(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - 一喜一憂


例えばそれは、本当に些細なことで。
いつも通りの言い合いで。
それなのにどうして、こんなにも心が痛いのか。


::一喜一憂

旅の途中に立ち寄った宿屋で、数日の間休息することになった。
ともすれば仲間たちは各々自由行動になる。
けれどどうしてこの魔導器大好き少女は一向に宿屋から出ようとしない上に、
夜中遅くまで研究だの調べものだのとろくに睡眠もとっていないだろうことは想像に難くない。

「で、何でわざわざオレの部屋に来てまで研究なんだよ」

「…だってこの部屋資料室から一番近いから便利なのよ。
 あんたの邪魔はしないから、気にしないで」

気にしないでと言われたところで納得できるはずもなく。

「そんなに根詰めることもねーと思うけどな」

「少しの時間だって勿体無いんだから。あ、そこの本とって」

答える彼女はついでとでも言わんばかりにオレの傍にあった本を指差した。
言われるままに差し出すが、どうにもすっきりしない。

「研究研究って、少しは休めよ? ここんとこずっと寝てねーだろお前」

「べ、別にいいでしょ…!」

「よくねーよ。戦闘中いざってときに倒れられたら…」

「あんたには関係ない…っ!」

ぴしゃりと言い切られれば、それ以上言葉にしようがなかった。

近づけば近づく程遠い存在。
それでも一番近くに居られる可能性はゼロではないと、そう思っていた。

関係ないと言われれば、そうかもしれない。
けれどどうして、その一言がこんなにも重く突き刺さるのか。

「あぁ、そうかよ」

行き場のない苛立ちが形となって拳に伝わる。
壁にぶつかったそれは、静寂とした部屋に思った以上に広がった。
瞬間びくりと怯えた彼女に我に返る。
どうしていつものように軽口で返せなかったのか、自分が一番驚いている。

「…悪ぃ」

動揺を隠しきれていない深緑の瞳で、それでも彼女は真っ直ぐにオレを見つめる。
揺れる瞳が、今にも泣き出しそうなのに。
精一杯の虚勢で保っている。

「…っ、一回死んどけユーリのバカぁー!」

ふるふると身を震わせた彼女は、そんな言葉と共に決して薄くない本を投げつける。
気付いたときにはバタンと威勢のいい扉の閉まる音と共に、彼女の姿はそこにはなかった。

「…怒らせちまったか」

先ほど投げつけられた本を拾う。
反射的に避けたそれは、一目で使い込まれたものだとわかる。
所々に挟まれた付箋、中身を少し捲れば只でさえびっしりと埋まった文字の余白に走り書き。
普通に一度や二度読んだ程度ではこうはならない。
彼女の研究に対する熱意が手に取るように伝わってくる。

「何やってんだろうな、オレ」

関係ないの一言で彼女の世界から突き放されることを、全身が拒否していた。
悪気があっての言葉ではないことも、いつもの軽口程度の意味合いでしかないことも、
頭では理解しているつもりなのに。
その一言が重い。
八つ当たりにしかすぎなくて、多分彼女を泣かせてしまったのだろうことも容易に想像がつく。
それでも彼女の一番近くにいたいと、この期に及んでも頭は訴える。
本の裏表紙には、何にでも名前を書く彼女の癖。リタ・モルディオの文字。

「…リタ」

辛うじて言葉になった彼女の名前。呼べば呼ぶほど、思えば思うほど、頭と心に靄がかかる。
たった一言伝えることがどうして出来ないんだと、問い詰めたところで答えが出るはずもなく。
謝らないと、とか。
どんな顔して会えばいいんだ、とか。
考えるわりには再び突き放されることを恐れている。
どうすれば、彼女の隣に居られるのだろう。



心配されているのだということはわかっている。それが彼の優しさであることも。
だからこそよけいに心配なんてかけたくない。
言葉足らずはいつものことで、彼なら軽口で流してくれると思っていた。
何が彼の怒りに触れたのかがわからない。
理由のわからない怒りは、いつも以上の迫力で。言い返すための言葉も頭を素通りしていた。

「…っ……」

自分の部屋に戻ると、扉を背にずるずると座り込む。
怖かったからなのか、彼がわからないからなのか。
どちらにしてもこの止めようの無い涙の理由は今のあたしには理解できない。

「……くたばれ、ばか」

憎まれ口だけが部屋に響く。
いつも笑っている彼の表情を、今はどうして思い出せないのだろう。
怒りというより、悲しそうな表情をしていた。
あたしが悪いんだろうことはなんとなくわかる。
理由もなしに怒りをぶつけるほど理不尽な奴じゃないことは知っている。
けれどどう考えたって答えがでない。
どうして、彼の隣にいることがこんなにも難しいのだろう。


