(´・ω・`)「ウィルス・・・」 - 君の隣に



::君の隣に

いつもリタの視線の先には踊るように並ぶ文字。
ただでさえその文字たちが理解できないのに、彼女を独占するのだから、尚更面白くはない。

「…そんなに研究は面白いか?」

本を読みふける彼女の横から覗きこむ。
オレに視線を送るわけでもなく、短く「えぇ」と彼女は答えた。
相槌が返ってくるだけまだマシなのだろう。
この集中力がさらに悪化、いや進行すると返事すらもままならない。

「で、いつまでオレはここで放置されてなきゃいけないんだ」

諦め半分でそう言うと、壁にもたれてため息を一つ。
窓から見るヘリオードの空模様は、今日も雲が掛って薄暗い。
雨が降りそうで降らない気温は、じめじめとした不快感だけを増していく。

「…別に、無理に付き合わなくてもいいわよ。エステルやカロルと街でも散策してくれば?」

独り言のつもりでつぶやいた言葉に、やけに細かい指示付きの言葉が返ってきた。
どんなに話しかけても上の空の答えだったのにこの変わりようは何だ。

「あのな、延々この状態だとさすがのオレも滅入るっつーか、いい加減もう本はいいだろ」

「だから、嫌なら外に行けばいいでしょ!大体、研究はあたしの趣味、生甲斐、仕事!」

ようやく本から顔をあげたかと思えば、下からまっすぐにオレを見上げ、そんな言葉を紡ぎだす。
彼女らしいといえばそうなのだろう。一貫してリタの興味は研究なのだ。
だから少し、複雑だ。

「…あぁ、そうかい」

溜息をついたせいか言葉に力がはいらない。
いつになったら研究や魔導器、精霊、それらの類の本よりも、近い存在になれるのだろう。
傍にいて他愛の無い話がしたいとか、
いつもころころ変わる表情が今度はどんな風に変わるのかとか。
リタに求めるものが次第に大きくなる。心も頭も、全てがそれで支配されていく。

「そうよ。…文句があるなら出てけ。そうじゃないなら黙って邪魔しないで」

ぴしゃりと言い切られると、返す言葉もなくなった。
…隣にいたけりゃ黙ってろって、この魔導士少女はまた酷なことを言い出すから困ったもので。

「はいよ。じゃぁ大人しくここにいるから、終わったら声掛けてくれ」

仕方なく机を挟んだリタの向かい側にある椅子に腰を下ろす。
静まり返った部屋には、リタが本のページをめくる音だけが響く。
真剣に読み進めるその表情は、まさに学者といった風貌だ。

文字を追っているその深緑の瞳は左右にくるくると動く。
どうしてその視線の先に自分は居られないのだろうと、
ついついくだらないことに思考が働いてしまう。
少し頭を動かすと僅かに揺れる茶色い髪や、本の中身に対してころころと変わる表情。
その全てが愛しくて仕方がない。

「…」

「…」

決して薄くないリタの読む本が中盤に差し掛かった時、ふと壁にかかった時計を見上げた。
針はお昼過ぎを指しており、朝からずっとこの状態なのだと気づき、また溜息が漏れる。
そろそろ昼食だ。
他の仲間もそろそろ戻ってくるだろう。
…そういや今日の食事当番はリタだっけか。
この様子では忘れているのだろう、本に釘付け状態は未だ変わらない。
仕方がないので代わりに何か作ろうと思い立ち、
極力リタの邪魔をしないように部屋の扉に向かう。

「…何だ?」

不意に服の裾がひっかかる。
何かと思って視線を向ければ、遠慮がちに服の裾を掴むリタの姿。

「…別に」

「いやいや、別に何もないなら離してくんねぇと。昼飯誰が作るんだよ?」

「…あ」

思い出したのかリタが顔をあげる。

「今日の食事当番はあたしでしょ?…何であんたが作りにいこうとするのよ」

「本読むのに集中してんだろ?今日は代わって…」

「別に。…この本、中身全部覚えてるし」

バタンと分厚いその本を閉じるとすたすたとリタは部屋を出て行こうとする。
…しかしまぁ、そう言われてはいそうですかと流してやれる余裕が今はない。

「ちょっと待てリタ。…ならなんで朝から延々あの状態だったのか説明してもらえるんだよな?」

「他にすることなかったし」

合せた視線もふいと軽く外される。
悪気がないことは分かっているつもりではあるが、
どうにもこうにも消化しきれない感情が押し寄せる。

「…そんなにオレと二人はやりにくい、ってか?」

今日何度ついたかわからないため息をまたひとつ。
どうにも彼女の気まぐれな性格が掴めない。

「それはあんたの方でしょ…?!」

ホラ、また。オレの理解を越えた所から答えが返ってくる。

「…オレ?」

「だ、だって!何かって言うと文句ばっかりだから」

それはリタが本に夢中だったからで。・・・何だこのループする会話。

「…二人でいるのが嫌なのかと…、思った」

「嫌なら文句言ったりしないでさっさと出てくよ、オレは」

少しの間でいい。
本よりも近い存在でありたいと思った。
リタが本からオレに目を向けてくれさえすれば、それで満足だったのかもしれない。

「……っそれに、二人きりだとどうしていいかわかんない…から」

だから本に頼るしかなかったんじゃない。
そう言ってだんだん俯いて声が小さくなるリタに、いつもの強気は感じられない。

「別にいつも通りでいいんだけどな?」

「それがわかんなくなるんじゃない!」

あぁ、なるほど。
きっとリタは気付いてない。そうやって紡がれる言葉が、どれだけオレの頭を支配していくのか。

「…ほほぅ、リタさんはオレのことが気になって気になって仕方がない…と」

「?!…ち、違…!だだだだから…!」

顔を湯でダコのように赤く染めて動揺する彼女が微笑ましい。
気まぐれに思える彼女の行動は、ただ単に不器用なだけで。

直接的な言葉を聞いたわけではないし、彼女の態度は思いと行動がちぐはぐで分かり難い。
けれどその意味を理解してしまったのだから、どうしたって顔が緩むのは仕方がない。

「あ、あんたさっきから何にやにやしてんのよ!」

オレの思考を知ってか知らずか、真っ赤になった頬のままリタは上目遣いにそんなことを言う。
でもきっと、リタの言う通りの顔をしているのだろう。

「なんでもいい。リタが隣にいれば、それで満足。…本は無しな?」

こつんとリタの額を指で弾く。

「な、何それ…。馬鹿っぽい」

弾いた額に手をやりながら、リタは呟く。
その頭に手をのせると、ふわりとした感触が手に広がった。

「まぁ、いつか一番近くに行ってやるから」

いつかリタのこの無自覚が確信に変わったら、
一番近い存在になれるだろうかと甘い期待も若干ありはすれども。

「…な、何…?」

「そのときは覚悟しろよ、な?」

もう一度リタの額を指で弾いた。さっきよりも少しだけ強く。

「…っ痛…!」

「オレからの宣戦布告…ってか?」

「あーもー、さっきから何なのよ!ぶっ飛べばかぁーっ!!」



今はただ、君の隣にいられることが一番の幸せ。



昼食時。
窓から見えるヘリオードの景色は、
朝方とは打って変わって、珍しく雲間から光が差し込んでいた。