
「さて、まずこの録音テープを聴いて欲しいのだが」
「………………」
 この後輩は。
「阿良々木先輩。もしこのテープが戦場ヶ原先輩の」
「わかったから口を閉じるか口を閉じたまま死ぬか選べ」
「はっはっは。らぎ子ちゃんはおかしなことを言うなあ。何かいいことでもあったのかな?」
 神原駿河は今日も変態だった。
 しかも最近忍野が混ざりつつある。良くない傾向だった。
「いいことなんて一つもねえしおかしいのはお前だ……何が望みだ?」
「ではまず――」
「……まず!?」
 一個じゃないのか、望み。
「私とめくるめく官能の世界へ旅立とうではないか」
「ひとりで好きなだけめくるめけ!」
「二人きりで旅立つのが嫌なら撫子ちゃんをサンドイッチする、でもいいぞ」
「千石をお前の妄想に引きずり込むのはやめてくれ頼むから」 
「うん? 阿良々木先輩はそういうのが好きではないのか?」
「好きも嫌いもない」
 あり得ない、ってやつだ。
 だって実行したら死ぬしかないじゃん、僕。
 戦場ヶ原に殺されなくても羞恥心で死ぬ。
「そうか、戦場ヶ原先輩がOKすれば良いということだな」
「するわけあるか! そして何気に僕が同意したことにするな」
 そりゃ、両手に花とか、考えるだけなら楽しいかもしんないけどさ。
 僕の現実にハーレムルートなんてねえんだよ畜生。
「いや、それはどの口が言いますか、だろう先輩」
「何でだよ。仮にハーレムがあったとしてもメンバーは戦場ヶ原と忍くらいだぞ」
「羽川先輩、私、撫子ちゃん――あと噂では妹さん達や小学生も毒牙にかけたと聞いたぞ」
「誰だそんな噂を広めたのは! 厳重に抗議してやる!」
「まあ私なんだが」
「まあお前しか居ないとは思ってたけどさあ!」
「――しかし、まるきり嘘でもあるまい? 撫子ちゃんを見てると私でも可哀想になってくるくらいだからな」
 そ……そうなのか?
「それはもう」
 そうだよなあ。
 いつのまにか年上の男のハーレムに勝手に加えられてたら嫌だよなあ。
「むしろ阿良々木先輩の代りに私が襲ってしまいたいくらいだ」
「文脈がわからねえよ! しかも勝手に代役を買って出るな」
「――しかし、本人がどう思っているか、よりまわりがどう見るか、が重要なのではないかな? ん?」
「……それは、まあ、確かに」
「なので、私としてはこの際、このネタを上手く使って噂を既成事実としてしまおうと――」
「よしわかった僕は戦場ヶ原に殺されるがまず先にお前が死ね」
 そんなにツンドロの花園をツンドラの荒野に戻したいのかお前は。
「そしてみんな真っ平らになってめでたしめでたし」
「めでたい要素がひとつもねえよ!」
 ――結局、デート一回で手を打った。
 こうしてまた既成事実が積み重ねられていくのか……  
 ――夏休み、本当に長くなるかもしれないなあ、と僕はため息をつく。
 それはそれで嬉しいような、怖いような――まあ、とは言え。
 最終的には何とかなるだろう。
 まわりがどう見ようと、僕は浮気性ではないのだ。
 
 ――たぶん。