先ほど投げつけられた本を手に、リタの部屋の前に佇んでいた。
もう何度扉を叩こうとしては躊躇するということを繰り返したかはわからない。
決めてきたはずの意思が、揺らいでいる。

扉の前で、意味の無い深呼吸。…らしくないとは自分でも思う。

「…リタ?」

意を決して扉を叩くその手は、どれほど頼りないのだろう。

「……何」

小さく、でも確実に返ってきた返事に心底安心している自分がいた。
返事すら返ってこない覚悟もあった。
隔たった扉は開いてはくれないけれど、それでも話をする意思があることは確認できた。

扉を背にその場に座り込む。きっとこの扉はしばらくは開かない。
もたれかかると、急に力が抜ける。

「本、返しにきた」

「…別にいらない。内容全部覚えてるし、もう必要ない」

あぁ、ほらまた。
そうやってリタの世界から境界線が見え隠れする。

「…そっか」

「……」

しばしの沈黙。
それがどうして、居た堪れない。

「…さっきは、悪かったな。…驚かせちまったろ?」

少しでも近づきたいと思う彼女の世界は思った以上に遠くて。
近づけない苛立ちをぶつけてしまったのだ。

「なんであんたが謝るのよ」

「なんでって…、そりゃ…」

言いかけると突然もたれかかっていた扉が開かれる。
必然的にバランスが崩れ、背中にひやりとした床の感触。

「…あんたがそうやって怒るのは、あたしが何かしたんでしょ?」

わかんないけど。
そう言って倒れたオレを座り込んで覗き込むリタの姿。
目が赤く腫れているのは、気のせいではないのだろう。

「いや、オレが悪いよ。ただの八つ当たりだから」

「…」

リタは不服そうな顔を向ける。

「…、じゃぁあんたが悪い、全部悪い。
 ここ最近ずっと研究が進まないのも、夜眠れないのも全部ユーリが悪い」

捲くし立てるようにリタは言う。
オレが悪いということはわかっているが、ところがどうして理不尽さを拭いきれないのだろうか。

「お前な…それはちょっと言いすぎじゃねー…?」

身体を起こしてリタに向き合うと、彼女の両頬を引っ張る。
ふにゃふにゃとなるその顔が少し可笑しい。

「…ふみゃ?!」

「あんまりそうやって言われ続けるとオレでも拗ねるの。わかるかね、リタさん?」

「わかんないわよ、全っ然…!」

両頬のオレの手を剥がすと、リタはまっすぐに言葉を紡ぐ。

「あんたの考えてることなんか何にもわかんないわよ!
 だから、今あんたは何を思ってるのかとか、何してるのかとか、
 気づいたらあんたのことばっかり考えてて、研究も進まないし、本には集中できないし、
 あげく夜は眠れないし!だから全部あんたが悪い!」

言いたいことを言いつくしたのか、リタは呼吸を整えている。
飛び込んできた言葉は、理不尽なものも多いけれど。それは決して嫌じゃない。

「…じゃあ言わせてもらう」

「な、何よ…」

身構えるリタはお構いなしに、軽く息を吸う。

「オレだってリタの考えてることなんて全然わかんねーし、
 だから夜中にごそごそ起きて研究や何やらとやられると心配になるし、
 戦闘中に倒れられやしないかと気になってオレが戦闘に集中できないしで、
 つまりはお前が全部悪い…ってことになるな」

「り、理不尽すぎ!」

自分は散々人のことを言っておきながら理不尽だと即答するのはそれこそ理不尽だろうと思う。

「お互いサマ、だろ?」

「あたしはいいのよ!」

どんな理屈だ。

「リタに愛されてるのはよーくわかったけどな?」

再びリタの両頬に手を添えると、額に自分の額をかつんと当てる。
すぐ近くにあるリタの顔が赤く染まる。
その熱が、両手から伝わってくるようでどこか気恥かしい。

「な、な、何、何言っ…!」

「でもリタがオレを思う以上に、オレはお前が好きだぜ?」

見ているう内からさらに頬が赤くなるリタは、顔を背けようとするが
しっかりと両手で顔を固定する。

「は、恥ずかしいことを真顔で言うな!」

リタは視線だけをはずしてそう言った。
そんな彼女が愛しくてたまらない。

「事実だろ?」

背中に手を回して抱き寄せると、すっぽりとリタが腕の中に納まった。

「…あたしの方が、好きに決まってるじゃない。…ばか」

小さく聞こえたその言葉に、言いようの無い至福感。

「あぁ、そうだな」

遠いと思っていた世界は、ぐるりと円を描いて一周していたようで。
振り向けばそこにいつだってあったのだと気付かされる。
それはきっとお互い様だろうけれど。

―― 君が紡ぐ言葉一言で、一喜一憂。――

そうやって振り回されることでさえ、どうにも嬉しいらしい。